あきれて物も言えない 06

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

竿を出してみた

 

先週の金曜日だったか、
竿を出してみた。

竿を出すのは、二年ぶりくらいだろうか?

以前に通った海浜公園の下にある釣場で竿を出してみたんだ。
ここでは黒鯛を釣ったことがある。
メジナもたくさん釣った。
大きなボラも釣れたことがあった。
ボラは釣れると横に走って引きが楽しいが釣場が荒れるので釣仲間には嫌がられてしまう。やっとタモですくいあげても直ぐにリリースする。

この釣場では、以前、ひとりの漁師のじいさんが釣りをしているのを見かけた。

じいさんは、いつも、グレーの作業服とズボン、グレーの作業帽子で無精髭を生やしていた。
釣り人は道具にこだわる人が多くいる。
とんでもなく高価な竿や道具だったりする。
でも、そのじいさんは延べ竿一本で、タモも持たずに、撒餌もしなかった。
自作の浮子を浮かべ、餌は練餌だけで、メジナを狙っていた。
たくさん釣れるわけでもなく、シンプルな仕掛けだけで、メジナを狙っていた。

まわりにはメジナを釣ろうと釣り人たちが撒餌を散々に撒いて釣りをしているのだ。
その隣りでそんな単純な仕掛けでメジナが釣れるわけがないのだ。
だけど、そのじいさんは、いつも、そんな仕掛けで、メジナを狙っていたんだ。

いつだったか、
じいさんは赤灯台の突堤で釣りをしていて海に落ちて死んだと、
他の釣り人から聞いた。

じいさんはもう釣りをしていないのだ。

さて、そんなことを思い出しながら、竿を出してみたのだ。
じいさんの真似をして、浮子と練餌だけで狙ってみた。
金曜日に竿を出すというのは、
人がいない時に狙った方が撒餌もなく魚も空腹になっていて釣れると思えるからだ。
金曜日の午前に釣りをしている者はほとんどいない。

しかし、海は荒れている。
波は荒く、浮子が上下して、釣りにならない。
ほんとは海中で餌を安定させなきゃいけない。
餌が波の上下で不自然に動いたら魚だって食ってくれないだろう。

荒れた海を見ながら何度か竿を出してみる。
浮子がどんどん波に流されてしまう。
浮子が波間に揺れるのを楽しみながら目で追うのは味わいがある。
波は一つとして同じではなくその波の中を浮子が流されていくのを見るのは楽しい。
やはり今日は釣れないと思う。
それでも竿を出すのは楽しい。
そこに海があり、波があり、テトラポットがあり、その中に、風に晒されて名前のない釣り人がいる。

今朝の新聞で、大阪豊中市のアパートで、孤独死した独居老人の記事を読んだ。
その老人は奄美群島の加計呂麻島の出身で、金の卵として集団就職で関西にやってきたのだという。
はじめに船会社で船員になり、それから阪急梅田駅近くのパチンコ店で住み込みで働き、店が潰れたあと、土木仕事で転々としたそうだ。
60年代後半は大阪万博に向けた工事の仕事があったのだったろう。
万博が終わった後には、釜ヶ崎などには吹き溜まりのように労働者たちが流れ着いたのだろう。

このように孤独死して死後2日以上経過して発見された独居老人は2011年には2万7千人いたのだと民間調査機関の数値を新聞記事は示していた。

戦後、石炭から石油へのエネルギー転換があり、大阪万博があり、急速な工業化があり、原発推進もあった。
国策だった。
官僚がこしらえた政策だった。
その国策の流れの中に日本があった。
日本の都市も、農村も、漁村もあった。
その国策の中に、金の卵たちや出稼ぎ労働者たち、炭鉱労働者たち、満州引揚者たち、在日の人たちもいて、農村の崩壊と離農があり、水俣があり、原発推進も、安保闘争も、三里塚闘争も、あったのだろう。

いま、日本の明治以降を振り返る時に、はっきりと見えることがある。

大きな国策という流れの中で最底辺の者たちが最後の最後まで利用されて使い捨てられているということだ。
いまや外国人労働者たちもその最底辺に組み込まれようとしているわけだろう。

国策という流れはいまも変わっていないと思える。
アベノミクスという強者たちに都合の良い政策が国策として進められているように思える。

もう一度、海を見ていた。
荒れた海の波間に浮子は激しく上下して漂っていた。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 15

 

尾仲浩二

 
 

パリでの用事が済んで次にケルンに行くまでの4日間シェルブールに来ている。パリの友人がこの街の寂れ具合がお似合いだと勧めてくれたのだ。

生憎とあの有名な映画は観たことはないのだけれど、駅に着き港を歩き出した途端あのメロディーが頭の中で流れてくるのだから仕方ない。

誰も知った人がいない街や港を用事もなくただ歩きまわり、夕方に凍えてホテルに戻りワインを飲んではすぐに寝てしまう、誰とも話さない数日。ケルンではまた沢山の人達が待っている。

2019年11月13日 フランス、シェルブールにて。

 

 

 

 

「夢は第2の人世である」或いは「五臓六腑の疲れ」である。第78回

 

佐々木 眞

 
 

 

母とり名人Aの元のBよりすぐにチョットコイと鳴かせ上手の犬だった。9/1

悪の権化のような現政権に忠義立てしたお陰で、思いがけず立身出世した私は、高官を退任したあとも、某民間企業の参与となって、何の働きもしないのに高給を支給され、それこそ、濡れ手に粟の人生を送っていたが、何故か虚しかった。9/2

主人公と、おばあさんは、死んでいるのに、みるみる甦っていく。9/3

500円のオカキと、千円のオカキの、どちらが総合的に美味しくて、お買い得かを厳しく問うたはずの私の修士論文は、次第に論考の切っ先が厚い岩盤を外れて、回転が鈍くなり、ついには論旨自体もあやふやとなって、空中分解してしまった。9/3

たった2人だけの美人幹部社員が、マムシに咬まれて青白い顔で息を引き取っていくのを、社長の私は、ただ見守ることしかできなかった。あんなに若くて美しかったのに!
9/4

S君とB君は、オオニシマネージャーの元で、新規巻きなおしの最出発をするというので、いろいろアドバイスをしてから、市ヶ谷で別れた。どうやら私は、彼らとは別に、マルキン担当になるらしい。9/5

