六道巡り

 

佐々木 眞

 
 

私は銀座で行われる忘年会に行かねばらないのに、誤って西方に向う「バスに乗ってしまった。後ろの座席には小山イト子と川村みずゑさんと元アンアンの編集長だった女性が座っていて、「西永福はね、元は西福原といって、平家の落武者の末裔が今でもたくさん住んでいるのよ」という話で盛り上がっていた。

もうだいぶ遅くなってしまったので、私はもう銀座の会は諦めて、とりあえず上司のセイさんに連絡しようと思ったが、会場の電話番号も分からないし、ケータイを持たないセイさんへの連絡方法も思いつかないので、とりあえずバスの中で「在天の主よ、余の欠席を許されよ」と祈りを捧げた。

すると、バスの進行方向に赤い飾りを巡らせ「修羅道」と書いた第1の門の扉が開いて、小山イト子と川村みずゑさんと元アンアンの編集長が次々に入っていったので、私はしばらく、なんじゃらほいと見つめていたが、思い切って彼らの後を追った。

修羅門の前で「ひらけゴマ」とお馴染みの呪文を叫ぶと、ただちに扉が開いたので、私は薄暗がりの中を西へ、西へとグングン進んでいくと、突如、修羅にたどり着いたのよ。

そこには金髪男のトランプと熊のプーサンの習近平、元KGBのプーチン、殺人鬼のナネタニヤフなど筋骨隆々、悪辣非道の阿修羅たちがたむろしていて、俺が俺がの我よし競争を闘っておった。

やっとこさっとこ修羅門を逃げ出すと、次の第2の「畜生門」が待っていた。

その中では牛馬豚のお面をかぶった2等兵が、水底の貝になることを夢みて未来永劫終わることのない瞑想ザゼンに耽っていた。

軍隊とか軍人とかは大嫌いなので、いま私は、神田周辺の雑居ビルのエレベーターに乗っている。

毛皮の外套を着てハバナをふかしているなにやら偉そうな中年男と一緒だったが、狭いエレベーターに途中で乗り込んできた連中に押されて、ハバナ男のハバナを叩き落としてしまった。

エレベーターが地上階についてから、私はそのハバナ男にハバナの1件で、「申し訳ないことをした」といちおう謝ったのだが、ハバナ男はまったく気にも留めずに、「ちょっとそこらでお茶でも飲みませんか」というて、とあるカフェならぬきっちゃ店に誘うと、「折り入って頼みたいことがあるのです」とある依頼をするのだった。

それは今の言葉で言うと「闇バイト」のようなものだったので、「こん畜生、むかし闇バイトして吉本興業を解雇された私だ。年金だけで暮らすからほっといてくれえ」と叫んで、神田鎌倉河岸方面に向かって駆け出した。

「畜生門」を逃れて、なおも西へ、西へとグングン進むと、小さな鉄の門が待ち構えていた。第3の門「餓鬼門」だった。餓鬼界の入り口は日本橋のたもとで、いままさに羽ばたこうとしている翼のある麒麟像だった。

麒麟像の翼の下の青銅の扉を押し開いて日本橋川をズンズン進んでいくと、角丸橋に着いたので、石橋を昇るとその袂にナリオカ・オーディオ店があった。

角丸のナリオカ・オーディオ店の軒先では、セイさんとイマナカさんが、麒麟ではなく、独裁的都市国家の象徴たる狛犬のブロンズ像を、その先端に取り付けたオートバイによく似た電動自転車に跨って、今まさに原宿まで出発しようとしていた。

2人でキックボードをキック、キックせんとしていた。

セイさんが「ササキ君、これはね、ボクがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんだぜ」と自慢げに言うたので、おらっちは、できるだけ感情を抑えて「ああ、そうですか」と答えてやった。

するとセイさんの横合いから、まんまる顔を突き出したイマナカさんが、「ササキ君、これはね、セイさんがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんだぜ」と自慢げに言うたので、おらっちは、またしてもできるだけ感情を抑えて「ああ、そうですか。でもそんあなこたあ、先刻承知の助ですよ」と答えてやった。

