空の青 *

 

5時に目が覚めた

それで
階段を

下りて
いった

モコを起こさないように

そっと
いった

そっと
トイレの水を流した

紅茶をそっと淹れて
カップを持って

階段を上った

それで本のある部屋で岡潔をすこしひらいたのか

7時になり
階段を下りて

仏壇に蝋燭を灯し水と飯を供え花の水を替え線香をあげる
手をあわせる

モコを抱きあげる

味噌汁を作り
野菜を切り
犬飯と
サラダをモコにやる

女を送り出した

モコを抱いてた
木蓮の白い花をみあげた

今朝はそんな感じだった

もう昼が過ぎている
晴れてる

工藤冬里の”徘徊老人”を聴いている

さて
空は青い

別に付け足すこともない

Thinkin”Bout You. **
空を見ている

青い

 
 

* 工藤冬里の詩「もうだめだ」からの引用
** 工藤冬里のCD「徘徊老人 その他」収録曲のタイトル

 

 

 

夫婦

 

赤司琴梨

 
 

勤めはじめた会社の窓から見える
タワーマンションのおへそのあたり
夫婦が暮らしているのが
よく目にちらつく

旦那さんは不満を抱えているし
わたしも不満を抱えている
だから二人とも食事のとき
不注意で
自分の服を汚してばかりでいる

会社員はもうやめにして
紳士用のクリーニング屋を開いたらどうだ
紳士用スラックス 紳士用靴下
タワーマンションの一階で
全部回収したらどうだ

年金が二分の一になってしまうから
わたしも婚姻を結びました
知らない山に帰りますので
知らない人とご飯を食べますので
ことぶき退社させていただきます

洗濯バサミが足りなくて
シミの取れないわたしの抜け殻が
ベランダから飛んでいった
それから下を覗きこみ続けている

奥さんが膝を立てたままで
味気ない鶏肉を齧っているのが見える
予定通りに区切られていく鶏肉
乾いた唇

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

空は青いのがよいと思った
広く、晴れわたり、カモメが悠々と飛んでいる
日が暮れて、赤く輝く西空もまた、好きだ
その空は、家々の屋根も、この部屋の汚ない絨毯も、私の指も伸びた爪も、なんとも魅力的な色に染めてくれる
そして夜
大きな月と闇の中に瞬く星
たまに渡り鳥の群れが現われ、どこへともなく飛び去っていく
空を見るのが好きだった

その空は、その、どれでもなかった
電信柱と同じ色の、そこから垂れた電線にぶら下がっているような、空だった
くすんでいた

老婆は、北風が強く吹く夕暮れに、狭い路地からぬっと現われ
卑屈さと、自信とが入り混じった醜い顔で、空を指差し
「ほら、すごいわよ」
と私たちにそれを見るように促した
「あんなに」
「鳥よ」
と嬉しそうにずるそうに言った
その方向に私が見たのは、薄汚れた屋根屋根の上にだらしなくたるむ何本もの電線、
その電線に止まる数羽の、電線と同じ色の冴えない鳥
その隙間に、そこに建つ特徴のない家々の壁と同じ色の場末の、この江戸川区西小岩2丁目の空が、少しだけあった
ちょっぴり何かを期待して見上げた私はがっかりし、視線を下ろすと
この寒さに薄手のカーディガン一枚羽織るだけの老婆の そのカーディガンの紫色が、鮮やかだった
そうですね、とだけ言って踵を返し、歩き出す
「空を見なさい!」
「空見なきゃダメだろ!」
後ろから狂った女の怒声が追いかけてくる
早足で逃げた

私だって空を見るのだ
もっといい空を知っているのだ
この坂を登れば新中川にかかる橋に出る
そこには電柱も電線も邪魔しない空が一面に広がるのに
澄んだ雲が風に流れる大きな空は、いろんないやなことも忘れさせてくれるのに
どうしてあんな空を女は自慢するんだろう

カラスの鳴き声が空のどこかで遠く響いた
橋の向こうから自転車で、高校生の集団が走ってくる
気付くと 一緒に歩いていた娘がいない
振り返る

坂の下の澱んだ場所に、娘はいた
何年も前につぶれた楽器屋の看板の脇で、老婆と並んで、空を見ていた
二人は、少し笑って、電線に仕切られた西小岩の空を眺めていた
その空は、今私の上に大きく広がるこの空と同じ、何もない、ただの、空でしかない空
同じ空だ

鳥が来た
私の頭を通りすぎて、鳥は彼女たちが見ているいびつな電線に向って飛んでいく
そこに止まる

 
 

(2月某日、西小岩2丁目街道沿いで)