その男は、施設で暮している息子の食事の中に、覚せい剤を入れて、鈍い脳の働きを、活性化しようと企てたのだが、あえなく捕まってしまった。9/6

セイさんの詩集を作成した、シゲハラ印刷の社長のシガハラ氏は、セイさんが、亡くした父親を悼む詩を読みながら、思わず落涙したのであった。9/7

新橋駅のプラットフォームのごみ箱の中の日経を探している姿を、電通のヨシタケ氏に目撃され、翌日その話を聞いた上司から、私は嫌みを言われたが、その悪癖は、依然として毎朝続けられた。9/8

くの字の姿をした黒い木だけが茂っている緑の大草原を、私たちは、黙々と歩んでいた。その半年後には、北陸の厳寒のニシン棟に押しこめられ、一人ひとり引きずりだされて、全員斬首される運命にあると知る者もなく。9/9

誰かに後をつけられているのではないか、という気がしたので、それをマクようにしながら、横浜市内のあちこちを逃亡していた私だが、突然カマキリのような顔をした男にぶつかった。カマキリが眼で合図すると、彼の手下たちが私を取り囲む。ヤバイ、北朝鮮へ送りこまれるのではないだろうか。9/10

イケメンを愛した処女は、手に手をとって南洋の離島へ駆け落ちし、たった一夜の情交で一児を孕んだが、誰ひとり、それを知る者はなかった。9/10

構想10年、私は抗争するヒロセ派とヨシダ派の和平を願って、一言では尽くせぬ苦労を重ねてきたのだが、ついに昨日、両者の手打ちの会を開催することができたので、「もういつ死んでも構わない」というに気持ちになりました。9/11

私が入社した会社の会長は、キンボウ教という新興宗教の教祖だった。私は、いきなりその会社の広報室長に任命されてしまったので、やむをを得ず朝晩の勤行を共にしていた。9/12

胸の袋に小さな小さな赤児を包み、白いパンツスーツをまとった背の高い娘が、駅の売店へ入っていく。もはやこの国の女には見られなくなった、長い緑なす黒髪を微かに揺らしながら。9/13

城主は、自分の長男と次男を自分の城に招き入れ、3日3晩にわたって接待していたが、最後の夜に、私を呼び寄せ、「これから長男の城に同行して謀反の疑いがあるかどうかを報告せよ」と命じた。9/14

新入生になったばかりの僕は廻りの女性がみんな大人の美人に見え、目移りがしてどうしようもなかったのだが、ある日「あなたはマゾだから、サドの私と組むとベストよ」と誘われて、以来ドツボに嵌ってしまった。9/15

私のまわりには優れたアーティストたちが大勢いるのだが、それらの大半が、3度の食事にも事欠くようなルンペンプロレタリアーティストなので、いったい誰からどのように支援すればいいのか分からなかった。9/16

私は鏡の前でいったん目も鼻も口も眉も耳も全部回収してから、改めて碁石を置くように置き直すと、たちまち今まで見たことも無いような斬新な顔が出来上がった。9/17

東京の、いや日本中の散髪屋は、わたしの汚職疑惑のために全店閉鎖中なので、困り果てたが、ふと思いついてボーマルシェに頼んだら、セルビアから腕利きの理髪師を寄越してくれたので大助かりだった。9/19

K君と一諸に一膳飯屋に入ったら、消費税値上げゼロの超格安魚メニューがたくさん並んでいたので、どんどん発注してみたら、外国から輸入した名前も知れない青い熱帯魚とか腐臭を放つ馬鹿貝などばかりで、私はゲロを吐いていたがK君は美味そうに平らげた。9/21

山奥の土地が塩漬けになってしまったので、ヤクザに頼んで転売してもらったら、そのヤクザにだまし取られてしまったので、仕方ないから親分に頼んで、一家で身売りして組員になってしもうたんや。9/22

4月4日と7日の日に一緒に四つ尾山に登って、分かれ道でギフチョウを見ようということになった。9/23

東京行きの最終電車に乗り遅れたので、次の新宿行きの鈍行に乗り込んだら、どの車両のどの座席も、ぐうたれたリーマン野郎どもが座席を占拠して、眠りこけていたので驚いた。9/24

小町通りを歩いている赤瀬川原平氏の隣には、朝顔の柄の浴衣を着たこおろぎ嬢が歩いていて、右の耳にだけ青い色をしたピアスをつけていた。9/25

私がちょっと油断していると、ガラスの中の水の中に浮かべている鉄器が、ドスンと落ちて、器を壊して水浸しになってしまうので、もう朝まで寝られないのだ。9/26

東京教育大の就職課に革マルが乱入して、企業や団体からの就職票を、あたりにぶちまけた。彼らが思いっきり乱暴狼藉を働いて立ち去ったあと、なぜか地べたにリカちゃん人形、ペコちゃん人形、マルちゃん人形、エースコック人形が横たわっていた。9/27

青山の高級マンションで独り暮らしをしていたモデルが、酔っぱらったまま浴槽に入り、眠りこけている間に、どんどん高温になり、ようやく発見された時には、白骨入りのスープと化していたのだ。9/28

ともかく、おらちはとても疲れたから、会社は休む。なんかあったら家に電話してくれ、と私はカド君に頼んだ。9/29

「念願叶って、とっても良いところに就職できました」と大喜びしている学生がいるので、「どこに決まったの?」と訊ねたら「ベルギーのアントワープの小学校です」というのであるが、私はなんというてよいのか分からなかった。9/30

 

 

 

あきれて物も言えない 05

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

大風は過ぎていった

 

台風19号はわたしの住む静岡に上陸して、長野、新潟、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、栃木、福島、宮城、岩手と、大変な被害をもたらして、いった。

その日は台風が上陸すると聞いていたので物干し竿を下ろして雨戸をすべて閉めて、
女と喪中葉書の絵柄や言葉を選んだりしていた。
昼前から強い風が吹いてガタガタ雨戸を揺らした台風は夕方にこの地域に上陸して過ぎていった。
夜中に何度か近所の小川の水嵩を二階の窓から覗き込んだ。
小川は増水して土手まで届きそうな濁流となったがなんとか土手を超えることはなかった。
たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだろうと思える。

原発のある福島は大丈夫なのだろうかと思った。

翌朝、台風は過ぎて、晴天となった。
ニュースでは大変な被害が各地から報告されはじめていた。

秋田の姉からは「近くに川があったけど、だいじょうぶ?」とLINEが届いた。

長野や神奈川、東京などにいる知人に無事を確認してみた。
千曲にいる詩人はなんとか無事とメールをくれた。他のみんなも大丈夫と返事をくれた。

それで、女とわたしは朝早く、地方巡業の相撲を見にいったのだった。
晴天の空の下を車を走らせ隣町の体育館に向かっていた。
台風の大量の雨に空気が洗われていつもよりも街や山々は綺麗に見えた。

