幼少期の青春

 

みわ はるか

 
 

ゴソゴソと引き出しの中を物色していた。
葉書を探すためだ。
わたしは書くことが好きなので、少ない親しい友人に送る。
暑中見舞い、誕生日、年賀状。
この時代にと思われているかもしれないが送り続けている。
返事を書いてくれる友人もおり、郵便受けを覗くのが楽しみな瞬間だ。
そう、その葉書を探していた時に幼少期の思い出が出てきたのだ。
それは100枚を余裕で超えるほどのアイドルのカードだ。
もうほとんど処分したと思っていたのだが、まだこんな所に眠っていた。
1枚1枚懐かしさを感じながら見た。
大好きなそのアイドル達はもうすっかり第一線を退き新たな人生を送っている。

わたしの小学校時代は主にポケモン、モーニング娘、ゲームで構成されていると言っても過言ではない。
ポケモンの切手(偽物)を集めるのが趣味で、それが付録でついている本を毎月買ってもらっていた。
全部そろった時のあの何とも言えない達成感は今でも覚えている。
切手帳みたいなのがあって、該当箇所に貼っていくのだ。
色々な色のポケモンが存在していたので、その切手帳はとてもカラフルだった。
何度も何度も見返したし、友達にも自慢していたのですぐボロボロになってしまったけれど。
モーニング娘は幼かったわたしの目にはキラキラしたものとして映った。
みんなとってもかわいくて、歌も踊りもうまい、トークも面白い。
踊りは真似したし、人形、カード、シール、ポスターたくさんそろえた。
一時期、わたしの部屋はモーニング娘だらけだった。
その彼女たちが今や結婚していたり、母になっていたりする姿を見たりするととても不思議な気持ちになる。
平等に時は流れるなぁとしみじみ思う。
新しいアイドルが今でもどんどん出てきているけれど、今は全く興味がないのはわたしも年を重ねたという証拠だろうか。

ゲーム、本当に大好きだった。
育てる系、バトル系、スポーツ系、考える系、ほぼ全てトライしたような気がする。
手元で操作するゲームボーイから始まり、4人でコントローラーをそれぞれ持ちTVゲームにも熱中した。
ものすごくはまっていた時には、友達の家に4人で集まって朝9時~夕方5時まで毎週末やり続けた。
勉強してくると勉強道具を持って行ったけれど、参考書を開けたことはない。
墓場まで持っていかなければいけない嘘である。
昼ご飯を食べるのもそっちのけで画面を見続けた。
今思うと、毎回押し掛けた友達の家族(特にお母様)、お昼ご飯やお菓子を差し入れしてくれたおばあちゃん、大きな音がきっと不快だっただろう飼われていたハムスターたち、本当に申し訳ない気持ちだ。
わたしたち自身もそうだ。
もっと太陽の下で走り回ればよかった。
お互いの思っていることを語り合えばよかった。
自分たちの五感で色々なことを体感すればよかった。
もし、もし、もし、を考えるときりがないけれどあれはあれでわたしたちの青春の1ピース、思い出の中に刻まれている。
きっとあの時時間を供にした友人たちも。

中学に入ると部活が始まり、朝練や休日練習等で結構忙しくパッタリとゲームはしなくなった。
完全燃焼していたこともあったと思う。
ゲームをやりたいとか、アイドルグッズを集めたいとか、そういう感情はすっとなくなった。
高校は学校や塾の課題で手一杯、大学は暇があればバイトや旅行で時間は埋まった。
社会人になって少し余裕が出てきたころでも、もうそういう感情は生まれなかった。
ゲームに関しては今はオンライン対戦とかスマホとかでもできるそうだけど一度もやったことがない。
始めたらきっと楽しいんだろうけれどそういう気持ちがないのだ。

そんなわたしの幼少期の青春。
またそっと引き出しの中に大切に戻した。

 

 

 

水のまち 2

 

塔島ひろみ

 
 

高度成長期におこなわれた地下水の大量のくみ上げで
水のまちは東京湾の海面より低いゼロメートル地帯になっている
だからひとたび洪水が起きると 一帯は甚大な被害を受ける
地球温暖化 海面上昇 台風の巨大化・・・
水害の危険が間近に迫った水のまちは
国やゼネコンと連携し 数々の治水対策をおこなった
東京ドーム30杯分の調節池
八ツ場ダム
地底50メートルを流れる「地下の川」

