また旅だより 16

 

尾仲浩二

 
 

釜山での写真展の休みに巨済という港町へ行った。コジェと発音する。
シーズンがはじまった牡蠣を焼酎と共にたっぷり楽しみ、腹ごなしの散歩。
港に面した公園には豊臣秀吉軍を迎え撃つ英雄たちの像があった。
韓国の友人と並んでその像を眺め、お互いに苦笑いをしていた。

2019年12月9日 韓国巨済にて

 

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その44

 

佐々木 眞

 
 

 

ええとお、お母さん、「巣だちの歌」印刷して。
分かりましたあ。

お母さん、シャッターチャンスって、なに?
ちょうどいいときよ。

同窓会って、なに?
同じ学校出た人が集る会よ。
ドウソウカイ、ドウソウカイ。

蓮の花見るだけにするの?
どうしたいの?
見るだけにしますよ。

停電怖かったですお。
そう。どうしてたの?
懐中電灯ついてたお。
そうなんだ。

二人乗り禁止だよ、と言ったよ。
誰が?
ヒロシさんが。
いつ?
むかし。

ヤブコウジ、お正月でしょう?
そうだね。

お母さん、たかみねの花って、なに?
どんな字を書くの? あ、それは高見の花。手が届かない所に咲く花よ。

お父さん、停留所は止まるところでしょ?
そうだよ。

電車は、ホームの中ほどで待つんでしょう?
お父さんは、いつも端っこで待つんだけど、誰が言ったの?
駅のおじさんが。放送で。
あ、そうなんだ。

―小林散髪屋でトイレを借りて
おばさん、ネコいますお?
うちのネコだよ。
うちの息子は犬とか猫が怖いんです。
そうなの。

さて問題です。耕君がジュースを買いに玄関を出たとき、まずどこを見るべきでしょう?1番まんなか、2番右、3番左。
1番!
ブブー。
2番!
ブブー。
3番。
ピンポン。左からやってくる車を見ないと轢き殺されちゃうよ。
分かりましたあ。

お母さん、もうすぐ「なつぞら」終わりますよ。
そうね。今度何をやるのかしら?
「スカーレット」ですお。
そうなんだ。

ハスは、水張ればいいでしょ?
そうね。
どうやって張るの?
水を入れればいいのよ。
じゃああ、と入れるの?
そうよ。お水をじゃああ、と入れるのよ。

お父さん、日光、東照宮でしょ?
そうだね。

解消って、なに?
元に戻すことよ。
停電解消だってよ。
そう、良かったね。

途中下車って、なあに?
途中で降りることよ。

お母さん、ぼくムクゲ好きですお。
お母さんもよ。
うちにムクゲある?
ありますよ。庭に咲いてますよ。

クイズタイムショック、好きでしたお。前。
そうなんだ。

お父さん、「しかし」の英語は?
Butだよ。

ぼく、薔薇の花、好きですよ。
お父さんも。

お母さん、疑うって、なに?
ほんとのことかなあ?よ。

 

 

 

放射

 

道 ケージ

 
 

そのとき放射が起きるのだった
下り沈み落ちゆく
娘はほっとしたように悔恨を包む

私の脂肪の臭気はこの深海では
ネクトンを呼ぶ
小さな蟹たちがよってたかって
つまんでくれる
かゆくないのに

「なぜ嫌いだったのだろう」
娘は考え、波は答えず目を背け
「せいせいした」と下の娘がおどける

放射と見まごうのは
イガイ科ヒラノマクラの蝟集
「マカロニに覆われてるみたい」

ガスで膨れ皮膚は障子のように破れ放題
骨までくずれ醜く臭い
圧力か、どうも動きづらい

それでも忘れないでほしい
と言うことを忘れてしまった
浮かべねぇなぁ

サンパウロ海嶺水深四二〇四mの海底における
鯨骨生物群集
四十一種の生物はほとんどが新種である
深海熱水噴出口と同様、シオリエビが群着
ベントスは鰓で適当を過ごす
正義はないから
硫黄酸化細菌と硫酸還元細菌およびメタン菌に頼る
任せた
腐りきっているから

