あなたはフレームだけになった *

 

ゴミ出しに
いった

モコといった

ブーゲンビリアの赤い花が咲いてた

いつも
モコはついてくる

昨日
工藤冬里の

詩の中に

羊がでていた

“羊という字はリスカを想わせる” *

そう
書かれていた

此の世には
リストカットをするヒトも

いる

しないヒトも
いる

“見えない人が見えるようになり” *
“見える人が見えないようになるために” *

とも
書かれていた

たくさんのヒトたちがいま殺されているだろう

どうなんだろうか
イマジン

団塊たち

どうなんだろう
若者たち

今朝は
モコとゴミ出しにいった

帰って

ソファーに
座って

イマジンを聴いた

“あなたはフレームだけになった” *
“あなたはフレームだけになった” *

眼鏡を
外して

いつまでもきみの裸をみていたい

 

* 工藤冬里 詩「めがね屋」より引用

 

 

 

世界で一番美しい光景

 

辻 和人

 
 

2つの丸い目
最初きょとん
次にぐわって感じ

良かった、元気にしてた
帰りの小田急線は空いていて
真っ暗な窓の外は回想に耽るのにもってこい
実家へ様子を見に行ったんだ
大ケガして排尿・排便が困難になったレド
腰はおしめで巻かれてる
肛門の周辺の神経が麻痺してるからウンチを貯められない
作られたウンチはポロポロお尻の穴から零れて床に落ちちゃうから
おしめをすることに決めたんだ
おしめを嫌がったのはたった1日
早くも運命を受け入れた
白い異物が巻きついた新しい体を受け入れた
おしめの布を上手に避けて体を舐め舐め
それがずっと昔からのやり方であるように舐め舐め
取り替える時もじっとしていて
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める
細くしなる目尻が、今
電車の窓枠に置いたぼくの左手を
にゅくにゅく這って、消えた、よ

レドと言えば思い出す
2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光った

祐天寺のアパートでかまっていたノラ猫たちが次々いなくなった
レドもその一匹
猫嫌いの誰かが捕獲機を仕掛けたんだ
ファミは何とか助けて実家の家猫にしたけど
他の猫たちはみんないなくなってしまった
それが2009年の初夏
でね
あきらめきれなくてね
夜な夜な街を彷徨って猫路地を見つけては
いなくなった猫たちを探してた
秋に入る頃は半ば以上諦めてて
探すっていうより
「探す自分」の亡霊みたくなってた
亡霊になるって変な気分
歩いてるのに足の感覚なくって
道路をすーっと漂ってる
亡霊になりきってしまえば
目的喪失して移動だけ
すーっすーっ
そんな気楽さがあって
どうてもうういやって
ちょっと心地よかったな
それがだよ

2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜、駅近くのマンションの駐車場で
目的喪失したいつもの調子で停めてあった車の下を覗き込んだら
2つの丸い目が光った
きょとん
背を丸めて座ってた
きょとん
目が合った
イチ、ニィ、サン、シ、……
ぐわっ
目の光が強い閃光に変化して
ぼくもそいつも凍りついた

レド、レド
レド

閃光の中で
ウググゥー
ウググゥー
走り寄ってきた
強い力で膝にぶつかってきた
さっきまで亡霊だったぼくは
途端、亡霊でなくなった
膝に登ってきたものの頭を撫でて
うーん、人間のぼくの方がだな
衝動的に
うん、なんでかなー
レドの片耳を軽く噛んだんだな
うん、噛んじゃった
耳には三角形のカット
ぼくが受けさせた不妊手術の印だ
汚れた白い毛が舌に残ってぺっと吐き出した
膝に伸びた爪がぐいぐい食い込んで痛かったな
ウググゥー、唸りながら
ぼくの顎に何度も鼻先を強く突きつけてくるから痛かったな
痛いまま
閃光の中で抱き合っていた、な