体育館前の行列に並んで、女と”向正面ペアマス席”というところに座った。
正面は北側で「貴人は南に面す」といって貴人が座る場所なのだそうです。
正面の反対側の向正面から見ると行司の背中と尻が見えて相撲の取り組みは見えにくいわけなんですね。

公開稽古といって幕下以下の力士たちが廻しだけの裸で稽古をしている。
力士が先輩力士に何度も挑んでいた。何度も何度も投げ飛ばされては起き上がっていた。
擦りむいたり、鼻血を出したり、転んだり、土俵下に落ちたりしている。
裸の背中や胸が汗で光っている。

花道の近くに大栄翔がいた。
大栄翔は女とわたしが応援している力士だ。
大栄翔の横に並んでいる女の写真を撮った。
少女のようにはしゃいでいる。
相撲の絵の座布団にサインまでもらっている。

この前の両国にも見に行ったが大栄翔は横綱鶴竜を破ったんだ。
見事な勝ち方だった。
座布団が飛んだ。

大栄翔は負けるときは簡単に負けるけど、
かわいいのだ。

公開稽古が終わると、
幕下以下の取組が始まる。
その後に、十両の取組、幕内の取組とつづく。

幕内の取組で、大栄翔はやっと登場する。

女が横で、だいえいしょう〜! だいえいしょう〜!と声援していた。
今回も大栄翔は千代大龍と闘い勝った。

勝つと、うれしい。

勝つと嬉しいが、
勝った力士も負けた力士も花道を帰ってくる。

力士たちは様々の表情をして帰ってくる。

それはそうだ、力士たちも、勝って上のクラスに上がらなければ惨めな生活が続くのだろう。
ライバルを蹴落としてでも上に行く気持ちが必要なのだろう。
相撲では物凄い気迫と形相の睨み合いとなる。
大栄翔はその丸っこい顔にあまり物凄い気迫と形相を見ることがない。
それで横綱に勝ったり、ライバルに簡単に負けたりする。
その辺りが面白くて可愛いのだ。

大栄翔はジャンルの中でプレーしているがジャンル以前に個人なのだろう。
この世にはそのようなヒトたちがいる。
画家や写真家や音楽家、詩人などもその部類だろう。

大風は過ぎていった

その下に相撲やラグビーを楽しんでいるヒトがいる。
その横に台風で避難しているヒトたちがいる。
今朝(2019年10月7日)の新聞によると死者78人、不明15人、避難者4,200人ということだった。
被災され避難されている方々はこれからの避難生活や家の片付けなどで疲労が溜まって行くのだろう。

わたしの地域は、たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだと思える。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 14

 

尾仲浩二

 
 

韓国ポハンへ写真フェスティバルで行ってきた。
台風が朝鮮半島に上陸する数時間前に着陸。大荒れの済州島のニュースを観ながら眠る。
翌朝、台風は日本海へ去り爽やかな秋晴れ、ポハンは製鉄所と魚市場の街。
フェスティバルの会場は70年代に建てられた古いホテルで、自分の写真に囲まれて眠る三日間。
もちろん展示の合間の散歩とメッチュ(ビール)も楽しんだ。
それにしても今年は台風多いな。

2019年10月6日 韓国浦項にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第77回

 

佐々木 眞

 
 

 

私の詩集の校正をしているのだが、目次に聞いたことも見たこともないタイトルが続々と登場するので、いったいこれはどんな詩に対応しているのかさっぱり分からず、右往左往しているわたし。8/2

スズキ氏の新刊が出たので、その編集者に会いたいと思って、版元まで直行したのだが、彼女は超多忙で、とても面会できそうにない。ふと足元を見た私は、両足がいつの間にか毛むくじゃらの密毛で覆われ、右足の踵の上の白骨が剥き出しになっているので驚いた。8/3

真夜中に社員寮に住む社員をホールドアップさせた怪盗がいたが、頭髪が逆さだったその後ろ姿は、さながらこの男の遺影のようだった。8/4

2校が上がったので、校正しようと机に向かったのだが、文字の大きさも書体も、字間の開け方も、どうにもこうにもしっくりこないので、私はその違和感に激しく落ち込んで、思わず泣いてしまった。8/5

わが軍の猛烈な爆撃によって、敵の攻撃がようやく一段落したが、敵は今度は海上を漂っているわが軍のエリート専用の別荘を狙い撃ちしはじめたので、われら2等水兵は再び戦場に担ぎ出された。8/6

こんなトロイ内容の詩が、いきなり冒頭に据えてあったら、誰だって、読む気がしなくなるに違いないと、私は、校正刷りを前にして、頭を抱えた。8/7

ショウを終え、疲れきったヨージヤマモトが、黒づくめの衣装で出てきたので、私が挨拶しようと待っていたのだが、いつの間にか彼の姿は、魔法使いの老婆のように、消え去ってしまった。8/8

私らに襲いかかるゾンビには、獰猛なライオンがアシストしているので、私らは、まず獰猛なライオンを斃してから、ゾンビをやっつける計画を立てた。8/9

太平洋で、工作船ファシスト号が沈没した時に、はなった号砲ひとつ。8/10

◎◎事件については、警察は、頭から首を突っ込む私の姿勢を、高く評価してくれた。8/11

隣国の王子が呉れたものは、夏のお菓子ではなく新曲の楽譜だったのだが、簡単なメロディだけだったので、私たちは、演奏するのにえらく苦労した。8/12

消防署への通報は、○×△という奇妙なキーワードしか送られてこなかったので、消火活動が遅れに遅れて、とうとう館は全焼してしまった。8/12

第2次ロケット打ち上げ計画の対象は、火星だったので、地球に嫌気がさしていた私は、イの一番に手を挙げて、意気揚々と乗り込んだ。8/13

息子が乗った飛行機は、台風10号の渦巻の遥か上空を、悠々と飛翔して、姿を消した。8/14

おなじ業種でライバル同士の両社は、今期も激しい売上競争を繰り広げたが、結局年度末には、ほぼ同じ成績で終わった。8/15

今夜は、長野県史上最大最高の花火大会で、なんとこれから3日3晩にわたって短距離ミサイルを打ちあげるというので、世界中のメディアが詰めかけているようだ。8/16

追われ追われて、2人のお尋ね者は、岩山のタコツボ状の穴に飛び込んだが、生憎ちょうど頭だけが飛び出していたので、追跡者の草刈り機で、スパリと刈り取られてしまった。8/17

