僕の詩が始まる

 

長田典子

 
 

※2022年夏に小中高生を対象とした詩のワークショップの講師をやりました。アクティビティでメモを書いた後は教室でメモをもとに詩を書く活動でした。汗をかきながら詩を書く小中高生を見て、わたしの中に今もいるわたしの小中高生の姿が現れてきました。この詩は彼らと一緒に行動し刺激を受け、わたし自身の心に起こったできごとを詩にしたものです。

 
 

ん、ぎゅるぎゅるぎゅる、んんん、
重いエンジン音をたてて
鉛色の琵琶湖を島に向かって観光船が進む
カシカシカシカシ湖の表面に引っ掻き傷を作りながら
僕は中高生対象の詩のワークショップに参加して船で島に向かう
頭上を大鷲が旋回しながら何かを狙っている
僕はメモを書く
「湖面の真裏にはきっと別の世界が逆さにある」
女の子がアーケードの道をジグザグ歩いているんだろう
なぜだろう
僕は彼女をよく知っている気がする
あと50メートル真っ直ぐ進めば彼女の通うクリニックがある
彼女の歩く速さで湖面が瞬きして漣立つ
ん、ぎゅるぎゅるぎゅる、んんん、
この夏休み 僕は詩が書けそうな気がしてくる
「大ワシが湖面に急降下する」
「えものをねらって水面に首をつっこんでいく」

あと50メートル進めばクリニックに辿り付ける
あたしが歩くたびにタイルが足裏の形に歪み足が取られるし
アーケードの店先に置いてある消毒液を全部順番に使わねばならないのに
猛禽類の嘴がタイルの下からぎゅるぎゅる杭のように突き出ては引っ込む
人混みの溢れるアーケードを前進したいだけなのにできなくて
体中の怒りの溶岩が爆発してまた死にたくなる
英語の時間busをブスって読んだらクラス全員が爆笑した先生も
みんなあたしを心底馬鹿にしてる気がして咄嗟に隠し持ってたライターで
掲示物に火をつけたあたしもみんなも焼け死んじまえ!あたしは叫んだ
怒り心頭で体中から火を噴いて呼び出されて来た親にも殴りかかって
クリニックに通うハメになったけど色んな薬を貰えるから嬉しい
あの日から学校には行かなくてもよくなってあたしは部屋に閉じこもり
毎日「死」「死」「死」と部屋の壁に書いては消し書いては消している
両側に並んだ全ての店先の消毒液を手指に吹き付けなければ
クリニックに辿り着けないのに猛禽類の嘴があたしの足裏を突いてくる
焦りで怒りが倍増して行き交う人々を皆殺しにしたくなる
バッグに手を突っ込み先の尖ったシャーペンを探すでも触る前に
手指消毒をせずにはいられないどうしてもせずにはいられない
体中の怒りの溶岩が爆発しバカヤロー!と叫びまくる死にたくなる
アーケードなんか火の海になれ!みんな死んじまえ!この世もなくなれ!
怒りで体中が震えて止まらなくなるクリニックまであと少し
自分で自分の手を摩る消毒液で消毒する摩る消毒する
クリニックでは毎回判で押したように同じ会話が交わされる「どうですか」「調子悪いです胃薬と風邪薬も付けてください」「じゃ、いつもの通りの薬ね」まで30秒「ありがとうございます」頭を下げて40秒後には診察室を出る駅のトイレで処方された2倍の抗鬱剤と風邪薬一気に飲み込む
すっきりする「ヒミツ」だよあたしが「おんなおとこ」だろうと
「おとこおんな」だろうとどうでもいいじゃんなんでもいいじゃん
頭がぼーっとして色々どうでもよくなって死にたい気分も消えていく
ふらふらした足取りで歩いていると巨大な猛禽類の嘴が下から飛び出てきてあたしの両方の足をグイっと掴んで床の下に引き摺り込む
ん、ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる、んんんん、んんんん、
くねくね体を波状に撓ませながらタイルの裏側に引きずり込まれていく
裏側の世界では船のデッキで男の子がノートに何か書いているのが見えた
巨大な湖の上をあたしは大鷲に掴まれて様さに飛んでいる

