5月の人称

 

工藤冬里

 
 

一人称の多重を理由に
憎まれ攻撃の強まる先の頁は
理由に出来ない疾患のカタカタと
処罰と無力の務所の庭で
名前を肴の宴を張るドキュマン
まず歌うたいを任命し
矢とした
武装を覆す万能感に浸れ
今はまだ空腹ではないのだから
じきに子供を煮ることになる大飢饉の前に
戴冠式のスピーチライターの用意した双頭の犬を仕留めよ
猪はいずれは射的場になる畑に背を擦り付けよ
恐れるのは仕方ないとしても
立たされたまま矢面で歌え
誰からも愛されず一人称は死んだ
子供を連れて向かう刑場
奈良辺りの塔の絵の中に棲んでいる声で
そうすれば動じないでいられます
そうすればeverything’s gonna be all right
苦痛もなくなりますがよいですか
頭が一つしかない犬はゼリーの階段に居る
いや黒胡麻汚しのプリンかもしれない
その三人称には子供だった時とお姉さんになった時の二種類しかなかった
バイトしていた回転寿司が潰れているのを今日見た
お針子の口調で目標と言っても小さなもので大丈夫ですと言い滑り
マスクと眼鏡と眉毛の双頭が退くと
気から来た痛みが腰から昇ってくるのを
歌で呼ぶ救急車に猪を乗せ
腹を割ったら紫水晶だった
波及するシステムの中で困難は売られている
噴火の見える最終階の煙たい備蓄に歌が戦ぐ
黄色なのか金色なのか兎に角装って
噺家の死前喘鳴を続けよう
どこから抽出されているか分かるまで鉛筆で
この体という家にいる限りは本当のことを言ってくれる人から
いくつもの真が放射場に語られる
体現し吸収するこの平たい家に下水はあるか
雲は青白の洗濯機に入る
栄養豊富で添加物もない経路に
雲水の書を流すか
爆破するのは半導体工場ではない
ラーメン屋のカウンターで手放した刃物で
新しい歌をなぞる

 

 

 

#poetry #rock musician

狩 *

 

さとう三千魚

 
 

今朝
風が吹いてる

枇杷の
黄色の実の

初夏の日射しを受けている

モコは
玄関のタイルの上で眠っている

女は
御殿場の

アウトレットで買った茶色の
チェックの

半袖シャツを着て鏡の前に立っていた

ながく
立っていた

それから
クルマで出かけていった

モコを抱いて
女を

見送った

しゃがんで
庭の隅の

カサブランカのまっすぐに佇つ緑の花芽を見ていた

青く
膨らんでいた

紫陽花の白い小さな花たちもひらいていた

女と
モコと

いつか
野の花を狩りにいこう

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”スポーツとあそび” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

シフト

 

廿楽順治

 
 

ぼくは
おじいさんの沼にはまっていく

羽なしで
ものをはこぶよろこび

(世界はすこしも動かないのに)

箱がいつか
眠る位置を変えていて
ぼくのシフトがひかっている

はこぶ姿で
ぴったりと
暮らすじぶんの骨格をくずさない

(内戦や)
ものの生死を

むずかしい教えのとおりに
見過ごしていく

虫の
ひとつ目

羽なしで
おじいさんの沼に