ジージー、ジージーと 鳴いている
ゼッ、ゼッ、ゼッ、ゼッと 鳴いている
親が死んで取り残された精神病の女性が 
病院か施設かに移ってから
人の住まなくなったその家の庭から 
茫々とおい茂った背の高い草草の間から
地面にはびこるぐしゃぐしゃの葉と葉の間から
ギィギィギィ、チキチキチキ、シャンシャンシャン、ズィーーーーーと
きょうも 生き物たちが鳴いている

それはオスからメスへの恋のアプローチだということだ
鳴き続けるオスは メスに出会えないでいるんだろうか
メスは どうなのか
耳をすまして じっと待っているんだろうか
自分は鳴きたくは ならないんだろうか
歌いたくはならないんだろうか
羽をかきむしり 叫びたくならないんだろうか

水のまちにはかつて、背の高いヨシなどが繁茂する、「やっから」と呼ばれる湿地帯が広がっていた
「人々は、たびたびの水害に苦しめられながらも、川沿いの小高い場所に家を構え、湿地で農耕を営み、水が運び育む自然の恵みを受けながら暮らしていたと考えられています」(*1)

その、人の住まなくなった家の裏には 老夫婦が住んでいる家があった
おじいさんが死んで おばあさん一人になり
そのおばあさんも あるとき救急車でどこかへ連れ去られ
それから そこも長らく無人だ
二つの空家に二方を接する形で 私の暮らす家がある
隣りにいながら
私はそのゴタゴタのひとつも 知らなかった
呻き声ひとつ 聞かなかった
メスは 鳴かないで こわれるのだろうか

出会いたくて鳴くオスと
その声を待つ 鳴く虫のメスたち
オスの声が聞こえなくても ひっそりと暮らしつづけるしかない 鳴く虫のメスたち
水のまちは公園の一角に「カンタンの里」という草むらをつくった
それは「ルルルルル…」という澄んだ美しい鳴き声から「鳴く虫の女王」と呼ばれる、「カンタン」の保護区だ
草むらの地上1メートルの高さで生き、その茎に卵を産みつけるカンタンは
草むら、特に背の高い草むらの減少で 水のまちから姿を消しつつあったそうだ
ヨモギ、ハギなど植わった、四畳半程度のちっぽけな草むらがロープで囲われ
「鳴く虫の女王の数少ない生息地です ゴミはここに捨てないで持ち帰りましょう」と、札が下がる
「カンタンの里は、いってみれば区立公園内にある葛飾区の原風景です」(*2)
その狭い狭い「里」の中から かすかにいくつかの虫の声が聞こえるが
澄んだ「ルルルルル」というのはない
図鑑に載っていた、2枚のカンタンの写真を思い出しながら草むらを見つめ
しゃがみこんで声を待つ
写真の1枚は「葉を拡声器のようにして鳴くオス」
もう1枚は「交尾 誘惑線をなめるメス」(*3)

水のまちは水害に備えて 川の護岸補強の工事も始めた
河川敷にやぶ状に繁茂した草木を刈り
棲んでいた虫や動物を追いだして
コンクリートを打ち込んでいる
住処を奪われた彼らは
変わって増えだした空家の庭や台所 腐食した壁に居を移し 生きながらえる
保護されなかった美しくもないものたちが 育ち、増え、
その根が 卵が 
私の家の裏庭で
じっとりと
かたずをのみ
耳をすまし
中のメスが
石になるのを待っている

 
 

(9月某日、水のまちで)

 

注1 『葛飾区 生きものガイドブック 自然と生物多様性』(2013年、葛飾区)
注2 同上
注3 『図鑑 日本の鳴く虫』(2018年、奥山風太郎著、エムピージェー)

(参考:『葛飾区水害ハザードマップ解説編』(2020年、葛飾区)、カンタンの里説明板(葛飾区環境部環境課))

 

 

 

餉々戦記 (背も妹も芋を好めばひと鉢の蒸かし和え物ととのへて佳き 篇)

 

薦田愛

 
 

