小鳥を殺す夢

 

村岡由梨

 
 

夕暮れ時、白いカーテンが涼しい風に揺れている。
階下から娘たちの澄んだ歌声が聞こえてくる。

そんな時、私は、近くに住む母のことを考える。
今頃、リビングのソファに、ひとりぼっちで、
疲れた体を横たえているんだろうか。

「二人のフリーダ」みたいに、
母の心臓と私の心臓が一つに繋がって
母の孤独が私の体内にドクンドクンと流れ込んでくるようで
苦しくなる。
ドクンドクン
ドクンドクン
お母さん、
お母さんの心臓もいつか止まってしまうの?
私より先に死なないで。
それがだめなら、
せめて、お母さんの心臓が止まってしまう時、
私をそばにいさせて下さい。

そして、「あなたの人生は決して間違えていなかった」
と伝えたいのです。

 

思えば、母が私に何かを強制することはほとんど無かった。
けれど、私が見るのは小鳥の死骸でいっぱいの鳥カゴの夢。
小鳥を自分の手から大空に放すのではなく、
水に沈めて殺す夢。

19歳の誕生日に母が小鳥のヒナを2羽買ってくれた。
私は2羽をとてもかわいがり、よく世話をした。
私は2羽のことが大好きだったし、
2羽も私のことが大好きだった。

それから暫くして
1羽が病気になり、あっという間に衰弱していった。
そしてある朝、今まで聞いたことのないような鳴き声をあげて、
鳥カゴの金網に足を引っ掛け
グロテスクに体をねじって
助けを乞うような眼をして
私の方を向いたまま死んでしまった。
私は小さな亡骸を抱いて、
日が暮れるまで泣いていた。
夕方、帰宅した母は、「体が腐っちゃうでしょう!」と怒って、
半ば強引に私から亡骸を取り上げ、庭に埋めてしまった。
そうしなければ、私は亡骸が腐るまでそれを手放さなかっただろう。

鳥は私にとって、自由の象徴だった。
一日に何回か鳥カゴから出してやると、
自由に飛べる喜びに全身を震わせ部屋中を飛び回った。

けれど、一生の大半を鳥カゴの中で過ごした2羽は、
本当に幸せだったんだろうか。

いつの日か、小鳥を殺す夢を見なくなる日は来るんだろうか。

これまでの人生の大半を鳥カゴの中で過ごしてきた私は
これからどう生きて死んでいくんだろう。

 

私に自由を強制しないで。
私に不自由を強制しないで。

誰かに「自由について」の詩を書けと言われたら、
きっと私は白紙のまま突き返す。

例えそれが理にかなっていなくても、
いつも私を駆り立てるのは、
名状しがたい、
言葉になる以前の原始的な衝動なのだから。