刺シツ刺サレツ

 

工藤冬里

 
 

10月
そのカメは咬むかもしれない、と思って海から営業所に戻ると電話があり、部屋に出たというので行ってみると二世帯住宅で、ベッドの下辺りを移動している。別室で時系列に纏められた訴えを聴く。二人で路上に出るとシルバーのプレートを使って動いているやつがいる。これなら捕まえられると思い裏返して運ぶが薄紅立葵のように儚くずり落ちてしまう。タクシーで送って貰い名刺を2枚渡される。旦那は随分歳上で、自分は詩を書いていると言う。カメの詩ができたら見せてくださいねと言って別れる。

料理人兼djが曲の途中に高回転のジェットタオルのようなノイズを入れる。この辺りには鯨のメニューがある。ジェットタオルが来るぞ来るぞと思っていると違うのが来ることがある。これは逆なんですと説明されたので、スクリューな、と言うと棚のオーロラソースが頷く。

11月
なぜ邪魔が入って遅れるという悲劇的な結末ばかりなのか
間に合わなくなることが主題なのか

2月
砂漠の砂を使って塔を建てる
その高低差を利用して水を得、土を作る
あわよくば電気もおこす
コンクリの質はピンからキリまである
ダイヤモンドよりもやわらかくてあたたかな硅素と炭素が関係している
idealなカオリナイトのように
定められている

no shelter from the storm
最終部分は緋色の(rev17)、英米は2本の角のある、最後の偶像としてのUNはその野獣の像(rev 13)で表されているのだからチョコレート戦争たる反日は反UNに進むべきだったがUN経由の寄付しかできないという戦争チョコレート100%への退行が自治とミレニアムの岐路となっている
雨霰と降り注ぎ赤も混じって泥色川向こう
ダイソージュニア

3月
街宣車を全部ヤンゴンに移送する

To Jon Dale
小杉がサティと併置してみせたヴァイオリンのインプロヴィゼーションは、「共にそこに在るだけ」という日本的な集団即興術の精華であった。演奏者間のインタープレイを捨て切ることによって、逆に、観客にジャズの果てそのものを俯瞰させるのだ。それはやがて90年代以降の平面化とも相俟って環境音の不可避的導入にも繋がっていく。
ただし話を戻すと、小杉のヴァイオリンの、楽音に対して浮遊する位置定めにはコツが要る。それ自体コード分解に匹敵する逃げ去り方、そう、即興とは世からの逃げ去り方なのだ。それには「フルクサス体験」とでも言うべき世代の感性が必要になってくる。
3c123という電波銀河の名前を持つ元赤軍の男はまさしくその世代を生きている。まだ生きている、と言ってもいい。石工の仕事で肺をやられて死にかけているからだ。80年代初期に、国立の、巨大なトカゲの居る彼のシェアハウスに居候していた頃、「眼によるデッサン」のような修練を巡るさまざまな嵐があったことはここでは書けない。

レコード→ブック→アート・フェア→
と「美術展」の終わり
工芸の封じ込めと「個展」の再領土化
「パーティー」と部族化の大義

May October、ラストの撮影シーンが「王国」に似てはいるが女はサイコパスなんかより強く悪くなれるなぜなら昔の未来と目の前の過去しかないから、という主題なのではないか

異次元エフェクター
you saw 富裕層
夢であまりにも疲れたので寝たい
なまらあずましい

4月
なんとなうあふさかのすじひのあをき
あなたのびる
みせのなまへとばらのなまへと

氷結祭り
裸で走ってる夢見る。ラリーズ?
猪肉の自販機のある道の駅

チー牛トライアングル
高山チー牛

みどりちゃんが悉く実況してくれるお陰で戦地映像の嘘と株価操作が手に取るように分かって辛い。大戦がバチカンに及ぶのももうすぐだろう。それはこうしちゃいられないっていう勇気を僕に与える。僕らにではなく僕に与える。僕らはひとりで闘っている。個人の、認知戦争である。
認知戦の犠牲者がまず子供であること、それを利用した架空の一発逆転が今は映画である。
騙された振りを続けるのが横滑りの永久更新たるハリウッドであるのならそれも、騙されないぞ!という表現より遥かに映画ではあったのだが。
映画を映画たらしめる要素をいくつか抜くこと。ラーメンをラーメンたらしめる要素をいくつか抜くこと、それが映画であるべきなのだ。