それからさ
毎晩レドの好きなお刺身かなんかを持って
深夜のマンションの駐車場を訪ねたさ
この地域のエサやりさんの保護を受けていたらしく
レドはエサには困ってなくてむしろ丸々太ってた
エサを巡って他の猫とケンカしたんだろうね
レドの背中には小さな嚙み傷が幾つかあったさ
このままアパートに連れて帰るとまた同じことが起きるから
しばらくここで面倒をみようって思ったさ
だけどそうはいかなかったさ
ある日、帰ろうとするとどこまでもどこまでもついてきたさ
いつもは「帰れ」という怒ったみたいな仕草をするとビクついて駐車場に戻るのに
その日は何度「帰れ」をやってもついてきたさ
帰れ、帰れ
ビクッと立ち止まっても
少しするとトトトッとついてくる
仕方なくアパートに連れてきちゃったさ
そしたら大変さ
部屋に入れろっ部屋入れろって
ガラス戸に体をガンガンぶつけてきたさ
その音のうるさいことうるさいこと
実家にまた助けを求めたさ
「すいません、ファミの他にもう1匹家に置いて欲しい猫がいるんだけど」
そうして連れてきた猫レドが
はい、今は白いおしめ巻いて
人間の横でくつろいでるってさ

もうすぐ登戸だな
南武線に乗り換えだな
府中本町から武蔵野線で西国分寺、中央線に乗り換えて40分
ゴトンゴトン
小田急線はしんとしてて

だから
美しいってどういうことか?
なんてことゴトンゴトン考えてしまう
コンサートに行って名曲を聴いて
春になって桜が咲いて
「ああ、美しいなあ」って感じますよね
大抵の「美しいもの」は
準備がそれなりに整った上でそう感じる
だけど
その最中はどうってことなかったり
或いは無我夢中でわけがわからなかったりしても
後で「ああ、美しい」ってくることがある
いわゆる美化って奴
子供の頃の思い出なんかが代表格
想像力で増幅されるから最強

今、ぼくの頭の中で
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光ってる
最初きょとん
次にぐわって感じ
世界で一番美しい光景
ぼくにとっての
最強の
増幅されてく増幅されてく

 

 

 

めがね屋

 

工藤冬里

 
 

羊という字はリスカを想わせる
白と紫を基調とした挿絵の中の 海鞘色した私達は捲られ
さまざまな色かたちの眼鏡の フレームだけが残された
だから「眼鏡のドクターアイズ 新居浜店」の手持ち無沙汰なあなたは
白と紫を基調とした余白の中で
今はあっても将来なくなるもの を拭いているのだ
あなたはあなたの若さを差し出す
規約より原則に従順な羊として
見えない人が見えるようになり
見える人が見えないようになるために
私達の海鞘色の頁は捲られて
もはや死はなく
あなたは フレームだけになった嘆きと叫びと苦痛を 拭く

 

 

 

エリーゼのために

 

佐々木 眞

 
 

私が住んでいる町では、毎日ゴミを選別して出さなければならない。

毎朝8時20分までに町内のゴミ置き場にゴミを出すのは、
私の仕事である。

月曜日は、燃えるゴミの日。

火曜日は、段ボールや本や新聞や衣類の日。

水曜日は、さまざまな草や木や薪を出す日。ペットボトルもこの日に。

木曜日は、もう一度、燃えるゴミの日。

金曜日はプラスティックや燃えないゴミ、ビンや缶を出す日だが、
最近その分量がどんどん増えてきたために、週に1回だけではパンクしそうだ。

そして土曜日は、子供会が特別にカンを収集する日である。

けれど、日曜日はお休み。誰も、何も、出さない。

そこである日のこと、私はふと思いついた。もはや巨大な粗大ゴミと化した私を、当局には多大な御迷惑をお掛けしてしまう訳ではあるけれど、市の収集車で運んでもらって、思い切りよく処分していただこうではないか。

私は妻にも相談せず、長い時間をかけ、汗みどろになって私の全身に丁寧にヒモを掛け、芋虫のようになった私を、えっちらおっちら和泉橋のたもとの、いつものゴミ捨て場に自力で運んだ。

待つことしばし。風に乗ってどこかから「エリーゼの為に」のメロディが流れてきた。イ長調、ロンド形式のピアノ曲。編曲はいまいちだが、やせてもかれてもルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの原曲だ。

