2021.10.10 program

 

工藤冬里

 
 

1. 虹を渡って

虹を渡って
内側に棘を探して
橋を探して
増水の
足が水に触れると
初めて遥か上流で止まった
遥か上流で
足を水に入れる勇気があるか
孤独な蜜蜂が貧弱なイネ科の花とは呼べない花の周りで仕事している
寒くはないが風を避けて体の横に流す
波風立てずに生きてきた
背骨の問題だ
成り行きに任せてはいけない
遠ざけないようにして
ひたすら触りたい海月
座り直して
風を避(よ)けて
zoomに映る私達
苦手な趣味に付き合って
歌を散文に
頭が男の女
ヨルダンの急流
今井の最期の楽譜群にover the rainbowの書きかけが歌詞付きでちらと見えてあ、と思った
今は虹を渡って裏側に行けるらしいから
あとgoodmanでは伊牟田のkazooで虹の鰹節というのをやっていたことがあって
虹は
上の水が減って下の水が凍ったのであれば
虹は
架け橋
渡れぬ川を渡る
渡った地点の30キロ上流に粘土質のテル・エ・ダーミエは在る
そこで青銅の鋳造が行われたのはそのためである
粘土

ヨルダンの上流と下流に人類は二分される

 

2. ソルフェージュ周波数

各周波数が赤ん坊にどのように影響を与えるかの実験
https://www.miki.co.jp/culture/bizdev/miki_music_lab/1343/

 

3.記憶に残るわんこ

https://torikudo.bandcamp.com/track/a-memorable-doggie

脳の中で記憶は垂直に沈んでいる
それを現在という
水の少ない球の中で
過去と呼ばれるものが現在と連結しているが
それは現在における過去なのであって
出来事と出来事の間の熱量の差に過ぎない
未来は出来事としての熱量が高い場合はこちらに流れてくる
それを希望と呼ぶ
未来を凝視しなければならない
ねえ、あん時二十歳だったのがもう四十歳だもんねえ
ずっと立ってるわんこがいたねえ
心は水だが脳は電気だ
出来事を繋ぐ橋で瀬戸内海を渡る
フェリーはとうに難波している

 

4.よあそび

手遅れ という舞踏公演が 深夜 蒲団の中で 行われた
東京からは来るな 東京からはコロナ
コーコーコドハコドナ
クークーク ククドゥヌ
k k k rh k rh noh

 

5.聴き漏らして命を落とす男

touch:waves (sascacci.com)

見ることのヘマ
聴くことのデマ
見て触って従うママ
よりもdeep listeningして思い描くシェーマ
ジャーゴンをTV言葉に翻案していくネカマ
ハラワタからつつく音声記号はサンマ
秋の刀だとか明石家さんまだとかを断ち切り
意味の腑を掴め
シニフィアン連鎖はオヤジギャグじゃないぜ
聴き漏らして命を落とす男にアクマ
詩の大使はマグマ
人を襲うクマ
煮炊きする土間
傷を増やして喧嘩独楽
郡上は春駒
音凪は天満
帯を直しながら階段上るチーママ
スマホ禁止の車
急に神聖なものにチェンジした奥の間
台湾の右に波照間
走航は
メラトニン不足の赦されぬまま

 

6.健気さがない場合
  zoomの背景設定は意味を成さない

https://torikudo.bandcamp.com/track/zoom

健気さがない場合
zoomの背景設定は意味を成さない
生まれる前からやっている
生まれる前からやっている動画にマージせよ
生まれる前からやってるバー
生まれる前から張ってるフロンティア
生まれる前から流れてる動画
健気なバー
健気なフロンティア
健気な動画

 

7. 猫が生きて死ぬくらいの期間

https://youtu.be/A0d979c-6Xo/

猫が生きて死ぬくらいの期間
執行猶予が続いた
いろんな永遠があった
ラカンは結局全部間違ってるんじゃないか
十分に猫だったし十分に似非エッセー人間だった
もう水分の注射も無理で看取ってやってくださいと言われた
一人で死ねる草叢があって幸せだ
帰ってこないので心の中で生き始めていた
心の中で生き始めるとまだ生きているものを殺すことになる
その短い期間が永遠のように感じられる
だから/それでも
瓢箪で人の命の大切さを教えられなければならなかった

 

8.迷い出た羊のバラード

ababbcbC
ababbcbC
ababbcbC
bcbC

解像度という飲み物
居酒屋のような明かり
垂れ下がる洗濯物
柿の実は太り
髪もくるり
やましさの故に
飲めないくすり
二つの夕方の間に

愛されてはぐれ者
雲塊に阻まれる祈り
彷徨うのは標野
以前の死者との隔たり
わたしを自分で屠り
食用のために
自分で調理
二つの夕方の間に

モオブからモノ
日本と同じみどり
納屋から斧
作業の滞り
思いは偏り
試練を蝶結びに
アクアパッツァにはアサリ
二つの夕方の間に

道は先細り
羊は南(エル・スール/ネゲブ)に
食べるなら微塵切り
二つの夕方の間に

 

