レポート さとう三千魚「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」

(2019年7月26日(金)於・青山スパイラルルーム)

 

長田典子

 
 

2019年7月26日(金)、詩人の松田朋春さん主催Support Your Local Poetのイベントで、さとう三千魚さんによる「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」の講演が、19時から青山スパイラルルームで行われた。暑い夏の夜だった。
とても楽しみにしていたので開演30分前に会場に到着すると、パワーポイント用のスクリーンの前で、さとうさんはパソコンで内容のチェックをしていた。浜風文庫’s STOREのTシャツにジーンズというラフな姿だった。場所はおしゃれな青山。しかも前面の大きなガラス窓からはスタイリッシュなビルが見える部屋とあって、最近太ってパツンパツンになってしまっているにもかかわらず、一張羅のお花柄のワンピースを無理やり着込み緊張して出向いわたしだが、さとうさんのラフな格好を見て一気に緊張がほどけた。

さとうさんのそのゆったりした雰囲気とともに、優しい人柄が滲み出てくるような、わかりやすい話だったこともあり、わたしだけでなく、会場全体が始めからほっと和みながらさとうさんの話を聞くことができたと感じている。

1980年代からさとう三千魚さんのご活躍は詩の雑誌を通じて存じ上げていたものの、わたしがさとうさんに初めてお会いしたのは、鈴木志郎康さん宅で行われている詩の合評会「ユアンドアイの会」のときである。今から4年ぐらい前のことなのに何だか古くからの知り合いのように感じている。さとうさんは、現在は会社を退職されて静岡にお住まいだが、その前は、平日は東京、休日は静岡で過ごされていた。当時わたしはスーツ姿のさとうさんしか見たことがなかった。日曜日の「ユアンドアイの会」には、翌日の会社勤務を控えて静岡から重いノートパソコンを持参しての参加だったからだ。ウエブサイト「浜風文庫」でもお世話になっており常にとても温かい対応をしてくださるおかげで、とかく萎縮しがちなわたしなのに、のびのびと作品に取り組むことができている。「浜風文庫」も休日以外は地道に毎日更新されている。いつもにこにこしている穏やかな印象や風貌から、さとうさんは、とても上手に社会と折り合いをつけて生きている人、誰とでもうまくやっていける人だと思っていた。
でもそれは社会人になってからの世間に向けての顔であり、本来はどうやら違っているらしいことがわかった。秋田県出身のさとうさんは、どことなく口が重い、シャイで寡黙な人というイメージもかすかに感じとってはいたのだけれど。

さとうさんは、幼児期、言葉を発するのが苦手で、常に母親の後ろに隠れているような子だったという。詩は小学生の頃から書き始め、中学生になってからは、通学していた学校で詩人の小坂太郎さんがたまたま教師をしており、小坂さんに詩を見てもらっていたという。ここで、すでにさとう三千魚さんは詩人としての芽をじわじわと伸ばしていたのだ。恵まれたスタートだったと言える。
高校時代は孤独だったという。受験のため東京に出てきたが、満員電車に圧倒され満員電車恐怖症のようになり、結局、浪人時代も朝の満員電車に乗れないために予備校には通えず桜上水のアパートの部屋に引きこもっていたのだという。当時、アパートの近くには野坂昭如さんの豪邸があった。野坂昭如さんの『さらば豪奢の時代』という本を読んださとうさんは、著者の書いていることと実際にやっていることの乖離を感じ手紙を書き送ったとのこと。さとうさんの生家が農業を営んでいたことから「実際はこんな甘いものではない」と憤りを感じたのだ。「他の著書も読むべきであったのに、若気の至りだった」とも言っていた。浪人時代のこのエピソードを聞いて、わたしはさとうさんの「詩の核」を見たような気がした。

その後、さとうさんは、小沢昭一さん率いる「芸能座」の研究生になった。演出部に所属し、演出助手をやりながら大道具や小道具もやっていた。研究生の合宿で、小沢昭一さんの前で余興をやらなけらばならなかったときに、さとうさんは西脇順三郎さんの詩「旅人かえらず」を朗読した。小沢さんは、さとうさんの詩の朗読をしっかり受け止めて聞いてくれたという。劇団にいても詩を手放さなかったさとうさん。やはり生来の詩人だと思った。

少年時代、さとうさんは雲ばかり見ていたという話は以前に聞いたことがあった。その視線は今も変わらず、日々、フェイスブックにポストされる写真からも知ることができる。

さとうさんには独特の視線や触手がある。

最新詩集『貨幣について』(2018年・書肆山田)刊行に向けて書いている段階で、考えを煮詰めていたとき、疲労とストレスがあいまって移動中の新幹線から降り熱海駅のホームで倒れてしまったときのエピソードが強く印象に残った。病院に救急搬送され病院の窓から外を見たとき「すごいものを見ちゃった」と感じたという。搬送された熱海の病院は片側が海に面した断崖絶壁の上に建っていた。さとうさんは倒れたとき血圧は上が220まで上昇していたらしい。この状況で病院の窓から絶壁を見てしまったさとうさんは、自身の状況を直感として把握し受けとめたのだろう。こういうとき、人は、人生のメタファとしてさらに言葉を続けて言いつのってしまうものだ。あるいは、わたしのように、ぼーっと生きている人間だったら「やれやれ、酷い目にあったものだ。ようやく家に帰れるわい」「今日は天気がよくて景色が良く見えるな、病院に搬送されるなんてなんてこった」、「なんだ、この病院、こんな崖っぷちに建っていたのかー」など、仕事帰りに病院に救急搬送されてしまった不幸をまずぼやきたくなるだろうし、無事であったがゆえに徒労感でいっぱいになってしまうものだ。あくまでも自分の経験と比較しての感想だけど。しかし、さとうさんは一言「すごいものを見ちゃった」と言ったのだ。わたしは、そこがすごいと感じだのだ。