わが家で夢中になって見ていた連続ドラマ「風のガーデン」の主題歌が、わが町の収集車のテーマ音楽にもなっているようだ。

さあ、いよいよやってくるぞ。早く来い。やって来い。
35年間にわたって日本一高いともいわれる市民税を黙って払い続けてきたのだから、
始末に負えない難儀なこの私を、どうぞ捨ててくれ。どっか遠いところに持ってってくれえ。

と、私は願った。ある晴れた日曜日の朝に。

 

 

 

ばっこばっこ、ははは

 

薦田 愛

 

ばっこばっこ
はは、ばっこ。
跋扈する母、闊歩
いっぽ、独歩、
どの
いや
そっぽをむいて
わたし。

長く暮らした東京をはなれ
戻らないと言っていた土地へ戻ったひと
はは
母という
ばっこばっこ
はは ばっこ
その母
蠢動する
うごめくはる
はなれて一年の東京にあらわれた
という噂

「ママとご飯食べたわよ」

ばっこばっこ
はは ばっこ

つきひは一年を
さかのぼる

五月
しらっとして

五月だった
書き置き四行のこし
いなくなった
スッと
ひとひとり
母というひと

紙の上にある文字の主の
部屋から小型キャリーと携帯と充電地が消えていた
ととのえる音だったろうか
聞こえていた
深夜
聞こえるとおもいながら眠りにおちた
ふすま一枚向こうを去っていた
ひとひとり
母という

みひらく目の先の
がらんどう
声のない

翌朝はたらきに出て
夜もどる
しらっとがらんと
閉めきった窓のうち雨の匂い
さがすねがいをだすなら要るかと
プリントアウトしたひとつき前の
旅先で機嫌よくわらった顔
雨だから今夜はよそう

るると鳴ったか
じじとだったか
電話
母というひとの弟すなわち叔父の声
とおい
とおいときいたのはなぜだったか
さぬき言葉だったからか
「お母さん来とるよ。明日帰るから、東京に」
「ここに来るしかないってわかっとるやろ」
なぜ
なぜわかるとおもう
ひとひとりのことを
わかるなどとなぜ
そして
書き置きのこしてなぜ明日
東京に
えっと言ったかああと言ったか
ため息は出たのだったか

メールは
帰るという日の午後
三行だったか四行だったか
叔父すなわちそのひとの弟の
敷いたレールの上を
空白*改めてみると二行
空白空0簡略いなカジュアルな口ぶりで

ばっこばっこ
母ばっこ
八十二歳の母、跋扈
年初の小倉行きの切符は揃えたが
ふるさとさぬきくらい
おちゃのこさいさい

「優しくしてあげてや」
と電話の叔父
なにを言えば
どう話せばいいのか
もうわからないのだった
帰ってくるというひとに
むけよと言われる
笑顔がつくれないのだった

ごっこ
ごっこだったのか
ずっと仲のいい親子に
見えたろう思われたろう
思っていた
うっかり
水をむければ応えるひとを
もてなすのが習いになっていた
おんぶにだっこ
あんたにわるい
言われれば打ち消す
くりかえしだった
あとで悔いる話をよそできくので
もてなしたのだろうか
せっせと

背中合わせの気むずかしさ
いらだつと籠もって
くちをきかずにいる
かたくながひとのかたちになった
朝こじれて夜帰ると
席をたった食卓が
そのまま
冷めきって

そっぽむきたい
むいてもいいと
気づかなかった
ずっと
兄弟姉妹なく父なくなり
「仲よく」「大事に」と
言われた日から三十六年

あかるみにでてしまえばもう
つつみ隠すことは難しい
べつべつのひとひとりずつと申し立て
剥がしてきたうえでなお
うかがっていた
もっとそっと
なだらかに切り分けるナイフを
もたなかった

それでも

三人で暮らそうと
春先の旅も一緒だった
彼が駆けつけ
待った
しらっと
夕方だった
帰ってきた
母のくちから
別に暮らす話
ふるえる声
もの言えぬわたしに代わり
「それがいいです」と
きっぱり

