さとう三千魚
「浜風文庫」は、今年、2023年6月8日で、開設して11年を迎えます。
最初期から浜風文庫を支えてくれたのは詩人の鈴木志郎康さんでした。
志郎康さんとの出会いは、いまから40年以上も前のことです。
わたしが小沢昭一さんの芸能座という劇団の研究所演出部研究生を辞めた頃、
東京の江戸川橋の小さな工場で働きはじめながら東中野の新日本文学会の文学学校に通いはじめた時からでした。
そこに志郎康さんがいたのです。
詩人の志郎康さんや阿部岩夫さん、他にも小説の先生もいらして、わたしは志郎康さんの詩の教室に通ったのでした。
小さな木造の学校の教室に詩の生徒が10人ほど集まり、作品を提出して、生徒全員から批評をもらい、最後に志郎康さんの講評をいただくという仕組みでした。
仕事で疲れた体や頭でやっと書き上げた詩を提出すると志郎康さんの厳しい講評が頂けるので、ハラハラしながらも楽しい教室でした。
帰りには東中野の居酒屋で反省会をしてから帰るのも楽しかったのです。
最初の頃は志郎康さんの講評が厳し過ぎたのか生徒がどんどん少なくなったような記憶があります。それで生徒が居なくなるのは困るので志郎康さんの講評はすこしだけ優しくなったようでした。
さて、そんな志郎康さんの生徒であるわたしは仕事や生活に忙しく、なんとか時間を工面して詩を書いていたようです。
その頃わたしは志郎康さんのプアプア詩に感染していてプアプア詩の真似っこの詩を書いていました。
美智子妃殿下の詩とかをプアプア調で書いていたのです。でもプアプア詩は志郎康さんの詩であり、わたしはわたしの詩を書かなきゃ意味がないと思うようになりました。その頃に文学学校で知り合った来栖徹さん、中村登さんや神田典子さん福島素子さん疋田春水さん住友浩さん、それから外の世界の加藤閑さん、奥村真さん、井上弘治さんなどといくつかの詩の同人誌を作ることになりました。
わたしは小さな頃から詩を書いてきましたが現代詩と出会ったのは志郎康さんと会えたからなのでした。
でも、わたしの先生である志郎康さんは「先生」と呼ばれるのが嫌いな先生でした。
だからわたしは「志郎康さん」と呼ぶのです。
志郎康さんは浜風文庫にたくさんの詩を送ってくれました。
それらの詩が書肆山田から詩集として出版された時、わたしはとても嬉しかったのです。
その志郎康さんが、昨年、2022年9月8日に亡くなりました。
87歳でした。
わたしはぼんやりしてしまいました。
いまも、すこしぼんやりして生きています。
わたしは鈴木志郎康という詩人を追いかけてきたのです。
わたしのようなボンクラ詩人と違って志郎康さんはほんとの詩人だったのです。
これからは、
浜風文庫に頂いた志郎康さんの詩を読んで、
わたしなりに志郎康さんの詩を理解し紹介していきたいと思います。
今回は、
志郎康さんから浜風文庫に最初にいただいた詩、
2014年2月14日に浜風文庫に公開された「さあ、詩のテーマは東京都知事選!」という詩です。
「さあ、詩のテーマは東京都知事選!」
https://beachwind-lib.net/?p=1556
「権力者のあり方の地層ってのが、うーん、
民主主義を多数決で踏みつぶす全体主義の足取りの始めじゃねえか、」
この続きはまた後で!
・・・
外から、
帰ってきました。
続きを書いてみます。
志郎康さんの9年前のこの詩を読んでほぼ現在の政治状況を言い当てているなと思ったのでした。
「民主主義を多数決で踏みつぶす全体主義の足取りの始めじゃねえか」
という言葉にこの10年間の日本国の姿が見えてくるように思えたのでした。
この東京都知事選は、猪瀬直樹知事の徳洲会からの献金事件での辞職に伴い、舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄、ドクター・中松、マック赤坂などなどの各氏が立候補し、舛添要一氏が大差で東京都知事に当選した選挙でした。
この選挙は、
都知事を選ぶっていうだけじゃなくて、
権力者のあり方の地層ってのが、うーん、
民主主義を多数決で踏みつぶす全体主義の足取りの始めじゃねえか、
とか
個人主義を歴史意識で縛り上げる国家主義が誇らしく腕組みしてるんじゃねえか、
とか
って思えちゃってね、いや、まあ、詩人さん、先走るなよ。
都知事選は現実よ、ゲン、ジ、ツ。
ってやんでぃ!
いやー、思った通りで、
暮らしの安泰が第一ね。
世間様は怖い。
いやいや、わたしの子どものころにゃー
国の安泰ってことで、
鬼畜米英、撃ちてし止まむって、
世間様はみんな同じ顔して、 白い割烹着とカーキ色の国民服で、
万歳しちゃっていたじゃん、
ってやんでぃ!
ってやんでぃ!
古くさい体験の繰り言は止めにしな。
時間は止まっちゃくれないよ。
さあさあ
東京の200万の世間様を
お迎えするのは全く違う夢舞台ってところじゃん、
お父さんお母さんおじさんおばさんお兄さんお姉さん
取り戻された國の輝く世界一の東京とやらで
おもてなしの絆で結ばれた手を合わせ
どんな五輪ダンスを踊るのやら、
マスコミに揺さぶられた詩人の杞憂の妄想ってやつですよ。
ってやんでぃ!
「さあ、詩のテーマは東京都知事選!」より引用
志郎康さんは「国家」という制度がいかに「個」を縛り上げて踏みにじるかを子どもの頃からの体験として実感しているのだ。戦中の学童疎開、栄養失調による脚気、東京大空襲、戦後の混乱、などを生き延びて「国家」という制度の嘘と理不尽を痛く体験したのだったろう。
この詩で語られる「国家」や「安泰」や「世間様」や「東京五輪」に、
一人の個人として対峙しようとしているのだ。
一人の個人として生きることが志郎康さんの詩なのだ。
「ってやんでぃ!」
「逃げるなよ」
と志郎康さんは言っている。
志郎康さんは「一人の詩人」として生きようとしている。
その志郎康さんは、昨年、2022年9月8日に亡くなりました。
わたしは、ぼんやりしてしまいました。
いまも、すこしぼんやりして生きています。
そして「ボンクラ」という言葉を思い至りました。
「ボンクラ」というのは「ぼさっとしていて鈍い人。ぼんやりしている人、様子。」というような意味だそうです。
わたしは子どもの頃から一人でぼんやりと流れる雲を眺めていたのです。
そしてぼんやりと佇んでいたのです。
「一人の詩人として生きてみなよ。」
志郎康さんは、
志郎康さんの詩によって、
わたしのようなボンクラに、そう、言ってくれていたと思えるのです。
志郎康さん、
ありがとうございました。
わたしはわたしの詩を書いて生きてみます。
2023年6月1日 さとう三千魚
#poetry #no poetry,no life