その指導者は、「53分後に終着駅に来い。俺はそこで待っている」と言い残して、列車に飛び乗った。8/19

3千人の日本女性軍は、8千人の米国女性軍と熾烈な戦闘を繰り広げた挙句に、かろうじて勝利を収めたそうだ。8/20

射撃場の向こう側には、標的としてビール瓶と書物が入り混じってぶら下げてあった。どっちを狙う?と聞かれたので「ビールを」というて撃ち始めたが、そのうち書物にも弾が当たりだしたので、私はライフル銃を見境なしにぶっぱなし続けた。8/21

おっらちは中年のケイカンだが、ケイカン食堂で定食券を持ったまま隣に並んでいる若いフケイが気になって気になって、どうしてもキスしたくなって、ついキスしたところが、案の定大騒ぎになって、これがほんとのケイサツザタだと思った次第。822

国王となった弟は、長年の宿敵であった兄を、絶海の弧島へ永久追放したが、じつは兄も、それを、他ならぬ弟のために望んでいたことを、弟は死ぬまで知らなかった。8/23

社食が終わったために、ランチをとれなかった社員のために、名ばかり社長である私は、ここぞとばかり、隣の会社の社食から、大量のカレーライスを持ちこんで食べさせたので、中村七之助似の社員は、泣いて喜んだ。8/24

アーノルドパーマーという傘のマークのポロシャツが、爆発的に売れたので、その年のボーナスをもらったアートディレクターのムラクモ氏は、給料袋から取り出した紙幣を机の上に立てて、「ほらほら見て御覧、ボーナスが立ってるよ」と、私ら新人社員に自慢した。8/25

米大リーグ選抜チームを9回まで3-1でリードしていたのだが、案の定我われ日本選抜チームは、ガダルカナルの決戦の時のように平常心を失って、一挙5点を奪われて沈没してしまった。8/26

大金持ちの若旦那で、若い燕であるおらっちは、惚れた情人が見境なしに着物を買い漁るので、だんだん懐具合が心配になって来た。8/28

参戦か非戦かの最終判定を委ねられた超有名な反戦派の町内会長が、日ごろの政見と打って変わって、参戦の断を下したので、おらっちはとても驚いた。8/30

 

 

 

レポート さとう三千魚「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」

(2019年7月26日(金)於・青山スパイラルルーム)

 

長田典子

 
 

2019年7月26日(金)、詩人の松田朋春さん主催Support Your Local Poetのイベントで、さとう三千魚さんによる「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」の講演が、19時から青山スパイラルルームで行われた。暑い夏の夜だった。
とても楽しみにしていたので開演30分前に会場に到着すると、パワーポイント用のスクリーンの前で、さとうさんはパソコンで内容のチェックをしていた。浜風文庫’s STOREのTシャツにジーンズというラフな姿だった。場所はおしゃれな青山。しかも前面の大きなガラス窓からはスタイリッシュなビルが見える部屋とあって、最近太ってパツンパツンになってしまっているにもかかわらず、一張羅のお花柄のワンピースを無理やり着込み緊張して出向いわたしだが、さとうさんのラフな格好を見て一気に緊張がほどけた。

さとうさんのそのゆったりした雰囲気とともに、優しい人柄が滲み出てくるような、わかりやすい話だったこともあり、わたしだけでなく、会場全体が始めからほっと和みながらさとうさんの話を聞くことができたと感じている。

1980年代からさとう三千魚さんのご活躍は詩の雑誌を通じて存じ上げていたものの、わたしがさとうさんに初めてお会いしたのは、鈴木志郎康さん宅で行われている詩の合評会「ユアンドアイの会」のときである。今から4年ぐらい前のことなのに何だか古くからの知り合いのように感じている。さとうさんは、現在は会社を退職されて静岡にお住まいだが、その前は、平日は東京、休日は静岡で過ごされていた。当時わたしはスーツ姿のさとうさんしか見たことがなかった。日曜日の「ユアンドアイの会」には、翌日の会社勤務を控えて静岡から重いノートパソコンを持参しての参加だったからだ。ウエブサイト「浜風文庫」でもお世話になっており常にとても温かい対応をしてくださるおかげで、とかく萎縮しがちなわたしなのに、のびのびと作品に取り組むことができている。「浜風文庫」も休日以外は地道に毎日更新されている。いつもにこにこしている穏やかな印象や風貌から、さとうさんは、とても上手に社会と折り合いをつけて生きている人、誰とでもうまくやっていける人だと思っていた。
でもそれは社会人になってからの世間に向けての顔であり、本来はどうやら違っているらしいことがわかった。秋田県出身のさとうさんは、どことなく口が重い、シャイで寡黙な人というイメージもかすかに感じとってはいたのだけれど。

さとうさんは、幼児期、言葉を発するのが苦手で、常に母親の後ろに隠れているような子だったという。詩は小学生の頃から書き始め、中学生になってからは、通学していた学校で詩人の小坂太郎さんがたまたま教師をしており、小坂さんに詩を見てもらっていたという。ここで、すでにさとう三千魚さんは詩人としての芽をじわじわと伸ばしていたのだ。恵まれたスタートだったと言える。
高校時代は孤独だったという。受験のため東京に出てきたが、満員電車に圧倒され満員電車恐怖症のようになり、結局、浪人時代も朝の満員電車に乗れないために予備校には通えず桜上水のアパートの部屋に引きこもっていたのだという。当時、アパートの近くには野坂昭如さんの豪邸があった。野坂昭如さんの『さらば豪奢の時代』という本を読んださとうさんは、著者の書いていることと実際にやっていることの乖離を感じ手紙を書き送ったとのこと。さとうさんの生家が農業を営んでいたことから「実際はこんな甘いものではない」と憤りを感じたのだ。「他の著書も読むべきであったのに、若気の至りだった」とも言っていた。浪人時代のこのエピソードを聞いて、わたしはさとうさんの「詩の核」を見たような気がした。

その後、さとうさんは、小沢昭一さん率いる「芸能座」の研究生になった。演出部に所属し、演出助手をやりながら大道具や小道具もやっていた。研究生の合宿で、小沢昭一さんの前で余興をやらなけらばならなかったときに、さとうさんは西脇順三郎さんの詩「旅人かえらず」を朗読した。小沢さんは、さとうさんの詩の朗読をしっかり受け止めて聞いてくれたという。劇団にいても詩を手放さなかったさとうさん。やはり生来の詩人だと思った。