9. オリンピック(いくたびも雪の深さを尋ねけり 子規)

走ることが競争ではなく走り「きる」ことだと知っていたら強迫神経症にならずに済んでいたでしょう
「美味しゅうございました」で通じるほどに膾炙しているのは是認を得ようとする欲望への本能的な疑義が立ち昇るからでしょう
狭い道を躓かないように犇めき合ってアニメのように走った
愛に裏道はなく抜け道に義はなかった
表参道にも竹下通りにも愛はなかった
蚊はいた
水平に張り出された「く」の字を地軸の傾きで受ける美しい肘タッチの練習動画
雇われたアイコンの素材の傾向を分析してみせた展示
美味しゅうございました
走り過ぎた子規は病床からいくたびもソーシャルディスタンス街宣の深さを尋ねた
雇われた者たちのアイコンはアニメの平たさとして広がり
肘タッチの太陽高度は深さとして林立した
いくたびも尋ねた雪の深さ 哉

 

10. 幻羊/浅い墓

三味線よる伴奏

楽しいことが待っとるけんね
何かあっただろうか
楽な方法を見出したということか
いずれにしても力はない
  スターウォーズまだかな
字がきたない
近道に慣れるまで数年かかった
言葉が死んでいる
舌の短さによって
風を押さえ込む
  バッタを治める
  アバドン・アポルオン
喜んで怖れる
靄がかかって
二人が一つのベッドにいて
一方は連れて行かれ
他方は捨てられる
幻の羊を
浅い墓に埋める
楽しいことが待っとるけんね
  あさいはか
  ないはか
  にうめられて
浅い儚い墓に埋められ
乞食は
分かっている
正義の妄想は
満たされる
骨粗相症のシャコは
鏡から離れて
自分を忘れる
都々逸衝動はまだある
〽︎友の鏡に自分を映す
根の塊ごと
土として掘り起こし
土として埋めた
拡げた坑に
根と埋葬する
最後の日々には
終わりが終わり
  くの字型した
死体が二つ
  しろがねの衾の岡辺
死ぬ人々がカフェにいる
唯一のメッセージはTVの宣言を信じるなということ
不意に驚く泥棒のように驚き
冴子のように冴えた状態を保つと
暗いオレンジに光が当たる
can’t afford
キリストから切り捨てる
〽︎掘ってやろうか浅い墓

 

11. 2020

水平線を縦に並べて
滝にしてみる
横たわるなら
地は滝だ
際限なく落ちてゆく
二人が寝るなら
際限なくずり落ちてゆく
草書が流れるように
ずり落ちてゆく
直角さえあれば
斜辺が崩れ落ちてもいい
その微分は捨象される
ずり落ちているだけだからだ
金だけではないとTVは啓蒙する
夫は塩を持ち帰る
ずっとそういう斜面が続いていたんだ
妄想が妄想のままに許され
坐っていられた斜面が

 

 

#poetry #rock musician

14歳になった、花へ

 

村岡由梨

 
 

 

14歳のお誕生日に、
おばあちゃんから贈られた
チャコールグレーのロングワンピースを着て、
ママがプレゼントした黒のブーツを履いて、
パパがプレゼントしたベージュのポシェットを首から下げて、
みんなでお祝いに外食したね。
ポシェットの中には、眠が一生懸命選んで買ってくれた
ピンク色のお財布が入っていた。
すごく大人びた姿だったけれど、履きなれないブーツのせいで、
靴擦れを起こして、帰り道は辛そうだったね。

その後、ママと夜の公園を散歩した。
昔あったジャングルジムも、鉄棒も無くなってしまった公園で、
「鬼ごっこしたいなあ」と呟く君。
君がズボンを真っ黒にして駆け回っていた頃とは
もう随分変わってしまった。
公園も、君のからだも。
私たちは、しばらく何も言わずに、夜の公園を歩いたね。

眠と君は姉妹で、
とても仲の良い姉妹で、
いつも子犬のようにじゃれあっているけれど、
一方が元気で、もう一方が元気じゃない時もある。
そんな時、パパやママの気持ちは、
元気じゃない方に傾いてしまう。
人間のからだや気持ちを平等に半分にするのは、すごく難しい。
右半身と左半身
上半身と下半身
前半分と後ろ半分
眠と君、両方に、平等に、
からだと気持ちを与えたいけど
そうはいかない、すごく難しい時があるんだ。
そのせいで、
「誰もわかってくれない」
君がそんなさみしい気持ちになって
落ち込んで、
ベッドで一人ぼっちで泣いている時もあるかもしれない。
ほんとうに、ごめんね。