スープのさめない距離と
叔父叔母に言われ
うなずいて帰ったけれど
こわばった顔に
あきらめたらしかった

ばっこばっこ
はは
母というひと
来たレールをまた
ははばっこ
戻らないと言っていた
さぬきに住まいを探しに
ばっこ

ひとつ屋根の
というより
ひとつ扉のなかにはもう
居たたまれず
やっと
逃れ
彼のもとへ

弟や姪やいとこ総出で
助けてくれると逐一メール
あった
いい部屋があったと機嫌よくしていた
ひとへ
年来の痛手うっせきを列挙した
ながくながくながいメールを送った

ややあって返信また返信
わび言のち反論
また反論つきぬ反論
メールボックスにあふれる
母というひとの名と言葉
日に夜に決壊するかんじょうのなみ
ひたすらやりすごす
泣きながら荷物を整理していると繰り言
メールにコールの果て
その月の末、ふるさとへ
母というひと
ばっこ

かくて別居のはじまり
なれど打ち寄せつづけるメールコールのなみあらく
ついに着拒もはや着拒
怒濤くだけるみぎわをいっさんにはなれ
わたし
圏外へ

あつささむさの日月ひとめぐり
ものの噂
ばっこばっこ
ははばっこ
うごめく
母という
ひと
東京へ
(わたしのいない)
重ねて齢八十三の
ばっこばっこ
ははは
ばっこばっこ
ははばっこ
はるか
ははという
ひと
はるか
圏外へ

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第73回

西暦2019年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

8時頃に8人前の武器が届くことになっていたが、10時になっても届かないので、私は洞窟から出ていった男の武器を身につけて、完全武装してから彼奴を殺しに出かけた。1/2

彼は自分が見た夢を、抽象絵画に仕上げようと悪戦苦闘していたのだが、いっこうに完成しないし、暮らしに窮するようになってきたので、とりあえずいま流行のリアルな絵を描いて、急場を凌ごうとしていた。1/3

そのオールドタイプの元革命家は、1920年代のロシアの文学書の復刻を目指して悪戦苦闘していたが、反動的政治家たちの妨害に遭って宿願を果たせず、とうとうこの世を去った。1/4

寝た切りの夫を支えるために、彼女はクリル語を習得して、クリルの代表的作家の全集の翻訳を開始した。その作家は、内容は空疎なのだが、やたら細部の描写に凝るので、ページ数が膨大になり、賃労働の効率がよいのである。1/4

ゆっくり寝ようとしていたら、突如A子がベッドに潜り込んできたので、これ幸いと抱きしめたら、B子が飛び込んでいたので、驚いて飛び起きると、C子が傍に立っていたので、私は泡を食って逃げ出した。1/5

「あの子は、ちょと変だ」と思うと、即座にケイサツにチクッって牢屋に入れてしまう「チョット変だ法」が、与党の強行採決で国会を通過したので、私らはその子を、庭に掘ったシェルターに隠した。1/6

ところがやっぱり「隠すよりあらわるるはなし」で、隠し子は、お隣のヒグチさんにばれてしまい、通報されたその子は、警察にしょっ引かれて、強制収容キャンプに入れられることになってしまった。

良く晴れた冬の朝、セイ・ハシモト画伯と一緒に、その子を駅前まで見送りに行ったら、その子は駅前広場をよろよろ歩きながら、時折くず折れたりしていたが、やがて自力で立ち上がると、「ぼくオオヤさん、大好きですお!」と叫んだ。1/6

どういう風の吹きまわしか、私は北朝鮮の幹部になってしまったが、大首領に拝謁する日に着ていく服がないので、もしや、と思って床下を探すと、スーツの代わりに生みたての卵があった。1/7

五条か六条か七条か、京都駅の近くのいつもの建物の中で、ケン君と女の子を連れた私は、飯を食おうとして料理屋を探しているうちに、2人を見失い、必死になってあちこち駆けづり回っているのだが、イシカワサユリ似の女将が、なぜか私の邪魔立てをするのだ。1/8

2006年にスポーツ庁を退いた私は、やたらと尿が近くなってしまったので、尿漏れ吸い取り特別製パンツを、それこそ、肌身離さず身につけていた。1/9

「ハロピン8地点で、ヒラヤマ部隊の全員が姿を消した」という速報が舞い込んできたので、私ら捜索隊は、ただちに出発した。1/10

シガ君は、私が弥仙山で捕まえた巨大なオオヒカゲ亜種の標本を、「しばらく貸してくれや」と頼むので、しぶしぶ了承したのだが、その写真付きのレポートを、権威ある昆虫雑誌に自分の名前で発表しておきながら、私には知らん顔をしていた。1/11

