透明なアクリル板

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 10     saki 様へ

さとう三千魚

 

 

からっぽ

いうのかしら

透明な
アクリルと

いうの
かしら

そこに
白く

咲いていたよ

リョウブの花

咲いていた
揺れていた

 

 

memo.

2022年7月3日(日)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩! 第二回 」で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。

タイトル ”透明なアクリル板”
花の名前 ”リョウブ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Tango de las madres locas
狂った母親たちのタンゴ

 

工藤冬里

 
 

https://youtu.be/Kl43ObkSgS0

https://twitter.com/twisuspendead/status/1543419493644652544?s=21&t=JjknLd53yvjsdcrDgbhXZA

適度の心配、適度に自分を愛すること、それらはためになることがある。(だから)心配しすぎないようにして、説明のつかない平和を味わい、基準を下げろと言ってくる器(ヤカラ)を無視し、軍事用語で見張る。
将来は(今のように)平和を追い求める必要はなくなる。乱すものはすべて自己愛から来ている。平和は気の持ちようだということだ。私たちは(毎日)夜に死んで、(それによって)(やっと)生きているのではないか。(それなのに)死ねない夜があると、気の狂った母親たちのタンゴが、長調と短調を点滅させる。(そのようにして)平和は正しさと結びついていることが知れる。(フラメンコの)タンゴ、(フラメンコの)ルンバ、死ねなかった夜たちの、異なった現実を翻訳してみる。

凄い地形ね

Todos los jueves del año
A las once de la mañana
Junto a la Plaza de Mayo
Con lluvia frío o calor
Te esperaré vida mía
Frente a la Casa Rosada
La espina de tu mirada
Clavada en mi corazón.

Me dicen que no te fuiste, mi bien
Que te desaparecieron
Que te vieron en la cuneta
Cantando “El Yira” de Carlos Gardel
Que de pronto te esfumaste
Que te borraron del mapa
Que ni siquiera naciste
Que medio loca mamá te inventó.

Con Malvinas o sin Malvinas
Grito tu nombre por las esquinas,
Mientras que los generales
Se dan al Tango
Por los portales.
Tango de las madres locas
Coplas de amor y silencio
Con vida se los llevaron
Y con vida los queremos.
Con Malvinas o sin Malvinas
¿Dónde está Pedro? ¿Dónde está Lidia?
Con Malvinas o sin Malvinas
Grito tu nombre por las esquinas.

Cada vez que dicen : “Patria”
Pienso en el pueblo y me pongo a temblar
En las miserias que vienen
Y en los fantasmas de la soledad
¿Petronila qué te hicieron?
¡Qué mala cara tenéis!
– La que me dejó Videla
– A mí Galtieri ya ves…

Con Malvinas o sin Malvinas…

 

参考までに。昨日広島でフラメンコのピアノの仕事でこの曲を弾いたのですが、固有名詞が沢山出てくるので何の歌が調べたら、フォークランド紛争の時に息子を失くしたアルゼンチンの母親たちの歌なのでした。彼女たちは毎週木曜日にデモをしていて、まだ続いているそうです。キーが短調と長調を行き来する不思議な「タンゴ」ですが、フラメンコのタンゴは4拍子ではありますが現行のアルゼンチンタンゴとは違い、恐らくは発生時のタンゴに近いもので、リズムの切れを曖昧にして、わざと社会との距離を取っているように聞こえます。

 

 

 

#poetry #rock musician

野菜作り

 

みわ はるか

 
 

最近始めたことの1つに野菜作りがある。

 

