マンキー

 

鈴木志郎康 追悼

 

道 ケージ

 
 

ボク、マンキー
さるやない
マンキだってさ
マンキーマンキー
ラッキーなんだぜ
ボク、マンキー
返済終了!
おぅ、カッキー

生命保険確認の通達
もうすぐ満期

で、死んでほしい
と言われる
満期で支払い額が
下がるらしい

その前に死んでほしい
そう懇願され
やむなく死ぬことにした

ボク、マッキー
最後の言葉は
マンキー、ラッキー
またじゃあな

でもな
そう簡単には死なんで

「気合いで死ぬんや
 息飲んで死ね」

本末転倒だろ?
そりゃそうだが、聞いてない
こんなに額、下がるなんて
と妻

あんた末期
よく考えな、マッキ―
ジャッキー上がらん
タッキー翼折れ
どうする

「あたきなら死ぬ」
グッキー笑う
あやまりなく
殺める
雨やむ
見当つかない死に様よ

「大きな損になる
 やるだけやってみて」

まぁ、しゃあない
案外難しいんだぜ
それに自死は
降りないよ、保険

「だから気合いで
 マッキー
 なんとかしな」

そうかそうかと
息を詰め

ボクマッキー
あぁ、ラッキー!
アンラッキー!

「ドン ドン ドンガラガッチョ
 血の海だ
 やだなあもうこれだから」※

 
 

※ 鈴木志郎康「実践十円家族の皆様」より引用

 

 

 

存在するわたし

 

長田典子

 
 

ああ 
息苦しい
ソファに横たわる人を見降ろして
一方的に罵倒する
口が臭いんだよ、とか
野菜が嫌いなくせにケーキばっかり食べるなんてバカか、とか
なんで一緒にデートしてくれないんだ、とか
髪が少ないなら少ないでいいけど散髪屋で
「渡辺謙と同じ髪型にしてください」ってそれだけのことを
なんで言えないんだ、とか
お腹が出すぎで虫唾が走る、とか
だからってベッド離して寝るな、とか
まくしたてる
なにもかもあんたのせいなのだからと
重労働で曲がった指をあてつけに見せつける
あの人は目を三白眼にしてわたしを斜めに見上げる
頬を凍り付かせてもう終わりだという顔をする
わたしはぜったい終わらせたくないと続ける
いやだ終わらせてたまるか
吐いた罵詈雑言で喉がつまる
息苦しい

耐えられなくなったところで
目覚める
飼い猫が胸の上で丸まって
鼾をかいている
そうだった
猫もわたしも鼻を患っている
飼い主が病院嫌いで
疫病がもう何年も蔓延していて
嫌いな病院がもっと嫌いになって
死にそうでなければ気にしないでいいと過ごしているうちに
あそこもここもと気になるところが増えていき
猫のあれもこれも病のせいではないかと気になるところが増えてしまい
けっきょく病院には行かない連れても行かない
どんどん行かねばならない病院が増えてしまい追い詰められいく
息苦しくなる

息苦しくなると猫に噛みつく
口の中が毛だらけになるまでハグハグ猫に噛みつき続ける
猫はこっちの気が済むまで噛まれるままにさせている
猫はわたしをぜったいに裏切らない
知っている
あの人もぜったいにわたしを裏切らない
この鼻の病の息苦しさ
この疫病蔓延の息苦しさを
あの人にもぶつけたくなる
いやだ
夢の中のようにもう終わりだという顔が本当になったら
いやだ
疫病の恐怖 テレビニュースの執拗さといい加減さ
息苦しくてたまらない
バス通りを
目を空洞にして大声でわめきながら
あてもなく歩いて行く人の気持ちがわかる

ああ 息苦しい
夢の中で
あんな酷いこと言わなきゃよかったな
終わらせてたまるか
あの人とわたし それから猫

きょうは二か月ぶりにあの人が出張から帰ってくる
出張中は毎晩電話をして
すき?って聞く すきって返ってくる
無限大?って聞くと わざと三つ分と言ってくる
そのまえは地球三個分以上じゃないと嫌だった日が続いていた
だんだんエスカレートして
無限大が無限大じゃなきゃやだ、って言うと
無限大無限大無限大無限大と早口で呪文のように言ってきて
最後はいつもお互いに大笑いしながら電話は二分で終わる

あの人が服を着替えてうがいをして石鹸で手を洗うのを確かめてから
広くて深くてハーブ石鹸の匂いに少しだけ機械油の匂いが混じった懐に
顔をうずめて深呼吸する
匂いを嗅ぐ
今夜のおかずはあの人が出張先で調達してきたアジの干物と田舎風煮物
わたしは朝の残りの味噌汁を温め食器を並べればいいだけ
猫にも少しだけ温めたミルクを与える
あの人がわたしに多めによそった野菜の煮物をさりげなくあの人の皿に取り分ける
鼻うがい液や猫の餌の話などする
猫は男嫌いであの人がそばに寄るとシャーシャー威嚇する
あーあ、やっぱりかあさんがすきなんだ、わたしが笑う