我々は、ベテイーちゃんにえらい世話になって、あまりにも嬉しかったものだから、「日米軍事同盟は、円滑に機能しとりまっさ」などと、と大げさな謝辞を述べたて、やがて彼女は、単身オートバイに跨って走り去っていったのが、誰一人そのベテイーちゃんの正体を知らなかった。1/11

風の噂では、西本町の遊び仲間だったノブイッチャンは、日仏両国でレストランのシェフをやりながら、オーケストラのメンバーとしても活躍している、というので驚いた。1/11

英文科を卒業していた私は、社長のお供でNYに行ったが、ブロードウエイでみた「バックツウザフュウチャア」のあらすじを説明できず、ケネデイ空港の9つのターミナルのどこで乗り換えるのかも分からず、乗り遅れたので、即リストラされてしまった。1/12

灼熱の砂漠の不毛の地で、残虐と奇計の限りを尽くして私は王冠を勝ち得たが、その代わりに、「愛と人間性」という言葉が意味するすべてを失った。1/12

大切な使命を果たすために、長い長い旅に出た私は、そんな私にどこまでも付いてくる、見知らぬ犬を、心を鬼にして山の中で射殺した。1/13

アサダマオ似の娘と知り合いになった私は、彼女の家に入り浸りになったが、そこでアサダマイ似の姉と知り合って夢中になってしまったので、マオから激しく嫉妬されるようになってしまった。1/14

いよいよ会社が倒産して、最後の日を迎えたので、私は営業所を巡って、知り合いに挨拶して廻ったのだが、その途中で、たびたびオオミチ君とヤマサワ君に出会った。1/15

みんなで金沢八景の花火大会に行ったんやけど、オラッチが景気づけにカニ人間に変身したら、周りの人がびっくり仰天して、みな逃げ出したあ。1/16

その頃渋谷駅からは、電車の替わりに巨大な鉄棒が、吉祥寺まで一直線に敷かれていた。その鉄棒の右側に出張っている3人乗りの横棒が、高速で前進するのだが、立ったままの我々のうちの誰かが、横棒から転落すると、おおかた命を落とすのだった。1/16

「これはかっぱえびせんではなく、はっぱえぴせんです」、とササン朝ペルシアからやってきた少女は教えてくれたのだが、そのはっぱえぴせんときたら、いくら食べても袋の中身が減らないのだった。1/17

私の牧場で働いている親友の息子のジョンが、一匹の仔馬を自分のものだと主張しているので、「これはお前のじゃない。私が市場で買った馬だ」というのだが、「これはお父さんが僕に買ってくれたポニーだ」と譲らないので、「そんならお父さんに問い合わせるぞ」というと、黙ってしまった。1/18

死んだタダさんと、千歳烏山の自宅でマージャンをしている。彼のお兄さんも、由緒ある雑誌「昴」の著作権所持者のお母さんも、一緒だ。タダさんが「ほら、通してみろ」といってイーピンを出したので、私は「ロン!」というて牌を倒した。1/18

明日2時からショウが始まる。全社員が集合する朝礼で、社長に集合時間を告げてほしいと頼んだが、黙っているので、仕方なく私が「あしたは12時半に全員集合!」と叫んだら、一斉にブーイングが殺到したので、なんで社長が無言だったのかが分かった。1/19

ヨシダタクロオは、4声のリチュリカーレを奔放に操る振り付けで踊り狂っていたので、私らは今日の宿舎に向かったが、なんと昔の女が傍にいたのでときめいたが、最早お互いに無言のままで海を見下ろすと、赤白の紋様の巨大な肺魚が泳いでいた。1/20

奇麗な海の底には、その他にも数多くの魚たちが泳いでいたので、ヒロシさんたちと写真を撮りながら、鑑賞していたら、突然大きな純白のチャウチャウが、海岸から駆け上がってきて、ヒロシさんの背中に飛び乗って、ワンワン吠えたが、ただ喜んでそうしただけだった。1/20

