山岡さ希子
さてどうしたものか 正座している 少し腰を浮かせている 踵を尻の下に敷き 踵を尻に立てる 両膝に体重がかかる
両腕を組み 目の下に置かれた 器の中の水面を見ている
いや見ていないかもしれない どちらにせよ 考えごと あるいは 何かを待っているよう
我が家の長男が、ときどき「お母さん大好き」という。
だいぶ容量が少ないけれど、稀に「お父さん、大好き」というてくれることもある。
私はこの世の中のありとあらゆる言葉の中で、
コウ君の、その「大好き」という言葉が、いちばん好きなのだ。
ところが最近テレビから、ガラガラ蛇のように数珠繋ぎになってしゃしゃり出てくるのは、「ハズキルーペ大好き!」というCM。
いかにもギャラの高そうな売れっ子タレントたちが、
どいつもこいつも年甲斐もなく「大好き!」を連発しているのを見ているうちに、
だんだん私の大好きな大好きに、けたくそ悪い手垢がついてくるような気がしてきた。
毒には毒を以て制すべし。
天の邪鬼の私は、試しにそっと呟いてみる。
「ミヤネ屋大好き!」「坂上忍大好き!」「中野信子大好き!」
「トランプさん大好き!」「安倍さん大好き!」「麻生さん大好き!」
ふむ。ちょっと吐き気がしてきた。
意を決して声を大にして叫んでみる。
「オリンピック大好き!」「自民党大好き!」「日本会議大好き!」
「ネトウヨ大好き!」「嫌中嫌韓大好き!」「ファシスト大好き!」
ふむ。やっぱり違うな。
つか、全然違うな。
言葉はおなじ「大好き」でも、やっぱりコウ君の「お母さん大好き!」には、てんで敵わないな。
高速バスでは
Dylan を聴いてた
名古屋港を高架で渡る時
雲が
いた
佇ってた
白い
古代の
女のようだ
少女の俤がある
“And she aches just like a woman.” *
“But she breaks just like a little girl.” *
ダメになる
少女の
雲の
白い
大阪に着いて
新梅田食堂街平和楼でビールを飲んだ
天満宮では芋のロックを飲んだ
柔らかい関西がいた
大阪まで
工藤冬里を聴きにきた
“one too many mornings.” **
“one too many mornings.” **
工藤冬里は
私を捨てて
押し流す
“流木のように近づいてきた” ***
“流木のように近づいてきた” ***
ギターをつまみ
ピアノを
叩く
土砂の流出した後で
歌う
“流木のように” ***
“近づいてきた” ***
岬にひとり佇っていた
ひとり
いた
* BOB DYLAN「JUST LIKE A WOMAN」より引用
** “one too many mornings.”はBOB DYLAN作詩・作曲の歌
*** 工藤冬里 詩「最後なのにないがしろにしたこと」
アジサイが暗い紫になる土壌だった
力は林道に流出した
口が裂けても言えないこと
材木ですじゃろ、に変換してみせた
剥き出しが曝け出しではなく脱ぎ捨てなら
蛞蝓は蝸牛の割礼だった
愉悦の土砂の流出した浦で
私が流木のように近づいてきた
避難勧告の浜辺で
私たちは私たちの肝臓を探した
庭に 埋めた わたしの なにか
庭に 埋めた わたしの なにか
もう いまは 見えない 処へ ながれた
いつかの 西陽に 照らされてる
わたしの ながれた なにかは なにか
庭に埋めた
庭に埋めた
Something of mine buried in the garden
Something of mine buried in the garden
Now it has already flowed away to an invisible place
It is illuminated by the setting sun of the past
What has flowed away from me
Buried in the garden
Buried in the garden
(どのような個人のものであれ個人の生活も情報も重要ではない…
(そんな時節がある…
(個人主義や民主主義や自由主義という迷妄に甘えた
(20世紀以降の人間には理解できなくなってしまったことだね…
2019年7月1日からの一週間は、
たとえば私が、
ロベルト・シュヴェンケ監督の『ちいさな独裁者』(2017)や
パブロ・ソラルス監督の『家に帰ろう』(2017)を
見たことや
今さらながらに
ニコラス・ジャレッキー監督の『キング・オブ・マンハッタン』(2013)を見終えたり
カフカ『城』と堀辰雄『菜穂子』の再読を始めたり
エックハルト・トールの自我の不在性についての説明法に感心させられたり
ペトラルカのRerum vulgarium fragmentaの
ルネ・ド・スカッティによる2018年のフランス語訳や
フランソワ・ラヴィエの編んだアンナ・ド・ノアーユ詩集(リーヴル・ド・ポッシュ版)をいたく感心しながら読みはじめたり
したことにはなんの重要性もなく、
アメリカとロシアの潜水艦がアラスカ沖で戦闘状態に入り、
