わかりみがふかい

 

工藤冬里

 
 

何も失われていないが現象学的なエポケーによって変容するのはただその経験に対する主体の関係の仕方である

世界は変わらないように見えた
ただ私が抜き取られていた
後は現象のダンスが知覚されるだけだった
何も感じないダンスが続きその一環として私も動いている
メタはナイーブな自我の上に確立されている
直感のレベルで真になる可能性がないゆえに、それは真だと言える
国を擬人化することが普遍なのではない。個人こそが擬人化され、動物が喋るように喋っている、と看破されるべきなのだ
仏教的に透明な脳のダンスは済んだ
踊りながらのexitは見つからない
それでも核のボタンを押す禅坊主のように迷いがない
しかしそれは終わりの只中の或る一日に超越論的判断停止に一章を割くといった程度の箸休めに過ぎない
ハイデガーはマルクス、及びニーチェによるその転倒、そしてその後、をロック史だと思っている
その後、の連鎖から抜け出るのはロックでもロックの終わりでもなくある種の歴史性の無さであり、永遠についての誤解を殺すことだったりするのだろう

私たちは何とかしてガレルを赦してやりたいと思って観ている。存在の側から諦めて近付くか、出来事の側から現象化して遠ざけるかでアプローチは異なる。今回の鍵は涙の結晶化だ。*

独観念論の敗北後、哲学の仕事は不良ジジェク**に贖いを教えることではあるのだが、それがとてつもなく難しいミッションであり続けることによって問いじたいを延命させていくだけの装置なのだとしたら。

ああ! ――そのやうな時もありき、***

セラヤ 大体アサフ 顔に麻布
https://twitter.com/gruppa_voina/status/1509155364733960210?s=20&t=xKmER60i3j9cqRBUBV7Njw

わかりみがふかい
てはやりことはね
きゃうりゅうもてぬまつじつはみきこみがたかいし
でんきガスはねあがりみがねあかリミット
ひらかないつだつみはつかさみがある
おはらしょうすけは終了みがある
二枚貝しか加担
ウイルスミスみがないふきとぢよをとめのすがたしばしとどめむ
をとめみ、、ガーリック
ガリにシャリ
あるふれたジャリの指王
フェイクみのあるクライングVがUVelvetsカットメディア観音関門峡に水は流れてありにけり
別人みが尊く打ち止めみの高いミーム
山頭火三頭飼ってサントーム
哲学者は大他者の中に欠如を見出し、分離を避けるためにそこに同じく欠如としての自己をはめ込み、そこから大他者を非難し続ける。
月とは対象αでありS1→S 2が昔の月(月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして)と考えるとサントームみがふかい
三重の人は大体べちゃってしてる(平手打ち)

彦坂さんさっきハヤカワ娼婦を喰った野獣の残骸デジタル屏風を挙げて到達店だと宣言した

ラジオ。グロフェは畏怖と荒廃を取り違えた採掘場跡としてのキャニオンを黄土色の凡庸に染め上げた

カレー皿は民芸などと言う前に最後の湾曲の角度がないと、コロナ下にスプーン一本で食べるのは難しい
じゃなきゃ右手で掬えということになるがそれが野蛮ではないという論争よりもとりあえずは縁の角度と底面に対する黄金比が実際的な知恵ということだ

芒はススキと読ませているが伏せ焼きのことである
覆輪を咬ませる代わりに低温の銅とかで上絵にしてみてはどうか。
乃木大将プロジェクト、ですな ゴールデンカムイも佳境だし ここは紋白蝶でしょうな
何言ってんですかこれが最後の口縁です

この前加西で手に入れたvin-shu2019開けた
ブラッディオレンジの単一

再遊記が必然的になのかどうか言葉を食べるところにまで進んでいて隔週置きのネカフェのマガジンラックが尊い

Miren, los campos están blancos, listos para la cosecha

https://youtube.com/shorts/fiyAPbQNWJI?feature=share
https://wehavenozen.bandcamp.com/track/psalm-27-11013
Єгова — світло моє і мій порятунок. Кого ж мені боятись? Єгова — твердиня мого життя. Кого ж мені лякатись?
Навіть якщо батько й мати покинуть мене, Єгова мене прийме.
Що було б зі мною, якби я не вірив, що побачу доброту Єгови в краю живих?

