「夢は第2の人生である」あるいは「夢は五臓六腑の疲れである」 第75回

西暦2019年皐月・水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

町内会長が、駅前広場の真ん中に座りこんで、「オラッチは町内会費をちょろまかしてモンブランの万年筆をたった70円で手に入れた」と自慢していたら、たまたまオート三輪で通りかかった男がそれって犯罪じゃんというてエンジンを吹かした。5/1

A社の思い出撮影機のお陰で、私の父の映像は、かつてない鮮明さと、深みを、併せ持つようになった。5/1

鍾乳洞のように真っ白な巨大なU字溝の下を、高速鉄道が走っている。少女とムク犬がU字溝をぴょんと飛び越して、向こう側に行ったので、私も真似をしようとしたが、怖くてできないので、U字溝の内部を歩いて、昇り降りしながら彼らの跡を追った。5/2

そこは70年代の夏の以前どこかで見たような街だったが、どこかから性風が吹いてくる。ミモザの花の香りだ。これが吹くと、男も女もセックスをしたくて堪らなくなるのだ。とある店先に、さっきの少女が座っているが、この店の主人に抱かれる順番を待っているようだ。

目の前を、やたらと奇麗で淫美な女たちが、行き来している。どれでもいいからいい女を早く捕まえてモノにしよう、と焦っているのだが、選択を誤るとヤバイ結果になるに違いないと思うと、なかなか手が出せず、ますます焦り狂っているわたし。5/2

おらっちはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで「テンペスト」を演じているんだが、途中で腹ペこになってしまい死にそうだが、ここで止めるとみんなから怒られそうなので、じっと我慢してる。5/3

L社では、年に一度軽井沢でお客様を招いて、特別謝恩会を開催している。今年は売れっこふぁっちょんアイコンのヨシダヨシコ嬢が登壇しておしゃれセミナーを開始したが、客層とかけ離れた自慢話ばかりだったので、30分もたたないうちに誰もいなくなった。5/4

朝夷奈峠のてっペんまで登ったら、オオシマさんがいたので、アクアの新車には自動停止装置がついているのかどうか、を尋ねたのだが、彼がいるのは、なんせ奥深いほら穴の中なので、声が反響して、なにをいうているのか、てんで分からなかった。5/4

その施設が丸焼けになってしまったので、焼跡を見に行ったのだが、その入口にまだ辛うじて残されている「千客万来」の歓迎の辞が、哀しかった。5/5

映画を鑑賞しながら世界1周するクルーズツアーの最後の晩餐会で、出てきた豪勢な料理をおいしく頂戴していたら、サイトウさんが鍵を呉れた。きっとこれで荷物をロッカーに入れてからレジで精算するのだろう、と思いながら、なおも喰っていたら、誰もいなくなってしまった。5/6

真夜中に物音がするので階段を降りて明かりをつけて居間をみると、チュウチュウネズミがとうとう罠にかかってもがいていたが、10連休の間、林檎を食べたり、ドアを齧ったり、糞をまき散らしたり、悪さのし放題だったので、誰からも同情されなかった。5/7

半永久的に戦前のはずだったのに、新年号に切り替わってから突如戦中になってしまって、ほとんどの若者が徴兵されてしまったが、私は透明人間に変身したので、何枚赤紙が舞い込んできても、平気の平左で銀座通りを闊歩できるのだった。5/8

官憲の弾圧が、だんだん酷くなっていた。まだ召集されない大学生たちは、喫茶店や定食屋にたむろしていたが、時々やけくそになって素っ裸になり、裏通りで、「猫じゃ猫じゃ」踊りをおどっていた。5/8

このほど○×党に納品した×○社製作のCMは、かなりシュールなテイストに仕上がっているが、担当者の凸凹部長によれば、それは編集の隠し味として、随所に2人の人妻の嬌声を入れ込んだからだという。5/9

