佐々木 眞
吾輩は、蝉である。
蝉なんだけど、この国のニイニンとか、アブラとか、カナカナとかミンミンのような、しけた蝉ではない。
17年に一度地上に出てくる17年蝉なのよ。
おらっちはいよいよ来年の夏に晴れて地上に出てくることになって、その最後の準備をしているところだ。
準備とは何か?
君らは知らんだろうが、蝉の生涯の大半は地下における幼虫時における宇宙的、哲学的思惟に費やされる。
17年蝉のおらっちが、17年間考え続けていたこと。
それは君たち人間と同じで、悪い奴と戦争をしてもいいか、絶対にダメなのかという大問題なんだ。
戦争反対を唱えたり、叫んだりするのは、簡単だ。誰にもできる。
でも実際にアメリカ兵とか、中国兵とか北朝鮮兵とか、ロシア兵とか、あるいは他ならぬわが国の自衛隊員が、われらに向かってワラワラ突撃してきたら、どうしたらいいのだろう?
ある人は、逃げろ、逃げろ、どんどん逃げろ、と勧める。
またある人は、自分で自分の身を守れ、と説く。
しかしどんどん逃げろといったって、貯えもないのに、いったいどこへいけばいいのか。身を守れといわれても、一人ならともかく、家族もいるのだから大変だ。
さいわいおらっちは蝉だから、戦争が終わるまでずっとこのくらい穴倉に閉じこもっていればOKだが、君たち人間はそうもいかんだろう。
敵が襲ってきたら、とるものもとりあえず、台所にある包丁を振り回して抵抗するだろうが、いずれは多勢に無勢で、捕まるか、殺されるだろう。
はなから無抵抗で両手を上げて降参すれば、場合によっては助けてくれるだろうが、その場で、家族ともども、皆殺しの悲惨な目に遇うかもしれない。
それに、幸か不幸か健常蝉であるおらっちは、逃げるにせよ、戦うにせよ、無抵抗で殺されるにせよ、いくつかの選択肢があるけれど、息子のような障害蝉にはそんな贅沢はない。
よしんば戦おうと思っても、戦うことすらできずに、赤子蝉のように殺されてしまうだろう。
「先天的に戦わない、戦えないことしか、武器にならない」、そういう存在が障害者だとしたら、おらっち健常者も、にわかに後天的な障害者になって、「戦わない、戦えないことを武器に戦いに臨む」ことが出来るかも知れないな。
食うか食われるか、のるかそるかのAI殺人兵器大戦争の最前線に、まるで時代遅れのガンジーか、山背大兄王のようなゾンビたちが、西馬音内盆踊りやブレイキンなぞを踊りながら、ふらふら迷い出てきたら、どうなるんだろうな。