少年時代、さとうさんは雲ばかり見ていたという話は以前に聞いたことがあった。その視線は今も変わらず、日々、フェイスブックにポストされる写真からも知ることができる。

さとうさんには独特の視線や触手がある。

最新詩集『貨幣について』(2018年・書肆山田)刊行に向けて書いている段階で、考えを煮詰めていたとき、疲労とストレスがあいまって移動中の新幹線から降り熱海駅のホームで倒れてしまったときのエピソードが強く印象に残った。病院に救急搬送され病院の窓から外を見たとき「すごいものを見ちゃった」と感じたという。搬送された熱海の病院は片側が海に面した断崖絶壁の上に建っていた。さとうさんは倒れたとき血圧は上が220まで上昇していたらしい。この状況で病院の窓から絶壁を見てしまったさとうさんは、自身の状況を直感として把握し受けとめたのだろう。こういうとき、人は、人生のメタファとしてさらに言葉を続けて言いつのってしまうものだ。あるいは、わたしのように、ぼーっと生きている人間だったら「やれやれ、酷い目にあったものだ。ようやく家に帰れるわい」「今日は天気がよくて景色が良く見えるな、病院に搬送されるなんてなんてこった」、「なんだ、この病院、こんな崖っぷちに建っていたのかー」など、仕事帰りに病院に救急搬送されてしまった不幸をまずぼやきたくなるだろうし、無事であったがゆえに徒労感でいっぱいになってしまうものだ。あくまでも自分の経験と比較しての感想だけど。しかし、さとうさんは一言「すごいものを見ちゃった」と言ったのだ。わたしは、そこがすごいと感じだのだ。

ちなみに、詩集『貨幣について』の連作を執筆中、実際に千円札を燃やしてみようとしたが、燃やせなかったらしい。もちろん一万円札も。
十分に過激である。貨幣とは、かくも強靭な存在なものなのかと複雑な感慨を覚えたわたしである。

さとうさんの直感的で濁りのない視線は詩だけでなく芸術全般におよび、主催する「浜風文庫」には、詩人だけでなく画家、写真家など幅広く作品が掲載されている。この視線の行方は際立っていると感じている。

その直感的な視線と生来の寡黙さは、さとうさんの詩にもうまい具合に作用しているように思う。

さとうさんは、新日本文学の詩の講座で鈴木志郎康さんに出会い、その後の詩集出版に繋がる詩を書き始めた。さとうさんに影響を与えた詩人は鈴木志郎康さんの他に西脇順三郎さんがいた。つい最近は、谷川俊太郎さんの『はだか』を読んで衝撃を覚えたとのこと。この三人の詩人の詩、そしてご自身のデビュー詩集『サハラ、揺れる竹林』から「マイルドセブン」、『はなとゆめ』から「地上の楽園」、『貨幣について』から「19.貨幣も焦げるんだろう」を朗読した。30年以上前の初期の作品「マイルドセブン」はあまり読みたくなさそうだったが、主催者で司会の松田朋春さんにリクエストされて大いに照れながら朗読された。これを聞いた人はとても感銘を受けたようで、その後の二次会の席でも話題になった。
とても自然で胸に染み入ってくるような朗読だった。

今回、わたしは、「地上の楽園」に改めて注目したのでぜひこの場を借りて紹介したい。

 
 

地上の楽園

 

息を吐き
息を吸う

息を

吐き

息を
吸う

気づいたら
息してました

気づいたら息してました
生まれていました

わかりません

わたしわかりません
この世のルールがわかりません

モコと冬の公園を歩きました
モコの金色の毛が朝日に光りました

いまは
言えないけど
いつかきっと話そうと思いました

モコ
モコ

なにも決定されていないところから世界が始まるんだというビジョンは

いつか伝えたい
いつかキミに伝えたい

息を
吐き

息を
吸う

息を吐き
息を吸う

モコと冬の公園を歩きました
柚子入りの白いチョコレートを食べました

モコの金色の毛が光りました
モコの金色の毛が朝日に光りました

わたしはモコを見ていました

そこにありました
すでにそこにありました

 

 

先に述べた寡黙で直感的な詩人の側面がここにも表れている。
「息を吐き/息を吸う」というリフレインに始まり「気づいたら/息してました」と書くあたり。まるで世界を初めてみたかのような驚きを感じる。そう、「すごいものみちゃった」は初めて世界を見た人の根源的な発語のようなのだ。だから、日ごろ情報まみれのわたしたちは、その新鮮な発語を聞いて驚くのだ。「わたしわかりません/この世のルールがわかりません」も、なんと清冽な行だろう。「何も決定していないところから世界がはじまる」まで読んで、なるほど、とわたしたちは改めて詩人によって気づかされるのである。確かにどんな瞬間も厳密に言えば「何も決定していない」ところから始まっているのではないか。最後の「そこにありました/すでにそこにありました」は、愛犬モコの金色に光る毛の存在を通して、詩人の希求する決定された「ビジョン」をそこに発見したということだろうか。
改行や細かく分けられた連の間からも、さまざまな想いが生まれ、読者に考える空間としての猶予を与えてくれる。深い世界観を感じると同時に切迫した言葉の行から切ない感情が湧き上がってくる。もう一度読み返したいという気持ちにさせてくれる。

余剰時間の多くをスマホに奪われつつある今日、わたしたちがじっくり詩を味わう時間は明らかに減っている。これはわたしの個人的な思い込みだが、わたしは詩を常に傍らに置いて繰り返し楽しみたい。生活に疲弊したとき、ふいに空白の時間ができたとき、詩を繰り返し読むことで、ふっとその詩の世界に入り込み現実の自分とは違う世界や湧き上がる想いを楽しみたい。わたしにとって、詩集は書物というより大切な宝箱のような存在だ。宝箱を開けたときのような豊かできらきらする時間を、さとうさんの詩は与えてくれるような気がする。さとうさんの詩は、時間に追われる忙しい日常からふと距離を置いて読むことをお勧めしたい。

さて、この7月26日(金)は、詩人に限らず写真家や画家の方々も集まっていてさとうさんの幅広い交友関係に改めて驚いた。わたしは、詩人のイベントでこれほど幅広い分野の人々が集まっているのを初めて見た。

実は、『サハラ、揺れる竹林』が発売されてすぐに、わたしも購入した一人である。「~するの」という語尾の扱い方がとても新鮮で影響を受けた。そのさとう三千魚さんと、30年後にお会いし一緒に詩の合評をしたり、さとうさん主催のウエブサイト「浜風文庫」でお世話になっているという幸せな出会いにとても感謝している。

 

 

 

村岡由梨『イデア』について

 

辻 和人

 
 