母が何回も肋を折るので僕もArdbegをラッパ飲みしてみたが気持ち悪くなっただけだった

なあかっつん

見たぞ再加熱

5月
タイラー君からキム・ヨンジンのベスト盤を出すのでコメントを、と求められ昔書いた文章を探し出し、行衛をコプチャンチョンゴルに改めて送った。最初の場面はスペイン坂の人間関係と思うけど足さなかった
変にひょろ長いフレンチフライを箸で摘まんで 3回に分けてゆっくり ゆっくり 口に押し込んだだけで会計を済ませ
諸君はキム・ヨンジンに対して言葉を持たないのか。情けないな。仙人然としたあれはロックに対する観照<テオリア>なのだ。実践だとセオリーになってしまう。極東からロックを眺めよ。残念ながら行衛はロックンローラーである。俺とキム・ヨンジンはそうじゃない。最初から抱きしめるつもりだった。
2012.9.26 渋谷 公園通りクラシックス

FBでイルミナティの勧誘が来て削除したんだけど共通の友達を見ると結構な数の音楽の知り合いが友達申請を受け入れていてあとキムタクとかも居てちょ待てよとゾッとした
サタニズムを舐めてると大変なことになるぜ
コーちゃんもそれでやられたんだ

雨かんむりに鶴

テクニックを排したポピュラー、工芸性を排した民藝
橋渡しを排した梯

嘘の風土記の「俺は未来のずぼんを求めてさまよえない」の「ずぼん」は唐さんの小説から採られています
あとコーちゃんの叫ぶ「風があっちからこっちから」は「黒犬」の台詞です
あとは
水上音楽堂ステージ下の池は今でも対馬海峡だと思っています

一般論にならないものをマニュアルとして敷衍しているものが多い
この取り去りはエノク状態?
欄間とタンパンの違いのようなものだ
cartoonのように血塗られている
岡本様

参加ありがとうございます
15日は僕は昼前には羽田からアメ横に向かい、大抵はカドクラ、たきおか、大山、大統領、とかにいます
1時くらいから人が揃いはじめ、3時くらいには通例大体揃います。
会場の外の植え込みのあたりで楽譜のない人のためにコピーしに行ったり個別に説明したりして時間が無駄に過ぎていき、あっと言う間に5時くらいからステージでリハできますと福岡さんが言いに来ます
ここでよく言われるのが譜面台を持ってくればよかった、あと風で楽譜が飛ぶ、です

さて肝心の曲ですが、5月ということで、個人的な思い入れに関わることだから、というだけですが、メインに「九四国フェリー」というのを考えています
全体の譜面はこのようなものです



フルートだけですと、これです

ちなみにチューバは

今回はこの曲から始まり、船のボイラーを模したつもりですが一拍子のリズムだけ残して船内のショーのような他のいくつかの曲を挟み、またこの曲に戻って終わります
いつもこの曲をやるときは、譜面を演奏しない参加者には、フェリーに乗ったつもりになってもらって、聞こえてくるであろう風の音や波の音、ボイラーの音、カモメの鳴き声、などの再現してみたい音を各自で決めてくださいとお願いしています。たとえば昔この曲を法政で初演した時はアンデルセンズのつびー君は船の中でカップ麺を作って食べる時に出るノイズ、というのをやっていました。今回は中原君がEMSかWASPで参加したいというので船の中のネズミとかを再現してくれるのかなと予想しています
ベースがいないので、美紀子さんはコードを押さえてドラムのスティック様のもので弦を叩いてボイラーのような音を出します
ドラムは最初から最後まで一拍子で、途中別の曲になった時も船に、もっとハッキリ言えばステージ前の池の演劇史的な記憶から言って対馬海峡を渡る船に乗っているというゴジラ-1.0的情況は変わらないというわけですから、低く一拍子をキープします

