広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
まろさんの背中はこんなにも大きかったんだなと初めて知った。
その背中を一生懸命に追うわたし。
上り坂が多くてわたしはすぐに息が切れてしまう。
ダイヤルを回して軽く足が運べる設定にしても限界がある。
中学生の時は駅伝大会で区間賞をとるレベルだったんだけどなぁと首をかしげながら時がたつことの残酷さに舌打ちしたくなった。
東屋が遠くに見えた。
あそこまでもう一息頑張ろうとぐっと足に力を入れる。
まろさんはわたしとの距離が空いてしまったことにようやく気付くとブレーキをかけこちらを振り返った。
咲いたばかりの桜の花を見るような柔らかい笑顔でいつまでもいつまでも待っていてくれた。
この春わたしはちょっぴり値がはる折り畳み式の雪のように白い自転車を買った。
まろさんが以前から持っていた炭のように黒いそれを真似て。
以前使っていた普通のママチャリを買ったのは高校入学時だ。
それを何度かのパンクを乗り越え大学3年生まで使った。
しかし残念ながら大学4年生の時、数ヵ月使わず学内の駐輪場に置いていたら当然のことながら撤去されてしまった。
「はっ」と気付いた時には後の祭りで、愛着あるわたしのパートナーはさよならを言う機会もなくいなくなってしまった。
落ち込みに落ち込んだ。
かごは錆びついてボロボロ、カラカラとペダルをこぐだびに聞こえてくる奇妙な音、学校から配られた校章の入ったステッカー。
全部が思い出だった。
あの自転車とともに大学の卒業式を迎えることがいつのまにか小さなゴールになっていた分ひどくがっくりした。
新しい自転車を買うことも考えだがなんとなく買わずじまいで卒業証書を受け取る日を迎えた。
それ以後自分では購入していなかったのでおよそ7年ぶりくらいに新しいパートナーと出会うことになったのだった。
折り畳みであることがわたしの世界を広げてくれた。
日本では公共交通機関を使用する際は袋にいれなければならない。
専用の袋も同時に購入したのですいすいと電車やバスに乗ることができた。
着いた先で折りたたんだ時とは逆の手順で組み立てる。
ものの30秒で完成してしまう。
そこからは自由だ。
その土地の行きたい方向へペダルをむける。
車では通れない細い小道も問題ない。
しだれ桜はほとんど葉桜になってしまっていたけれど八重桜は見頃だった。
黒色のジャージできちんと後ろ髪をポニーテールにしてジョギングをしている若い女の子たち。
少しくすんだピンク色の作業着につばの広い帽子をかぶったおばあちゃんが丸太のような木の上に腰をおろしている。
畑作業の途中だろうか、ずっと遠くを見ていた。
その目の先にはイワシ雲がたなびいていて深い緑の山、もっと標高の高い山には雪がしっかり残っていた。
パンが焼けるいい匂いがしてきたのでその匂いを追ってみた。
白い工場からそれは出ていて、中を窓越しに覗いてみても作業場しか見えなかった。
中に思い切って入ってみると数人の人影とともに事務所らしきものを発見した。
尋ねるとここはパンの製造だけで卸しているのもスーパーのみ、専用の店舗は持っていないのよと丁寧に教えてくれた。
幾分がっかりはしたもののパンの焼ける香りはいつでも追ってみたくなる魅力がある。
その香りがなくなる距離に達するまでずっとかぎ続けていた。
1時間程こぎ続けるとさすがに足も心も限界だった。
家にむかってこぎ続けていたのだけれどまだ30分くらいある。
まろさんは最寄りの駅から電車で帰ることを提案してくれた。
それが折り畳みのいいところなのだと。
あっという間に家の近くの駅まで来た。
改札を通るとまた組み立てて乗るだけだ。
まろさんは今度は横並びで走ってくれた。
まろさんが乗ると炭のように黒い自転車はとても小さく見える。
それがなんだかたまに滑稽に見えることがあるけれどそれもまたいい。
玄関に到着するころには付けていたヘルメットは汗でじんわり湿っていた。
世界恐慌が1929年、それからおおよそ100年後の現在世界はまた変革期を迎えているように思います。
外出や公共交通機関を使用することを躊躇う世の中になってしまいました。
見えない敵と戦うというよりはおそらくこれから先共存していかなければならない日々が続く気がします。
いつか、今はまだ無責任ないつかかもしれないけれど、誰か大切な人と外に出られる日がみんなに来ますように。