ちなみに、詩集『貨幣について』の連作を執筆中、実際に千円札を燃やしてみようとしたが、燃やせなかったらしい。もちろん一万円札も。
十分に過激である。貨幣とは、かくも強靭な存在なものなのかと複雑な感慨を覚えたわたしである。

さとうさんの直感的で濁りのない視線は詩だけでなく芸術全般におよび、主催する「浜風文庫」には、詩人だけでなく画家、写真家など幅広く作品が掲載されている。この視線の行方は際立っていると感じている。

その直感的な視線と生来の寡黙さは、さとうさんの詩にもうまい具合に作用しているように思う。

さとうさんは、新日本文学の詩の講座で鈴木志郎康さんに出会い、その後の詩集出版に繋がる詩を書き始めた。さとうさんに影響を与えた詩人は鈴木志郎康さんの他に西脇順三郎さんがいた。つい最近は、谷川俊太郎さんの『はだか』を読んで衝撃を覚えたとのこと。この三人の詩人の詩、そしてご自身のデビュー詩集『サハラ、揺れる竹林』から「マイルドセブン」、『はなとゆめ』から「地上の楽園」、『貨幣について』から「19.貨幣も焦げるんだろう」を朗読した。30年以上前の初期の作品「マイルドセブン」はあまり読みたくなさそうだったが、主催者で司会の松田朋春さんにリクエストされて大いに照れながら朗読された。これを聞いた人はとても感銘を受けたようで、その後の二次会の席でも話題になった。
とても自然で胸に染み入ってくるような朗読だった。

今回、わたしは、「地上の楽園」に改めて注目したのでぜひこの場を借りて紹介したい。

 
 

地上の楽園

 

息を吐き
息を吸う

息を

吐き

息を
吸う

気づいたら
息してました

気づいたら息してました
生まれていました

わかりません

わたしわかりません
この世のルールがわかりません

モコと冬の公園を歩きました
モコの金色の毛が朝日に光りました

いまは
言えないけど
いつかきっと話そうと思いました

モコ
モコ

なにも決定されていないところから世界が始まるんだというビジョンは

いつか伝えたい
いつかキミに伝えたい

息を
吐き

息を
吸う

息を吐き
息を吸う

モコと冬の公園を歩きました
柚子入りの白いチョコレートを食べました

モコの金色の毛が光りました
モコの金色の毛が朝日に光りました

わたしはモコを見ていました

そこにありました
すでにそこにありました

 

 

先に述べた寡黙で直感的な詩人の側面がここにも表れている。
「息を吐き/息を吸う」というリフレインに始まり「気づいたら/息してました」と書くあたり。まるで世界を初めてみたかのような驚きを感じる。そう、「すごいものみちゃった」は初めて世界を見た人の根源的な発語のようなのだ。だから、日ごろ情報まみれのわたしたちは、その新鮮な発語を聞いて驚くのだ。「わたしわかりません/この世のルールがわかりません」も、なんと清冽な行だろう。「何も決定していないところから世界がはじまる」まで読んで、なるほど、とわたしたちは改めて詩人によって気づかされるのである。確かにどんな瞬間も厳密に言えば「何も決定していない」ところから始まっているのではないか。最後の「そこにありました/すでにそこにありました」は、愛犬モコの金色に光る毛の存在を通して、詩人の希求する決定された「ビジョン」をそこに発見したということだろうか。
改行や細かく分けられた連の間からも、さまざまな想いが生まれ、読者に考える空間としての猶予を与えてくれる。深い世界観を感じると同時に切迫した言葉の行から切ない感情が湧き上がってくる。もう一度読み返したいという気持ちにさせてくれる。

余剰時間の多くをスマホに奪われつつある今日、わたしたちがじっくり詩を味わう時間は明らかに減っている。これはわたしの個人的な思い込みだが、わたしは詩を常に傍らに置いて繰り返し楽しみたい。生活に疲弊したとき、ふいに空白の時間ができたとき、詩を繰り返し読むことで、ふっとその詩の世界に入り込み現実の自分とは違う世界や湧き上がる想いを楽しみたい。わたしにとって、詩集は書物というより大切な宝箱のような存在だ。宝箱を開けたときのような豊かできらきらする時間を、さとうさんの詩は与えてくれるような気がする。さとうさんの詩は、時間に追われる忙しい日常からふと距離を置いて読むことをお勧めしたい。

さて、この7月26日(金)は、詩人に限らず写真家や画家の方々も集まっていてさとうさんの幅広い交友関係に改めて驚いた。わたしは、詩人のイベントでこれほど幅広い分野の人々が集まっているのを初めて見た。

実は、『サハラ、揺れる竹林』が発売されてすぐに、わたしも購入した一人である。「~するの」という語尾の扱い方がとても新鮮で影響を受けた。そのさとう三千魚さんと、30年後にお会いし一緒に詩の合評をしたり、さとうさん主催のウエブサイト「浜風文庫」でお世話になっているという幸せな出会いにとても感謝している。