さて、白石さんが最初客席でサックスを吹くので、それが一段落したら始めます(といまのところは計画しています)
今回は昔のふいご式の汽笛をゲットしたので、LOS APSON?店長山辺氏が大型船(のつもり)用の出航の合図(C#の長音3回)で参加してくれるそうです。演奏中も(本人には確認していませんが)、左から追い抜いたり、右から追い抜いたり、危険を知らせたり、救助を呼び求めたりする汽笛合図を法に従って鳴らし続けてくれる筈です。
どうせならジュネの劇みたいにセーラー服を着てもらいたかったのですが、彼がOKするかどうかはわかりません
総譜をMusescoreに入れた音源がhpで聴けるので参考にしてください
https://torikudo.com/archive/%e4%b9%9d%e5%9b%9b%e5%9b%bd%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%aa%e3%83%bc/

さて、「九四国フェリー」の中間に挟む船内ショー的な曲についてですが、いまのところ以下の18曲が候補に挙がっています
これらは前回下北シェルターでやった時以降のもので、いずれも工芸性(やそれに割く時間)を留保した<今はその時ではない>という考えに基づいています
それでは順番に説明します

●dégradé(2024.2.17re)
reというのは今年の2月17日に以前思いついたものが再び思い出された、という意味です
上下段に分かれて繰り返します


この上に、dégradéという、その週に書いた詩の一部を乗せて曲にしようと考えましたが、書かれているメロディーはリフであって歌は言葉に合わせて別に作らなければならないので、パレスチナで家族が生き残る確率のこと、LGBTQ(雌雄同体のナメクジのことですが)、など底辺に流れる感情の要請からアラブ音階について調べ、それがユダヤ音楽のジュヌスに当たる数音で構成されており、後にペルシャやトルコの影響もあり複雑化するも単純化すると三度(と七度)を25セントほど下げる音程に特色があると分かり、それを意識することにしましたが、所詮所謂アラブ音楽の情感とはほど遠いものになるだろうことへの居直りから、以下のギターのフレーズも参照として記録してみた(微分音の指示は西洋のアプリにはないので省略されています)というのが以下です


それぞれのスコアのmidi音源は以下にmp3がアップされており、バンキャンで実際に演奏しているリンクにも飛べます
https://torikudo.com/archive/2024-2-17/

●2024.2.28
https://torikudo.com/archive/2024-2-28/


これはユニゾンで、二回繰り返します
二回目は好きな音程にずらして構いません

●2024.3.2
https://torikudo.com/archive/2024-3-2/

オーボエの段は殆どの楽器の主旋律です
クラリネットはBbに直してあります
ピアノはないのでアコーディオンとかピアニカの人が押さえられる範囲で演奏しますが、無駄な重複を避けるという意味ではベースやメロディーラインと被るところは省くと良いと思います

●BDJAm15/03/24
https://torikudo.com/archive/bdjam2024-3-15/


BDJというのはblues du jourの略で、決まりとしては4小節目毎に3拍目を意識して遅延させます
基本は3回繰り返しで、二回目はこのテーマに対する各自の応答です

●2024.3.19 (Piccinina)
原曲はヴィニシウス・モラエスです
https://youtu.be/lz1QsLOuWjU?si=zYxrn0WXpL8QwtjF
美紀子さんは時間あればギターでなんとなく押さえられるように準備できますか?真ん中の段は歌なので演奏する必要はありません。
https://torikudo.bandcamp.com/…/piccinina-vin-cius-de
https://torikudo.com/archive/piccinina/


