前提なしに

 

さとう三千魚

 
 

突発性の
難聴になった

低音部が

右耳で
聴こえない

もう
ひと月ほどになる

今朝は
総合病院の地下にあるMRIの検査を受けた

はじめ

ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
とはげしく

鳴った

それから
ガーンガーンガーンガーンガーン

と鳴った

カーンカーンカーン
とも鳴った

クワーンクワーンクワーン
とも聴こえた

20分ほどが過ぎて
トンネルを

滑って移動していた

ここのところ

bachも
cageもsatieも

聴いていない

前提なしに
全てを受け入れている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

トンガ離婚

 

工藤冬里

 
 

ぶどう園で
本当なら
友達でもおかしくない人に
同じ平面に立とうとして
立ち去りながら言ってみた
今日は晴れて
いい天気ですね
そうね、いい天気ね
俳句の上下を無いものとして切り捨てることは出来ない
俳句を切り捨てることも出来ない
俳句の山は最中山
とんがりコーンから噴火
王は人間が考えた頂上であるが
王の正確な像を作ることはできない
静止した像は無力であり
その素材は朽ち果てる
コンクリ漬けのウェハースの山肌が熔けて
セメントのグレーだけで麓の街を成立させようとしている
餡の熱量が最中山をトンガに連動させる
それは詩ではないことは分かっていた
食べ物に興味がないと言ってみても
行きたいところは無いと言ってみても
トンガ離婚
温暖化温暖化して凍る
寒冷化寒冷化して燃える
離島は存在しない
本島は存在しない
とんがりコーンは氷を噴出させる
俳句は共有である
立ち去りながら言ってみた
今日は晴れて
いい天気ですね
そうね、いい天気ね

 

 

 

#poetry #rock musician

夢素描 21

 

西島一洋

 
 

水の音

 

地下道だ。古いコンクリート壁の割れ目から地下水が滲み出て、ポタリポタリと落ちている。

ポタリポタリというのは、本当の音ではない。犬がワンワン、猫がニャアニャア、蛙がケロケロなど、という常套擬音というわけでもないのだが、ポタリポタリではないことだけは確かだ。音を描写するのは難しい。

ここにしよう。近くの廃屋に寝泊まりし、ここに、七日間、日の出から日没まで、鎮座し、この水の音を筆記しよう。

地下道は、約50mが二本、十文字に交差している。その交差している少し横に、この水の滴りがある。落ちる音は、微かなのだが、わずかに地下道の洞に響いているようにも聞こえる。

水が落ちる落差は、10cmほどだから、ポチャンというより、ポタリという感じだ。音採集行為でもあるのだが、この音を正確に文字で描写することは、難しい。

ただ、僕は、ここにいて、七日間筆記行為を続ける。描写もするが、音を聞きながらの自動筆記である。文字だけでなく、記号や楽譜のようなものや絵のようなものにも変異していく。それは、意図するものでなく、落ち葉が風に吹かれて、落ち葉の溜まりを生じ、風の痕跡というか落ち葉の集積というか、そんな感じである。

地下道の壁からポタリポタリと落ちる水の音。壁に向かって、小さな黒いちゃぶ台を置く。ちゃぶ台の前に一畳ほどのござを敷く。ござの上には直径60cmの鉄球と、七日間座り続ける古い煎餅座布団。

ちゃぶ台の上には、筆記するための巻き紙。障子紙だ、幅35cm長さ20m。今は一本五百円以上もするが、当時は三百円ぐらいだった。和紙なので丈夫い。濡れても破れない。七日間の間に巻き紙何本書いたか記憶にない。おそらく、数本だと思う。

筆記具は、ペンテルの筆ペン、一応顔料インクとしたが、途中でインクが無くなってしまって、水で薄めて使った記憶がある。文房具屋に顔料インクのスペアを買いに行った記憶もある。ここの場所ではないが、雨の日は筆ペンは無理なので、油性ボールペンで筆記した時もある。ここは、地下道だから雨が降っても大丈夫。