ばれいしょ じゃがたら だんしゃく ときにメークイン
そのかみ めざめぬままにインカ
あなうま うすかわのめくれてほこっとして
うわあごにはりつく湿りけのない肌理きときとでんぷんしつの
あわあわしい びさいな黄白色その 
こふっこふっ 
つっつつうっ とおちてゆく胃の腑への やみ
やむ あたはざる あくなき食ひいぢ
妹は背よりも 芋を好きか
いないな
背も芋 好めば とて 今宵は芋をば
じゃがたら芋をば
蒸かさむ
ふかしてよからう

芋といえば焼き芋
だった かつて 
甘藷 さつまいもを石の遠赤で焼き売り歩く車が
走っていた
一九九〇年、東京駅南側オフィス街
焼き芋ぇやきいもっの声が響くや
中途入社の勤め先、先輩の指令、千円札預かるや駆けだす
午後三時のビル間みち
軽トラだったろう徐行の車を呼び止め
千円分受け取って戻る部署の部屋
四人か五人でひとくちずつ むぐんぐ
その後ながらく編集者 寸時総務部のち製作部のころか
芋が
焼き芋ではなくなったのだ
事務机を紙で満たしもっぱら数字と格闘していた私の隣は
親会社から出向して久しい
困りごと万端引き受けてくれるアトウさん
休みの日に中華料理店の助っ人で
縁日の焼きそばを終日作っていたとか
いずれ蕎麦とコーヒーのうまい店をやりたいんだとか
暑気払い新年会忘年会送別会
いやいや理由がなくても折々チームでジョッキを合わせに行く昭和な習わしで
居酒屋でもビアホールでもジンギスカン料理屋でもアトウさん
あれば必ずまずポテトサラダを注文
定点観測ってやつね ここのはどんなだかと
ふうん
ポテトサラダ
ことさら好きでもないな
というか子供のころ家で食べた時には
きゅうりとたしかにんじん
そしてりんごの薄切りが入っていて
きときとっとでんぷんにゅにゅっとマヨネーズへ
ふいにさくっさっくりが差しはさまれて
うっ とわずかにおののいたのだったっけ
すうっと薄い刃が歯のうらにすべりこんだみたいで
でも
アトウさんのもとからポテサラがぐるり巡ってくるまでに
そういえばドイツ旅行でつけあわせによく出たマッシュドポテトも
わるくなかったなとか
ブラックペッパーなるものを意識しはじめたのって
肉料理よりポテサラだったかもとか
畳まれに畳まれすぎたひだの奥のおくから
ほどけてくるものがある
あれっ

されば

初めてつくったのはアンチョビ入り
大阪は豊中たしか庄内
激安食品店で出くわした缶詰をつい買ってしまったものの
あてもなかった
どうしよう、と探してさがして
どうだろう、このレシピ
アンチョビ入りポテトサラダ
まぁるくまとまった味や食べ心地ではなくて
たぶんちょっとひねった出来
なんぞとビギナーが
すこぶる以上の初心者が
めざしてどうする
まだニンニクにも慣れていなかった
ニンニクを使わない家だった
ひとかけ外し剥いて刻んでベーコン刻んで
玉ねぎスライス炒めて炒めて
おおそれより何より
芋じゃ芋じゃ じゃがたら芋
だんしゃくの芽をえぐる
えぐった
芽は毒 メハドク
ビギナーだけれど
知っていた
レンジ派ではないのでボイル
茹であがりが早いからと大まかにカットする
知恵はまわらなかったたぶん
茹で加減をみるのは
串代わりにフォーク
まあいいかな
いい加減かどうか微妙だけど
刺さったし
スッとかグッとか
どちらだったか