ん、ぎゅるぎゅるぎゅる、ん、
船は重いエンジン音をたてて湖を進んでいく
「湖の向こう岸はすがうら」「昔から続く漁師の町」
僕は大鷲が湖に首を突っ込み一瞬で魚を口に咥え
水面から空高く飛び立つのを見た
「ワシのえじきは女の子」「島の方に飛んでいく」「きみをよく知ってるよ」
魚は女の子で柔らかい全身をくねくねさせて遠くの岩に運ばれていく
女の子は岩の上で大鷲に啄まれ喰われてしまうんだろう
僕も本当は大鷲に喰われた方がいいんだ毎日毎日死んじゃいたいんだもん
僕の筆箱は毎日学校で誰かに破壊されてノートには
「バカ」「死ね」「おんなおとこ」の落書きばかり毎日毎日
「僕もえじき」「僕は毎日ごう問されている」
「僕はいくじなし」
我慢してきた気持ちが急に込み上げて涙が溢れそうになった
自分の部屋に入るなり僕は泣いてしまう
お母さんを心配させたくないから理由は言わない
涙を指で拭いては服に擦り付けるきつい気持ちを涙で消毒する消毒するんだ
「風」が「僕を消毒」する

この湖の先の先の先の遠くの寒い土地で戦争が始まった
家族を失くした人たちが泣きじゃくっているのが夕べもテレビに映ってた
「戦争は人間や町をえじきにする」
「教室も戦場」だ
「マンガ本やくしゃくしゃに丸められたプリント」が
「爆弾みたい」に床に散らかっている
僕は僕をいじめるやつらを皆殺しにしてやりたい
んぎゅるぎゅるぎゅる、ん、船が湖面を進んでいく
大鷲は高く高く灰色の宙深く女の子を咥えたまま旋回している
僕はカシカシカシカシ鉛筆で新しいノートにメモをする湖の眼球をひっかく
「手前に見える島のてっぺん」
「女の子が座ってる」
「あばれ回ってワシの爪から落っこちた」
町が焼かれ家族が殺されて泣きじゃくる人たちの顔が湖面に映る
泣きじゃくってるのはたくさんの僕の顔だ湖面を覗き込みながら
僕は泣きじゃくる「さざなみは心臓のこどう」
お母さん、僕、「死にたい」よ
お母さん、僕、「でもまたお母さんに会いたい」よ

「僕の涙が湖面にいっぱい落ちる」
「湖に穴があく」
「女の子はあばれ回ってワシの爪から落っこちた」
「僕はえじきでいい」「えじきなりにやっていく」
「女の子は助かった」「女の子はわかった」
「薬は飲んでもいいけど死んじゃダメだ」
「僕はわかった」「自分だけのかっこいいヒミツを持てばいい」
「ワシといっしょに空を飛んだ女の子」
「誰にもマネできない女の子だけのヒミツ」
「すがうらで」「ふなずし食べてみたい」
「かっこいい」「勇気ってなに」

ぼくはカシカシカシカシ、メモをした
もう涙はひっこんでいた
「僕のかっこいいヒミツ」「僕は詩人だ」
ん、ぎゅるぎゅるぎゅる、んんんん、
湖の眼球が僕に向かって瞬く
漣は湖面が開閉する扉だ
僕の詩が始まっている

「湖は僕と女の子を記憶する」

  * 
 

さざなみのメモ      中三 小里埜 沙舵男

 
大ワシが湖面に急降下する
えものをねらって水面に首をつっこんでいく
湖面の真裏にはきっと別の世界が逆さにある

湖の向こう岸はすがうら 
昔から続く漁師の町だ

女の子がワシのえじきになって島の方に飛んでいく
僕もえじきだ
毎日ごう問されている
遠い国で戦争が始まった
教室もまた戦場だ
破れたマンガ本やくしゃくしゃに丸められたプリントが
爆弾みたいに床に散らかっている
死にたい、でもまたお母さんに会いたい
おとこおんな おんなおとこ 
風が僕を消毒する

手前に見える島のてっぺん
女の子がふてくされて座ってる
あばれ回ってワシの爪から落っこちた
僕の涙が湖面にいっぱい落ちる
湖にたくさんの穴が開く
それは女の子がえじきになった穴

女の子はあばれ回ってワシの爪から落っこちた
女の子は助かった
お母さん
僕はえじきでいい
えじきなりにやっていく
女の子はあばれ回ってワシから逃げた
女の子は逃げてわかった
薬は飲んでもいいけど死んじゃダメだ
僕はわかった
自分だけのかっこいいヒミツを持てばいい

ワシといっしょに空を飛んだ女の子
誰にもマネできない女の子だけのヒミツ
おんなおとこ おとこおんな おんなおんな おとこおとこ
どうでもいいことだ
すがうらでふなずし食べてみたい
さざなみは 心臓の鼓動
僕のヒミツ かっこいいヒミツ
僕は詩人だ

湖は僕と女の子を記録する

     *

僕は湖にできた穴を潜り抜けてアーケードを歩いて行く
じぐざぐに歩いて手指に消毒する
本屋に行って新しい詩集を買う
家に帰ったら書きかけの詩を推敲する
漢字検定の勉強もする
大鷲から逃げた女の子は
今頃どうしているんだろう