服を失くす

 

工藤冬里

 
 

ポートランドでスモールバンドと自嘲するチャーリーブラウンみたいな男の家に泊まり
寒いと言うとフード付きの青いジャケットをくれた
洗濯すると縮んだけれどずっと着ていた
またポートランドに行った時返そうと思ってわざわざ持っていったけど
彼は現れなかった
それでまた日本に持って帰って着ていた
ポートランドではコラボしたスーザン・チャンチオロにも祖母の帯を持っていってやったのにNYに行ってて礼もなくてがっかりした
それはいいとしてとにかくその青い服を失くした
ヨークシャーの青いセーターも飴屋さんとやってた頃まではよく来ていてアー写にも使ったけれど軽トラの荷台に積んでいたらどこかに飛んで行ってしまった
それと同じくらい大事な服だった
数日前、母が父の形見の黒いフード付きのジャケットを着ろといって呉れてそれを着ていたので、青いジャケットを失くしたことに数日気付かなかった
自分はどこで何をしていたのか遡って思い出そうとするがこの数日間でさえアーカイブ出来ないと分かった
銀杏の葉のエキスをアメリカから取り寄せて飲んでみたら、末端の血管は活性化はするがミスは変わらず、かえって不幸が活性化するだけだった
先週は
青空の写真をupした
図書館車で仕事中大木さんから電話があった
背広を脱ぎ件のフード付きの青いジャケットを着て作業したと思う
老人喫茶ノアでコーヒーを飲んだ
スタジオホトトギスで鶴さんとただ話して終わった。もしかしたらスタジオかもしれないが、鶴さんから連絡はない
ネットの会合に参加した
夜はうろうろしていた
次の日もカメラ君に頼まれて鶴さんのところでコロナ都々逸を録音した
触れないなら
ただ見つめ合え
ドルチェアーンド
ガッバーナ(ー)
El rey no debe multiplicarse esposas, para que no se desvíe su corazón
道後に向かう車の中からゴミ収集車の写真をupした
コンビニのwifiで会合に参加した
ネットで作業していた
ジョン川平氏の放送協会の番組を聞いた
久万豚太郎で辛すぎるカレーラーメンを食べて心底がっかりした
その後轆轤したから服は汚れた筈である
相模原のホワイト餃子萬金の写真をupした
ネットで2012‐2019の詩を編集する作業をしていた
コロナ音頭が送られてきたのでupした
2012-2019をアップデートした
zoomの会合に参加した
素焼窯入れしたので服は汚れた筈である
元祖ベジポタと幟のある大街道のバスのラーメン屋に服が汚れたまま行き、その後ネカフェのマッサージ機にかかった
そこでyoutubeで高く評価した動画をまとめてupしてみた
ドルチェアンドガッバーナは高いんだね
一番安くて7000円だって
ちなみに高く評価した動画というのは
Joy Again – Winter Snakes
Hot Gossip – Break Me into Little Pieces
香水 / 瑛人 (Official Music Video)
Just Regular People
自販機
Yesterday Yes A Day (Bande originale du film “Madame Claude”)
BJ SNOWDEN IN CANADA
Maher Shalal Hash Baz@近江八幡酒游舘 2005/4/3 2nd stage
Xinlisupreme – Kyoro 2
Jean Claude Vannier – Habitants de Bécon les Bruyères
Infelices Bicharracos, debut en vivo
Roland Kayn – Simultan
Oneohtrix Point Never – Black Snow
TRABANT Víg M. Kígyó
tori kudo “job2011”
Xinlisupreme – All You Need Is Love Was Not True
わしかてずーっと一緒に居りたかったわ
という歌をサトコさんに教えてもらって聞いた
窯焚いてるから暇なんだよ
SAYONARA Baby
青空の写真をupした
会合に参加した
図書館車で井内、西谷方面を回った
ちなみに西谷は風の谷のモデルと言われている 
昔久米の温泉の近くにあった店が潰れたラーメン屋に居抜きで入っていた
服はそこかもしれない、と思う
夜中2012‐2019をアップデートした
朝引き続き2012‐2019をアップデートした
釉掛けを始めるが終わらず
カッパを着て図書館車で小学校に行った 雨 
仕事着には着替えずあっさり元味というのを食べたので服はそこかもしれない、と思う
そのあとそのまま窯入れを始める
父の服をもらった ということはその時点で青いジャケットは着ていなかったのではないか
親の服はセンチメンタル・ヴァリューというより中学の頃の強迫神経症と繋がるので大事というのとはまた違う
会議を傍聴する
窯入れを続ける
夜中過ぎて火を入れる
ポンコピピンで俳人と会う
青空と電線の写真をupする
だんだん現在形になってきたな
金湯に浸かりマッサージ機にかかる
一興であっさり元味
ビル・ウェルズの新作を聞く
礼子仕事
さよならベイべの歌詞をコピーしてコードを探す
招き猫でカラオケについての詩を書く
民酒党という店にみなは行く
家に着いた時車を少しぶつけた気がするが大丈夫だった
セイタカアワダチソウの風呂を入れる
スムージーを作る
イギリスや日本にはまだ王がいる、と意見を述べる
カナリア諸島から緊急のメールあり二〇〇七年のジャパンタイムズのマヘルの記事をチェックする
カフェで訊くが服はないと言われる
図書館車で小学校に行った
死にかけの猫に会う あんな悲惨な猫は初めて見た
食べ物を持っていったがもう食べなかった
トランプ劣勢
今ココ