●2024.3.22(二足歩行のブルース)
https://torikudo.com/archive/%e4%ba%8c%e8%b6%b3%e6%ad%a9%e8%a1%8c%e3%81%ae%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%b9/

下の繰り返し以外決まっていません
歌詞は以下です

俺は腹に何かを詰め込んで彷徨っているゆうれいにすぎない
見上げる一様にうすあかい夜空に月は見えず
単発の大喜利で歩を進めているだけだ
祈ればいいんだという声が聞こえ
未来の俺は祈っているが
それは遠い過去のようだ
分断がそこまで来ていて
本は最強決定戦のみとなった
嘘くさいだろ、嘘くさいだろ、という横風を受けながら
踵に集中している
シオン
とうとうふたりだけになってしまった
きみどりと茶色だから古生代ぽいのだろう
その木からシオンに線を引いて
心臓を経由させると
いくつかの電波は情を点滅させる
黄みどりと緑と茶の混じった全体は日没に向けて暗くなってゆく
親子の情を基本に据えた世界が今日も暮れようとしている
従順によって今では可能になった
シオン霞ヶ関で働いている
グローバリズムに植え付けた願望?
暮れていった 暮れていった
日本が最初に暮れていった

●2024.4.10はかにむかう車のなかで(2004)
掃除していた時見つけた紙切れに書いてあった歌詞で、おそらくフォアローゼズの瓶がピアノの上に置いてあったのを見たのではないかと思われます
https://torikudo.com/…/%e3%81%af%e3%81%8b%e3%81%ab%e3…/
挙げられている音源は、自分のルート音でスマホに吹き込んだものを無理矢理「毛皮のヴィーナス」のイントロのループに乗せたもので、再現する時もスマホをマイクに当ててループを流すと思います
生音の演奏は特に指定がありません

はかにむかう車のなかで
やわらかなものにのしかかるように
はかのなかのあまぬののように
じったいのないからだのうえで
うらのしょもつは
まわり道するよっつのバラ
先まわりする
●2024.4.11
https://torikudo.com/archive/2024-4-11/

●2024.4.14

●2024.4.15
https://torikudo.com/archive/2024-4-15/

●2024.4.17

https://torikudo.com/archive/12938/

●2024.4.22(駐車場)
https://torikudo.com/archive/%e9%a7%90%e8%bb%8a%e5%a0%b4/
にバンキャンのリンクが貼ってあります
コードはG Em Bm Bですが最後の方でBmがAに変わったりします
基本一人でやっているのでほっといてください

G Em    D Bm G Em D   B
スーパーの駐車場で 目を閉じて 腕を前に突き出して
G Em    D B  G Em
飛び込んでくるのを 待っていた 駐車場になって
D B G A D B
待っていた 来る日も来る日も 待っていた
G Em D B
駐車場になって 待っていた

●2024.4.23
https://torikudo.com/archive/2024-4-23/

●2024.4.24-1
https://torikudo.com/archive/2024-4-24/

●2024.4.24-2
https://torikudo.com/archive/2024-4-24-2/

●2024.4.28 Fluß ohne Ufer(岸辺なき流れ)
ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」は、「失われた時を求めて」、「フィネガンズ・ウェイク」と並ぶ20世紀の三大小説と云われていますが完訳までに50年かかっていると松山で日本語を勉強しているロシア人のアントン君から教わり、図書館で借りて三週間かけて読み終えました
読んでいたら作者の書いた楽譜があったので、それをやるという趣向です
ヤーンという人はパイプオルガンの修繕の仕事もしていたようで、音楽を思いつくことについての記述が多く、古楽からジャズに至るかれ独特のロック史を持っています。
https://torikudo.com/archive/%e5%b2%b8%e3%81%ae%e3%81%aa%e3%81%84%e5%b7%9d/


上か下を伊地知さんに歌ってもらえたらよかったんですが、今回は17日「アントネッロ結成30周年記念公演」で居らっしゃらないということなので、渡辺さんと小関さんが楽器をやめて上を歌い、楽器の人は上下に分かれてユニゾンで演奏します
下はバリトンの人じゃないと歌えない低さですから演奏も含めてオクターブ上げてもいいかなと思います

