猫のいたずらに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

猫が落としたその詩集は
若き日講演会のあとにサインをしてもらった懐かしいものだった
そのときのことを緊張のあまりわたしは覚えておらず
付き添ってくれた友が
後々今まで笑って話してくれる
ペンは友のものだったこと
筆圧が強いのですねと言われ
間髪を入れずにはいと答えたこと
それらのやりとりすべてが
懐かしく愛おしい時間だ

こころしずみがちであるいまも
そのことを思うと
くすりとするわたしがいる
確かに
あの時間は存在したのに
遠く、友とわたしだけの作り話のように

そのひとは世を去り
たくさんのことばを遺した
わたしのなかには
穏やかに微笑むそのひとが
いつもいるような気がする

猫はよくわたしにとってかけがえのないものに
いたずらをする
けれども
このいたずらは
すこし苦くて
ほんのり甘いような日々を連れてきた

あの頃が総て愉しく充実していたはずもない
苦しくてもがいていたのはいまと同じだ

ただそこに若さがあり
友からペンを奪い取るような
情熱もあった

あの大教室で
最後の三人になって
交わしたことばは
わたしの明日をいつも照らす
いつも、これからもおそらくは
変わらずにあたたかいだろう

 

 

 

桑原正彦のドローイング “はなとゆめ” を掛けた

 

さとう三千魚

 
 

日曜日の
午後の

海の

ひかるのを見た

浜辺の

渚の
家族たちの

遊んでいた

海は
凪いでいた

子どもたち石を投げてた
カニを捕まえた

クルマで帰った

走って
帰った

帰って居間の壁に
桑原正彦のドローイング “はなとゆめ” を掛けた

かつて

新丸子の
夜の東急ストアーで

桑原から電話をもらったことがあった

光だねと
桑原は

かすかに言った

うん
光だ

そう応えた

はなも
ゆめも

光だった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life