山野草フェアでいただきましたヒトリシズカとミヤコワスレとムサシアブミです

dogbowlをお使い頂いております

正津さんの文体には余人をして眼を見張らせるものがある

ただ、いかんせん、肺活量が足りない。

国立はノースウエスト的リベラルの牙城になってる、包囲網が狭まっている、どっちだ?

切り落とされた耳をまた付けてもらって国を守るために武器を取って戦うことはしないのだと理解した

声に曇りがあるままに前線は進み桜の下に潜り込んだ
上唇を上げないまま国民は真実のフェイクを語った
預言者のように振る舞いながら半身裸のサウルがイヌの歌を叫んだ
黄色人種のポピーオイルの急流が州を作り別の地肌を顕にした
短期間で石灰質の泥は固まりライダーやら針金やら、浅い同盟のように結石した
好きだというところまでは誰でも一緒だが、何合目かで2グループに分かれる
鎌の声に切られても断食してもロバは平たい石の休憩小屋から上へは登れない
そこから荷を負って雪男なりを探すのは自分なのだ
走馬灯の下界のネオンを精々見開きで
出来事を引き起こしているわけではないが、利用しようとしている

ロシアが先か己れが先か
いよいよ隕石衝突だ
それにしても肩が痛いわ

 

* Le sel des larmes: Philippe Garrel, 2020
**Sex and the Failed Absolute: Slavoj Žižek; Bloomsbury Academic, London, 2020
***冬の長門峡:中原中也

 

 

 

#poetry #rock musician

家にひとり *

 

さとう三千魚

 
 

横たわっていた

道端に

そのまま
動かなかった

ロシア兵に殺された
街の人よ

日曜の
午後

雨は降っていた

海まで走った
車ごと強い雨に打たれた

荒井くん
電話にでなかった

留守電になってた

モコは
家に

ひとり
いた

ソファーにいた
雨の音を聴いていた

そのまま
動かなかった

横たわって
難聴の耳に鍼を打ってもらった

雨の音を聴いた

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”(犬のための)本当のだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

壮途

 

みわ はるか

 
 

4月、土の中から一生懸命に顔を出す花々は可愛らしい。

この文章が公開される頃には新しい土地にいるわたし。

生まれてこのかた、4ヶ所目となる新天地。

どんな未来が待っているのだろう。

 

少しさかのぼった話。

4ヶ所目の新天地に移るほんの少し前の話。

 

色んなことが終わっていった、というよりは終わらせていった3月。

 

最後の美容院。

いつも担当してくれる兄のような存在の優しい美容師さん。

この土地のことをいつも丁寧に教えてくれた。

シャンプーの力加減が絶妙でいつも眠ってしまっていた。

店を出る時、両手を大きく振って見送ってくれた。

 

最後の定食屋。

俳優の橋爪さんに似ているから、いつも勝手に「橋爪マスター」と呼んでいた。

ここだけは味噌カツがメニューにある。

山のようなキャベツの千切り、ちょうどいい煮物の味、ほっとする緑茶の味。

難しいからカードは使えません、現金だけとニカニカしながら言ってたな。

最後はいつもと同じ人懐っこい笑顔で見送ってくれた。

 

最後の友人との対面。

同じアパートに1人で住んでいるベトナム人。

素敵なホテルで働いている。

一番難しい日本語検定に合格した。

わたしが悲しんでいる時には鼓舞してくれて、楽しい時には一緒に笑った。

初詣、温泉、フレンチレストラン、ベトナム料理のおもてなし、街歩き散歩、同じ空間を共有できたことが嬉しかった。

一番落ち着いたのは、彼女の部屋のこたつ。

二人で足をぶつけ合いながら、寒い寒いとこたつにもぐりこんだ。

突然訪れてみた彼女の仕事現場、エントランスでてきぱきと仕事をこなす彼女はとてもかっこよかった。

 

最後の街の風景。

レトロな喫茶店、赤い大きな橋、呉服屋、茶屋、公園、神社、和食店、ステーショナリーショップ、みたらし団子屋、自転車屋。

全てが目にやきついている。

わたしは、写真はあまり撮らない。

頭に記憶したい派だ。

季節によって見え方が変わったし、街の装いも異なっていた。

共通していたのは、どこか小京都のような趣があって美しい造りだった。

こんなところに住むことはもうないだろう。

自分のメモリの中に深く刻むことにする。

 

