ポ の 国 の ポ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

今日は2020年9月16日
「私」を「ポ」と言い換えてみる
とくに理由はありません
ポはポの国の言葉で
私、あたい、僕、俺、小生、余か朕
これからポが徘徊酩酊するのは
70年を経た9月16日という日のこと

ポが武蔵野の秋を歩く 
独歩か かさこそさやけの音
テラコッタのポは 
リモートで浜辺を歩く
砂の音 きしむ きゅうそ 
クシュ クシャ クシャーラ

浜風しおざい ゆりかごの音
月から落ちてくる 無数の林檎
すさまじく割れる 死の擬音
水蜜は恋情か恨(ハン)か 
ほのかに好ましい思い出か 

イヌが吠えて オーボエが鳴って
遠くで潮ふく 鯨のため息
鳳仙花がはじけて 
ギターがひび割れる 子守唄
爪に血がにじむ 鳳仙花 ららばい 
庭のハナモモや トネリコに
降りしきる雨 ザクースカ!
猫が二匹低い姿勢で消えてゆく
その音の夢幻、無限、の生命秩序
みんな ポの耳に親しい

雨の中 手紙がポストに落ちる 
指で封をはがす音
2枚の紙に目をこらす

雲の上のソンソンムから 
暗号のような二行

空0コダーイはシュタルケルのチェロで
空0ショパンはリパッティのピアノで

それならいつも聴いてるよ 大好きだ
ハンガリー、ポーランド、ルーマニア
古びた写真がいちまい なぜだろう
ソンソンムが笑ってる12歳の頃

返事を書こう
ざら紙にペンを走らす 
太い鉛筆を走らす
その音のさいわい 
シュタルケルのチェロの音
シュタルケルは1923年
ハンガリーのブダペストで生まれた
1882年に同じハンガリーで生まれた
コダーイの曲を演奏するとき
シュタルケルは静かに躍動する
ハンガリーの森を大地を吹いてゆく

ポはペンを走らすことが好き
紙を走るペンは 紙の幾層を走る音
ポは半眼破顔半島の 笑みをこぼす

今日は2020年9月16日
そしてここから ポに聴こえてくるのは
ディヌ・リパッティ 最後のリサイタル
70年前の きょうの今日
1950年9月16日フランス・ブザンソン
リパッティは悪性リンパ腫の末期
主治医の懸念を押しとどめ
みずから最後と知ってピアノの前に立った
満員の聴衆もそれを知っていただろう

1917年ルーマニアのブカレストで生まれ
少年の頃からパリに出て
巨匠アルフレッド・コルトーに愛され
はばからず例えれば
天使の囀りのようなピアニズム
夭折悲劇の、ポはそういうのに弱い
フランス・ブザンソンでリパッティが
聴衆の祈りのなかで
最後のショパンのワルツを弾いた日から70年
その音源は ポにとって最愛の音楽

そして再び同じ70年前の今日
1950年9月15日から17日にかけて
ポの半分の祖国
戦火の朝鮮半島では
怒涛、破竹の進撃で半島最南部のプサンまで
占領していた北朝鮮軍を分断し
戦局の劇的な転換を期した奇襲作戦が
マッカーサー率いる米軍によって
成功裡に果たされようとしていた
ソウル西方の仁川(インチョン)上陸
占領されていたソウルは劇的に奪還された
だが、これは国を別けた戦乱の終わりではなかった

空0朝鮮戦争の死亡者の数は、韓国約240万人、北朝鮮290万人、中国90万人、
空0国連軍15万人。第二次世界大戦の日本の死亡者は約310万人と言われる。

母国に家族を残して
日本に渡ってきたオヤジは
生まれたばかりの ポを膝に抱きながら
刻々と変わる戦況を短波放送で聞いていただろう
ポの叔父 オヤジの弟は徴兵され
いまの休戦地帯 場所も時期も定かならず
戦死したことは 休戦後のずっと後に
知らされたらしい
もちろん遺骨は帰って来なかった
南北朝鮮530万人の死者のひとりだった叔父 
慟哭しただろう オヤジ
膝を叩いて哀号を連呼しただろう

1950年9月16日
米軍仁川上陸と同じ日にリパッティは
生命の灯心を燃やして
最後のピアノを弾き
同じ日に極東の半島では
戦火で多くの死者が生まれた
特別のことなのか
並べ立てることなのか

このコロナの時代に
こんなあてどない徘徊が詩になるか
コダーイのチェロソナタを聴きながら
Wordを閉じる

 

 

 

ことのは

 

サフジカサク

 
 

黒と白という言葉が消えました
フランソワは詩を書けなくなりました

男と女という言葉が消えました
アーネストは物語を書けなくなりました

大人と子供という言葉が消えました
カートは歌を書けなくなりました

人間の意識は高まっていきました
言葉は刈られていきました

やがて進歩した意識を持つ人間たちは言葉を持たない動物になりました

 

 

 

破られる契約の中で話語は II

 

工藤冬里

 
 

目の前には元初のパロールが現れて魚を食べているのだった
時間は常に洞門化している
彼というシニフィアンは彼の死後の生の現前によって究極のシニフィエを想定せざるを得なくなる
彼は建国宣言に署名したわけではなく
聴覚イメージとしてのシニフィアンが共有されていたわけでもない
証明は国民の生の肉の心に書かれると約束されていた
国民が国民に約束するという民主主義の矛盾はそこから始まっている
アーレントやパティ・などがそこを分からなかったのは何故だろうか。
行ったことがない場所でも信頼できる地図やナビがあれば安心です
死んだ彼にナビしてもらうのは不安でした
徹底的な変化です
重ね着ではありません
ナビに呼びかける人の近くにいるナビのおねいさん
ライちゃんは最近帰って来るとおねいさんの匂いがする
法の暴力性を批判することは不可能である
死刑囚に対して権利を移譲されているのだ
永山だな
右手人差し指出して
名とは常に死者の名である
名は署名されたとき初めから死後の生を生きる
民主主義においては主権在民にはならない
デリダは婚姻の不可能性に関しても阿らず突き詰めるべきだった
迷っていたら時間が経っていきます
時間は戻らない
知恵を働かせて自分で決定したい
罪人と看做すかもしれない

 

 

 

#poetry #rock musician