ネズミ

 

塔島ひろみ

 
 

涼を求めて入りこんだ天祖神社の境内に、洗濯物が気持ちよさそうに干されていた
降雨のあとの蒸し暑い夕刻、男は汗をぬぐうハンカチを持たない
干してあった女物のTシャツで、首筋の汗を拭き、またそこに掛ける
道に出て、少し歩き、自動販売機を見つけ、ポカリスウェットのボタンを押す
そして返却口に手を差しいれて、おつりを探す
おつりはない
体を起こし、すぐ隣にある「pokka sapporo」と書かれた自販機に移動
今度はボタンを押さず、返却口だけをチェックした
おつりはここでも見つからない
また少し歩く サントリーの自販機がある
適当なボタンを押して返却口に手を入れる
おつりを探す
ここにも彼のおつりはない

向いの溶接工場から、危険作業に打ち込む男たちの汗臭い笑い声が響いてくる
男は背中にその声を聞きながら、空っぽの返却口を指で叩いた

一台の軽トラックが走りぬけざま何かに乗っかり、メリッと小さな音を立てた
もう一台 白いホンダ車のタイヤがまた、同じ位置でかすかな破滅の音を立てる
車たちが走り去ったあと、道にこなごなに潰れた何かが残った
ネズミだった

また車が来た 開け放たれた窓から音楽が聞こえる
それは男の好きな曲だった
車は潰れたネズミの死体を轢いていった

それは私の好きな曲だった

 
 

(8月30日、奥戸4‐11付近で)

 

 

 

愛とはなにか *

 

断崖の病院の窓から

平らな海を
見たことがある

海辺では
カモメたちが

空中に浮かんで停止しているのを
見たことがある

西の山の上に
雲がポカンと浮かぶのを

見たことがある

ちいさな黄色の花が風に揺れるのを見たことがある

しゃがんでオシッコしたモコが
ふりかえるのを

仏壇の前で
女が泣くのを

見たことがある

女が泣くのを見たことがある
女が泣き叫ぶのを見たことがある
女がふっと微笑むのを見たことがある
女が黙って見つめるのを見つめ返したことがある

義母の心臓が止まり
眼を見開くのを見たことがある

死んだ母の小さな体を抱きしめる姉を見たことがある
死んだ義兄が焼かれて太く白い骨になるのを見たことがある

見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない

TVニュースでは香港の若者たちが警官に警棒で何度も殴られるのを見た

見たことがない
カタチのある愛を見たことがない

 

* 工藤冬里の詩「愛とはなにか」からの引用