日向に寝そべっている牛さんの写真を撮っていたら、お腹の中から、突然人間の胎児が出てきたので、非常に驚いた。1/21

里山できれいな水が湧いて出たので、これはもしかすると「聖水」ではないか?と科学者が調査に乗り出したのだが、担当者の私がその「聖水」と比較対照すべき「水道水」とをごっちゃにしてしまったので、この件は、いつしか有耶無耶になってしまった。1/22

ともかく夢の世界なので、ふわふわしてはいるが、自由そのもので、何でもやろうと思えばできそうなので、ははあ、これが無政府状態というやつか、と思うた。1/24

マガジンハウスのO氏も、朝日新聞のA氏も、リーマンをやりながら自分の会社を持っているというので、「よーし、オラッチも!」と意気込んで、会社を立ち上げたのだが、はてさてどういう仕事をしていいのか分からないのだ。1/25

「これでも詩かよ」の原稿を持ち歩いていたら、版元が経営している画廊で、他のアート作品と組み合わせて、なにやら意味ありげに陳列してくれたのだが、素直に喜べない複雑な心境のわたくし。1/27

夜中に、妻の叫び声が聞こえたので、飛び起きると、闇の中に、小人の姿が見えた。そいつは、松明だか、燈明だかを、左手で掲げながら、畳の上を、滑るようにゆっくりと、私に向って歩いてくる。1/28

私とKは偽京大生で、いつも西部講堂に出入りし、学食でランチをとっていたのだが、Kはいつのまにか文化祭の総合プロデューサー役に任じられ、それを見事に成功させて、本物の京大生たちの拍手喝采を浴びていたので、私は激しく嫉妬した。1/29

その作家は、皇居前広場を埋め尽くした人々のど真ん中に突っ立って、昨夜完成したばかりの7つの短編小説を、大きな声で朗読していた。1/30

私は、木造13階建ての集合住宅の最上階に住んでいて、各階の住人たちと仲良く暮らし、朝から晩まで、東西南北全方位の眺めを堪能していたが、風が吹く度に、部屋全体が左右に揺れるので、まるで船酔いのような状態になるのだった。1/30

トレーダーの私の同僚の女性は、夢遊病患者で、仕事中に突然意識を失ってしまうので、私は、別に誰から頼まれた訳でもないが、彼女のピンチヒッターを務めて、時には大儲けさせてやったりしていた。1/31

私は、昔から企画室のデザイナーに憧れていたのだが、ふとしたことから、MDのナガタ氏の部下の女性たちと仲良くなって、毎日のように、会社の近所の原宿のレストランでランチをするようになった。1/31

 
 

西暦2019年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

麻薬、毒物、酒、歌、女……。私の船にはこの世の悪の一切が乗っていたので、たとえ世界が終ろうとも、ノアの箱舟と違って、滅びることなど、けっしてなかった。2/1

オクムラ氏と夜の街を一晩中うろついてから、氏の講演会場に入った。いよいよ高尚な講演が始まったというのに、どこの誰とも知れない婦人が、一心不乱に毛糸を編んでいるので、私は気が気じゃない。2/2

私が夢の中で思いつき、下町ロケットの佃製作所で造ってもらった「全自動自撮りキャメラ&ビデオ機」は、世界中で大ヒットし、特許権と独占販売権所有者の私は、あっというまに阿呆莫迦ゾゾタウンを凌ぐ大金持ちになった。2/3

長い間、東京拘置所に収監されていたコムラ夫妻の無罪放免、それとは別に、何故だかしばらく誘拐されていた家内の無事解放を祝して、我々は祝杯をあげた。2/4

ベートーヴェンの交響曲を演奏するために、イタリアの大富豪の別荘に、往年の偉大なるマエストロとスカラ座フィルの面々が勢揃いしていたが、誰がどの曲を担当するのかで、おおおもめに揉めているようだ。2/5

ようやく発表された結果、3番はクナパーツブッシュ、4番はクライバー、5番はトスカニーニ、6番はワルター、7番はチエリビダッケ、8番はクレンペラー、9番(合唱無し)はフルトヴェングラー、1番と2番は若手のカルロ・マリア・ジュリーニが指揮することに決まった。2/5