村岡由梨『イデア』は6編からなる私家版の小詩集である。村岡由梨さんはもともと映像作家で、私はイメージフォーラムで「The Miracle」(2002)と「yuRi=paRadox~眠りは覚醒である~」(2006)の2つの映像作品を見たことがある。どちらも自我の在り様を象徴的な手法で描いた作品だった。画面の作り方は古典演劇や絵画のように様式的である。プロフィールに統合失調症で一時活動を休止したと書かれてあるので、不安定な内面を、かっちりと形あるものとして、凝視したかったのかもしれない。

この小詩集は、第20回スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバルに出展された映像インスタレーション作品(石田尚志賞受賞)に付されたテキストを集成したもの。このインスタレーションは上記の映像作品と異なり、自身と家族(夫と娘2人)、及び病に侵された保護猫との日常を撮影している。仲睦まじく暮らし、旅行を楽しみ、のんびり猫と遊ぶ。何気ない幸せが「いつか失われる」という予感に晒される。

映像を見た感じでは「大切なもの」が流れ去っていく、という無常観が先に立つが、テキストだけの『イデア』は、逆に、その一瞬一瞬に踏みとどまり、一瞬の意味を深く見極めていこうとする力が強く働く。

「ねむの、若くて切実な歌声」は中学2年の娘ねむが、明日行われる学校の歌のテストで練習した歌を披露するという詩。その「みずみずしい音の果実」を夫とともに聞き入るうちに、「私」は次のような感慨を持つ。

 

空白空白「眠(ねむ」という名前をつける時に心の中で思い描いたような
空白空白しん と静かな森の奥の湖を思い出した。

 

成長した娘の元気な歌声が、出産時に思い描いた静寂の光景に連れていってくれたのだ。

「くるくる回る、はなの歌」は、11歳の次女はなについての詩。夫と喧嘩した時に「寄り添うように眠って」くれたり、シャワーを浴びている「私」にガラス越しにふざけた顔をして笑わせてくれたり、母親想いの子である。そんなはなが、家族で回転寿司に行った帰り、

 

空白空白クルンクルンと側転する。
空白空白一瞬の夢のように消えてしまう、小さな白い観覧車。

 

その体力と運動能力はもう幼女のものではなくなってきている。母子が無邪気に密着できる時間はあとわずか。過ぎ去る時間の速度が観覧車のイメージに託されているのだろう。

「しじみ と りんご」は、夫が拾ってきた保護猫しじみのことをうたった詩。しじみは虐待を受けた形跡があり、心臓付近に腫瘍があって長くは生きられないことがわかっている。「私」は懐いたしじみをかわいがるうち、「しじみの赤ちゃんになって、しじみのお腹に抱かれたいなあ」と妙な気を起こしたりしているうち、「私」は母親から「大きくて真っ赤なりんご」をもらう。「私」はそれをしじみの横に置いて写真を撮ることを思いつく。

 

空白空白しじみ と りんご。
空白空白しじみの体の中で、小さな心臓が真っ赤に命を燃やしている。

 

りんごは弱りつつあるしじみの心臓の代わりとなって、真っ赤にエネルギッシュに燃える。

「未完成の言葉たち」は、4つの短い詩を集めたもの。3「空」は文字通り未完成。ここでは「私」の不安定な心の様子がダイレクトに描かれる。1「旅」は、旅先で、「ママは大人になりたくないな」と話して笑われたことなどを思い出しながら、「誰もいないホームで笑う3人の姿を/遠く離れて撮っている私がいた」と、軽い疎外感を描く。この詩を序詩とし、
2番目の「夜」はいきなり次のような過激な言葉で始まる。

 

空白空白私は、叫んだ。
空白空白「あの女の性器を引き裂いてぶち殺せ!」

 

由梨さんは思春期に精神のバランスを崩して高校を中退したそうである。そこには自身の女性という性に対する嫌悪や恐怖がある。「私は悪だ。/私のからだは穢れている。/私のからだは穴だらけ。」のようなストレートな言葉も飛び出す。
4「光」ではそれがエスカレートし、「もうすぐ私は私のからだとさよならする。」と自殺をほのめかすようなことも言う。その挙句、「私」は「6本指になる夢」を見るに至る。

 

空白空白もどかしい6本目の指。
空白空白思い切ってナタを振り下ろしたら、
空白空白切り裂くような悲鳴をあげて、鮮血が飛び散った。

 

この激しい自壊の衝動は、「青空の部屋」において内省的に振り返られる。「私」は中学三年の時に個室を与えられ、部屋の壁紙を選ぶように言われ、青空の壁紙を指定する。丁度心の調子が悪くなり始めた頃だ。「私」は学校に行くのを止めて部屋に閉じこもり、奇怪な妄想に取り憑かれるようになる。

 

空白空白やがて日が昇り、
空白空白太陽の光に照らされて熱くなった部屋の床から
空白空白緑の生首が生えてきた。

 

「私の時間的成長は、15歳で止まってしまった」と述懐した「私」は次のように激白する。

 

空白空白その後15歳で働いて旅をして
空白空白15歳で作品制作を始めて
空白空白15歳で野々歩(ののほ)さんと出会って結婚して
空白空白15歳で長女の眠(ねむ)を産んで
空白空白15歳で次女の花(はな)を産んで
空白空白15歳で働きながらまだ作品制作を続けていて
空白空白15歳で老けていって

 

つまり、今の自分も昔と変わらず苦しんでいるというのだ。この苦しみは「私」の意識の核に潜むものであり、消失するものではない。しかし、今の自分には昔の自分が持っていなかった大切なものがある。子供たちの存在だ。

 

空白空白私が死んでも、眠と花は生き続ける。
空白空白続いていく、追い抜いていく。

 

こうして、「私」は精神の疾患に苦しみながらも、家族の支えにより、生きる元気を得ることができるのだった。

そして最後の詩「イデア」。子供たちの存在、家族の存在を再認識して安らぎを得た「私」だが、時の移ろいとととに、今ある家族の形がいつか失われることはわかっている。2年前、長女は、アトリエ近くの歩道橋から眺める景色に胸がいっぱいになる、と語っていたが、その歩道橋がもうなくなっているように。
そして「私」は瀕死の飼い猫についての映画(通算11本目)を撮る。

 

空白空白いつもは何かと注文をつけたがる野々歩さんが、
空白空白「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった。」
空白空白と言ってくれた。

 

