もうお前からはだれも二度と実を食べないように

 

工藤冬里

 
 

6.27-7.5

6月27日
子孫はアダムの罪に何の責任もないので勝手に許してもらったと
贖いの知識が力を持つ条件は感謝です
必要だと思って貰ったものではない場合

6月28日
ロンドンで、車を盗られる夢
喉が乾いて目が覚めるので古井由吉みたいに水を飲む
ゲインズボロー・ロードの家の裏にはプラムが植わっていて、ジャムを作った
近所に、黒いチューリップだけ咲く家があった
いくつかスタンダードの古層
明治以降の日本のように

成功した怒りの表現が成功したアート(に過ぎない)というようなことをアドルノか誰かが言っていたような気がして検索してみたが分からなかった

ソロモンを値踏みしようとやってきたシバの女王は彼の家の給仕​人​たち​や​献酌​人​たち​の​ユニフォームのデザインの格好良さに息を呑んだものだが、東京はどうか。コロナ柄の絞り染めの方がまだ良かった。

https://www.youtube.com/user/atetetordu

6月29日
看取り図

twenty-twenty

確信
携帯の見えない電波
終身刑bandanaも
グアンタナモも巻いて
Détruire, dit-elle
畑を迫害と共に得て
PCの電源を抜くことも出来る
焦茶色の犬の気持ちと筋肉
タイシルクの赤青
さまざま​な​体制​が​​言葉​に​よっ​て​形作ら​れ、見える​もの​が​見え​ない​もの​から​存在​する​よう​に​なっ​た​こと​を​悟り
誕生の瞬間から明らか
設計図がないことを信じろと言われても
ドキュメント化された映像や記憶を

6月30日
https://youtu.be/vLiNlOa3FiM

7月1日
言葉は〇〇してて草
大草原

の小さな家

ウェンブリーでピンクフロイドなら
向ヶ丘遊園で何

明るい雲
明るすぎる雲
結末を初めから
体の中にある罪の律法
どんな文化の下でも

肩の上にスイカ
マンゴジェリー
直方体を海に沈める

7月2日
日本語はもうすぐなくなるのでなんか文学的なことを書いても無駄だと思う
言葉とは何か、とかを理解しようとする時しょうがなく使う程度

同じ駅が出てきて立川方面行きが全く来ない

https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1410752750875332611?s=20
Gb  Db↓ G Ab C  Eb↓ Gb Ab Bb↓

7月3日
最終連で鳥が
「夢と現実!」と叫ぶ大鴉ぽい詩が思い出せない

昨日はウェンブリー・スタジアムのピンクフロイドということを考えていたらアルパートンというずっと思い出せなかったインド人街の名前が浮かんだ

ウェンブリーの市役所の食堂のスコーンと紅茶は不味かった

calligraphy 五所純子 2011.3.19

Delta Rhythm Boys – Dry Bones
https://youtu.be/mVoPG9HtYF8

7月4日
反共ベースの”真実”が反日にマージして似非保守の共産化という印象批判を生むので”愛国者”が反日化するがそれを利用した発電はできない。それに対し反日ベースの”希望”が”真実”にマージして自国の共産化批判を生むので”反日”が愛国化するがそれを利用した治療は望めない。可能なのは自民を共産に、共産を自民に名称変更して左右の定義を一段押し上げることである。そうすれば言葉は一瞬vividになることだろう。しかしそれも永くは続かない。分断とは反日の統一、見えない一致とは見える愛国からの逃走だからだ。先の先のさらにその先のお花畠を共有することでしかエネルギーは流れない。

メガソーラーは地面に置かず必ず倉庫にして屋根に設置すれば痛い感じが抜けるし人や動物さんたちが雨やどりしたり遊んだりできるよと思います

お前からはもう

 

 

 

#poetry #rock musician

散歩道

 

みわ はるか

 
 

