夜のシンフォニー

 

工藤冬里

 
 

何処かの奥底でウシガエルの喉の声がヴァイヴ設定されたスマホそっくりの間隔で鳴り止まず

情緒は日暮しの身体全体の振動からしか来ないのかと思っていたが

喉の声調も捨てたものではなく

と言うことは

人の声に感動することだってありうるのかもしれない

とまで考えたら

音がやまった

やまる
は俗な言い方だが

やまった

と思ったら

さらに奥底で鳴り続けている

そう書くと

エッセイみたいだが

鳴り続けている

いや

いた

過去形だ

いまはまた聴こえなくなった

代わりにバイクの音がする

あれはピザ屋の原付の音ではない

いや

盗んだバイクで〜の音でもない

秋虫の非喉音と耳鳴りも浮上してきた

カタカタいうラチェット型の玩具の
あの効果音は

モーツァルトのシンフォニーにも使われていたし
ブリューゲルかなんかの
子供の凧揚げみたいな絵に出てきていたように思うが

ここで特定しようとすると堀江敏幸さんのエッセイみたいになってしまうので

そうした探究と出会いが人生ではないということを知らしめるために

ここで再び音に戻る

相変わらずウシガエルを通奏低音に

鈴虫と

遠くの夜中の国道の

サウンドスケープが

楽譜として描画される夜更け

素晴らしいループのコンプレックスの
シンフォニーじゃありませんか

ウシガエルの喉の通奏低音が人間の機械音を呼び込んで

いま夜の地表で神と人が肘タッチしている

 

 

 

#poetry #rock musician

去りゆく夏

 

佐々木 眞

 
 

数十年に一度の
これまでに経験したことのないような
生命の危険をともなう
台風ピーターが
窓の外を
通り過ぎていった
北朝鮮の独裁者めがけて

すると突然
私の口の中に
一匹の蚊が
飛び込んできたので
私は
口を閉じて
そいつを殺そうとしている

 

 

 

He gave me a lift in his car.
彼は私を車に乗せてくれた。 *

 

さとう三千魚

 
 

sometimes dog Moco runs up

morning

to get the newspaper
when opening the front door

Moco runs up and looks up

trying to go out
when picking up a car key and clicking

Moco is

hurry up and run up
look up

When picking up a newspaper
I hug Moco and take it out of the post

when we go out
almost Moco is at home

this summer
because it was like a scorching day

little Moco burns her legs outside

so Moco is at home

when taking a walk
when it’s cool in the morning and evening

walking in the neighborhood

sometimes I drive to the sea

beach park
walking with Moco

at that time Moco
sitting quietly in the passenger seat

He gave me a lift in his car *

 

 

犬のモコが

駆け寄るときが
ある

新聞を取りに
玄関のドアを開けるとき

モコは駈け寄って
見あげる

出かけようと
車の鍵を摘み上げカチャ


鳴るときも

モコは

急いで駆け寄って
見あげる

新聞を取るとき
モコを抱きあげてポストから新聞を取りだす

出かけるとき
ほとんどモコは留守番になる

この夏は
灼熱のような毎日だったから

ちいさなモコは外では足に火傷する

だから
留守番になる

散歩する時は
朝と夕方の涼しいとき

近所を歩いてくる

たまに車で海まで行き
海浜公園を

モコと歩いてくる

そんなときモコは
助手席におとなしく座っている

彼は私を車に乗せてくれた *

 

 

*twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life