It’s hard to put it into words.
それを言葉にするのは難しい。 *

 

さとう三千魚

 
 

it’s
like rain

this morning

when I open the window
the top of the west mountains is surrounded by white clouds

for tangerines on the windowsill
the pair of bulbuls have come

they flew away

also today

yesterday too
the day before yesterday too

I didn’t see the sea

“The snow on the road has already melted”

my sister
she was saying on the phone

in the movie “It must be heaven”

on the way
I fell asleep

how did it

carrying sin
did that person die

It’s hard to put it into words *

 
 

雨の
ようだ

今朝

窓を
開けると

西の山の頂は白い雲に包まれている

窓辺の蜜柑に
つがいのヒヨドリたちは来た

飛んでいった

今日も

昨日も
一昨日も

海を見なかった

“もう道路の雪は溶けたよ”

姉は
電話で言っていた

“天国にちがいない” という映画では

途中
眠ってしまった

どうなのかな

罪を背負って

あの人は
逝ったのか

それを言葉にするのは難しい *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

雀蜂の巣穴から聞こえてきた

 

工藤冬里

 
 

いつまで私は思い悩み、毎日悲しみに暮れなければならないのか
商店たち
白い商店たち
それは自分で解決できる問題ですか
どうしたら良いだろうか
風がどどぅと楸(ひさぎ)の白に
桐のように伸びる 赤目柏の暖色LEDの白空に
穏やかさを保つための錨を持つ
おだやかさをたもつためにいかりをもつて可笑しい
一切心配してはいけないという意味ではないわ
紀元前六世紀以前の人々は不完全ながらまだ風の感じ方はまともだった
一七世紀以前の音楽は無抵抗ながら光熱の感じ方がまだまともだった
ピタゴラス由来のプラトンとバッハが商店たちをマイナスの領域に追いやった
以来おだやかさをたもつためのいかりをもった転校生は一人もいない

 

 

 

#poetry #rock musician

なずな

 

小関千恵

 
 

間合いに居た
あの人に会い あの人にも会った

身体の中には木があって
実を獲っては 投げ込んでいた

少し目を閉じている間に
電話は入る

人生ってこんなもんかってくらいで死んでいく

地上の音は
天の岸を打っていますか

無心の波が
立って

間違う身
まちがうみまちがうみ

街が海

間合い
空には
コスモスが咲いて
漠たる不安は毛布となって
何に生きて
何に生きた?

根を切って
なずなを一本 最後に摘んで

つみつづけてつみつづけて

罪続けて

 

 

 

われも静かに

 

駿河昌樹

 
 

大空を
しろい雲が
ゆく

しずかだ

しずかなことだ

あんなふうに
生きていくべきだな
わたしも

しずかに

すこぶるしずかに

 

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白相馬御風
大空を静かに白き雲は行くわれも静かに生くべかりけり

 

 

 

食べざかりのノリ

 

薦田愛

 
 

ご飯ごはん
ごはんが大好き
パン好きナン好きラーメンも好き
せやけどやっぱり
ご飯ごはん
ご飯がないと始まらへん
朝ご飯昼ご飯晩ご飯
たまの外食も
おかわり大盛りあたりまえ
朝が早いからお弁当は十時
部活でお腹がぺこぺこ
ちゃうで
還暦まぢかい
おじさんのはなし

五分づき米もしくは白米を一合炊いて
小ぶりの茶碗で三杯
つまり三度の食事で私が食べおおせるところ
ユウキとふたりなら
一度でゆうに一合半は要る
ご飯ごはん
いちごうはん
いちごうはん、は微妙な量
とある夕食どき
多めに炊いてあった残りを目ではかり
ま、だいじょうぶやろ
炊き足さんかったん
ご飯ごはん
肉じゃが四人前、かぶの葉とちりめんじゃこのおひたし
フンドーキンの麦味噌を使った
さつまいもと小松菜と椎茸の味噌汁
くわえて前夜のれんこんとにんじんとごぼうのきんぴらも
八畳間の炬燵にならべ
「おいしいねえ
 うちで食べるご飯がいちばん」
と笑みくずれていた顔が
おっと
はやばやとおかわり
キッチンに向かって戻ってくるなり
くもってるやん
きけば
「ご飯が足りない・・・・・・」

力のない声
ああ
かんにんなぁ足りると思ったんよ
おかずがようけあるし
けど
おかずにつられてご飯がほしなるのも
わかるわぁ

それにしても
ちゃんと噛んでる?
ごはん飲んでへん?
ご飯ごはん
ご飯が大好き
朝二杯昼二杯夜二杯
雨ニモ負ケズには
日ニ四合ノ玄米とあるけど
それは味噌と少しの野菜とセットの時分
肉も魚ももりもり食べてる
きみと私は
気をつけんと ね
つい ね
ついつい食べ過ぎて
ううむうう~ん
胃散でなだめたりね
言いますやん
腹も身のうちって

「日本人はもっと米を食べなくっちゃ」
そやねそれに日本人はっていうか
何よりお米は美味しいものね
家計簿みて思わず
目ぇこすったけどな
月に十五キロほど食すらしいねん
ユウキと私
まちがいなく
二十一世紀の日本で稀な米食家族
お弁当にくわえて
時にみずからおむすびも結んでゆくユウキの
ムダをきらう気質と贅肉のない身体は
パンも好きナンも好きラーメンも好き
けどやっぱり
ご飯ごはん
五分づき米と白米もりもり食することで
つちかわれてるんやろな
きっと
知らんけど

 

 

 

Put out the light before you go to bed.
寝る前に明かりを消しなさい。 *

 

さとう三千魚

 
 

woke up at midnight

stairs
came up

at Bandcamp
I’m listening to Tori Kudo’s “blues 1993 january Ogikubo goodman”

1993 is me

it’s the year I left Tokyo

I’m taking a detour
I’m listening to Tori Kudo’s piano

no regrets

here
listening

Put out the light before you go to bed *

 
 

深夜に目覚めた

階段を
上ってきた

Bandcampで
工藤冬里の “blues 1993 january 荻窪 goodman” を聴いてる

1993は
わたし

東京を離れた年だ

だいぶ
遠回りして

工藤冬里のピアノを聴いてる

後悔はない

ここで
聴いてる

寝る前に明かりを消しなさい *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

カンヌ出品のためのアプリケーション・フォーム

 

工藤冬里

 
 

title: Archive

target: コロナ下で自宅待機させられているすべての人類

synopsis: 監督自身の、何代かに亙る携帯電話~スマホに保存されていた今世紀初めからのデジタル画像。

usage: ガラ携からスマホへの移行に伴って画質も変化していく。画像がほぼ年代順に並んでいるだけなので、どこから見ても、飛ばしても良い。ゴダールの「ソシアリスム」のトレーラーをややゆっくりさせたようなものである。一時間半に及ぶ単調な画像の羅列の後、エンドロールに主題歌「アルシーヴ」が挿入される。
 
remarks: 映画よりも現実の方が劇的であることは近年特に顕著に感じられるようになってきた。ゆえに我々が、作られた映画を見る必要は年々減じてきているように思われる。そのような状況下で、自宅待機の人々の関心は「自分史」に向かい、それはデジタル画像のアルシーブ化を意味するだろう。家族の監視の状態で行われる画像の取捨選択の作業には、ジャック・デリダの言う<法>が介入する。この映画の鑑賞とは、その捨てられた写真たちによる「アルシーブの亡霊」を観るということなのだ。映像は個人史のアルシーブ作業とインターネット上の”陰謀論”ニュースだけになるだろう。これが映画史の終わりである。

 

 

 

#poetry #rock musician