広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
四月用翅膀的灰霧塗抹群山、海岸、我們的眼睛。
四月,古老的蜂群在荔枝樹間
鼓噪,釀造出引擎,
我們重新誦讀遺言。
四月的鞋底拍打着小人
⋯⋯疼痛
永生的碎片。
四月,被迫供的花蕾凋零
季節的臨終,而流血不凝
脈動著……
四月,呼喚我們重返戰陣!
可我們已經不再是戰士,
失去了勇氣。
四月,河流在海中漂流,
沿着星星的軌道,
四月暗青的頭顱。
四月,暴雨洗刷了滴血的聲音
我的骨頭竟如此平靜,而春筍勃起
我將是四月的污點證人。
二零二三年四月初 西貢
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四月用翅膀的灰霧塗抹群山、海岸、我們的眼睛。
四月は翼をひろげた灰色の霧でもって、山々や海岸や我々の眼を塗りこめる。
四月,古老的蜂群在荔枝樹間
四月、年経た蜂の群れはライチの木々の合い間に
鼓噪,釀造出引擎,
騒がしげに、エンジンを醸しだして、
我們重新誦讀遺言。
我々はあらためて遺言を朗誦する。
四月的鞋底拍打着小人
四月の履き物の裏で憎い奴を叩き打ち*
⋯⋯疼痛
……その痛みは
永生的碎片。
とわの命のかけら。
四月,被迫供的花蕾凋零
四月、自白を強いられたつぼみはしおれ落ちて
季節的臨終,而流血不凝
季節が終わりを迎えても、流れる血は固まらず
脈動著……
脈を打ち続けている……
四月,呼喚我們重返戰陣!
四月は、我々に呼びかける、いま一度戦さの場に戻るのだ!と
可我們已經不再是戰士,
でも我々はもう戦士となることはないのだし、
失去了勇氣。
勇気も消え失せた。
四月,河流在海中漂流,
四月、川の流れは海を漂い流れ、
沿着星星的軌道,
星の軌道に沿っていく、
四月暗青的頭顱。
四月の青黒い頭。
四月,暴雨洗刷了滴血的聲音
四月、激しい雨が滴る血を洗い流した音
我的骨頭竟如此平靜,而春筍勃起
私の骨はあげくこうも穏やかなのに、春の筍は猛り立ち
我將是四月的污點證人。
私は四月の法廷の後ろ暗い証人となるのだ。
二零二三年四月初 西貢
二〇二三年四月初旬 サイクンにて
* 憎い奴を叩き打ち 「打小人」は、三月初めの驚(啓)蟄の後、四月にかけて、香港では銅鑼湾近辺の橋の下などで行われる呪術的な習俗。「拝神婆」と呼ばれる女たちが、顧客の憎い相手の名前を人型に書き込んだ紙を履き物で叩いて、災いを福に変えるという。
日本語訳:ぐるーぷ・とりつ
今朝
ふたりへ
葉書を書いた
詩人だった
ポストに入れた
それから郵便局で
亡くなった詩人のエッセイ集の費用を振り込んだ
その本の帯に
ぼくらは人生というやつに慣れていなかった **
そう
刷られてた
ぼくらという時代があったのだ
ぼくらという時代があったのだ
たくましい幻想はもうAIに任せたらどうか
クルマで
ディランの激しい雨を聴いてた
帰って花に水をやろう
* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”右や左でみたこと(メガネなしでも)” より
** 清水哲男のエッセイ集「蒐集週々集」帯のことば(部分)
#poetry #no poetry,no life
前愛媛1区塩崎って新宿高校だったんか
覚えておこう
下からと上からが絡み合っての権力だから逃走線を引くのが厄介なんだ
声優やアニソンの世界は縁遠いものと思っていたが、一龍斎春水「講談金子みすゞ伝」の、悪の声色、善の声色を一身に引き受けて目先の発音の享楽に身を任せる処世からポストポストモダンを発送すると判るのは例えばこういう表層の堅さが何故不安を煽っていたのかということ
dj大江はこれらを処理する家電を模索していた?