小さなその土地は、わたしが初めて訪れたときは雑草ばかりであった。

昔は果樹を植えていたらしいが、そんな面影は微塵もなかった。

昔、わたしが小さいころ、今では珍しくなったが3世代で暮らしていた。

おばあちゃんが畑をせっせとやっていたが、他の家族は誰もやっていなかった。

興味がなかったのだ。

そう、わたしは全くの素人。

まずは、ホームセンターに向かった。

種からは無理にしても、苗からならなんとかなるのではと考えたからだ。

ホームセンターはものすごく混んでいたし、ほとんど来たことがなかったのでその大きさに心底驚いた。

苗の種類はたくさんあった。

種類によって支柱が必要となるもの、カバーをした方がいいもの、追肥をした方がいいもの・・・・・。

たくさんやること、買わないといけないものがあってどっと疲れてしまった。

ナス、キャベツ、ブロッコリー、カボチャ、ミニトマト、ししとう、ピーマン、きゅうり、レタスを購入した。

帰ってまず行ったのは除草剤をまくこと。

1週間ほど待って、今度はマメトラで土を耕しにかかった。

これが本当に重労働であった。

長年使っていなかったので、土が固く、大きな石がゴロゴロでてきた。

知り合いのおじいちゃんに色々借りて一緒に作業したのだが、こんな土は珍しいと言われてしまった。

1日がかりで耕し終わると、次の日は畝を作った。

草が生えないようにきれいにマルチングもした。

苗を植えられるように穴を空け、丁寧に全ての苗を植えきった。

初めてにしてはなかなか上出来だ、ニヤニヤしてしまった。

が、しかし、畑をなめていた。

それからも大変で、青虫は来るわ、茎が伸びれば支えが要るわ、摘花しなければいけないものもあるわで頭がぐちゃぐちゃになった。

その辺からだろうか、わたしは水やり専門になった。

見兼ねた知り合いのおじいちゃんが、わたしの知らない間にどんどん作業を進めてくれた。

常にわたしの畑は知らぬ間に日々アップデートしていったのだ。

さすがに申し訳ないので、時々わりと上等な菓子折りなんかを贈った。

あっという間に収穫の時期となった。

採れたてが美味しいというのは本当だった。

サラダや塩漬けタコライスなんかで食べたのだが、スーパーのそれとはだいぶ異なる気がした。

後半、ほとんど何もやっていないことに罪悪感はあったが、パクパクと食べてしまった。

 

今もまだ、野菜たちは成長し続けている。

「そろそろ採った方がいいぞ~。」なんて知り合いのおじいちゃんが教えてくれる。

もはや、誰の畑なのか分からない状態だ。

 

結論

わたしは野菜作りには向いていなかった。

多くの時間をとられること、手間がかかること、費用もそれなりにかかることにうんざりしてしまったのだ。

ベランダにキャンプ用の椅子を置いて、風鈴の音に耳を傾けながらうとうとする。

お菓子をボリボリかじりながら好きなドラマを見る。

友人に手紙を書く。

のんびり犬の散歩に行き、力強い入道雲を見る。

川の流れをじーっと見つめる。

そんなようなことがわたしにとっての幸せな時間なのだ。

ただ、畑作業を楽しいと思う人はたくさんいる。

そういう人達の顔はキラキラと輝いている。

そういう方々にうーんとたくさんお野菜を作っていただいて、わたしは直売所で購入することに決めた。

 

例年より梅雨の期間が短かった今年の初夏。

とってもいい経験ができた。

 

 

 

ネコ

 

塔島ひろみ

 
 

ネコのあとをつけていくものはなかった
路地の一番奥の突き当たりの洗濯物がたくさん干してある白い家 その横に隠れ家みたいに張り付いて建つ薄茶色の小さな家にネコは住んでいた
隠れもせずに住んでいた
でも誰もネコの住みかを知らなかった
ネコはかわいくなかったから
誰もそのネコに興味がないから