時々、パパや眠や君が待つ家に帰ることが
不思議に思える時があるよ。
家に帰ってきても、
誰も「おかえり」と言ってくれない、
一日の労をねぎらってくれない、
世の中にはそんな孤独な人もたくさんいるというのに。

14年間、苦しくて辛い日がたくさんあったでしょう。
でも、君が生きて呼吸をしているだけで
ママは幸せです。

ありがとう。
面と向かって言うのは何だか恥ずかしいから、
「浜風文庫」の力を借りて、君に言葉を送ります。
本当は「君」なんて書くの、こそばゆい。

 

お誕生日おめでとう。
瑞々しく変貌を遂げていく君。

これからも、よろしくね。
14年経っても、何だかぎこちない母より。

 

 

 

ソシラヌ広場ーアンモナイトの見た夢 Ⅱ

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMAYAにて個展『ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢』を開催いたします。
個展に合わせて刊行の同名作品集より4点を「浜風文庫」に公開いたします。

 


 

猫とレインボー

 
猫の気持ちは わからないという人
猫の気持ちは よくわかるという人
ボクは猫だけど ボクの気持ちは
わかるようで わからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

ボクのルームメイトはレインボー
なにが楽しいのか 虹の絵と歌ばかり
恋人もいないのに 恋の歌ばかり
レインボーの気持ちは よくわからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

 
 


 

トンピナチョのはなし

 
農夫トンピナチョが 豊作のもろこしをロバに積み
千年伝えの 聖アルバンの森で  
ヤブに隠れて シッコロしてると
いにしえ絶滅したとされる マヤの聖獣トビハネマヤネズミが
怒り狂って トンピナチョめがけて 跳びかかってきたのだ
「聖獣のオレさまに シッコロかけるなんて このウンチョロたれが!」
「なにいうだ!シッコロかけても ウンチョロはたれてねえだ!」

  語るに落ちるとはこのこと
  てんやわんや アホらしい その後の委細は省きます

  (知りたい方には耳打ちします)

トビハネマヤネズミの正体は ウソかマコトか
組んずほぐれつ ほぐれつ組んず
聖アルバンの神々さえも 笑って見守るばかり
太陽なんか 膝をかかえて おねむの時間
もろこし積んだロバさえ トボトボ帰路につき
いつまでやるんだ トンピナチョ
「やってられねえ!」
トビハネマヤネズミは 我にかえって
聖アルバンの闇の彼方へ 消え去ったということだ

 
 


 

プラテーロの思い出

 
ヒメネスの「プラテーロとわたし」の舞台
アンダルシアのモゲールを訪ねたことがある
ポルトガルに近い ウェルバ駅からヒッチハイク
丘の上に白い宝石と 謳われた町並みがみえ
さっそく ひげたっぷりの爺さんと ロバがお出迎え

ヒメネスは快癒の日々を ここモゲールで
ロバのプラテーロとともに過ごし
詩人のことばで「プラテーロとわたし」を書いた

夢よりも 昔になってしまった
眩く光る広場から 花咲く小路を幾つも抜けて
日がな一日シエスタのような村
古い葡萄酒の酒蔵で一杯やってると
寡黙なプラテーロがウインクする

村はずれのモンテ・マヨールの丘に行った
ヒメネスとプラテーロがよく歩いた道だ
ふくろうのホーホーと啼く声を聞いた
丘をめぐって ホーホー探したが 姿は見えなかった

村の広場にもどって来ると
三角屋根の ソシラヌ移動遊園地が立っていた
塗りの剥げた さびしい回転木馬
オモチャのような観覧車が 空回りしていた

遠くから ほらホーホーという声が 聞こえてきた
そうだな もう酔うしかなかった
ホーホー ホーホー
        
 ✶ ファン・ラモン・ヒメネス作『プラテーロとわたし』理論社・初版1965年
  伊藤武好、伊藤百合子訳 理論社版の長新太の挿絵がたまらなかった。
  作品背景の写真はアンダルシアのフリヒリアナという町。

 
 


 

ハゴロモ

 
半島の舞姫がつま先あげて 肩で長短(チャンダン)
思い出したように ときめきの心躍りを
踊りましたね ありがとう
哀しみは 腰をおとして たひらかに
水の上から音もなく 舞いたつ
羽衣は 白いチョゴリのことだった
鹿の角生やした姉さんが
涙こらえて 頬染めている
どこから来たのか オアシスの仔象
長い鼻 ふりふり ダイジョブ ダイジョブ

✶ 長短(チャンダン) 韓国舞踊特有の調子のとり方。原マスミは「ハゴロモ」という曲で 「チョゴリよ チョゴリ わたしのハゴロモ」と歌っている。イ・チャンドンの映画「オアシス」には、壁のポスターの仔象が、ソウルの安アパートの部屋に出現する美しいシーンがある。

