万歩計9585

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

スマホに 万歩計
小一時間歩くと 6750という数字
歩きなれた 関町から吉祥寺
垣根の白バラは 年々ふくらみ
悩ましい 花の生死が 匂う
万歩計は 6750で
音もなく たちとまる
そして さらに きざまれ
真昼の空の青みを 裂いて
月から落ちてくる 林檎の音
地球の裏の 鯨のため息
ウーヨン ウー ウーヨン ウー
すれ違う 四匹の犬はおとなしく
どこかで 鳳仙花が 破裂
アリランが 空耳で ラプソディ
記憶が ひび割れて
シチリアのモザイク
クロスワードが ギクシャク

あたまのなかの 赤いポスト
スヌーピーの84円切手が笑った
返事を書こう 文字を書こう
藁の紙に ペンを走らせたが
文字は浮かばなかった
鉛筆を走らす 速度を変える
音がかわる 色が変わった
ここは どこだろう
万歩計は9585

そこで一枚の絵を 思い出した
ダウンの子 U君が描いた絵
彼はことばを語らない 歌わない
シセツの 絵画教室で
30分 たっぷりかけて
たった一本の 線を引く
すこし 首かたむけて
軽くかるく 鉛筆をにぎり
30分かけて たった一本
20センチの 線を引く
これまでに 見てきた 無数の絵
U君の一本の線ほど
胸に迫った絵はない 本当です
この微々に ふるえる
たった 一本の線
U君は 天才的におだやかで
天才的に 語らない人
U君が この世界で
感受しているもの そのすべて
一本の線が 語りかける
万歩計は 9585のまま
U君とは 二度と会うことはないだろう
げんきでいればなあ
この星の どこかで