https://youtu.be/ikyrzKBooYU
世界はメイヤスーヨーグルトだ
則ち攻殻としての容器と味蕾の記憶である
晩年や自決代わりの様式美
箪笥色のセーターを着て
大きな箪笥の前に坐っている
箪笥はニスで光っている
画面の中では手首や顔だけが薄い
青を羽織って
硝子戸の前に坐っている
巨木の園でブレイクの復楽を見ている
ひとりひとりにそのための水
声が出なくなって
水は
根は
ぽきぽき
秘書は去り
饅頭屋は潰れた
アウトドアグッズは小さなパンチの渦を巻き
変化のない洗濯機のように絶望している
鍵がない
#poetry #rock musician
Ⅰ
ここはなんと悲劇的な領域なんだろう
と少年は思った
下のこの領域にいる人々は囚人で
究極の悲劇は当人たちがそれを知らないということだ
自由になったことがないからこそ
自分たちが自由だと思い込んでおり
自由がどういう意味だか
理解していない
これは監獄なのに
それを推測できた人はほとんどいない
でもぼくは知っている
と
少年はつぶやいた
だってそのためにこそ
ぼくは
ここに来たのだから
壁を打ち破り
金属の門を引き倒し
それぞれの鎖を
引きちぎるために
脱穀をしている牛に
くつわをかけてはいけない
と
少年はトーラを思い出した
自由な生き物を収監しないこと
それを縛ってはいけない
きみたちの神たる主が
そう言っている
ぼくがそう言っている
人々は
自分がだれに仕えているか
知らない
これが
みんなの不幸の核心にある
まちがった奉仕
まちがったものに対する奉仕
まるで金属で毒されているかのように毒されているんだ
と
少年は思った
金属が人々を閉じ込め
そして
金属が血液にある
これは
金属の世界だ
歯車に駆動され
その機械は動き続けながら
苦悶と死を
まき散らし続ける……
みんな
あまりに死に慣れすぎて
まるで
死もまた自然だ
とでも
いうかのようだ
と
少年は気がついた
人々が園を知ってから
なんとも
長い時間が経ったものだ
園は
休む動物や花の場所
人々に
あの場所を再び見つけてあげられるのは
いつになるだろう? *
Ⅱ
Ⅰ の記述の内容は
フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』よりの
引用
それを
分かち書きにし
いくらか
自由詩形式に近づけた
ディックが後期に書いたものは
21世紀から22世紀の黙示録と目されるのに
ふさわしいことが
昨今ははっきりしてきている
Ⅲ
あらずもがな
だが
引用行為をし
さらに
改変行為も加えたので
『引用の織物』の
宮川淳を
思い出しておきたくなった
「人間が意味を生産するのは無からではない。それはまさしくブリコラージュ、すでに本来の意味あるいは機能を与えられているものの引用からつねに余分の意味をつくり出すプラクシスなのだ。」
(宮川淳「引用について」)
* フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』(山形浩生訳、ハヤカワ文庫、2015)の訳に多少変更を加えてある。
** 宮川淳 『引用の織物』(筑摩書房、1975)
先住猫が死んだ時、寂しさのあまりすぐ新しい猫を迎えたかった。
でもマリアンネはまた野良猫からこのうちを選んでもらう方がいいと
1年余り猫のいない生活が続いた
果たしてある時、黒いソファの上に知らない猫が座っていた
しばらく様子を見て飼い主がいないと確認し、その猫はうちの飼い猫となった
近所の家の庭にいた金魚を全て掬い取り全滅させ、
ネズミや鳥をよくとってくる狩の名人だった
その猫は日本へ帰国するとき私のそばにいた
飛行機に乗り列車に乗り自動車に乗って埼玉に永住する
一緒に散歩せよと誘いにくると、私たちは必ず彼女の後ろを歩かなければならなかった
猫の歩みがのろくて少しでも前に出ようものならフーッ!と怒った
頭も良く、よくいたずらをして私たちを笑わせてくれる猫だった
今は生まれ変わってどこかでまた誰かを笑わせていたらいいな、と思う
人間は時々憎たらしいが、どうして動物はいつも愛らしいのだろう
何億年前の夢を見る
自分は魚だった頃の夢
海がたったひとつ世界で
身体をくねらせて泳ぐ
泳ぐ
遺伝子の中を探ったら
自分たちの目的もわかるのだろうか