戦争が迫ってきたので、企業は即席テントを用意して、社員が寝泊まりできるようにしているのだが、新聞記者の私は、それらの寝心地の快適度を採点するために、もう何か月も家に帰っていない。2/6

日本から泳ぎだした2人の若者が、南洋諸島に辿りつき、2人の女性を恋するようになったとさ。メデタシ、メデタシ。2/7

白鵬が休場したので、「よーし、今場所こそわいが優勝したる!」と意気込んでいたいた平幕のオラッチだったが、全休のはずの横綱が、要所要所で出場するので、すっかり当てが外れてしまったわい。2/8

京の木屋町の路地で、おいらの後をつけてきたチンピラが、いきなり無言で背中にドスをぶちこんできたのだが、さいわいおいらは、脊中にも目があったので、素早くかわして、事なきを得た。2/8

少年ペガサスの右目を抉りとったのは、チュニジア在住のイグチという男だったので、私はその下腹にナイフを深々と刺すと、彼奴は、声もなくゆっくりとくず折れていった。2/9

私が引き籠っているいる図書室に、ドレスを着た1人の女がやってきて、「あたし、ジョンソンよ」という。見上げると、部屋の上空は無数の自転車が密林のように繁茂していて、その葉っぱがキラキラと輝いていたのだが、彼女はじつは男だった。2/9

僕らは、郊外の森の傍に家を建てようとしたが、骨組みを作ったところで、お金が足らなくなってしまったので、仕方なく、外側をガラスで覆った状態のままで、放置せざるを得なかった。2/10

「カウント1-2から、どんな球を投げるのか? 2-2、そして3-2になったらどうするのかを、すべての打者について、具体的にそれぞれの投手に向って教えることができるのが本当のコーチなんだ」と、ゴンドウ氏は語った。2/11

百貨店の中で、着物をきた娘たちが「キャアア!」と悲鳴をあげたので、私はさっと駆け寄り、「大丈夫だよ、おじさんについてきなさい」というて、エレベーターで屋上に連れて行って、アイスクリームを舐めさせた。2/12

パーティにお偉いさんが3人もやって来るというので、私はテーブルの上の和紙に、3名様への挨拶を墨で書いて待機していたのだが、いざ彼らが到着すると、どの挨拶を誰に渡したらいいのかさっぱり分からなくなって、ヘドモドしたのでハシモト課長に怒られた。2/12

朝いちに出かけていったはずのムラタ君が、2階の自室で倒れている。口から泡を吐いて伸ばした右手には濡れたテイッシュを握りしめているので、これはてっきり遺書に違いないと思った私は大声で助けを求めた。2/12

どうしても必要な「サンデー毎日」の記事があったので、京橋まで出かけたが、貸し出しを編集長が言を左右にして許可しないので、広告部のH氏を呼び出し、2人が「あっちむいてホイ」をやっている間に、私は当該の記事を、素早く撮影することに成功したんだ。2/13

当然私が担当すべきブランドのCM製作を、どういう訳か女社長が勝手に差配しているので、どたまに来た私が「勝手にしろ!」とすねていると、彼女は完成したフィルムを持って、私をなだめすかしにやってきた。2/14

小さな会社なので、その夫婦は、お手盛りでどんどん出世競争に励んでいた。夫が専務になれば、妻は常務、夫が社長になれば、妻は副社長になったが、夫が会長になったので、社長になった妻は、夫が名誉会長になっても、社長を辞めようとはしなかった。2/15

クマザワ天皇の私は、今朝も斎戒沐浴して、爪を切ってから玉座にしゃがみ込み、寄る年波もあって、退位と譲位について考えようとしたのだが、そもそも私には、誰一人身寄りなどないのだった。2/16

女社長が私に呉れた新しい仕事は、1)いつも彼女の傍に控えていること。2)朝から晩まで彼女の傍で待機すること。3)彼女の指示には迅速に対応すること。というもので、本来の業務内容とは、まるで無関係だった。2/17

「第3者」というものが苦手な彼女は、なんとかしてすべての「第3者」を「第2者」に変えようと、ありちあらゆる算段を尽くすのだった。2/17

その車は、4種類のガソリンを、4つの保管ゾーンに入れなければならない、という厄介な車種だったが、誰も運転したことがないというので、結局免許も持たない素人の私が、運転する羽目に陥った。2/18