世間一般ではもう目一杯咲いているところがあるというのに、うちの近所ではまだ咲く気配がない。
そう、6月といえばのあの代表的な花。
小さな花弁がたくさん集まって、水滴なんかが滴り落ちての、あの紫陽花である。
葉も爽やかな緑色で美しい。
ふだんはギョッと思うようなカタツムリなんかがついていても愛でてしまう。
公園の端っこ、畑のそば、歩道のわき、校庭の奥の方・・・・・。
ふとした所に意外とどしっと存在している。
個人的には淡い水色がかわいらしくて好き。

最近、時間があればスタスタと歩いている。
冬は寒いのが大嫌いなので引きこもりがちになってしまう分、この時期はできるだけ外に出る。
古くから建っている家々。
ペンキがだんだん剥げてきてはいるけれど、柱はしっかりして頼もしい。
今でもあるんだなぁと驚いたのは、瓶の牛乳を入れるためのケースが玄関先に置いてあったこと。
昔、わたしの家でも毎晩運んでもらっていた。
台所があるであろうと思われる場所のすりガラスの窓。
そこには洗剤、花瓶、おたまやフライパン返し等が吊り下げられている。
夏だからだろう、窓を開け網戸から涼しい風を取り込んでいる食卓。
LEDとは違う少し黄色がかった明かりの下、箸が器や皿に触れる音が聞こえる。
テレビの野球中継に交じって、ときたま食卓を囲む人たちの笑い声が漏れ出ている。
時には怒声や大泣きしている子供の声も。
その生活音はとても心地よかった。
やっぱり家族は同じ場所にいるのがいいなぁと思う。
何か見つけたとき、今日あった面白かったこと、どんより納得できなかったこと。
聞いてほしい、解決策はなくともただ隣で聞いてほしい。
なんともない少し退屈だなと思う日常こそが最も尊い。

とある中学校の側を横切る。
そこには新築の家々がたくさん並んでいる。
近くにはスーパー、幼稚園、郵便局、銀行・・・・・。
ファミリー層が住むには好立地な場所だ。
お洒落な外観に、素敵な花々が彩る庭。
玄関先には小さな靴が干してあったり、まだ補助輪がついた自転車がお行儀よく置かれている。
カーテンの替わりにブラインドを使用している窓もあった。
1つ1つの窓もわりと大きく感じる。
窓わきに置かれたディズニーシリーズであろうぬいぐるみがこちらをじっと見ている気がしてそっと目線をずらした。
モダンな家々に少し圧倒され恐縮してしまった。

駅の近くにはアパートやマンションが多い。
古いものだと「~ハイツ」や「~荘」のようなアパート。
歩くと結構音が響きそうな階段を上がると同じ扉がズラッと並んでいる。
おそらく単身用の住まいだ。
趣があってまるで小説の世界に入ったかのような世界観。
ぎぃ~と開く扉の音もまたいい。
なぜかある扉の前にはとれたばかりの玉ねぎがこれでもかというくらい積まれていた。
セキュリティがしっかりしているマンションも最近はとても多い。
エントランスで鍵なのか指紋なのかわたしには到底想像できないが、本人確認を求められるようだ。
それを見事に突破するとエレベーターで自分の部屋がある場所までたどり着ける。
きちんと清掃されているんだろうなと思われる外観はただただきれいだった。
洗濯物をベランダに干している所もほとんどなさそうだ。
気温の高い日中さえ窓を閉め切っているようでレースのカーテンだけが外からは見えた。
隣に住んでいる人が誰かも分からず、住人だけがどんどん循環して入れ替わっていくのだろう。
それはとっても楽で快適だけれども、ほんの少し寂しい気持ちになった。

そんなこんなでわたしは時間があれば歩いている。
ただただ歩いているのだけど、毎日たくさんの発見があってとても刺激的だ。
橋の上からじっと川の流れを見て、その流れに逆らうように動いている魚を探したりする。
季節によって異なる花を注意深く観察したりする。
畑で栽培されている野菜を見て旬なものは何かをチェックする。
稲が植えられたばかりの田んぼにゆるりと泳ぐオタマジャクシを「わっ」と叫んで驚かしたりする。
太く大きな松の木を首が痛くなるまで見上げ続けたりする。

わたしの散歩はしばらく続く予定だ。
冬が来る前までの限定的なワクワクする冒険を。