別れと出会いが1年の中で最も激しい4月。

その波に逆らうことなく身をささげよう。

3月末日、大家さんに返却しなければならないスペアもいれた2本の部屋の鍵を確認して眠りにつくことにする。

 

 

 

れいきゅう車

 

塔島ひろみ

 
 

海へ向って颯爽と走る
スピードをあげたい が それはできない
静かに すべるように 厳かに走るのが私の 決まりだから
あっ桜だ ほらもう桜が咲いている
語りかけるが その長い、箱に入った物体にはもう
耳はあっても聴覚がない 口はあっても声はない
もう桜だってわからない だから燃やしてしまうんだ 
死体を畏れ、敬い みんな手を合せる 頭を下げる
それだけど 焼いてしまうんだ
900度の高熱で45分
こなごなの 灰にするんだ 人間は
だから私が運んでいるのは 人間の形をしたゴミなんだ

白い壁に沿って 桜が咲いている
壁には窓があって 花柄のカーテンが中途半端に閉まっている
ほんの1メートルぐらいの小さな桜は
ちょうどその窓の高さで花をつけている
窓からクマが覗いている
目があるが ボタンでできているから何も見えない
クマには なにも見えていない
だから
こうやって置いてきぼりになったのだ
もう誰も迎えにはこないのだ
そこは空家だ

空家のとなりは◯◯自動車の営業所で
屋上で男がタバコを吸っている
男はこれかられいきゅう車に乗って出発する
生きているけど 毎日れいきゅう車に乗っている
れいきゅう車を掃除し みがくのも男の仕事である
出るまえに 
屋上で一息ついて 空を見ていた
男の口から煙が空にのぼっていく
男は運転の前 いつも 
こうして 空と友だちになるのだ

月曜日のゴミ運搬車
子どもが叫びながら追っかけていく
捨てないで 捨てないで 捨てないで
捨てないで 捨てないで 捨てないでって 追っかけていく

車は夢の島を目指し
泣きながら走った

 
 

(3月某日、奥戸2丁目◯◯自動車前で)

 

 

 

どんと

 

薦田愛

 
 

どんと らっか
とんだ からだ
じゅうたん ならぬ
じゅうだんの はちだんめ
あたり だった
ふんだ はずを
ふっみ はずした
ふみ きった のか
いえのなか
こみんか
あっ 火花
はっか したか
なにか
すとっ
ぬけでた
あたまから
なのか
のこった
なにか
ちゅうの
あたまのあったところ
なのか
とんだ からだ
らっか まえに
ばんと たたく
ガラス戸の枠
木のわくが
ばんと鳴って
降りくちに
どさっ
尻餅
だのに
いたいのはひざ
こぞう 小僧
泣いてる
なぜ

「どうしたっ」
とユウキ
ダイニングからまっしぐら
ごめんころんだ
ふみはずしたみたい階段
ひざぶつけたみたいだけど
ガラス戸
割れなくてよかったあ

はじめての二階家
うまれてこのかた
平屋もしくは集合住宅
だったから
階段といえば 玄関のそと
だった
たったいちど
三和土で靴をぬぎ階段にしまい
のぼって鍵の
アパートにいた
あけぼの荘
でも階段は
おもてに出る時だけ
スリッパ履きで
一階と二階の行き来って
からだにははじめて
しかもかなりの傾斜
なにせ
はね上げられるあれ
厚さ三センチ幅十三センチの踏み板の
十段をぐいいっと上げ
ずずっと天井板一枚すべらせれば
隠れてしまうという造り
二階って異界
きりはなせてしまう空間
だったのか
けれどつなげなくちゃ

ふたつの部屋で
ねむったり音楽きいたりね
夏物しまったり着物たたんだり
日になんども
のぼっておりてのぼっておりる
ために
ユウキどうかなこれ
といって
みつけたロフト階段用の手すり
「よさそうだねこれなら」
と取り寄せて
つけてもらった
引っ越しまえ
ああ
すっとのぼれるよ
って
だのに