そのとき放射は肉を裂き
腐食性多毛類の幾千
「静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。
堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。
一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ」
とは原民喜である

琴クラゲは皇帝の好み
わが目玉に
触手を伸ばしている

 

 

 

トポ氏散策詩篇 Ⅳ〜Ⅶ

 

南 椌椌

 
 


©k.minami+k.soeda

 


トポ氏がやって来た
15年ぶりくらいの来訪だが
そんな素振りは些かもなく
窓からひょいと入ってきては
少し休ませてくれと
いきなり ごろりと横になった
そう 手土産だといって
焼津の桜えびを ほいと置いた
軽いいびきを立てて
秋のふかまるにまかせ
三日ほど眠っていただろう

トポ氏は夢をみていた 
夢をみていた 哀しいような 
いやそうでないような
トポ氏の仮装の父さんが 
踊りながら帰ってくる
酔っているのか 傾いたまま 踊ってる
西からの放射状の光が 
踊る父さんを射る 射る
you go home alone と歌いかけて
さざめいている 父さんすすり泣き 
トポ氏が眠る部屋で 夢が交換され 
あふれていた 


さて トポ氏も父さんも 
キリバスには行ったことがない
南太平洋の小さな島 共和国
広大無限な水域に
33の環礁が散らばっている
平均標高2メートル 椰子の木がそよぐ
想像力は360度 水平線の向こうからやって来る
人口は11万人を少し超えるくらい
椰子の実から採るコプラ油が 外貨を稼ぐ
2004年からオリンピックに参加しているが
選手団はいつも数人 もちろんメダルはないが
重量挙げのカトアタウ選手は記録よりも
競技後のダンスで知られている

2007年 キリバスのアノテ・トン大統領は
遠くない将来 温暖化現象の海水面上昇で
キリバスは海の中に消滅すると 危機を訴えた 
そして5年後のことだが
フィジー共和国のエペリ・ナイラティカウ大統領が
そんな事態になったら
キリバスの国民すべての移住を受け入れる
と声明を出した すごいことだ
人口80万人のフィジーが
11万人のキリバス人全員を
どうやって受け入れるのか
アノテ・トン大統領とエペリ・ナイラティカウ大統領は
1000人乗れるような貨客船を
遠い異国の 造船所に発注したかどうか
それなら100往復くらいで済むだろう
島の港から貨客船まで 艀で2000往復
時間は まだ少しある 少し


キリバスの先住民の血をひく人々の
踊りを見たことがあった
女たちは腰を振り まわしゆらし 
手や顔の表情は多くを語らない 
笑みを浮かべ おおらかで愛らしい
男たちも腰を振り 屈伸し跳び跳ねる
ユーモラスな仕草で笑いをとる
そもそも 笑うしかない
歌も太鼓も 腰を振って笑っている
いかにも南太平洋の音楽だ
カトアタウ選手は
16位というそこそこの成績をおさめたが
そんなことより 笑いのうちに
母国の水没の危機を訴え
キリバスダンスを踊るのだ

トポ氏はもう一度 寝返りを打ちながら 
口角筋を少しあげて(笑)
夢の日録に こう記した
この世紀の只中に ノアの方舟が 
南太平洋の奇跡を 綾取りしながら 
繰り返し 果てしなく 船出した


ところでトポ氏が見ていた夢は
キリバスとフィジーから
やがて霧バスの風景にかわる
キリバスと霧バス 安直な駄洒落だろうと
思ってくださって結構
だって そうだから

霧バスは霧で出来ている
霧の森を 音もなく走っている
鹿や リスや 野うさぎや 蛇いちご
咲きほこる 花たちの花粉も 霧の霧
運転手も あまねく 霧でかたどられ
紺の帽子と 白い手袋も 霧
トポ氏は 夢見ながら
なんて幻想的なんだ 
こうなったら 思い出も 霧だ
預言者の寝言も 霧だ
係累も 罪も死も 霧だ
反芻しながら また寝返りをうった