寝る前には必ず曲がった指の関節にテーピングをする
これは指の酷使と加齢によるもので
確かに何十年も一日中重い荷物を運搬したり指を酷使する仕事をしていたけど
小学生でリリアンにハマりその後は編み物クラブで手提げバッグやマフラーを編み
高校生以降は勉強もせずに彼氏のセーターばかり編んでいたのも原因かもしれない
彼氏が変わるたびに何枚編んであげたんだろう嫌な奴ばっかりだったのになんで……
わたしという存在はないと同じだと思っていたから懸命に自分の形を象っていたのかも
中学生の頃ピアノばかり力まかせにぶっ叩いて弾いていたのもいけなかったのか
事あるごとにあの人に曲がった指を見せつけて
「あんたのせいだ」って言うことにしているのは
猫のマーキングに似てるのかも
あの人はいつもわたしのところにいて 
ぜったいに裏切らないから
わたしは今ここにこの場所に存在しているって感じられるようになったから
曲がった指を一瞬ちらつかせれば
事足りるのだ
すくっと立っていれば
枝がしなっても もとにもどる
息苦しさも 疫病も
ひゅー、っと ぬけていくだろう 

歯磨きをするあの人の後ろに立って言う
鏡を見ながら隅々までしっかり、とか 時間をもっとかけて、とか
寝る前にケーキ食べるなんてサイテイ、とか
買ってあげた増毛剤ちゃんと使ってよね、とか
夢の外でもやっぱり声を荒げている

あの人って夫というか古い友だちというか幼馴染みたいなものなのか
我が家の順位は最下位のあの人もやっぱりわたしの猫なのだ
ふらっと帰ってきてふらっと出かけるあたり
猫とわたしとあの人が揃う場所は
どんなときも
深く深く呼吸ができる

ここに存在する
存在し続ける
わたしは

すくっと立っていれば
枝がしなっても 

 

 

 

真夏のサンタクロース

 

佐々木 眞

 
 

仏に会うたびに、仏を殺し
詩に会うたびに、詩を殺してきたおらっちだったが
寄る年波ゆえに、疲労が困憊してきたよ

でも、今日は朝からいい天気
コロナに感染して、長の自宅療養を強いられていたから
偶には息子のコウ君と一緒に、近所を散歩してみようじゃないか

「ほら、この道の先に、赤いポストが見えるだろう
そしてそのポストの先に、小さな橋が見えるだろう
それを左に曲がって、ちょいと進んだところに
車椅子に乗ったおじいさんが、いるはずなんだ」

コウ君は、大阪道頓堀のグリコの看板のように
両手を高く掲げ、まっしぐらに進んでいきましたが
満面の笑みを湛えて佇む、車椅子の老人を見て
「お父さん、お父さん、おばあちゃんちの前に、サンタクロースがいるよ!」
と叫びました。

すると、あの有名な詩人のシロウヤスさんは *
いきなり車椅子を乗り捨てて立ち上がり
「おらあサンタだ! サンタシロウヤスだあ!」と声高く宣言して
おらっちのコウ君と、ガッツリ抱きあったのでした。

 

* 鈴木志郎康(1935年5月19日 – 2022年9月8日)

 

 

 

無一物野郎と、詩と無詩と

 

さとう三千魚

 
 

大風は
過ぎていった

風はない

緑は
揺れない

散髪した

野郎が
いる

そこには何もない

一昨年の
正月

志郎康さんは書いてる

“詩って書いちゃって、” *
“どうなるんだい。” *

そして

“それゆけ、ポエム。” *
“それゆけ、ポエム。” *

二度
繰り返している

志郎康さんは
詩のないところにいった

大風のあと

詩のないところにいく
そこに志郎康さんがいる

桑原正彦がいる
死者たちがいる

そこには何もない
そこには全部がある

つげ義春の峠の犬もいる

五郎ちゃん!
五郎ちゃん!