1日目。

日の出より、水がポタリポタリと落ちている地下道の壁に向かって鎮座する。

上記の通り、鉄球とござとちゃぶ台と筆記具。これらは、ここから徒歩30分くらい離れた寝泊まりしている廃屋から、キャリーで毎日引っ張って運んでくる。そして、この地下道の、この水の落ちる場所に設置する。行為は日没まで続け、これらの道具類は、その日の行為後、片付けて、またねぐらまで持ち帰る。

そして、水の落ちる音を聞き、連綿と、巻き紙に書き続ける。草野心平の蛙の声の筆記とはちょっと違うが、まあ似たようなもんだ。違うところは、この水の音、音ばかり記述するにはあまりにも単調で、情景描写も筆記することになる。

日の出頃、つまり、この日の行為の始める頃、この地下道にお爺さんがやってきた。このお爺さんと最初何を会話したかは忘れた。このお爺さんは、毎日、早朝家を出て、この辺あたりを掃除しているとのこと。奉仕活動というか、ボランティアというか、まあ、お爺さんが勝手に毎日、毎朝掃除しているのだ。

彼が箒とちりとりは持っていた記憶はあるが、ゴミ袋の記憶はない。なんでだろう。

まあ、ともかく、このお爺さんと、毎朝、七日間、会うことになった。僕は、壁に向かって鎮座しているだけなので、しかも横に鉄球が置いてあるし、変人だろうと思われたかもしれないが、お爺さんは、気さくに僕に声をかけてくれてた。

「何やってるんですか?」とお爺さんは僕に問いかけた。僕は、ことの仔細を丁寧に答えた。お爺さんは、不思議とすぐに理解してくれて、「頑張ってください。」というエールまで貰った。

朝夕の通勤通学時間になると、普段ひとけのない地下道がこの時だけはわずかに賑やかだ。僕の後ろを、何人もの人が通り過ぎて行く。子供達は、屈託ないので、寄ってくる。「トトロを描いて」というので、分からんけどこんなもんだろうとさっさっさと描いた。鉄人28号は子供の頃から描き慣れているので、これもついでに描いた。

2日目。

お爺さんは今日も来た。みかんを三個ほどくれた。嬉しかった。

3日目。

お爺さんは、自分を描いて欲しい、と言うので、描いてあげた。巻き紙のその部分を破ってあげた。この日も、何か忘れたけどお爺さんからの差し入れがあった。

4日目。

お爺さんが、お爺さんの奥さんに、僕が描いたお爺さんの絵を見せたら、奥さんが「これをタダで貰ってきてはいけないよ。」ということで、今日、お爺さんは僕に三千円渡そうとする。僕は、「そういうつもりで描いたのではないので、受け取れない。」というと、がっくりとした顔をしていた。帰ったら、奥さんに叱られるのかもしれない、受け取っておいた方が良かったかなあと、あとで少し後悔する。

5日目。

お爺さんは、今日も一緒だった。お金は受け取れないという僕のことを気遣って、飴玉を一袋持って来た。しょうがない、ありがたく頂いた。

6日目。

お爺さんは、今日も、何かを持って来た。バナナだったかなあ。記憶は曖昧だが、とにかく、毎日の差し入れ。

7日目。

この場では、最後の日、お爺さんは、やっぱり何か持って来た。
僕は、お爺さんが帰ったあと、お爺さんのことを思って、裸になり、ふんどしを締め、鉄球を地下道の中、サラシで引っ張ってゴロゴロ転がした。その反響音は、地下道にこだました。

水は静かに、ポタリポタリと落ちていた。

 

 

 

現れについて 05

 

狩野雅之

 
 


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Description

 
北八ヶ岳中腹標高1700mから1800mに展開する別荘地。冬は大量の積雪で避暑地としての清涼な夏とはまったく異なった別世界になる。それはすでに異界というべきかも知れない。そこにあったものはすでにそこには無くそこに無かったものどもが当然のこととしてそこにある。大雪の後の快晴の朝それらがそれぞれにそれぞれの「現れ」を見せる。この地の冬はじつにそのような季節である。氷点下15℃の寒冷な風に耐え雪を踏み分けて歩けば随所で彼らに(彼らの現れに)出会うことになるのだ。

PANASONIC DMC-L10, Leica D Vario-Elmarit F2.8-3.5/14-50mm ASPH

Masayuki Kano