東京駅からスカ線に乗ろうと思ったが、気が変わって久し振りに市電に乗ってみたら、東京は全面的に昭和の風景だった。運転手が気まぐれな奴で駅でもないところで勝手に止めて、客と一緒に楽しそうに酒を飲んでいる。5/10

そうだ、ついでに昨日無くしたカバンを探そうと思って、運転手に頼んで展示会場駅まで行ってもらったが、あんなに数多くのバイヤーたちで賑わっていたのに、驚いたことには建物の影も形もない。5/11

戦争になったので、急に物不足になり、八百屋に行っても私の好きなミカンやイチゴもない。なんとかしてくれえやと怒鳴っていたら奥の方から親父が10個500円の格安で林檎を出してくれた。5/12

私の授業は、学生が少ないので、いつも1つの丸テーブルに座ってゼミを始める。今日は全部で10名だったので、私は「さあ今日は2人づつ5つのグループに分けるから2人一組で他のチームと闘論してくれ給え」というて右手で4回手刀を切った。5/13

困っているその子に向かって、「将来はどんな仕事に就きたいの?」と親切な振りをして訊ねてみるのだが、いかなる言葉も発しようとはしない。5/14

早く早くと急かされて駆けつけるとなんと昔別れた女の結婚式だった。相手の男も私よりも遥に男前で堂々としており、羽振りもよさそうで、私はなんとなく引け目を感じてうなだれていた。5/15

ホテルのバーで人と会う約束があったので、先に来てジュースを飲んでいたら、周りの人たちが次次に斃れていく。後で聞いたらどうやら全部のアルコール類に毒が入れられていたらしい。医師の禁酒命令を守っていてほんとに良かった。5/16

その外国人の女を殺したのは私だが、そのことは誰も知らないと思っていたのに、ある朝彼女の家族と称する人たちが突然我が家に押し寄せてきたので、冷汗三斗のわたし。5/17

アジアの片隅でほっそりとした夜の女が近付いてきて、身をひさごうとしたので、どうしようかとひるんでいたら、その後にその女の夫と子供と思われる2人が物陰に潜んで事の成り行きを見つめていたので、驚いて逃げ出した。5/18

私が入っている刑務所ではどんどん人が増えるので、不審に思って観察していると、真夜中になるとこの国に押し寄せた世界各国からの難民が、三食昼寝付きの安住の地であるこの国立刑務所に潜り込むことが分かった。5/19

ビルの通路の向こう側の植木鉢の葉っぱに蝶の幼虫がくっついているのが分かったので、コウ君と一緒に駆け寄ったがいつまで経っても辿りつけない。善チャンも出てきて手伝ってくれたが見つからないので朝食をとることにしたが既に済ませているコウ君はどうしよう?5/20

絶海の孤島で絶世の美女と2人だけの生活をしているのだが、3日間にわたる壮絶な性生活を終えることなく私は絶命していた。5/21

ハ長調のドは分かるが、ト長調とかへ長調のド、まして変ロ短調のドがどこなのか、そしてそれらはピアノのどこを弾けばいいのか、がさっぱり分からなくなっていたので、パニック寸前のわたし。5/22

「大川周明の3つの遺言を聞かせようぞ!」という声が聞こえたので、外に飛び出すと、幸福の科学の大川隆法が街宣車に乗って叫んでいるのだった。5/23

犯罪に巻き込まれた私は、無実を証明するために、私が映っているビデオを証拠品として警察に提出したが、それは私が誰かに脅されて誰かの寝室に連れて行かれると、そこには近所の奥さんが横たわっているよという実に珍妙な代物だった。5/24

いつか夢見た夢をまた見ようとして特別ドレームフェアなる催しに出席しているのだが、会場に設置された即席簡易ベッドの中で何回トライしても、絶対におなじ夢を見ることはできず、途中から他の夢に変わってしまうのだった。5/25

将軍は私らにカレンダー付きの鍵を呉れたのだが、その鍵は1日に2回しか使えないので、私らは往生した。5/26

獅子舞になって子供の頭を1回がぶりと噛むと100円頂戴するという仕事で長年にわたって生き延びてきたのだが、少子高齢化の大波に呑みこまれてもはや二進も三進もいかなくなっていた。5/27