最後に、今自転車の需要が増えているそうで、購入した町の小さな自転車屋のおじさんがにんまり顔だったのが忘れられない。
屋根が傾いたアパートの前を
老人が犬を連れて通りかかる
その後ろから 悪い人がやってきた
路地を抜けるとそこはもう川だ
老人と犬は土手上へ続く階段を上る
悪い人は上がらず、左に折れ
赤いツツジが咲く狭い歩道を少し入ったところで止まり、チャックを下ろした
よく晴れた祝日 江戸川堤のサイクリングロードは人でいっぱい
ジョギングする人、自転車、スケボー、みなまるで悪いことをする人のように
顔を大きなマスクで覆っている
誰が誰だかわからなかった
あわててポケットからマスクを出して付け(犬も)、群に混じると
もう、老人も犬も、どれがそれだかわからない
悪い人は土手に向って放尿した
雑草が茫々と生え茂る斜面に湯気が立ち上り、しぶきを浴びたひなげしが くすぐったそうに顔を振った
それを見て太陽がキラキラと笑っている
用が終わると悪い人は性器を汚ないズボンにしまったが
悪い顔は丸出しのまま タバコをくわえる
悪いことを重ねて辿り着いたどん詰まりの東京の土手下で
天に向け煙を吐きながら
次にどんな悪いことをするのか、悪い頭で考えるのだ
空は鮮やかな青色
鼻を塞いだ土手上の悪くない人たちには届かない4月の草草のにおいを嗅ぎながら
悪い人とひなげしと太陽
そこに 緊急事態宣言は発令されていなかった
(4月某日、北小岩4丁目で)
青空を、白い雲が、走っている
カラスのカンザブローが、コロナ コロナと、鳴いている
新緑の山々が、それを言うなよと、笑っている
今日は、死ぬにも、生きるにも、良い日だ
見よ、ちょっとオツムの弱い子が、
庭のチューリップに、水をやっている
赤いチューリップに、水をやる
白いチューリップにも、水をやる
するとチューリップは、のどが渇いていたので、身震いして喜んだ
その翌日は、雨だった
その子は、やっぱりチューリップに、水をやっている
赤いチューリップに、水をやる
白いチューリップにも、水をやる
するとチューリップは、やっぱり身震いして喜んだ
ちょっとオツムの弱い子に、びっくりしながら感謝して
天上では智天使ケルビムがハレルヤを歌い
冥界ではカーツ大佐がホラー ホラーとどすを効かせる
あめつちふたつの声は、霊園の上でほどよく溶け合って
ハレルヤ ハレルヤ ホラー ホラー
ホラー ホラー ハレルヤ ハレルヤ
その次の日は、また晴れた
たんたんタヌキのタヌサブローが、ジシュク ジシュクと、つぶやいている
新緑の山々が、それを言うなよと、笑っている
今日は、死ぬにも、生きるにも、良い日だ
庭の
木蓮は
義母と
近所の植木屋で選んだ
木蓮は
毎年
白く
咲いた
春の風に
痛んで
花は落ちた
いまは
若葉が青く繁って
枝の先に
小さな
実をつけている
ねじの形の実をつけている
木蓮の
花は
痛んで
落ちた
ねじの実になった
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
音痴ハーモロディクスの夕暮れに
遠くでDVめいた叫びが上がり
畑の向こうの肉の画面も固まる
ゲームの中でコミカルな動きをするコロナ患者を撃つなら
きみも立派な解放軍兵士だ
床板を剥がすと仇が蹲っていた
ダイナはボーリングシャツを着て役場の前を歩いていた
農協会館の二階の映写機からギャオスの叫びが上がった
エルトポ染みた南への旅が始まり
その途中苦しみの塊を産み落としベンオニと呼んだ
十段ギアのチェーンがホイールを上滑りする
残雪が執拗に葉を食べる男を描写するように
棒読みを排すための
内臓の本番
コロナ以降ゾンビは外した感あり
armed frontは南進して超常作戦は黒みどりだ
大きな空が、伸し掛かる
豹柄が捲れる
花咲く乙女たちのかげにabさんごの方へ
牡丹地に白丸抜き
うみはひろくて大きい
航路がたくさん線が引いてある
確認しようとしてあまり落ちてはならない
泳ぐと喰われる
天使は喰われないのだろうか
絵の下中央に銅を打ってタイトル
天使は喰われないのだろうか
原因から結果を導き出すことはできないとカントは考えた
カントは結果に押し流された、とハイデガーは考えた
種子法に関して閃いたのは
結果が種なんだ、ということだ
種が結果なら原因は果実だ
果実は種に先行する
ゆえに
結果から原因を導き出すことはできる
要するに
種に関しては我々は自由なのだ
#poetry #rock musician