霧バスには ひとりだけの客
前から3番目あたりの席にちょこんと
小さくて軽そうな おばあさん
やっぱり 霧で出来ている おばあさん
フェリーニの 道の 
ジェルソミーナのようだけど
ミニヨンのママ フカサワさんだ
誰にでも さっぱりと 飾らない口調
素朴な花をいけて 店を飾り 
2000枚以上のLP盤のなかで
モーツァルトのピアノソナタ
誰の演奏が一番好きだったの
リリー・クラウス? ギーゼキング? ヘブラー? 
聞いたような気がするけど 忘れた
グールド? 近頃だれもが グールドっていうね
あたしゃ 好きじゃないよ
音楽も 霧でできている
グールドも 霧のようだけどね

霧バスのジェルソミーナ 
どこへ行くのだろう 
ヤマナシのふるさとか 
秋のおわり 深い霧 陰翳の森
ジェルソミーナ・フカサワをのせた
霧バスが 帰ることのない 道をゆく

 
 

空空空空空浜風文庫 次回に「トポ氏散策詩篇 Ⅷ Ⅸ Ⅹ 」を掲載予定。

 

 

 

人とそのお椀 10

 

山岡さ希子

 
 

 

頭上に器を乗せ 両手でしっかり支えている さらに 正座を少し崩し 体をひねって 右後ろの方を見ている 優雅で自然に見えるが 奇妙だ 頭に容器などを載せるのは それがある程度 重く そして 運ぶため しかし そのつもりはない 
絵画か写真向けのポーズかも

 
 
 

浅い墓に埋める *

 

朝から
波多野 睦さんの

歌う

“溺れた少女のバラード” を聴いている

ブレヒトが

右翼に殺されて

運河に投げられた
ローザ・ルクセンブルクを悼み

書いた
詩に

クルト・ヴァイルが曲をつけた

天はオパール色にかがやいた **
神は(ゆっくり)忘れていった **

一昨日
姉と

電話で話した

秋田の西馬音内では
雪がたくさん

降って

朝4時に
起きて

雪かきをしてるといった

雪かきをしていると
姉はいった

去年まで
義兄がしていた

アフガニスタンでは
その医師も

銃撃され死んだ

浅い墓に埋める *
浅い墓に埋める *

そこにいつかはいる
そこにいつかこの男もはいる

今朝
庭のハクモクレンの花芽は雨に濡れて光っていた

いつか浅い墓にはいる

 
 

* 工藤冬里の詩「幻羊/浅い墓」からの引用
** 波多野 睦のCD「猫の歌」所収「溺れた少女のバラード」からの引用

 

 

 

幻羊/浅い墓

 

工藤冬里

 
 

楽しいことが待っとるけんね
何かあっただろうか
楽な方法を見出したということか
いずれにしても力はない
空0スターウォーズまだかな
字がきたない
近道に慣れるまで数年かかった
言葉が死んでいる
舌の短さによって
風を押さえ込む
空0バッタを治める
空0アバドン・アポルオン
喜んで怖れる
靄がかかって
二人が一つのベッドにいて
一方は連れて行かれ
他方は捨てられる

幻の羊を
浅い墓に埋める
楽しいことが待っとるけんね
空0あさいはか
空0ないはか
空0にうめられて
浅い儚い墓に埋められ

乞食は
分かっている

正義の妄想は
満たされる

骨粗相症のシャコは
鏡から離れて
自分を忘れる

都々逸衝動はまだある
〽︎友の鏡に自分を映す

根の塊ごと
土として掘り起こし
土として埋めた

拡げた坑に
根と埋葬する

最後の日々には
終わりが終わり
空0くの字型した
死体が二つ

空0しろがねの衾の岡辺

死ぬ人々がカフェにいる
唯一のメッセージはTVの宣言を信じるなということ

不意に驚く泥棒のように驚き
冴子のように冴えた状態を保つと
暗いオレンジに光が当たる
can’t afford
キリストから切り捨てる
〽︎掘ってやろうか浅い墓

 