前回は2500回だった名人の連続太鼓叩きは、今回はなんと8500回という驚異的な数値に達し、わたしら弟子どもはただただ怖れ慄くしかなかった。5/28

その男は時代がバブリーになると謹厳実直に、バブル期が終わると途端に衆酒池肉林状態に突入するという特色を持っていた。5/29

若い女性モデルたちを石垣の上に横一列に並べて撮影しようとしているのだが、言うことを聞かないで勝手に動きながらおしゃべりしている彼女たちに頭にきているカメラマンの私。5/30

パン屋の私の前に、突然見知らぬ女が現われて、むかし学生時代に私との間に子をなしたが後に堕したというのひと違いではないかと驚いているが、梃子でも動こうとしないで、私が作ったアンパンをむしゃむしゃ食べている。5/31

大宴会で合計8皿のフルコースの御馳走が出されたので、夢中で食いまくったが、だんだんお腹が痛くなって来た。しかも最後の7皿目と8皿目しかそのメニューを覚えていない。豚に真珠とはこのことなり。勿体ない限りだ。6/1

マエダ女史の紹介でサンダース氏に会った私は、彼から懇切丁寧にフライドチキン事業経営のノウハウを伝授されて大感激した。6/2

疲れきっていたが一睡もできずにいた私の頭の中では、あの悪名高いハズキルーペのCMが朝まで流れ続いていた。6/4

土曜夜の試写会でゴダールの新作映画「スプラッシュ」をみていたら、「これから私はしろうやすの世界を立ち上げるんだ」とゴダールが呟いていたので、近くのカフェに入ってコーヒーを飲んでいたら、なんと鈴木志郎康氏がいたので、かくかくしかじかと報告したが、「あ、そうですか」というつれない返事だった。6/5

240円で出来立ての冷たい薬?を売っていたので、私はすぐさまそれを買った。6/6

妻が足利学校の校長になるという話を聞いて、私は耳を疑った。妻もどうしてそうゆう次第になったのかについてまったく知らないという。足利に移住して、就任の挨拶の原稿はたぶん私が書くことになるのだろうが。6/7

テレビ局で仕事をしているヤシマ嬢のシャツの上に「ネコテペス」という意味不明の西洋文字が刺繍されていたので、私はさりげなくその「ネコテペス」を触ってみた。6/8

巷の噂では、この食堂では蛇や猫や人間の肉まで惜しみなく味付けに投入しているので、ラーメンのみならず何を喰っても旨いという定評があったが、臆病な私にはあえて試してみる勇気はなかった。6/9

ついに宿敵と相まみえた日、私は腹を撃たれるのを避けるために左半身に構えながら、右手で握りしめた拳銃で、彼奴のどてっぱらに熱いダムダム弾を撃ち込んでやったのさ。6/10

今は江戸時代なのだが、その隠密は100メートル10秒フラットの記録保持者なので、藩主が参勤交代をするたびにその先導役として東海道を何度も往復して安全警護に貢献したので、ついに第3家老に出世したそうだ。6/11

病院長はその患者は政治的に特別に重要な人物なので、財前教授とその反対派の有力教授の2人が1日おきに完全かつ徹底的に看護するよう厳命を下した。6/12

2人の宿命の対決が始まった。2人とも抱いて殺して煮立った鍋に投げ入れた女をもう一度甦らせよと天主から命じられたので、懸命に祈りを捧げているところだ。6/13

水兵の私は軍艦に乗り込み、敵艦の外壁にとりついてガリガリ穴を開けようとしていたが、味方のコンパス銃は0.1ミリ口径、敵は0.3口径なので作業が捗らず、先に撃沈されてしまった。6/14

せっかく新床教授の授業に出ようと早くから下宿を出たのに道草を食って開始時間を5分過ぎてしまった。2人連れの学生にEW教室がどこにあるのか尋ねたら、「今日はもう諦めて、助手のフクダさんに来週から出るからよろしくと根回ししといたほうがいいですよ」と言われた。6/15

