もうケーキを焼かなくていいよ、の夏

 

ヒヨコブタ

 
 

8月の誕生日、その前後の子ども時代の後遺症が体やこころからとびだしてくる
もらえなかったのはものじゃなくて気持ちだった
ほしかったのも、誕生日を喜ぶふつうの親だった
わたしはもう、ひとのぶんもじゅうぶんにケーキを焼いた
誰かが喜ぶのを見たくて
けれども私に焼いてくれる人は現れない

ならばもう焼かないのだ
誕生日はケーキを買ってもらうのだ
ランチも少しだけ豪華に
後遺症を慰める薬にはなるかもしれない

親が祝わなかろうと何もない普通の日と変わらなくてつらかろうと
わたしはそんな子どもたちに伝えるよ
あなたが生きていれば嬉しい

ごちゃごちゃに絡まったただでもややこしい世の中が更に絡み合って息苦しい
心臓が苦しい時もある
さてもうここまでというときまで、
誕生日ケーキをほおばる夏でいい、これからずっと

 

 

 

小さな灯火のお話

 

村岡由梨

 
 

古びた金槌。
この場合、金槌は親の頭を砕くためにある。
切れない安物の包丁。
これは親の全身をメッタ刺しにして、
失血死させるためにある。

殺される準備は、もう出来ている。
子殺しは良くないけれど、
子供が親を殺すのは、仕方がないんじゃない?
だから、誰も娘たちを罰しないでください。
「偽善者!」(声を震わせて)
「うそつき」(蔑むような目で)
「本当はママ、私たちのこと殺したいんでしょ」

家族って何?
「全員死んでくれればいいのに!」
そう言って屈託なく笑う、寝ぼけ眼の17歳と、
「こんなに苦しめるのに、どうして私を産んだの?」と
涙をポロポロこぼす、14歳。
「穢らわしい!」(吐き捨てるように)
「親ぶってるんじゃないよ!」(笑いながら)
そんな本気なのか冗談なのかわからない娘たちの
些細な言葉でいちいち傷つく、面倒くさい母親の私。

池ノ上の踏切内で、幼い女の子二人とその母親が
電車に轢かれるのを見た。
首を綺麗な一直線に切断され、
ゴム人形になった女の子の
巨大に膨れ上がった頭部を抱えた母親が
全身血まみれになって
喉を破くように泣いていた。
私も含めた周囲の人たちは、
声をかけるのでもなく
助けるのでもなく、
ただボーッと
ボーッと見ているだけだった。
所詮他人事に過ぎなかった。

 

このお盆、ふと思い立って、
初めて迎え火と送り火をやった。
ネットで調べながら でも
全く形式に則っていない 適当な迎え火と送り火。
経堂のOdakyu OXで158円のオガラと
おもちゃみたいな作り物のナスときゅうりで作られた
598円の精霊馬を買った。

夜、玄関の外で迎え火を焚いた。
「今、しじみちゃん、お馬に乗ってやってきてるのかな」
しじみは3年前闘病の末に亡くなった猫だ。
痩せてボロボロだったしじみ。
あの時しじみは、自分の死をもって、
バラバラだった私たち家族を
ひとつにしてくれたのだった。

雨がポツポツと降り始めた。
しじみのことを思って泣いた。
泣かずにはいられなかった。
祈らずにはいられなかった。
泣く私を、
娘が「ママ、泣かないの」と笑って
優しく抱いてくれた。
「私が長生きしたいのは、
パパさんやママさんが幸せに死んで行くのを
娘として見届けたいからなんだよ」

愛してるの?嫌いなの?
優しいの?優しくないの?
オガラがパチパチとはぜていた。
そんな真っ暗で小さな世界の、
小さな灯火のお話。

 

 

 

NOPE And I will throw disgusting things upon you, and I will make you despicable; and I will set you as a spectacle. Nahum 3:6

 

工藤冬里

 
 

反復させないために没頭する。上らせないために裏返し続ける。


だから写真を見ても顔のない人は安心できる
顔のない人は結構沢山居る

世知に長けた大人の権化のように見える白いYシャツの為政者たちが心の中では偽キリストの体系を受け入れているというのが大変に興味深い。顔が想像界だけではないなどと褒められることがあるが単にそういう理由なのでその論法なら大敵対者が満点を取るだろうし、顔は見分けがつかない位の普通でいい。

リモートの顔の近づき方で近づいてくる顔の
すっかり変わってしまった近づき方に
もう無理かもしれないと思って近づく
あゝ近づく
限りない、限りない近づき方で
近づく

 

ホテルの露天で寛いだことなどあっただろうか
それはいつもそれを想像している間だけのことで
永遠に現在を楽しめない仕組みになっている

現在というやつがどうにも好きになれない
呼吸に集中とかいうけれども
それは逆にどんだけ嫌いかってことじゃないのか
並行時空の未来を希望と勘違いしてるだけで

その点大塚の美術館はフェイクだから安心だ
引き伸ばされるだけだからだ

原本がないことが安心感を増す
現象とは夥しいコピーの比較

 

https://twitter.com/vegryn/status/1516961836607934464?s=20&t=5qIKfhrmRG_Ky4fbVamXTA
肉食を止めさせたい勢力は(エルヴィラ)フォルカー・シュペングラーを屠殺場に連れて行くが彼は子供のようには吐かない(儚い、墓ないと変換される)夢でin einem jahr mit 13mondenの粗筋を反芻する牛のように

 

廃炉が歩いている
四つある項目の内、1970というのがどうもそぐわない
彫刻家と違って虚でなければ成立しないからか
山の向こうは海
天草を干すと獲られる
ここは池の上
胸は心太
内腔は天突き天を突く

 

刻一刻と後悔しかなくダメージは大きい
痺れとは断続であり人生のストロボである
若いうちに喜びなさい
責任を問われるけれど
死んでも部分的には瑞々しい
綱渡りで大人になる
言葉遣いを真似して台無しに
幾何学模様はなかった

 

 

 

#poetry #rock musician

また泣いてしまったょ

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 16     kyoko 様へ

さとう三千魚

 
 

たわむれていた

はじめは
じゃれて

戯れていた

男と
女が

いた

水辺にいた
寝そべっていた

駅があり
駅舎があり

戦争があった

草原があり
雪の草原があり

ひまわりがあり
見渡すかぎりのひまわりの草原があり

女も
男も

年老いていった

ひまわり
揺れていた

 

 

memo.

2022年8月29日(月)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った詩です。

お名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、お送りしました。

タイトル ”また泣いてしまったょ”
花の名前 ”ひまわり”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life