そこに
いた

無い詩を書く
無い詩を生きる

ふっ


息を

吐いてみる

 
 

* 鈴木志郎康の詩「詩」より引用しました。

「詩」
https://beachwind-lib.net/?p=21192
 

 

 

#poetry #no poetry,no life

嵐の夜に鼬は家守は

 

工藤冬里

 
 

天井裏を走り廻る
shelter in the stormということで今夜は匿ってやる
https://youtube.com/shorts/OwR8v6lThyQ?feature=share

録音できない
https://youtube.com/shorts/aUxU7qNF6ew?feature=share
博士、風と雨が止みました!
目だ、台風の目だ!
泣くな、温度が上がるのは陰猟腐厭現象だ

左gauche は女性名詞だからtaでいいんだけど、左パンチというときは男性名詞に変わる。だからタチの映画は左パンチに気をつけろという意味になる
https://stand.fm/episodes/6323fef8d348ec9d290e417c

A!BOUT SURFについての覚書
デレクベイリーが未来から来たアナーキストだというのはいい着眼点だった。波を点に変えるからだ。だがそれは観察者に過ぎない。アサギリ君は押し寄せる世界が波だと見抜いた。そしてそれを束にするのが人生だと知る。

レプレゼント
ベッカムも馬鹿だなトカゲが一匹死んだくらいで
想い出したのは
Palace In The Canyon
https://youtu.be/QUEQk9lm4bU
Celebration of the Lizard King
https://youtu.be/7ceAK3-7DEM
https://youtu.be/C82Z5bBnRSI
といったドアーズの曲だった
「王宮のトカゲ」のイメージはジム・モリソンのインスピレーションの中ではProverb30:28から来ているように思うが、JKV等では未だにクモ、と誤訳されている。「セマーミート(七十人訳ではkalabwvthV)」はトカゲ目のヤモリ属を指していることは明白である。(『聖書動物大事典』p.400)
正しくLizardとしている他の訳でも、ほとんどが「人がたやすく手で捕まえることができる」、となっているが、宮殿の壁に貼り付くヤモリの手の吸盤の凄さを観察して得た王の洞察を表現したものであることは明白であり、こう訳すべきである
「ヤモリトカゲはその手足で(天井であってもその壁を)べったり捕まえ(て貼り付き)、壮大な王宮(ベヘーケレーの強調の複数形)の中にいる(というのは凄いことじゃないか!?)」

今70の人は70いくつくらいまでは生きるが今60の人は60いくつくらいまでしか生きない
80の人は90いくつまで生きる

No vayan más allá de las cosas que están escritas

虫たちが皆で海外旅行に行くことになりましたが行けなかった虫は?

村上氏には「よもだ」という定義の難しい伊予弁の血脈を見る
塩崎にはそれはなかった
私がベルベッツだ、私がマイナーだ、私が国立だ、私が砥部だ、と村上の私が自民党だ、は遠吠えめいて似ているところがある
ぬらりくらりと要求をかわしていく加速主義をヨモダと言うのだ
徒花だね
カフカの城ゲームに米を引き込む
ポンポコの足掻き
イーロンじゃなくてもこれは買いたくなくなるな#twitter
少しでも長く息をしていたいなら牛歩しかない#絞首台
水軍の子らは学校なんて行ってなかったよ
九条を盾に米をぬらりくらりとかわしていこうというのがハト派だったとすればそれなりに意味はあった派閥制度を諸悪の根源として貶してきたのだから議会が失われたいま全野党が自民に入党することしか解決策はない。焼跡派はカトリックのようなぬえ的全体主義の海で水軍の末裔を戦いなさい。
 

白に茶色が混じり始め
恐ろしい八ヶ岳の末広がりの
筆は地を撫で付ける
割れやすいダイヤの
仔牛
早死にする座り方で
傷つかないけれども脆い薄暗がりのなだらかな白の勾配を
雪崩れて飲み食いする
強さと弱さに関する悲惨な最期の斜面
見抜けた筈のアカウントだった
ツルハシは半分に磨耗し
あらゆるものが躍起になっている庭で
割れる宝石
空が暗いと星の輝きが増し、枯れ木に囲まれると杉 の美しさが際立つ
町で​死んだら犬​に食われ、野原で死んだら​鳥​に食われる
この人は病気だ
経済的な問題を抱えて、どうすれば動揺しないで生活していくことができるだろうか
全て打ち明けること

わっかんねー
生瀬辺りの白土の殺伐
有馬に登る業の松枯れ
https://twitter.com/Onitsura_/status/1573087230075490304…

泉鏡花は本名をはた・いものすけ(畠芋之助)という。それが嫌で小説家になった。知らんけど。

Levanten la vista y miren, los campos están blancos, listos para la cosecha

https://youtu.be/qvyXNdM8sFw
参加してくださった皆さんありがとう御座いました
久しぶりに会えて?嬉しかったです
一夜明けてこんな気分
https://youtu.be/9Jt49A3LCVA
After midnight, it’s all gonna be peaches and cream.

手押し車の老婆に先を越されて

Ferris wheelが遠くに見える

静岡

夢で蔑ろにされたスイーツに関して表情を変えずにディヤンクールドゥと云われたが無論そんな名詞はなくYann Durieux Tete de Pontsが辛うじて似ていた

Si los muertos no van a ser resucitados, “comamos y bebamos, porque mañana moriremos”

 

 

#poetry #rock musician