お上の不在を衝いて私は裏山のウサギ穴に潜り込んで、秘密の財宝を探し出そうと意気込んだが、穴があまりにも深すぎて帰り道を見失ってしまい、途方に暮れている。6/16

手や胸や腹が痒くて痒くて堪らないので、もう狂ったように目茶目茶に掻き捲っていると、突如得もいわれぬ快感がどこかから湧き起ってきて、これはいかなる生理現象に起因するのかと考え込んでしまう。6/17

私は新種のサルだったが、友人サル宅を訪ねて玄関口の靴脱ぎの置き石の断面を見ると、「令和はかなし」と刻んであったので、これは「令和は悲し」と読むべきか、はたまた「令和儚し」と読むべきかいずれとも決めかねてその場に立ち尽くしていた。6/18

「佐々木眞文学全集」のどの箇所に「世界最短詩の試み」が挿入されるのかを、いちいち検証していくので、眠るに眠れない夜だ。6/19

「2年間あんたをよその飛ばして悪かったけど、今月からまたうちの課の戻ってもらうから、すぐに来年度予算を案を作っといて」とタナカ課長は平然とのたまうのだった。6/20

息子にいい嫁を見つけるために、ゴッドマザーはどんなことでもした。朝から晩まで影のように息子に張りつき、息子の目となり手となり足となって、よさそうな女性を血眼で探しまくったのである。6/21

お父さんの仕事の都合で離れ離れになっている私たち。お父さんは田舎の実家に、私はお母さんと一緒に都会の一部屋で暮らしている。お父さんは「もうちょっとでみんな一緒に暮らせるようになるからな」、というて私を励ましてくれた。6/22

その男は、いやあ美味いなあ、ウマイ、旨いと言いながらその料理に舌鼓を打っていたが、良く見るとその口元は○というより△なので、小さな魚などはどんどんこぼれて逃げ去っていくのだった。6/23

半世紀ぶりに訪ねてみると、その下宿はいまなお京都の左京区にあった。私が2階の部屋に入ると2人の大学生がいたが、構わず押入れの中を開けると、その中には私がこの部屋の住人であった頃に買い集めた「世界文学全集全100巻」がそのまま出てきた。6/24

また新しい戦争が始まりそうなので、私はアシスタントの女性に命じて長さ10メートルの鋭く尖った竹竿をたくさん用意させた。いったん事があれば、これで雑兵集団を武装して敵に先制攻撃を仕掛けるのだ。6/26

ネーミングに関しては業界ナンバーワンの私は、完成まじかの高層ビルを見学しながら、その呼称を考えていたが、その間にも世界中の建設業者からネーミング依頼の電話が殺到するので、脳味噌が破裂寸前だった。6/25

まったく仕事がないので新企画をでっち上げて某出版社の重役に売り込んだら、幸い興味を持ってもらえた。その夜西麻布のバアで重役の意を受けた坂谷由夏似の編集長に会ったのだが、完全に化けの皮を剝がれてほうほうのていで逃げ出したわたし。6/27

生まれて初めてみたアフリカのセネガル映画があんまりおしゃれでシックで素晴らしかったので、会う人ごとに吹聴していると、ふぁっちょん評論家のフジオカさんという方が、「あらあなたご存じなかったの、セネガルは最近モード界でも注目されているのよ」と仰った。6/28

「今後のあらゆる創作基準はこのメートル法原器に準拠していきます。これは「2001年宇宙の旅」で原始猿が初めて他者を殺害し、宇宙に抛り投げた堅骨片の長さと形状と重量に匹敵します」と私が宣言すると、一同は諾諾諾!とうべなった。6/29

いつまで経っても大学を卒業できない私は、真夜中に突如その原因に思い当たった。毎年の新学期に履修科目を登録していないし、学校に行かないし、授業も試験も受けないから何年経っても卒業なんかできるわけがないのだ。6/30