●2024.4.29(2024.4.24re)
https://torikudo.com/archive/2024-4-29/
これは4月24日と同じものを違う調性で思い出したものです

●may i
福岡さんがやってほしそうなのでやります
バスーンは上の段です
他の人はあまり編曲してないので好きに演奏してください
https://youtu.be/6EysN54ROR8?si=ElnvPennT99P_Lb4

すごくいい方法を考えついた。最強と言ってもいい。

刺しつ刺されつ

人間に希望を与えることなどできないので彼は小麦アレルギーを蔓延させることくらいしか思いつかない


僕の文章が隅に載っていますが判別できません。
「新宿のタカノの真下の紅茶屋の??
??ガーデンはぞっとするほどおい
しい。またクッキーのヨークシャイアーは??す
るほどおいしい。でも??は??の
??のように苦しい」

旅団の大きさの結構は求めていないが下部がほどけてしまっていってる

 

 

#poetry #rock musician

飛沫をあげていた

 

さとう三千魚

 
 

一昨日かな

夜中に
荒井くんから

電話があった

荒井くんは
無一物野郎のスタンディングを褒めてくれた

カッコイイよ

そう
言ってくれた

なぜわたしが女を女と書くのか
とも

言った

わたしには
女は女だから女だけど

女と書くと
なまなましいのだという

女も
男も

なまなましいでは
ないか

妻と書けばよいのか
奥さんと書けばよいのか

志郎康さんのように麻理と書けばよいのか

女は
女だ

この女が命をくれた

今日も
午後に

海を見てきた
波はテトラにあたって飛沫をあげていた

海は海だろう

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

蟹男

 

長谷川哲士

 
 

愛を標本箱に取って置いた
秘密がまた増える懊悩
日付を暗号化すれば

声が風呂場から聞こえるが
恐ろしくて
甘い物無駄喰いし

少し風呂を覗いて
また
恐ろしくなって

むしゃぶりついて武者震い
家に帰ろうと
決心の賭場に上がり込む

尻鼠喰らい付いて
秘部間際まで穴だらけ
どの穴から誰のもとに帰ろうか

 

 

 

雨はかぎりなくすばらしい

 

駿河昌樹

 
 

     そのとき、
     「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
     と言う声が、天から聞こえた。
                 マタイによる福音書3-17

 

見ていると
雨は
かぎりなくすばらしい

この星に来て
からだを着てからは
大人たちから
雨はよくないものと教え込まれ
濡れると拭かなければならないと教え込まれたし
傘もなしに外に出て行けないので
めんどうで憂鬱なものと教え込まれたが
そんなことを教え込む大人たちから距離を取り
そんなことを教え込まない大人にじぶんがなってみると
雨はめんどうでも
憂鬱なものでもなく
ちょっと濡れても
そう神経質に拭く必要も
べつにないもの
とわかった

大人にじぶんがなってみると
雨をめんどうで憂鬱なものだと教えた大人たちは
ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとれない
ごくごくつまらない種類の大人たちだったと
わかった

子どもと呼ばれた頃のわたしは
ほかの誰でもなく
いまのわたしにこそ育ててもらいたかった

見てごらん
雨は
かぎりなくすばらしい
めんどうでも
憂鬱でもないだろう?
からだが冷えすぎなければ
ちょっとぐらい
濡れたって大丈夫
椅子やソファをすこし濡らしたって
大丈夫

何十年も前のわたしに声をかけ
わたしはそう教える

かぎりなくすばらしい
雨のなかへ
濡れるのも気にせず
こんどは
もうすこし自信を持って
何十年も前のわたしは出て行くだろう
雨をめんどうで憂鬱なものだと教える大人たちに
きっと怒られることになるだろうが
ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとり続けようとする
いまのわたしへの道を
彼は歩み出そうとするところだ