牛乳の代わりに豆乳大さじ二杯にちょっとプラス
マヨネーズも大二杯にプラス
という加減は作るたびに変化変遷
そしてきゅうりもにんじんもりんごも使わないこのアンチョビレシピ
「んー、そうだなぁ――」
コメントしづらそうなつれあいユウキ
そうだった塩辛やウニが苦手なのだった
アンチョビもちょっと――
「うん、できれば」
という次第でアンチョビは以後登場することなく
きゅうりやにんじんも使わないまま
燻製の深いベーコンと玉ねぎの味とブラックペッパーの香りで作っていたのだが
ある日大好きな粒マスタードを大瓶で手に入れ
ああっ
そうだそうだったそうにちがいない
粒マスタード入りポテトサラダ
いつとも遡れないいつだったか口に含んだ粒つぶの酸味ちりばめられたそれ
ああ
あれをつくろう
大まかにカットしてボイルする手順も
すっかりマッシュなどしなくていい程あいも
ああ
これでいいんだと
「きゅうりは入っている方がいいな」
というリクエストも採用して
そう
大阪から移り来た新しい土地の
畑でとれたメークインとだんしゃく
今宵だんしゃく大小ごつごつの皮を剥き芽をえぐり
背も妹もふたりの好む芋じゃがたら芋の和え物
粒マスタード入りポテトサラダのひと鉢を調えよう

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第93回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2012年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

公社の男女の社員がまるで仕事をするように生真面目に乱交している姿を、私は唖然として見つめていた。6/1 

青山トンネルを出ると、星条旗通りだった。夜の底がお星様だらけになった。「ササキさあん!」という呼び声に霊園の方を見ると、ハーレーダヴィットソンに跨って黒革のジャンプスーツを纏った若い女が、赤信号の交差点で対向車に激突し、空中で1回転して、白く柔らかな頬を、鋪道に叩きつけられる姿が見えた。6/2

「もしもあなたが先に亡くなって、もしも私が90歳までも長生きしたら、私は1階のあなたの南向きの書斎のお部屋に、南北の方向にベッドを置いて、毎晩ゆったりと眠ることにするわ」と、彼女が言うので、「いいよ、君の好きなようにしなさい」と、私は答えた。6/3

その外資系ブランドでは、本社と支社との関係が急速に悪化して、支社長は、「今後一切本社の指令を無視せよ」と全員に通達を出したのよ。6/4

D社の企画担当にワタナベという独裁者が就任したので、居たたまれなくなった私は、志願して地下の清掃工場で寝起きするようになったのだが、お陰で私は、ここに並べられている汚れたユニフォームを、一瞬で青い背広に変身させる魔術を習得することができたのさ。6/5

イケダノブオは、ツモリチサトの洋服や雑貨が気に入ったようで、大きく両手を広げて、所謂ひとつのラック買いと称される大人買いを始めたのだが、もしかするとイケダ選手は、むかしツモリ選手のアシスタントをしていたのではなかったか?6/6

「そうか、田舎土産に川魚が欲しいんか。しばらくそこらで待っとれよ」、と叫ぶと、おらっちは、マシラのように深い深い谷底の川に飛び込み、名物の落ち鮎を、両手に握りしめて戻ってきた。6/7

会社が倒産すると分かったと同時に、私がデスクの上に置いていたブルーレイプレーヤーは、誰かによって持ち去られ、その行方は、杳として知れなかった。6/8

横須賀から乗ったペンキ塗りたての船が、どうやら底に穴が開いていたようで、出発3時間後にどんどん沈み始めたので、さてどうしたものか、と腕組みをしているわたし。6/9

この地方の人は、なぜか全員上手なおふらんす語でしゃべっているようだ。私に向かってシッポを振りながら近づいてきたゴールデン・レトリバーに「どこへ行くの?」と尋ねたら、「コンセールへ」と答えたので驚いた。6/10

無茶苦茶に大きなエレベーターに乗って法務室へ入ると、モトムラ氏が大審問官のように居丈高な口調で、「One 40,Oh240を持ってきてくれ」と命じるので、余は「それが何であるかも知らないので出来ない」と断った。6/11

いつものように、飛ぶ教室の絨毯に乗って、サトウさんちへ行き、サトウさんとモコを乗せて、日本海と太平洋と大西洋を越えて巴里へ行ったら、ピカソ美術館が、久しぶりに営業しているというので、今度は飛ぶ教室バスに乗って出かけた。6/12

せっかく異色の新人たちを登用して人気番組に成り上がったのに、それに満足して高慢と自惚れの無眼回路に嵌まり込んだこいつらは、プロデユーサーの私が、いくら次のステップに駆け上るように促しても、一向に目を覚まさない。6/13

