工藤冬里
左と右が千切れて飛んだ構造の中で
愛国心というものを風花の軽さに浮かせて
ぼやけさせた未来の雪曇りに
ひとときの麻痺を狙うマヌーヴァー
に
愛によって絡め取られ
我方他方(アバンタバン)を 失い
凍結され永絶されて
雪曇りの中にひとり
完全な孤独の中にひとり追いやられる
#poetry #rock musician
左と右が千切れて飛んだ構造の中で
愛国心というものを風花の軽さに浮かせて
ぼやけさせた未来の雪曇りに
ひとときの麻痺を狙うマヌーヴァー
に
愛によって絡め取られ
我方他方(アバンタバン)を 失い
凍結され永絶されて
雪曇りの中にひとり
完全な孤独の中にひとり追いやられる
#poetry #rock musician
夕暮れが美しくて
佇んでいる
時間をかけて
マイクロプラスティックが
血管を流れている
無数の
多摩川の石投げは
天国への階段
無関係なものの
陽が沈み黄昏て
黄色く汚れた街に月が出る頃
男たちは手を洗う
むかし場末の名画座でみた映画で
男が手を洗っていた
敵との闘いから生還した警部補が
洗面台に向かって延々と手を洗い続ける
疲れと血を洗い流すようにいつ果てるともなく
それがラストシーンだった
若い志賀直哉も日に何度も手を洗った
さきほど洗ったばかりの手を
また執拗に洗わなければ気が済まなかった
その若い清潔な手にケガレがみえていたのだろう
あの映画をみた頃の
若いわたしも頻繁に手を洗っていた
潔癖でもないのに手を洗った
自分の手にケガレがみえていたのだろう
「神経たかり」とも云われていた
「ケッペキにいさん 手を洗う」
と吉田美奈子が歌うレコードが出た時
自分の生活が視られているようだった
女たちだって手を洗う
それは知っているつもりだよ
マクベス夫人も執拗に手を洗っていたもの
彼女にだけはみえる血糊を流そうとして
あの映画の俳優もすでに遠く死んでしまったが
あの映画の中で警部補はいまだに手を洗っている
呼び物だったカーチェイスの場面より
洗面台の鏡の前で手を洗う男を思い出す
疲れ果てた寂しい背中をみせて手を洗っていた男と
蛇口から流れ続ける水の音
黄色く汚れた街に月が出た
ところでわたしはまだ手を洗い続けている
あれからずっと
擦り切れて血の滲むまで
夢の中でも手を洗い続けている
*2020年1月10日作
これを書いた頃はその後、至る所でみんなが熱心に手を洗うようになろうとは思ってもみなかったのだったが……。
the cold feels
tonight
the moon
is it there
I opened the window
seaside town
I have walked
Fukaura
Owase
I have walked
the moon would have been
even then
the moon
I can’t see it
in the sky
would have been
・
The road runs along the coast *
寒さが
沁みる
今夜
月が
そこに
いるかと
窓を
開けてみた
海辺の街を歩いたことがある
深浦とか
尾鷲とか
歩いたことが
ある
月はいたのだったろう
そのときも
月は
見えないが
空に
いたのだったろう
・
道路は海岸に沿って延びている *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
10年前の今日は、雪が降っていた
10年経った今日は、風が吹いている
猫は10歳、歳を取ったはず
わたしも10歳、歳を取ったはず
コーヒーを淹れている
同じ電動ミルを使い続けている
眩しさは同じように、
陽は日に差している
ずっと、同じ部屋に住んでいた
何処かを見つめている、わたしがいた
何処かを見つめていた、わたしがいる
浮かんでゆくクラムボン
あれはなんだ 不思議だったから、ついていった
いつか、わたしを閉じ込めて、
何処かへと連れさった、あのクラムボン
今、この場所から、
そのクラムボンを、大空に見ている
何処かを見つめながら、居なくなるわたしを、
かぷかぷわらう、クラムボンの中に見る
(死んだ?)
何度旅から帰っただろう
陽が差す 冷たい空気を抜けたあと
変わりようの無かったものたちが
なんも変わらんかったよ、って
教えながら、ほんの少し揺れていた
わたしは、
この部屋で何度も眠った
全てをカレーにして
ステップ・ファミリーも鍋に入れて
前にも見たヴィデオも溶けるまで煮て
エアコンは強に
数の子はもう潰して
シーツは部屋で干す
降る降る言って雪は降らない
風は強い
財布はポケットに
充電器で手の甲が熱い
ナミさんが横浜でライブ中にステージで死んだ
大きな鍋に
ヒット曲を次々と投げ入れて
#poetry #rock musician