風越

 

道ケージ

 
 

姫島は二つある
この世が二つあるように

姫を追う都怒賀阿羅斯等
「좋아해(好きだ)」
「そのツノがイヤ」
赤絹も妹も失くしつ
「お歯黒かよ」

野村望東尼は流され
晋作を抱く
「面白きこともなき世を面白く」
「それでよかとよ三千世界」
カラス殺され啼くこともなし

どれも面倒な名だ
と水無月を食う

火山島であるこの島の
噴火口跡のこの畑地
風越と呼ばれる風のおかげで
塩の被害はない

塩は風に乗り
島を通りすぎる
この畑に塩は降らず
玉葱は甘い

姫島への途次
野北に立ち寄る
阿羅斯等の宝物を元手に
蠟でしこたま儲けた一族

大きな蔵は一つは塩塞ぎ
牢も兼ねる
逆賊を閉じ込め
「幕令にすぎぬ」
後の祭りよ
塞ぎ井戸に放り込まれ
蟹に供さる

その上の丸猫を
逆光の暗がりから
ばあさんが呼ぶ
ふくらみが
腹なのか乳房なのかわからない

半夏生の花が
毒消しらしい
庭先まで伸びた

祇園
夏越の
茅の輪をくぐる
「蘇民将来、蘇民将来」

この世は二つ
に分かれている

 
 

注  『日本書紀』によると、崇神天皇、垂仁天皇に仕えた、額に角の生えた都怒我阿羅斯等は母国朝鮮(建国した任那国)に帰国を許され、恩賞として赤絹を下賜された。しかし、これを新羅に奪われる。その後、阿羅斯等は石の化身である女と目ぐ合おうとするも、女は逃げ去る。追い来る阿羅斯等に対し、女は歯に鉄漿を塗って拒絶した。女はその地、豊国(現在の大分県)姫島にて、比売語曽社の神となった。

幕末、福岡藩藩主黒田長溥は「尊王佐幕」を掲げ、幕府を助けながら天皇を尊ぶ公武合体論を支持していた。一方、家老加藤司書・藩士月形洗蔵・中村円太・平野国臣ら筑前勤王党は幕府を打倒を目指す尊皇攘夷論を唱えていた。この相克は幕府の長州再征発令により、佐幕派が実権を奪取し、勤皇派が弾圧された。一八六五年「乙丑の獄」である。加藤ら七人は切腹、月形ら十四名は斬首、野村望東尼他十五名は流罪。これにより、福岡藩は明治維新前に廃藩となり、力を失う。望東尼は姫島に流罪となるが、その後、高杉晋作の命により島を脱出、やがて臨終の晋作を看取ることなる。野北は福岡県糸島市志摩の漁村。野北祇園が有名。

「夏越の祓」とは、六月末に行う祓の行事。牛頭天王を祭る祇園祭の締めくくりで行われることもある。穢れを落とすため神社境内に作られた茅の輪をくぐるので、「茅の輪くぐり」とも言う。茅の輪をくぐる際に、「蘇民将来、蘇民将来」と唱える場合がある。茅の輪とは、茅で編んだ輪。特に京都では、夏越の祓の時期、無病息災を祈り、「水無月」という和菓子を食べる風習がある。

(ウィキペディア等にて作成。必ずしも歴史的事実として確証されているものではない。)