思い出多き家なれども、このたびの大震災で、あっという間に倒壊してしまったので、おらっちは、後ろを振り返ることなく、スタスタと歩み去ったのであった。6/14

つまらんロックコンサートが終わって、5人で歩いていたら、拳くらいの大きさの5人の小人が、両手に刀とピストルを持って、「金を出せ」とうるさく付きまとい始めたので、1人1殺で踏み殺してやったずら。6/15

会社がとっくの昔に倒産してしまったというのに、キムラ氏をはじめ、元野球部のメンバーは、まだ残っている食堂に毎日手弁当でやってきて、朝から晩まで、練習することもなく、ただいたずらに通い詰めていた。6/16

他にすることもないので、毎日私の会社にやってきて、デスクワークに夢中で取り組んでいた私が、ふと目をやると、大通りに面したビルの窓の外に、長男のコウ君が、まるで動物園のチンパンジーのようにぶら下って遊んでいるので、吃驚仰天したよ。6/17

31,30,29,28,27,26,25,24,23,22,21,20,19,18,17,16,15,14,13,12,11,10,9,8,7,6,5,4,3,2,1  6/18

マンハッタンの超高層ビルの谷底から、パンツを穿かずに這い上がって窓を拭く青年がいたが、てっぺんに到着していざ拭こうとした途端に、頭をどつかれて叩き落されてしまうのだが、それでもそのノーパン青年は、またしても脚立に乗って、上へ上へと高層ビルを這いあがってくるのだが、またしてもドタマを叩かれ 6/19

おらっちとサカイ君が、レリアンの広告タイアッップの不始末をどうもみ消そうか、とひそひそ話し合っていると、マエ課長が聞き耳を立て始めたので、これはヤバイ、とアオキ嬢をこっそり呼び寄せ、おらっちはとんずらしたのよ。6/20

大学の同級生のニシムラ君とメールを遣り取りしていたら、「君のメールには女の匂いがしないね」と言われたので、念のためにパソコンに鼻を摺り寄せておらっちが書いたメールの匂いを嗅いでみたが、なんの匂いもしなかったずら。6/21

今度のタカハシゲンイチローの講演会では、どんな本にサインしてもらおうかと思って、本箱の中を探したが、ただの1冊も無かったのだった。6/22

昔テレビの料理番組で見たヤキブタセットというのが美味そうだったので、作ってみようと思ったが、材料もレシピもないので、頭の中で想像するだけにした。6/22

おらっちは、「自分で作ったワクチンを、自分で注射したんや」、と自慢そうに喋ったので、どうやら町内から村八分になったようだ。6/23

この教会の執事をしている長老は、街をぶらついている放浪児の私をつかまえて、早くまともな仕事を探して独立するように促すのだが、いううことを聴かない私は、いつまでもそこらをほっつき歩いているのだった。6/24

小さな村の村長になった私だったが、何もしないうちに任期が終わり、すみやかに村人から忘れ去られていった。6/25

ニシムラ君から「君のメールからは女の匂いがしないね」と言われて以来、何でもかんでも匂いを嗅ぐようになってしまった。以来わが国の首相や閣僚が喋っているTVに近寄ると物凄い口臭がするし、プーさんやプーチンが喋っているTVを嗅ぐと、死臭がするようになったずら。6/26

中華街で中国人に雇われて中華料理を作っている私は、シェフからホウヤレホーのクマガイモリイチを持ってこいと命じられたが、てんで意味不明なので、ずっと考え込んでいるばかりだ。6/27

時々売り場には「透明ブランドのキリル」というのが登場するのだが、なんせ服も売り子もデザイナーも姿を見せないので、始末に負えない。6/28

夏の舗道を、女と歩いている。若くて美しい女は、バレリーナが着るチュチュというのか、超ミニのドレスを着ているが、その薄紫色が素敵なので、思わず目がくらくらするのら。6/29

 

 

 

オシリス

 

たいい りょう

 
 

天は、彼に呪文をかけた。
彼は、川を下り、新天地を目指した。

どのくらい流されただろう。
気が遠くなるような
長い長い時が過ぎた。

彼はようやく目覚めた。
そして、彼の地に王国を築いた。

「オシリスに幸あれ」と皆が叫んだ。

彼は諸手を挙げて、歓喜した。