ノラ猫連続不審死事件 というのが起きてから
この町の路上に猫はいない
ノラたちは一掃され イエ猫は外に出されなくなった
ネコは事件を生き延びた唯一のノラだ

かつてネコは毎日猫たちのたまり場に行き 
猫たちといっしょにゴロゴロしたり 丸まって昼寝したり
穴を掘ったり 虫を捕まえて食べたりした
猫たちはじゃれてかみつきあったり 追いかけ合ったり
言葉を交わしあったりした
その言葉は ネコの使わない言葉だった
ネコを追いかける猫はいなかった
ネコにじゃれてくる猫はいなかった
ネコはそれでもそのあったかい場所で日を過ごした
猫たちをかわいがる人間がいた
人間はいつもエサとともにあらわれた
猫たちは人間が来ると寄っていって 置かれた皿に喰らいついた
皿はネコにはずいぶん遠い位置にばかり置かれた
ネコがエサにありつけることはなかった
でもネコは家に帰ればエサがあったからそれでよかった
家にはネコの父がいた
父がエサを準備して ネコはそれを食べた
2匹は寄り添って寝た
静かに生きた

ある日一匹のノラ猫が急に死んだ
次の日別の一匹が死んだ また一匹と 次々に死んだ
腎臓の数値から毒物の摂取が疑われた
エサを与えた人間は驚いて泣いた
「誰がこんなひどいことを! こんなにかわいい猫たちなのに!」
事件はいまだ未解決だ

ネコは同じ場所に行った 誰もいない
草がいっぱい生えていて ちょっと湿って ときどきポカポカの日差しがやってきて 気持がよい風が吹くその場所に ネコは行った
ひとりでゴロゴロし ホカホカ日に当たり 
お腹がすくと家に帰った
ネコはかわいくないから 人間はもうそこに来なかった
ある日父猫が死んだ
ネコはお腹がすいたので 父猫を食べた
それからスズメをとって食べ 金魚をとって食べ
畑を荒らし
子どもが持っている団子や焼き鳥を掠め奪った
静かに生きた

ネコは年をとり 毛が長くなってきた
すぐ眠くなった
ときどき近くに建った4階建てマンションの屋上に上って 町を眺めた
自分が支配する町を眺めた
敵がひとりもいない町を眺めた

家に帰る途中人間とすれ違う
ネコはかわいくなく多少毛が長いだけで人の気を引く何も持っていなかった
だれもネコを見て足を留めなかった
ネコをなでてみようとしなかった
ネコの写真を撮らなかった
住みかを突き止めようとしなかった

もしかするとネコは 誰も知らないいろんなことを知っていた
草のことば
虫の秘密
人間の生態
事件の真相
土の歴史
猫の未来
蓄積され続ける膨大な記憶
押し殺し続けてきた強い感情
そのゆくえ

風が強い
路地の一番奥の突き当たりの白い家の3階の窓があいて
太い腕が次々に洗濯物を取り込んで行く
ハンガーとハンガーが当たる音がカチャカチャカチャカチャ
響いていた
ネコは
そのとなりの小さな薄茶色の家の暗い湿った とあるすき間で
誰にも知られないまま 静かに老いを迎えている
寝息も立てず 死んだように眠っている
まだ生きている

 
 

(6月某日、葛飾区鎌倉4丁目で)

 

 

 

餉々戦記 (なにを措いても冷や汁篇)

 

薦田愛

 
 

四方に山なみ丹波の田は日に日に稲の緑がせりあがり
風も水面をわたって届く のだったが
なんてこと
夏越の輪もくぐらぬうち
あっさり梅雨が明け 
おおおおひさま元気だ 
いちめんのひなた午前十時のおもてにでるや
みるみる頬が焦げる
町なかならばね
軒先づたいに日陰を選んでビルからビル時どき地下街なぁんて
買い物のしようもあるけれど
大通りをはさんで田畑時どき店舗の田園地帯のここには
軒先もアーケードも見当たらない
大通り沿いの時どき店舗も
ひろびろ敷地の奥に鎮座
道路がわは恐ろしくひろいパーキング
お買い物いくら以上二時間無料なんて文字
見当たらない
そのひろびろを突っ切り
歩いてあるいて店に入る
運転免許ももたない大人用三輪車もましてや自転車も乗らない
徒歩の私は
晴雨兼用傘たたんで
体温チェックカメラに睨まれる
引っかかりませんように
惜しみなく降りふる暑熱に満身射られ
融解まぎわ