この言葉を聞き、「私には一緒に泣いてくれる人がいるんだ」ということに気づき、改めて愛する人との絆の大切さを噛みしめる。

タイトルの「イデア」は、観念という意味である。由梨さんは日常や自分の心を見つめながら、絶えず、見えているものを超えた世界を探ろうとしている。「静かな森の奥の湖」「小さな白い観覧車」「大きくて真っ赤なりんご」は、宗教的な救いの啓示のように、神秘的な佇まいで屹立する。「6本目の指」や「緑の生首」は逆に、悪魔による黒魔術の仕業のように「私」を惑わせる。神と悪魔の間で引き裂かれそうになりながら、夫や子供たち、飼い猫との触れ合いを得て、ようやく「生の世界」に踏み止まる姿が記録されていると言えよう。

人間が感受する現実というものは、物理的世界と自意識と社会関係との混淆であろう。由梨さんは神経に障害を抱えることにより、自意識が肥大した状態となってしまったと考えられる。私が見た由梨さんの初期の映像作品は、この肥大した自我の様子を生々しく描いていた。しかし、この小詩集においては、自意識の拡大に待ったをかける、「生きている者たち」の描出に力点が置かれている。量感と体温と体臭を持ち、「私」が引きこもろうとするや否や、無遠慮に侵入してきて荒々しく目覚めさせる、騒々しい連中だ。内面で育まれた超越的な世界と騒々しい生の世界、両者の間でバランスを取る姿を可視化させることよって、村岡由梨の新しい世界が生まれたと感じたのだった。

 

村岡由梨『イデア』

http://mixpaper.jp/scr/viewer.php?id=5d1351e83719b&fbclid=IwAR3Axn6FA0DpKq9YvoJuGYDGX1JD5g1KSNRIS2u2JHLlYRiWo0Gl0Ph2UBU

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第76回

 

佐々木 眞

 
 

 

私はシゲハラ印刷に頼んでAPフェアの5点セットPOPを作ってもらい、それを全国各地の百貨店の売り場に飾りつけると、日本の名城をデザインした扇子を額に鉢巻きで巻いて、カッポレカッポレを唄いながらそこらを練り歩いた。7/1

女の子の家庭教師をやっていると、必ずその子が涙する時がやってくると先輩がいうので、私は何年も待っているのだが、まだその時は来ない。7/2

いつも京に来ると道に迷ってしまうのだが、今日も山科の里山辺で、どっちが駅なのか分からなくなってしまった。道を聞いても言葉が通じないし、そのうち私は、私自身が何者であるのかすら、茫洋となってきた。こんなことは初めてだ。7/4

京都駅から下り電車に乗ったら、鳥取や島根方面に行くおばはんたちが大勢乗っている。聞けば彼女たちは、みな地元の町会議員で、党派は違うが、研修という名目で京で観光してきたそうだ。7/5

久しぶりに五反田のダーバンへ行ったら、ナベショウ氏につかまって、彼が海外で買い集めた玩具のミニトロッコの御託を耳にする羽目に陥っていたく消耗していたら、折り良くミズノ氏から、「ちょっと来いよ」という電話があったので、これ幸いと逃げ出した。7/6

私は中原中也の真似をして、詩集の初校を持って、あちこちで見せびらかしているうちに、1枚、また1枚とどこかへ消えてしまい、しまいには全部無くなってしまった。7/7

家の鍵とか車の鍵とか、探しても探しても、長い間見つからなかった紛失物が、次々に出てくるので、夢かと喜んだのだが、目覚めてみると、それは全部夢だったので、コンチクショウメと歯ぎしりしている私。7/8

東京に本社があるために、いつも東京ファーストで東日本地区のことしか頭になかった私は、時々大阪支店の連中から、苦情と警告を受ける羽目になった。7/9

ルックのオオムラさんが、芸大の教授になったというので、私はいったいどういう裏技を使って、そういう芸当ができたのかを知りたかったのだが、オオムラ氏は、それは企業秘密ですというて、どうしても教えてくれない。7/10

私は昨夜の夢を、ケイターメールにしたためておいたので、それからは安心して、朝まで眠ることができた。本当は、夢見た直後に蒲団の中で録音しておけばいいのだが、それでは家人を起こすことになるので、要注意だ。7/12

アカプルコの海岸のカフェバーで、日向ぼっこをしていたら、店の女の子が、ここらへんは殺し屋の殺し屋がうじゃうじゃいるから、中に入っていたほうがいい、という。でも、どうしておらっちが殺し屋と分かったんだろう。もしかして彼女も殺し屋?7/13

宿命のライバルである我々は、アメフトの試合の途中で大乱闘となり、お互いに殴る蹴るの乱暴狼藉を繰り返しているうちに、多数の負傷者どころか、死者まで出てきたのだが、調停役のレフリーが、とっくの昔に逃亡していたので、誰も止める者がない。7/14

飛行機の前でマゴマゴしていると、衝突しそうになったので、どうも縁起が悪いな、と思いつつ、最前列に乗り込むと、ちょうど真向かいに停止中の飛行機の窓から、私を狙っているライフルが見えたので、すぐにカウンターに戻って、搭乗をキャンセルした。7/15

◎◎市の○内の範囲では、うんとん家が惹き起した暴動に巻き込まれているという情報が、テレビの速報で流れた。7/16

どういう風の吹きまわしか、馬鹿殿の不興を買ってしまったので、なんとかして元通りに修復したいと思うのだが、なんせ相手が相手なので、どうすればいいのか、妙案を思い付けずにいる次第。7/17

世界最短詩の候補として、愛、愚、凡、穴、人、友、生、死、無、息、根、交、神などの漢字が浮かんだが、そういう既成の単語以外に、新造語や絵文字、混成語もあるのではないかと思い付いた。7/18

7月になって、朗報が飛び込んできた。私の芝居を、紀伊国屋ホールで上演するというのだが、ついては200万円寄越せというので、それはどういうことかと、文無しの私は、吃驚仰天だった。7/19

台所の床下収納庫の蓋を開けたら、底に巨大な魚の目玉が爛々と輝いていたので驚いた。この目の大きさからすると、地球上に棲息する魚ではなく、もしかすると、伝説上の大魚、鯤鵬ではないだろうか?7/20

内田百閒の「東京焼盡」から霊感を受けて、たった1晩で書き上げた私の「こうすれば10の天変地異から身を守ることができる」という本は、あっという間に、ベストセラーになってしまった。7/21

イデ君と素材メーカーとの打ち合わせに出張してきたのだが、バスを降りてから峠道を歩いても歩いても、目的地に着かない。そのうちイデ君が、道端でちょっと小用を足すから先に行ってくれというので、どんどん登っていったら、三差路に差し掛かり、イデ君もどこかへ消えてしまった。7/22

神宮球場のスタンドで、次の投球を打者がホームランすれば、私の歯痛が治るはずだ、と確信して待ったが、生憎三振に終わってしまったので、痛みは倍増するようだった。7/23