 

 

 

松田朋春

 
 

電車で席を譲ったけど
座ってもらえなかった

窓の外をみてなぜか
わたしの死んだ犬は誰に席を譲ったのかと考えた

亡骸を撫でても
毛並であたたかく感じた
今までで一番よく眠っている
きれいな顔を見て
死ぬことの実感がやってきて
寂しく感じた

 
空っぽの席を感じる
いつまでも

 
かといって
死にたくなくなるのは
もっと嫌だ

 

 

 

太陽が震えていた

 

村岡由梨

 
 

長い間、暗闇の中で君を探し続けている。
君はいつも私を苦しめる。困らせる。
それでも、私の頭の中は君ばっか。

これまでの君、これからの君のことで
いつも頭がいっぱい。

自転車に乗って家路を急ぐ時でも、
夕飯が済んで洗い物をしている時でも、
片時も君のことを忘れることはない。

「この世界には星の数ほど表現者がいて
才能のある人などゴマンといるのに、
私が作品を作り続けている意味は何だろう?」

君を掲げて立ち尽くす私の前を、
急ぎ足で通り過ぎていく人たちの無関心に
切れ味の悪いカッターナイフでキーキーと心を切り刻まれる。
行き過ぎた自尊心なんて、いっそ捨ててしまえば良いのにね。

その上、私が作品を作っても、娘たちのお腹が満たされることはない。
「自己満足」「高尚な趣味」と周囲の人たちに揶揄されて、
いちいち傷つきながらも
自分の好きなものを好き勝手に作っている。
そう、それならいいじゃん。
だけど、心が揺れる。もがいている。
無意味に意味を探し続けている。

 
寒い冬の日、娘の花が、公園のフェンスにもたれて ひとり
友達を待っている。
待ち続けている。
まだ来ない
まだ来ない
そのうち日が暮れて、家に帰る。

花が、風呂場でシャワーをつけたまま
うずくまって、むせび泣いている。
「本当の友達がほしい」と言って、泣いている。
たまらなくなった私は、
どうしたの、と言って
風呂場のガラス戸を開けようとする。
けれど、花は扉を強く押し返して拒絶する。
「みんな嫌い」「ママの偽善者」
花の圧倒的な孤独感を前にして、
言葉は余りにも無力だった。

 
きっと、花も私も叫びたいのだ。
「私は、ここに、いるんだ」って。

 
去年の冬、家族で世田谷美術館へ行った帰り道、
とっぷり日が暮れた木立の隙間で
儚い太陽の光が
まるで夜が来るのをこわがっているように
震えて沈んでいくのを見た。
この光をどうしても忘れてはいけないような気がして、
スマホのカメラで撮影した。

 
もしかしたら、私が求めているのは、
意味でも答えでもなく、「光」なのかもしれない。

 
偏屈で頑固で怖かった老婆が
病室で臨終の際、賛美歌を歌うのを見た。
老婆は光に包まれて亡くなった。
花のピアノの発表会で中年の女性が懸命に歌うのを見た。
芸術は誰にでも開かれていることを知った。
幼い花が公園で落ち葉を浴びて遊んでいる動画をスマホで見た。
もうこの日に戻ることは出来ない。
無邪気に遊ぶ花が愛おしくて、画面が涙で霞んだ。
そこには金色の光が溢れていた。

幸せな記憶の中だけで生きたいよ。
暗闇の中でひとり死にたくない。
自分の子どもたちにも
自分の子どもたち以外の子どもたちにも、
あたたかで、優しくて、寛容な光に包まれた一生を過ごしてほしい。

思い返せば、私が幸せだった時、いつもそこには光があった。
幸せだったことを忘れたくないから、
私は作り続けるのか。

「ママの作品は残酷だけど、きれいだよ」

私のスマホの中で、
今もまだ、これから先もきっと
あの日の太陽が震えている。