 

 

 

#poetry #rock musician

「生」と「死」と

 

みわ はるか

 
 

久しぶりにコンビニに入った。
そこでしか使えないプリペイドカードをもらったからだ。
夜ご飯を作るのが億劫になりがちな金曜だったため迷わずお弁当コーナーへ向かった。
コンビニというのは本当に便利なもので野菜、魚、肉、フルーツとなんでもそろっている。
なんとなくエビが食べたいなぁと思ったわたしはグラタンを選んだ。
大きなエビが4つも入っていた。
レジの女の子は20代前半だろうか手際がよかった。
慣れた手つきで会計までの処理を進めていく。
「温めますか?」
「あっ、お願いします。」
チーン
「熱いのでお気を付けください。」
「あっはい。・・・・・・・あっつつつつ、熱い。」
「ハハハハハハ、熱いですよね。気を付けてください。ハハハハハ。」
2人で笑った。
初めて会ったのにお互いの目を見て笑った。
居心地のいい笑いだった。

週刊誌コーナーに行った。
自ら命をたった有名人の記事が大きく取り上げられていた。
最近多いな・・・・・。
信憑性はよく分からないけれど家族の問題、親族の問題、色々書かれていた。
幼いころ、サザエさんはテレビの中だけの存在だと思っていた。
みんななんだかんだ仲が良くて、同じ食卓を楽しそうに囲んで同じものを食べる。
怒られているシーンさえも愛おしく思うようなそんな感じ。
休日にはみんなでお出かけしたり、ご近所とも和気あいあいみたいな。
でもそれは現実世界でも普通にありえるものだということを成長するにつれて知った。
大人になると結婚した友人や一人暮らししている知人が「あー来週は実家に帰ろう。」とか、
「実家でのんびりしよ。」とつぶやく言葉を頻繁に聞くようになった。
いいなぁ、羨ましいなぁと心から思った。
もちろんわたしにも実家はある。
小さい頃は家族みんなで花火をしたり、蛍を見に行ったり、海に行ったり、みんなと同じことをした。
でもなんとなく色んな事が不器用な人の集まりで、塾にいる時が居心地がよかったりした。
そんな感じで来てしまったのでわたしも色々と大人になって不器用な人間になってしまった気がする。
「愛想」について真剣に考えたり、何物でもない者に怯えたり、考えることを全てやめたいと思ったり。
家族は大切だし今でも定期的に会っている。
それでも心のどこかでわたしには帰る場所がないような気持ちで生きている。
今ここにある自分が全てなんだと思って日々過ごしている。
だから毎日苦手な朝日を浴びながら布団から出る。
どんなに嫌なことがあっても通勤用の鞄を肩にかける。
終業のチャイムが鳴った時は安堵して暗闇の中帰途につけたことに乾杯する。
欲しいものはほとんどない。
住む家と、食べ物と、温かい布団があれば満たされる。
少しの心から気を許せる人がそばにいてくれればそれでいい。
昔わたしの部屋を見た友人が学校の用務員室より簡素だねと言った。
その日暮らしのように感じるらしい。
自分が所有しているものがどこにどれだけあるか把握しておきたい。
物がない空間がわたしに安心をくれる。
すぐどこへでも移動できるから。
絶対的な明日が不確かな明日になる日はすぐそこまでやってきているかもしれない。

ちょっと暗い文章になってしまったのは冬至へ向かっていく季節からだろうか。
もちろん楽しい瞬間もたくさんある。
さっきまでガハハと笑って宅配ピザを食べていたし。
ピザだけじゃなくてポテトと新作のゴボウフライのサイドメニューもニヤニヤしながら頼んだし。
サラダもいるなと思って一生懸命大量のキャベツを千切りにもした。
これから大好きな映画だって見る(もう10回は鑑賞したというのに)。

自ら命をたつということは相当な覚悟が必要だ。
「運命」という言葉だけで終わらせてしまうのにはあまりにも悲しすぎる。
落ち込み悔やむ周囲の人たちがたくさんいるのだから当然肯定はできない。
だけれどももしかしたらやっぱりそれは「運命」だったのかもしれないと感じる時がある。
「生」と「死」は対極にあるのか、横並びにあるのか、そもそも比べる対象ではないのか。
その答えはまだわたしの中では出ていない。

 

 

 

It may well be true.
それはおそらく本当かもしれない。 *

 

さとう三千魚

 
 

burned in about an hour

my brother became a white bone

my brother is
become smoke

spread in the sky

while burning
relatives

I was drinking beer with them

we were chatting

the story of food self-sufficiency
the story of green soybeans

the story of my brother’s mountain lover
the story about fishing lovers and liquor lovers

it’s sad to die, but everyone will die someday

Such a story
Such a story

for those who are alive
no one knows about death

We just see the white bones left behind

oh oh oh
oh

oh oh oh oh uoooh

but everyone will die someday

It may well be true *

 
 

一時間ほどで焼けた

兄は
白い骨になった

兄は
煙になり

空に広がった

焼いている間
近親者たち

ビールを
飲んでた

世間話をしていた

食料自給率の話
茶豆の話

兄の山好き

釣り好き酒好きの話
死ぬのは悲しいがみんないつか死ぬということ

そんな話
そんな話

生きてる人は
誰も

死のことは知らない

ただ残された
白い骨を見る

おおう
おお

おお おお おお おお うおおお

みんないつか死ぬということ

それはおそらく本当かもしれない *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life