うみうし氏は、おもむろに懐の中から魚を取り出して机の上に並べ、若き兵士たちに食べさせてから、降り注ぐ弾雨をものともせずに戦場に飛び出し、まだ息のある若者を背負って、次々に塹壕の中に引きずりこむのだった。7/24

どういう風の吹きまわしだか、イケダノブオのアルファロメオの新車の助手席に乗ってしまった私は、シカゴ市警の全パトカーから追われる身となってしまった。7/25

誰かの詩集のなかに、1本の木の写真が挿入されていたのだが、それがあまりにも美しいので、書かれた詩のことなど、すっかり忘れ去ってしまった。7/26

戦況が思わしくないので、かつて戦場で一度も敗れたことのないスナフキン野郎を思い切って投入したのだが、敵軍の強襲に、たちまち撃退されてしまった。7/28

オオキさんチのアパートの近くで、誰かにどーんとぶつかられて、ばったり倒れてしまい、身動きできないでいると、またしても、そいつがのしかかってきたので、ひらりと身を交わして、避けたのよ。7/29

「世界大変」「世界大乱」「世界最凶」などの言葉が駆け巡って「万事快調」と覇を競い合うので、なかなか眠れなかった。7/30

これからの自動車業界を展望するS氏の本が刊行されたが、特別付録の、S氏が所属するA社の社長と、そのライバルのB、C社の社長との対談が面白いというので、業界の話題になって、アマゾン売上のトップに躍り出た。7/31

 

 

 

あきれて物も言えない 04

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている

 

もう2ヶ月が過ぎようとしている。

2ヶ月ほど前に表参道のスパイラルというところで自分の詩について話したのだった。
2時間くらい話すようにということだったのですが2時間も話すことは自分にはないなあと思えてその日まで憂鬱だったのだ。
自分の憂鬱はしょうがないけど来てくれる人まで憂鬱にしたら申し訳ないとも思ったのだ。

「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」という演題だった。

自分の詩について話すよりも自分がどのような詩に関わってきたのか、
どのような詩が素晴らしいと思って生きてきたのかを話す方が他者にはメリットがあるのではないかとも思ったのだ。

それで東京に向かう新幹線の中でノートパソコンに向かいレジュメを作ったのだった。
会場ではレジュメ通りに進めた。
松田朋春さんが司会をしてくれたので安心でした。

18歳の浪人だった頃に読んだ西脇順三郎の「茄子」という詩をまず朗読してみたのだ。

それから22歳の頃、東中野にある新日本文学の鈴木志郎康の詩の教室に通っていた頃に読んだ鈴木志郎康の「わたくしの幽霊」という詩集から「なつかしい人」という詩を朗読したのだ。

また、最近、発見した谷川俊太郎の「はだか」という詩集から「おばあちゃん」という詩を読んでみたのだ。

金子光晴の詩が入っていないのは片手落ちだったかもしれないが、
どの詩もわたしが書きたくても書けないような詩なのだ。

 

「茄子」

私の道は九月の正午
紫の畑につきた
人間の生涯は
茄子のふくらみに写っている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ
アポロンよ
ネムノキよ
人糞よ
われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ

 

「なつかしい人」

わたしの遺影の前には
パイプと煙草がきっと置かれるだろう
そんなふうな
気遣いをしてくれる人が
一人ぐらいはいるだろう
パイプをくわえて
薄暗い室内に座っていると
その人が急になつかしくなる
しかし、その人が誰なのかは
まだ生きている
わたしにはわからない

 

「おばあちゃん」

びっくりしたようにおおきくめをあけて
ぼくたちには
みえないものを
いっしょうけんめいみようとしている
なんだかこまっているようにもみえる
とってもあわてているようにもみえる
まえにはきがつかなかったたいせつなことに
たったいまきづいたのかもしれない
もしそうだったらみんなないたりしないで
しずかにしていればいいのに
でもてもあしもうごかせないし
くちもきけないから
どうしたらいいかだれにもわからない
おこったようにいきだけしている
じぶんでいきをしているのではなく
むりやりだれかにむねをおされているみたい
そのとききゅうにいきがとまった
びっくりしたままの かおでおばあちゃんは
しんだ

 

これらの詩をもう一度、今夜、読んでみた。

これらの詩には詩人が自身でありながら自己と他者を公平に見ることができる視線があるように思います。
自己と他者を公平に見る視線を持つということはなかなか高度な達成であると思います。

これらの詩に書かれている達成に比べたら、
わたしの生は自己に拘泥してきた生であったと思わずにはいられないです。
他人のことなど少しも考えもせずに自分のことや自分の利益だけを考えてきたのだろうと思わずにはいられないのです。

先週の金曜日には相撲の桟敷席のチケットを知人から頂いたので女と女の友人たちと蔵前の国技館に行きました。
国技館ではちゃんこを食べてから弁当を二つ食べてビールを二本を飲みました。
大好きな大栄翔が鶴竜を打ち負かして座布団がたくさん飛びました。
それから女たちと別れて浅草橋で荒井くんと飲みました。
それで荒井くんと別れて総武線と中央線に乗り、酔いつぶれて武蔵境まで乗り越して、
高円寺に戻って、広瀬さんと朝まで飲みました。
それから新宿のホテルまで戻りシャワーを浴びてすこし仮眠してから恵比寿の写真美術館で写真を見ました。
なにを見たのかよく覚えていませんが金髪の西洋の女性が土田ヒロミの写真を見てボロボロと泣いているのを見ました。
わたしは泣けませんでしたが土田ヒロミはいいなと思いました。
それから中目黒に向かい写真家のしどもとよういちさんと会い飲んだのでした。
しどもとさんは不思議で美しいひとです。
それでしどもとさんと別れて高円寺に向かいすこし飲み、新宿のホテルに帰り、風呂に入りすぐ眠った。
翌日、上原のユアンドアイの会で詩の合評をして、その後で、詩人のみなさんと飲んだのだった。
楽しかった。

よくもまあこんなに酒を飲むもんですねえ。

なぜか突然、思い出したのですが、
むかし、新潟にある坂口安吾記念館に一人で行ったことがありました。
記念館の奥の部屋に「菩薩」という大きな書が掛かっていた。へー、安吾、菩薩かあ!と驚きました。
あれは安吾の書だったのでしょうか?
その後で午後に羽越線に乗り羽後本荘に向かいました。
車窓からずっと夕方の日本海と浜辺に並ぶ漁村の景色を見ていました。

いまはいない義兄が羽後本荘駅で待っていてくれました。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