アメリカの潜水艦は沈没、放射性物質の海洋への流出が発生し、
ロシアの潜水艦も重大な損害を受けて14人が死亡した
らしい、
という、
事件、
のほうにこそ、
世界的な
重大性はあった
アメリカ側の死傷者については情報がない
ペンス副大統領はホワイトハウスに呼び戻され、
予定されていたニューハンプシャー行きはキャンセルされた
プーチン大統領のイベントもキャンセルされ、
大統領、国防相、ロシア軍参謀長らの緊急会議が開かれた
ブリュッセルの欧州連合本部はEU国家安全保障理事会の緊急会議を招集、
イギリス政府は国家緊急事態対策委員会(COBRA会議)を招集
ベルシャ湾と
湾岸諸国におけるアメリカと西側の軍事基地では
不自然な動員
が発生
他方、金地金はその日の取引の最後の数時間で
1オンスあたり40ドル急上昇
機密情報に抵触するものばかりで
どれひとつ
正確に公表はされない
どれも確認しようがなく
どれも嘘かもしれない
どれかはそこそこ正しいかもしれない
どれもそこそこ正しいかもしれない
怖いのは
怖すぎるのは
まったく
メディアにそれらが載らないこと
ダネ
ダネ
あんなのはインチキ情報さ、
とさえ、載らない
こと、
ダネ
ダネ
なにかに向けての
フェイクニュースの
思わせぶりな
小出しの数々かもしれない
しかし
確実になにかに向けて
韓国への半導体材料の輸出管理強化は
表面的な理由や
その下に推測される別の理由をはるかに凌ぐ
あくまで公表され得ない長中期的な国防上の理由がある
という情報も届いてきている
7月に入って確実に始まったことがかなりあり
これから
大小のかたちで露呈してくるが
危険な時節に本当に入った
(そう、もはや、
(個人の重要性など、見向きもされなくなる
(そういう時節が来た
(これからの個の生、個の興味、個の価値観、
(とは、
(なにか……
(答えは出ているよ、
(無、
(だよ、
(無、
(生きのびて、
(おいきよ、
(ただ、野良犬のように、
(これからの、
(10年
(ほどは、ね、……
不安そうに沈みゆく太陽は、
私の両眼に溜まった涙のせいで、かすかに
震えているように見えた。
美しかった。
少女から女性へ
太陽が沈んで
真っ暗闇の中で泣く私の髪に
そっと触れて優しく撫でてくれたのは、娘だった。
ふたり並んで歩いていて、
娘の手が、私の手にそっと触れる。
どちらともなく、二人の指がゆっくりと絡まっていく。
私の「口」がかすかに痙攣する。
娘の豊かな胸のふくらみが、私を不安にさせる。
娘は母乳で育った。
私は母乳の出が多く、
あっという間に乳房はパンパンに腫れて
石のように固くなって、熱を帯びた。
娘は乳首に吸い付いて、一心不乱に乳を飲んだ。
青空を身に纏った私は、
立方体型の透明な便器に座って
性の聖たる娘を抱いて、授乳している。
娘が乳を吸うたびに
便器に「口」から穢れた血が滴り落ちて、
やがて吐き気をもよおすようなエクスタシーに達し
刹那「口」はピクピクと収縮し痙攣した。
無邪気な眼でどこかを見つめる娘を抱いたまま、
私は私を嫌悪した/憎悪した。
小さくて無垢な娘は、お腹がいっぱいになり、
安心したように眠りに落ちていった。
あなたは悪くない。
あなたは悪くない。
ごめんね。
ごめんね。
穢れているのは、あなたではなく、私なのだから。
娘が飲みきれなかった母乳が、ポタポタと滴り落ちてきた。
性の俗たる自分では触れることすら出来ない穢れた乳頭から、
白濁した涙がポタポタと落ちていた。
一緒に歩いていて、
娘の手が、私の手に触れる。
感触を確かめるように、
ゆっくり手の甲に手のひらをすべらせて、
やがてどちらともなく二人の指が絡まっていく。
私の「口」はかすかに痙攣する
けれど
私の不安を知ってか知らずか、
娘は、沈みゆく太陽を見て私が泣く理由を、誰よりもよくわかっている。
冬が来て、しもやけになった娘の足指にクリームを塗る。
小さな頃から変わらない、肉付きの良い足指一本一本に丹念に塗り込む。
そんなことくらいで、
娘は私に、母として生きる喜びを感じさせてくれる。
美しい人。
かけがえのない人。
母と娘。女と女。不穏で不可思議な私たち。
突然、そしてゆっくりと、目を、見開く。
ここは、どこなのだろう。遠くにミントグリーンの寺院が見える。
窓から傾れこむ騒音。生温い風。
私の背から、細い糸を引いて流れ出すものがある。
「お願いだ、放ってくれ」
空気中に散るセピア。
「吐かせてくれ、吐かせてくれ」
テーブルに置かれたコーヒーカップが、小刻みに震えている。
見ると、カップに残されたコーヒーの表面も、隣に置かれた、グラスに注がれた水も、同じように震えている。
それは、私の身体の一部が、テーブルに触れていることから起きているのだ。音。傾れこむ騒音が、ものすごい速度で空気を伝わり、私の皮フを震わせている。
ラヂオの音。モノラルの音が、ひとつひとつカタチを作っては、床に零れ落ちていく。
ネイプレスイエローのタイルに、血が混じる。
流れ、過ぎていく自動車の音。目の前で、煙草の灰が、崩れ落ちる。
(From notes of the 1980s.)