「ごめんじゃなくてさ
だいじょうぶか 立てるか」
と後ろから抱えられてみると
ちからがはいらない
だいじょうぶ だいじょうぶだよ
びっくりしちゃっただけで
立ち上がると
あたまのあたり
ちゅうに取り残されたなにかは
きえていた
スリッパ履いて知らずしらず
すり足になってさ
足がちゃんと上がってないみたい
脱げないように掬い上げるみたいに
あるくのってあぶないよね
って話したのはついこのあいだ
Don’t mind どんまいって
じぶんに言いきかす
「お湯がはいったよ」
ありがとう
お湯はりはいつもユウキ
ちょっと待ってひざこぞうをたしかめる
あかくなってるな
うすかわめくれたみたい

着替えを手に寝間を出て
下りる途中
だった
およいだからだから
着替え一式ははぐれなかった
のではなく
おとすまいとおよいだのか
からだがしっている
たぶん
なんて
はなしながら
お湯のなか
お、ゆ、あ
老ゆ、というのか
いえ
老いのさなか
老いつつあるこの道のりの
いちにちいちにちに
からだはかわいたわらいごえあげている
のだった
みればしだいしだいしわばむ手やくびや腹
けれど脳はいっこう賢いしわをきざまない
ああ
ユウキ
お湯はすぐに冷めていくのに
老ゆはひたひた引くどころじゃないよ
なんて口にせず
たぷっとお湯
ゆらすうわあ
しみるよ
どんと らっか 
とんだ からだ
Don’t mind どんまい まい えいじんぐ ぼでぃ

ひざの小僧うすかわのめくれに絆創膏
貼って二日め
はじめての町
ユウキの出先へいっしょに
せっかくだから、さ
山が霧をはく町から
海へひらく町へと
たまには、ね
はやばやと用を終え
煉瓦のトンネルだの建物にスマホをむける
波打ちぎわを灰色の船が埋め尽くす
その海のふちをぐぐるぐるんとめぐり
よる
はじめての町の夜へ
ユウキとふみいれた
やみくもにではなく
スマホを手に
食べたり歩いたり
ああ
それがね
どんといったろうか からだ
いいや爪先もしくは小僧ひざの
ふりかえるユウキの視界から
きえたというからだ まい えいじんぐ ぼでぃ
「またかっ」
ごめんころんだ
花壇みたい
これ
歩道のなかにあったんだ植え込み
ふちにひっかかっておちた からだ
コンビニへのナビを手に
そこかららっかしたのだった
およぐスマホの光
そこばかりあかるくて
あない案内なのに
あぶないったらない
ナビなんて要らないやもう
はやめに消そうと
くらがりで
お留守になった足さき
光るそれ
いちめん蜘蛛の巣の
おおいつくすひび うっとなって
空いていた右手もぶじ
「膝はどう? 顔は打ってない?」
ひざはついてちょっと痛いかな
でも立てるあるけるし
かおもあたまもだいじょうぶ
たいしたことなくてよかったなんて
まい えいじんぐ ぼでぃ

けれどね

よくころぶ子どもだった
いちどきりの塾がよい
ころぶはずみ前歯が欠けた
二十代駅の階段あさの横断歩道
三十代会社の階段四十代病院の駐車場
それがあるひ踊るようになってあしのうらが育ったのか
ころばなくなっていたのだった
何年かまえまでは
ああ
老ゆが 老いが
ひたひたと来て
育ちかけたあしのうらを
濡らしているのか
それとも
移り住んださむい町
いえのなかでも五枚
外へはダウンにダウンの重ね着の着ぶくれで
からだまるごとむっくむっく
にぶくなっているのか
どんと まいんど まい えいじんぐ ぼでぃ
なんてうたっているうちに
どっとよせるお湯いえ老ゆの波ぎわ
すっとあしもとを
さらわれてしまうのでは
ねえユウキこれは
体幹をきたえればいいのかな
体操とかピラティスとか
クラスひらいてるかきいてみようかな
「きいてみて行ったらいいよ
転ばないようにね」
と めくばせ
あざにもならなかったひざの小僧
めくれたうすかわは治ったけれど
ぴりぴりとうすくまだ痛いまま
春に なる
重ねにかさねていたいちまいを
ぬいでみる

どんと らっか とんだ からだ
とんだてんまつ
どっとはらい

 

 

 

浅い眠り

 

たいい りょう

 
 

そこは
かつての
私の記憶

生命の持続が
記憶に刻み込まれた

脳を超越し
身体を離脱し
記憶は浅い眠りに
浸り続けた

モノクロの記憶は
過去から現在を経て
未来へと続く架橋

浅い眠り
身体のこわばりは
私の記憶を抑制した