眩しかったから
あの日も
畑に出たユウキが昼どきに戻ってくるのを
待ちながら
日に三度いただく味噌汁をつくろうと
鍋を出して手が止まり
そうだあれ どうかな
京橋のオフィスから銀座の南端へと出かけていた
ランチに行列のできる敷居の低い和食の店
づけのまぐろ重に穴子天 豚汁しらす重
いわし天の定食も美味しかった
なかに夏場の
冷や汁
とびきり
できるかな あれ
ユウキの血圧対策で
塩分の多い出汁の素をやめ
無添加パックで出汁をとるようになって
タッパーに入れたのが冷蔵庫にある
きゅうりは畑でとれた巨大なのが玄関わきに四、五本
大葉はちいさな庭の隅や砂利のあいだで繁茂
サンダル履きで大きめのを
そうだな三枚くらいかなと摘んで
たしか豆腐も入るはずだけれど
薄揚げならあるからお湯かけて油抜き
炙って刻んで入れよう
もの忘れ茗荷もカナメな感じだけど
ないなりにつくろう さてどんなだか
いつもの味噌汁は鍋に八分目でふたりの二回分
これは一回分を大きめの椀で出してみようかな
お試しだからね
椀で出汁の量を計ってステンレスのボウルに張り
麦味噌は大さじ一杯くらいかな
おたまのなかで入念に あっ
きゅうりを入れるんだから気持ち濃いめでもいいかな
って
きゅうり二分の一本ぶん大急ぎでスライサーにかけ塩もみ
ややあって絞って投入ゆらあっ
緑のひらひら麦味噌色の半透明を
ゆらゆらあっ
洗って鋏で細く切った大葉もはらり
ゆらあっ
あっ なんとなくだけど
すりごま振ってみよう
ひとさじ掬って うん 
こんな感じかな
蓋して冷蔵庫へ
がらっ 引き戸が軋んでユウキ
お帰んなさい 食べられるよ
「やあ汗びっしょりだわ シャワー浴びる」
おひさま惜しみないからね
ずっくり濡れた作業着脱いでユウキがシャワーをつかう間に
ゆうべのおかずの残りとご飯をならべ
冷やしたそれを
大ぶりの椀に満たす
着替えて「いただきまぁす」
まず椀を手にとる
どうかな ああ どんなかな
ずずっ ごくっ 
「あ、これ、いけるね! さっぱりして」
いいよね よかった 冷や汁っていうんだよ
本当はお豆腐入れるんだけど 茗荷もね
「じゃあまたつくって 豆腐と茗荷入れて」
つくるよ
木綿豆腐と茗荷も入れてね

レトルトをくれたひとがいた 
冷や汁の
宮崎のソウルフードなのよと
言っていたのではなかったか
たぶん四半世紀も前
食べたのだろうか 食べたんだろう
おもいだせないのだ なんてこと
受け皿ができていなかった もったいない
四半世紀前の私にくちびるを嚙む
四方に山の丹波でひと巡り
日脚がぐぐんとのびて折り返し
日ごとぐんぐん昼間が短くなっているのに
しろくまぶしく惜しげないおひさまに焦げ
熔けおちる私の一片一片を
歩くひとのない道沿いひろいあつめ 
木綿豆腐と茗荷と大葉と一緒に提げて帰る
庭の大葉はまだ小さい
きょうユウキは仕事からまだ帰らない
ねえユウキ 私たち
昼も夜も
身の内をしたたり落ちる一杯の冷や汁をよすがに
いちにち一夜をどうにか涼しく
越えてゆこうよ