 
 

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2021年10/18(月)〜10/30(土)

南 椌椌 個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

開廊時間:11:30am〜7:00pm(日曜日休廊 土曜日5:00pm迄)

〒107-0061 東京都港区北青山2-10-26
(地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel : 03-3402-9849
fax : 03-3423-8622


e-mail : galleryhousemaya@gmail.com


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家族の肖像~親子の対話 その56

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、薬の英語は?
メディシンだよ。

お父さん、鎌倉の信号、怖いんですお。
そうか、怖いんだ。困ったね。

お母さん、新逗子駅、葉山逗子に変わったよね?
そうね、変わったわね。

逗子の信号もツツツツって鳴りますお。
え、そうなの?鎌倉だけじゃないの?
ツツツツツって鳴りますお。
おんなじ音なの?
そうですお。

お母さん、えこひいきって、なに?
その人だけ特別に可愛がることよ。

お母さん、ひょうきんて、なに?
オレたちひょうきん族よ。

様々って?
色々よ。

コウ君、その恰好おかしいわよ。
リコちゃんに嫌われる?
嫌われるわよ。
そうお。

コウ君、今日はどこ行くの?
セイユー行きますお。
他は?
セイユーだけですお。

お父さん、コウ君が一番好き!
ありがとうございました。

お父さん、欠席の英語は?
アブセントだよ。

コウ君、今日は父の日だよ。お父さんに、なんていうの?
ありがとう。
コウ君、ありがとう。

お母さん、薬剤師て、なに?
病気の人のお薬を考えてあげるひとよ。
エイ子さん、薬剤師さん?
そうだよ。
石原さとみとおんなじ?
そうね。テレビのね。

お父さんに「後から片づけなさい」っていわれたお。
コウ君、あれは偽のお父さんだったから、忘れていいよ。

お父さん、大丈夫ですか?
大丈夫だよ。

 

 

 

バス停留所

 

工藤冬里

 
 

瞞したのに生かしておいてくれた
太陽を止めてまで守ってくれた
燃料と水というインフラを任されるまでになった

heartquakeが起きる前

コンビニで食べ物を探したが毒ばかりで、食べられそうなものはあたりめしか無かった

最近変わったことといえば星雲星団botが嫌になったことかな
NASAの着色が嘘くさくてさ

10年前、雲の裏側が地表の惨状を 物語る、っておコメさんに朗読してもらった bonoboで

あれからずいぶん経ったねえ

北極星は分かるようになったし

星は少なくなったし

人が星になる、も最終的な決着がついたね

あゝロックも終わるんだね

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1446905562847793155/pu/vid/320×568/cUNRix3kAxTEcAx-.mp4

吉野屋で卵の質は悪く塩分過多だが目玉焼は4時から
北点はいつも小さくオリオンは今は南に回る

寒暖の気団のモデルがずれ込んで、そこにDevilが場所取りの筵を敷く
同じ花を見ていた者たちが次々とずり落ちていく
土に限界を超えた電気を与えると
唐突な日の出

啓発の光は一瞬だが夜明けは徐々に明るくなっていく
日々無罪を言い渡しているが
あと2回不利な判決が言い渡されなければならない
喜びと闘争のpoison ivyは絡み合って
近世の田園風景の型も脳に押し付けられている
一瞬の光によって進むやり方では蛇行して三日月湖に弾き出されるだけだ

工芸性の否定という中世化は
数世代前の外来種の流入による田園風景の固定化が
私たちの脳にもたらした幻影に過ぎない
断罪するために立ち上がるのはその風景の前に住んでいたニネベの人々である
新たな植生を私たちは思い描くことができない
未来と入れ替えられるべき過去は
さらに大きな過去と入れ替えられなければならないからだ
その頃は一度死んでみたいとさえ思っていたものだった
7、80年で分かるはずのないことを
一瞬の光によらず
徐々に積み上げていかなければならないのだ
石積みの技術は祭りに参集した群衆が持っていたものではない

工芸性の否定とは逆に失われた数億年単位の仕事量を想起することである
アリジゴクが巣を作り 土俵の敷かれた神社から 担ぎ出される箱の 村祭りの否定は その建築の失われた原型の 隅石を据えた時の歓声の 残響を聴くことである

馬が出馬するのは耕すためではない
その絡みつく赤青黒白の闘争を駆け抜けるためである
だててんりゅうもラジカルミキも山本太郎も馬の名前である
ただ携帯を見過ぎていただけなのに
戸籍から拭い去られる
待つことだけが
主題となる
祭囃子の間、身を低くしてやり過ごす
馬は一歩も進めない
末端は少しも動かない
動かす小指の場所もない
苗字たちの中で、名前は動けぬ馬だ
家のない名前に判決を言い渡す
heartquakeのバス停留所で

 

 

 

#poetry #rock musician