私は、いつもパルジファルと生活を共にしていたので、常に仕合わせでした。2/19

2年前にケツのケバまでそいつに蹂躙された私だったが、ここで会ったが百年目。捲土重来けっして逃がさぬ。テッテ的に復讐して絶対に止めを刺すぞ、と私は固く決意した。2/20

長野の山奥に住んでいる同級生のF君が亡くなった、という知らせを受けて、そんなはずはない、なにかの間違いではないのか、と激しく動揺しているわたくし。2/21

以前はあれほど繁盛していた駅前はすっかりうらぶれ、寂れて、人影ひとつすらなかった。2/22

山形交響楽団のファゴット奏者の即興演奏を録音したら、これが素晴らしかったので、彼に頼んでドボルザークの交響曲第8番なども録画録音し、来日していたシカゴ響のオーナーに聞かせたら感激して、たちまち米国公演が決まってしまった。2/23

広告屋の私は、ワインの盃を上げている半裸の女性の写真を用いて、「一杯の夏」というキャッチフレーズで新聞広告を作ったのだが、「わが社は衣料品を作っているが、アルコールは製造していない」と言われて、却下された。2/24

ヤギのように白い顔をした少女が、こちらに向かって歩いてきたので、私は、ただちに恋に落ちた。私らは、販売チームのコンビとなって、全国津津浦浦まで、カジュアルウエアを売り捌いて回った。2/25

反戦運動をしていた私は、10名ほどの仲間たちと一緒に捕まり、同じ牢屋に入れられたのだが、どういう訳か、私は彼らに毛嫌いされ、口も利いてくれないので、仕方なく牢の隅っこでいじけていた。2/26

あるPR会社からDⅤDが送られてきたので、映画かと思って再生してみたら、さにあらず、野原でピクニックしている美貌の母娘の映像が停止して、「あなたはこの2人のどちらと思いっきり楽しみたいですか?」という問いかけが出て、イエスかノウをクリックせよと迫るのである。2/28

 

 

 

塀 180829,180903,180905,180907.

 

広瀬 勉

 
 


09:180829 東京・渋谷広尾

 


10:180829 東京・渋谷広尾

 


11:180903 東京・新宿南榎町

 


12:180903 東京・新宿矢来町

 


13:180905 神奈川・横須賀池上

 


14:180907 東京・足立千住旭町

 


15:180907 東京・足立千住旭町

 


16:180907 東京・足立千住旭町

 

 

 

想いで売り

 

原田淳子

 

 

洪水の余波
世は
夜は

窓のむこうは 暴風雨

真っ赤な想いで、いらんかね
胸に弾けるようなハンカチーフさ

雲の想いで、いらんかね
鱗雲、羊雲、眼醒めた頰に

窓に映るは who are you

空白ー あの声は誰

A♭の想いで、いらんかね
螺旋の果実
G#にも裏がえり

蜜蝋の手紙
透けた文字は反転し

吊るされた太陽
戻れない単線区間

レモンチェッロの涙
土砂降りのベッド
祝福と名づけた呼吸

空白-誰かが、月の真似して

想いで、いらんかね
いらんかね

空白- 白んでゆく、泡

 

 

 

霧のダブリンで I was sleeping と唄う *

 

夜中に
目が覚めた

起こさないようにベットから
そっと起きた

女は
俯せに寝ていた

本の部屋で
窓をあけたら

西の山の上に月がいた

チェット・ベイカーの最晩年の歌を聴いた
almost blue

若い頃の美しい顔と声は

しわがれて
いた

歯も抜け落ちていただろう

工藤冬里は昨日
詩に

“歌は自然に二部に分かれ その厚みの中で” *
“テカる瓢箪” *

と書いていた

晩年になれば
誰も

二部に分かれその厚みの中でテカるだろう

ふたつに引き裂かれている
ふたつに引き裂かれている

誰もが
晩年には

テカる

almost blue は1982年に
エルヴィス・コステロがチェット・ベイカーに捧げた歌だ

 

* 工藤冬里 詩「私はἐγὼ [egō]」より引用