やった、やった、答えてやったのよ。

するとナリオカ・オーディオ店の店長までも、「ササキさん、これはね、セイさんがピストルと一緒に、おふらんすの巴里ィから密輸入した、ハーレー・ダビッドソンにとてもよく似た電動自転車なんですよ」と自慢げに言うたので、おらっちは、とうとう堪忍袋の緒が切れて、「ばあろう、ばあろう」と永代橋の鴉みたく喚きながら、この阿呆莫迦店長をカラシニコフ機関銃で、ズババ、ズババ、ズバババンと撃ち殺してやったのよ。

それからそれから、またしてもグングン西方に進んでいくと、エドモンド・ダンテスが長期滞在している「地獄門」だった。

第4の鉄の扉を押し開けて古びた小さなビルヂングの1階に入ると、ナガシマシゲオがマキノコーチと肩を組んで「がんばろう!」というおらっちの大嫌いなミンセイ労働歌を唄いながら、ロビー狭しとスキップしながら駆け巡っていた。

そんでもって、最後の「ガンバロー、ツキアゲルそらに!」のリフレインで、4つの大きな拳を、唄の文句通りに突き上げたので、おらっちは激しくロカンタンしてしまった。

つまり嘔吐してしまったんよ。

胃の腑の中の吐けるだけのものを吐いてしまうと、おらっちは今まで聞いたことも見たこともない天上界に到達してしまっていた。なぜならそこは地上を遥か離れた雲の上で、「天道門」とサラリと草書で描かれた、苔むした木製の門札がかかっていたからだった。

「天道門」のたもとに、その顔に見覚えがある老人がしゃがみこんでいたので、

「あなたはもしやわが敬愛する「ただごと歌」の奥村晃作さんではありませんか?」

と訊ねると、「そうじゃよ」と懐かしい声がする。

「ここは地上界の何層倍も高いところにある天道界ですよ。まだ亡くなられたわけでもないので、なんでこんな浮世離れしたところにいらっしゃったのですか?」

と勇を奮って尋ねると、「いやね、あんたは私が81歳の時に作った「大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲とは言わぬ」という歌を知っとるかね」という返事。

「よく存じております。あれこそは誰も知らない真実を初めて開示したあなたの「ただごと歌」の代表作ではないでしょうか!」と声を大にして絶賛すると、奥村さんは

「そんなことを面と向かって言われるとワシャ恥ずかしい限りじゃ」

と、幼児がいやいやをするように首を振りながら俄かに小さくなって、気が付くと、その姿は、どこにも見えなくなってしまった。

……最後にたどり着いた人間界の入り口は、鎌倉雪ノ下の散髪屋さんだった。

おねいさんに肩をもみもみされて、うっとりと恍惚の人になっていたおらっちは、「タナカ、ミナミ、大好きですおー!」というコウくんの声で目が覚めると、そこは毎度お馴染みのコバヤシ理髪店だった。

家族4人でワンチームとなって、たとえお客さんが束になってやってきても、うまく回してしまう絶妙のチームワークを繰り広げるここ雪ノ下の散髪屋さんは、超ラッキーなことに空いていて、全部で3つある座席に腰かけているのは、おらっちと長男の2人だけだ。

「ぼく、タナカミナミとヨシタカユリコとイシハラサトミとレンブツミサコとウエハラミツキとクロキメイサが大好きですおー!」

「コウくんは、みんな好きな人ばっかりね。嫌いな人はいないんだね。こないだお風呂で死んだ人も好きなの?」とおばさんがいうと、おじさんがすかさず「ナカヤマミホだね」と宣うのと、「大好きですお!」とコウくんが答えるのが、同時だった。

この時遅く、かの時早く、コウくんが「おねいさん、ヒガマナミ好きですか?」と訊ねたが、おねいさんは「ヒガマナミ? さあ?」と首をひねっているので、コウくんは相手を変えて「おじいさん、ヒガマナミ知ってますか?」と訊ねたので、おじさんは目を白黒させて「おれはおじさんだけど、おじいさんじゃないよ」とむくれている。

コウクンはそんなことは露知らず、「ぼく、トイレ行きますお」と勝手に宣言して、いつものようにコバヤシ家のトイレを借りようとするので、おねいさんがあわてて、「トイレ? はいはい、ちょっと待ってね。いまちょっとかたづけてくるからね」といいながら隣の部屋へ行ってしまうと、理容室はたちまちコウちゃん劇場が終わって、急に静かになった。

久し振りに好天の、師走の土曜日のお昼前である。