ジェームズディーンのように(Bicycle,)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

チーム今井の、実が、なり始めた。
それは、グループホームスタッフからなる
「愛」の行為のグループ。

チーム今井の実は、5人からなっている。

リーダーの相澤さんは、
精神保健福祉師。グループのリーダー。
まだ40代を少し過ぎたくらいで、支援の仕事全体を統括する。

それから、まだ勤務歴3年の西原さんは、僕の支援代表をしてくれている青年。

それから、山神さんは、僕と同年代の買い物代行をしてくださる女性。

それから、北條さんは、僕の入浴支援をしてくださる中年の男性。

そうして、津川さんは、居住者に月に数度
格安のお弁当を提供してくださる主婦。

彼ら5人は、早朝から、自転車を漕ぎ廻して5棟からなるグループホームへ支援に行く。居住者は皆、精神世界を病んでいる。

スタッフは皆それぞれに有資格者で、協力し合って、精神世界のさなかで暮らしを営んでいる。彼らの業務は主に支援計画を立てることと日毎の支援で、それで生活を営んでいるのだろう。

「愛」で行われている彼らの行為を、僕は、「純度の高い愛」──と常に、呼んでいる。それ以外の他の言葉が、見つからない…。

それが、彼らの行為の、本質だ。

………………………………。

あるよく晴れた春の朝。

僕がグループホームの居室間近の作業所へ行こうと小さな通りに出たところ、
「おっはよう、ございまーす、今井さん!」僕の支援代表をしてくれている西原さんが、自転車に乗って、僕に手を振ってくれている。
「やあ、西原さん、おはようございまーす。」

西原さんの後ろには、自転車に乗った、山神さん、北條さん、津川さんが、小さな扇型になって続いており「おはようございまーす。」と口々に挨拶の言葉をかけてくれる。「おはようございまーす、皆さん!」と僕も元気よく挨拶をかけている。(ところで、あれ?精神保健福祉師、グループのリーダー、相澤さんは、どうした?)

不思議に思って振り返ってみると、「重要書類」を束ねてあるらしい「ドラえもん」のバインダーを置き忘れたらしい相澤さんは、急いで事務所戻り、全速力でチームに合流しようとしているところだったのだ。

その猛スピード、誰かを、思い出すな…。アメリカの俳優ジェームズディーン。1955年に愛車ポルシェで激突事故。わずか24歳で急逝してしまった、現在でも大変な人気のある男さ。そのジェームズディーンと相澤さんを比較するのは無謀、というものだが、全速力で駆け抜ける「純粋さ」だけは、しっかり認められるべきだろう。顔はちっとも似てないし、捲り上げられた足に靡くすね毛は清潔とは言えないが、とにかく、走る、走る──。

相澤さん。ジェームズディーンのようには死なないでくれ。僕たちも、頑張って、できることを、精一杯、やり抜く、からさ!

 

(2024/04/19 グループホームにて。)

 

 

 

人生のキス、場合のキス(Lips,)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

くちびる、
人生のキスは、生涯に1度限りのキス。
忘れ去らない。

その、厚みを。

くちびる、
場合のキスは、生涯に何回かの、キス。
時には薄れる。

その、時間を。

場合のキスが、「相手」の人生を
打ち壊したことがあった。

僕は、すべてのキスを忘れたくはなかったが。

でも、人生のキスも、
場合のキスも

をんなの髪に纏わりつく花びらように

千々に咲き残っていることがあったのだ──。

 

(2024/04/14 グループホームにて。)

 

 

 

荒れた家

 

工藤冬里

 
 

皿の水は乾いた熱気に晒され
紋章は鳩の内臓
空元気の思い出
水田を切り拓く山奥の
オレンジの土壁の倒れた山道
キャベツの、罪を捲れて球形
石の混ざった黒っぽいアスファルトがキッシュのようだ
甘い本で腹を満たし
泥水を跳ねかけられながら寝そべり
髪の毛を植えるパフォーマンスは無視される
プレッシャーに打ち勝ち汚されないために
決断し続けても
荒れた家
マラコイμαλακοὶかアルセノコイタイἀρσενοκοῖταιかに関わりなく
かなり荒んでいるのが分かる
梁と柱しか残っていない
言葉は家ですと言った時
壁は落ちた
言葉は家ですと言った時

 

 

 

#poetry #rock musician

雨が降っていた **

 

さとう三千魚

 
 

今朝
目覚めたとき

降っていた
雨の音がしてた

階段を降りていった

台所で
コーヒーを淹れた

歌人が書いた
エッセー本の表紙を見てた

野見山暁治の絵か

とも思えた
本のタイトルは”野良猫を尊敬する日”だったか *

我が家に猫はいない

 

・・・

 

** この詩は、
2024年4月24日水曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第4回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

* 穂村弘さんの著書のタイトルを引用しました。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

繰り返すな、大きな過ちを

 

ヒヨコブタ

 
 

わたしが幼かったときこの国はもう戦争は起こさないだろうと
思いこんでいた。
その頃周りに戦争のさまざまを知っているひとが、語るひとがいたから
その苦しみをもうさせたくないと言うひとがいたから
わたしはじぶんの国のことよりも、よその国で止まぬ戦いに涙し祈っていた
明日こそは誰も理不尽に死にませんように
ちいさく拙い発想でもそれが叶うと信じていた

今、この国の進む未来に
昔年寄たちが話していたことの正しさに怒りときに
落涙する
人間は愚かだから、過ちを繰り返す
戦争も時が経てば忘れたようにおこすかもしれないんだと
そんなはずはない、あなた方の苦難を覚えていればそんな将来にさせないと
確かにあのとき思っていた

なぜ過ちにつながることをするのだ
あなたは無事でも、その子ども等が人を殺さなければならぬ道につなげてはならない
おのれのいっしゅんの欲望のはけ口に
戦争を持ち出すな
その欲望のためになくなる命があってはならん
あちこちが破壊され、なぜ我が国だけが通常でいつまでもいられると思えるか?

今のこの国に一旦失望し、前を向こう
あきらめない
誰の命も人生もあきらめない
わたしはそのために生き延びたのだと思うから