群青になる

 

さとう三千魚

 
 

夕方に
行った

今日も
行った

マリーナ横の

夕方の
海の

ゆらゆらの

見てた
揺れている

ゆらゆら
ゆらゆら

揺れている

すべての青い波は揺れている
すべての青い波が揺れている

夫婦の釣り人ふたりは昨日もいた
ふたりは並んで釣っていた

釣り糸を垂れ
撒き餌を撒き

黒鯛を
狙って

いる
揺れている

浮のまわりの
ボラたちの

腰を振っている
平たい唇で餌を吸っている

青い波の

暮れて
群青になる

ゆらゆらの波の群青になる
ゆらゆらの海の群青になる

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

変奏曲的な関係の私たち

 

村岡由梨

 
 

もう何もかもから解放されたい
誰か助けて

私がそうノートに書き殴った次の日。
ヘルパーさんが見守る中、
義母は息を引き取った。
義母の誕生日のちょうど1日前だった。
今際の際、右眼から涙をひとすじ流したという。

草多さんは仕事を切り上げ、早めに帰宅し、
野々歩さんと私は一緒に上原に駆け付けた。
まもなく医師が到着し、
義母の両眼にペンライトをあてて
死亡確認がなされたけれど、私には信じられなかった。
今にも言葉がこぼれ落ちそうな黄色く乾いた口元。
うっすらと開いた眼で私を見ているようで

こわかった。
泣けない自分が後ろめたかった。
自分の気持ちを押し殺して
偽物の優しさでオムツをかえてきた。
偽物の優しさで
大好きな炭酸飲料を気の済むまで飲ませた。

そして今、水を含んだスポンジで
黄色く乾いた口元をそっと拭う優しさ
ただそれだけの優しさが私にはなかった。
骨と皮だけになった義母。
これ以上この人の何を怖がるの。
何を求めるの。何を責めようというの。

ふと、「人は亡くなった後1時間くらい聴力が残るらしい」
という流説を思い出して義母の枕元に座った。
ありがとうございました。と言うべきか。
ごめんなさい。と言うべきか。
義母の顔を見ていた。
やっぱり野々歩さんによく似ている。
自分の愛する人と風貌がそっくりな「この人」と
最後まで分かりあうことができなかったのは、なぜだろう。

野々歩さんのお父さんお母さんが亡くなって、
次は、野々歩さんと私の番だ。
私があの世へ行ってあなたに出くわしたら、
「あんたのことが大嫌いだった!」
「あんたが何と言おうと、野々歩さんは私のものなんだから!」
そう言って、横っ面を思い切り引っ叩かせてください。

憤慨したあなたはきっとこう言うでしょう。
「私だってアンタみたいな根暗、大嫌いよ!」
「私には志郎康さんがいるんだからね!このバカ女 !」     
そして、思い切り私を引っ叩き返すでしょう。
その後、気の済むまで引っ叩き合いしたら
一緒に大笑いしましょうよ。
野々歩さんも、志郎康さんも、
そんな私たちを見て、お腹が捩れるくらい笑うでしょう。

今頃、天国で笑顔のまりさんと志郎康さんは
ダンスでもしているんだろうな。
二人は、永遠に詩の中にいて
詩集を開けばいつでも笑顔を見せてくれるはず。

そういえば今日、空を見上げたら、雲ひとつない晴天だった。
野々歩さんを産んでくれて、ありがとうございました。

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

最期になって
どうやらわたしはまた勤めに行くらしい

昨夜からの雨が
(つづいていて)

ひとびとは首を低くしながら
眠りを急いでいる

夜は何度わたりましたか
(正確に言ってみましょう)

そこでは大きな戦争のようなものが
ありましたか

最期の職場なのに
またおつりをまちがえている

ああ やっぱり
だいじな朝なのにあわないのだ

大きな戦争のようなものが
空で
あったから