工藤冬里
ほど遠く
1968の歌謡曲を組み合わせる
cell様の中に黒點
投票日に児童虐待をおこなった
小石や根の多い部分に行き当たる指先が
絶望を攀じるようだ
腰にずきん
革命からほど遠く
法律はぼくらを護る
蛍光マーカーのどんな色もフィットしない雨の日の
どんな声色も眉もフィットしない雨の日の
grossがsinを形容する様
愛からほど遠く
ほど遠く
ほど遠く
1968の歌謡曲を組み合わせる
cell様の中に黒點
投票日に児童虐待をおこなった
小石や根の多い部分に行き当たる指先が
絶望を攀じるようだ
腰にずきん
革命からほど遠く
法律はぼくらを護る
蛍光マーカーのどんな色もフィットしない雨の日の
どんな声色も眉もフィットしない雨の日の
grossがsinを形容する様
愛からほど遠く
ほど遠く
蛇の抜け殻のような道
その果てまで両側は
灰色の竹
竹並木というのか
こんな処があったとは
何やら苔のような
おびただしい
びらびらを
はためかせている
かなり急だから
もう登れそうにない
ウロコの跡は
あぁ、キャタピラの跡か
何やら息苦しい
肺か心臓がやられている
カジイかよ
坂に耐えられない
あぁ、オレは人殺しだったのだな
はなから許されてない
なら呼ぶなよ
この道行きが罰?
靴はもう泥だらけだ
土産の水羊羹はどうする
詫びじゃない
礼儀にすぎない
先輩が言ってたな
相撲辞めちまいな
川沿いの堤の道である
自転車が捨てられ
錆に雫
野望はどうする
張り手で殺した
茅の輪くぐっても
もう遅い
注「カジイ」は梶井基次郎のこと。
よ、大統領!
や、大統領!
トランプはんとジョンウンはん
超多忙なお二人さん。
「やあキムはん、おらっち近所までやって来たのよ。5分でええから会いまへんか?」
「え、ほんまかいな、そうかいな、明日はぼくちゃん暇でんねん」
ツイ、ツイ、ツイッターで呼びかけて、
ふたりは翌日、板門店。
あれに見ゆるは境界線。
「キムはん、あの一線を越えまひょか?」
「そりゃあもお、そおして頂ければ超ウレピー」
やった、やった、トランプがやった。
ヒップ、ポップ、ジャンプ。
ヒップ、ポップ、ジャンプ。
2人並んで跳び越えた。
境界線を突破した。
世界のキャメラが見つめるなかで、
それから2人は、むにゃむにゃむにゃ。
ムンちゃんなんかも加わって、
3人揃って、むにゃむにゃむにゃ。
よ、大統領!
や、大統領!
トランプはんとジョンウンはん
ムンちゃんだって月下氷人よ。
やった、やった、世界を動かす大統領
ビッグなディールが、これから始まる。
うまくいくかは分からんけれど、
これで再選間違いなし。
やった、やった、トランプがやった。
ヒップだ、ポップだ、エレキバン。
ざまあみろ! 指先三寸で政治は変わる。
たった1日で、世界は変わる。
高田の馬ん場は、アオとアカがヒヒンと嘶く、広大な麦畑だった。
革マルのフランケンシュタインのゲバルトに警戒しながら、半世紀振りで文学部のスロープを粛々とさかのぼり、おもむろに右手を眺めると、とっくに亡くなったはずのヒラオカ教授の英姿があった。
ところがヒラオカ教授ときたら、相も変わらず、
「こ、こ、ここはトキオではありましぇん。パ、パ、パリのソルボンヌざんす。ヌ、ヌ、ヌーボーロマンが、どうした、こうしたあ」
などと、都々逸を唸っているので、
「いったい何のための年金100年バリストだったのか!?」
と呆れ果てながら、余は「狭き門」の翻訳でつとに知られるシンジョウ教授の教室に入っていった。
すると満座の学友諸君の只中で、余はいきなり教授からジッドの日記の2019年6月21日の項の和訳を命じられたので、目を白黒させて脂汗を流していると、
「あれほど言うたのに、キミは予習をしてこなかったんだな。そおゆう不届きな者は、私の授業に出る資格はない。とっとと出てゆけ!」
と激怒せられた。
これはどじった、しくじった。有名教授の虎の尾を踏んじまったよお。
今日の教訓。詩も人世も、すべからく韻を踏むんだ、麦を踏まずに。
我が家の長男が、ときどき「お母さん大好き」という。
だいぶ容量が少ないけれど、稀に「お父さん、大好き」というてくれることもある。
私はこの世の中のありとあらゆる言葉の中で、
コウ君の、その「大好き」という言葉が、いちばん好きなのだ。
ところが最近テレビから、ガラガラ蛇のように数珠繋ぎになってしゃしゃり出てくるのは、「ハズキルーペ大好き!」というCM。
いかにもギャラの高そうな売れっ子タレントたちが、
どいつもこいつも年甲斐もなく「大好き!」を連発しているのを見ているうちに、
だんだん私の大好きな大好きに、けたくそ悪い手垢がついてくるような気がしてきた。
毒には毒を以て制すべし。
天の邪鬼の私は、試しにそっと呟いてみる。
「ミヤネ屋大好き!」「坂上忍大好き!」「中野信子大好き!」
「トランプさん大好き!」「安倍さん大好き!」「麻生さん大好き!」
ふむ。ちょっと吐き気がしてきた。
意を決して声を大にして叫んでみる。
「オリンピック大好き!」「自民党大好き!」「日本会議大好き!」
「ネトウヨ大好き!」「嫌中嫌韓大好き!」「ファシスト大好き!」
ふむ。やっぱり違うな。
つか、全然違うな。
言葉はおなじ「大好き」でも、やっぱりコウ君の「お母さん大好き!」には、てんで敵わないな。
高速バスでは
Dylan を聴いてた
名古屋港を高架で渡る時
雲が
いた
佇ってた
白い
古代の
女のようだ
少女の俤がある
“And she aches just like a woman.” *
“But she breaks just like a little girl.” *
ダメになる
少女の
雲の
白い
大阪に着いて
新梅田食堂街平和楼でビールを飲んだ
天満宮では芋のロックを飲んだ
柔らかい関西がいた
大阪まで
工藤冬里を聴きにきた
“one too many mornings.” **
“one too many mornings.” **
工藤冬里は
私を捨てて
押し流す
“流木のように近づいてきた” ***
“流木のように近づいてきた” ***
ギターをつまみ
ピアノを
叩く
土砂の流出した後で
歌う
“流木のように” ***
“近づいてきた” ***
岬にひとり佇っていた
ひとり
いた
* BOB DYLAN「JUST LIKE A WOMAN」より引用
** “one too many mornings.”はBOB DYLAN作詩・作曲の歌
*** 工藤冬里 詩「最後なのにないがしろにしたこと」
アジサイが暗い紫になる土壌だった
力は林道に流出した
口が裂けても言えないこと
材木ですじゃろ、に変換してみせた
剥き出しが曝け出しではなく脱ぎ捨てなら
蛞蝓は蝸牛の割礼だった
愉悦の土砂の流出した浦で
私が流木のように近づいてきた
避難勧告の浜辺で
私たちは私たちの肝臓を探した