夢素描 11

 

西島一洋

 

ピアノ

 

ピアノを買った。

おそらく170,000円か180,000円位だったと思う。と言うのは、今日買ったピアノはあまり値段を覚えていない。前に買ったピアノはいくらだったかなあと思い夢を見て思い出すことにした。

夢の中で、さらに夢を見るという行為である。そうすると、170,000円か180,000円程度だった。168,000円だったかもしれない。

グランドピアノではないが、木製の黒いごついやつである。業者がというか、ピアノ屋が直接運んでくれた。

部屋はかなり大きい。おおよそ30畳ぐらいあるかな。天井は極端に高くはない、そこそこ高い、3.5メートル位かなあ。外光は入ってきてないが、暗くは無い、と言って明るくもない。どんよりとした明るさか。

値段を思い出すために、以前の夢を思い出そうと思って寝た。と言うことで一応値段は思い出した。

同時に他にも思い出すことがあった。以前の夢では、もう1台既にピアノがあった。そのもう1台のピアノは、エレクトーンというか、いわゆる電子ピアノで、でもそこそこの大きさがあり、なぜか電気スタンドが3つほどくっついている。

僕は大きな黒いピアノを見ながら、その電子ピアノを弾いていた。曲は特にない。と言うよりピアノ弾くテクニックは持ち合わせていないので、ランダムというか適当に弾いているだけである。

最初のピアノは、つまり最初の夢に出てくるピアノは、左上のところに大きな傷が付いていた。

でもすぐに気がつかず、業者が帰ってから気がついた。すぐに連絡すればいいものを、躊躇している間に3日ほど経ってしまった。となると、最初から付いていた傷なのか、自分でつけた傷なのか、微妙な感じになってしまったが、最初から付いていた傷と言う事は確かである。でも日を追うごとに、苦情というか、連絡をするのが億劫になってしまった。

でも大金を払っているし、このままでは自分も気持ちが悪い。何度か電話をしようと思ったが、電話がしづらく、もう一つ別の夢を見ようと思った。

そうして、またもう一つ夢を見たと思う。いや、二つも三つも見たと思う。夢の記憶は消滅してはいないが、思い出すことができない。

ある時、それら夢の記憶が浮上する時があるだろうが、それらが、なぜ浮上したのか、その時はきっと忘れているだろう。

記憶ヲ忘却セヨ、ソシテ、ソノ忘却ヲ記憶セヨ。

 

 

 

あきれて物も言えない 21

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

毎日、詩を書いている

 

昨年の4月1日から、毎日、月曜日から金曜日まで、詩をひとつ書いて、「浜風文庫」に公開している。
もうすぐ、一年になる。

わたし一人ではなく、ロック・ミュージシャンの工藤冬里さんも毎日、詩を書いてくれて、浜風文庫に公開してきた。
また、写真家の広瀬 勉さんのブロック塀の写真も毎日、浜風文庫に公開してきた。

詩を書く、詩を毎日、書くということは、どのような行為なのだろうか?

わたしの場合は、毎日の自分の生活の事実に基づいて書いている。
ツイッターの「楽しい例文」さんからタイトルを借用して、本文にも、同じ例文を最終行に引用している。

まず、日本語で詩を書いて、次に英語に翻訳して、英語の詩と日本語の詩を繋げて、ひとつの詩としている。

例えば、今日は、以下の詩を書いた。

 
 

Something is wrong with the engine.

エンジンはどこか故障している。

 
 

今朝も

河口まで
歩いた

川沿いを歩いていった

半島の上に
朝日は

光っていた

風が吹いてた

昼前に
花屋で

義母の仏前に供える白菊を買ってきた

もうすぐ
二年になる

この世では
三回忌というのか

午後には
細野晴臣の”僕は一寸”を聴いてた

繰り返し
聴いていた

風が吹いていた
風のなかを歩いていた

エンジンはどこか故障している *

 

 

this morning too

to the estuary
walked

I walked along the river

on the peninsula
the sun was shining

the wind was blowing

before noon
at the florist

I bought a white chrysanthemum for my mother-in-law’s Buddhist altar

soon
two years

in this world
is it the third anniversary

in the afternoon
I was listening to Haruomi Hosono’s “I’m only a little”

repetition
I was listening

the wind was blowing
I was walking in the wind

Something is wrong with the engine *

 
 

日本語の詩を英語に翻訳するのは、英語にするとどんな言葉のニュアンスになるだろうかという異言語の語感の楽しみがあるのです。

毎回、そうですが、詩を書くときは、自分や他者の既存の詩のことを考えません。

詩は、ゼロになって、ゼロから書きはじめて、生きるものとして書きます。
自分の生活の事実に即して詩を書きはじめます。
それで「詩が成立した」と思える一瞬が、たまにあります。

「詩が成立した」と思えると、嬉しいのです。楽しいのです。
「詩が成立した」とはどういう事なのでしょうか?

わたしの詩の言葉は、言葉のコミュニケーション機能が破壊されて、わたしたちの心の底に沈んでいるわたしたちの言葉の「先祖」に出会う体験なのではないかと思うことがあります。

「先祖」といってもお祖父さん、お祖母さんや、曾祖父さん、曾祖母さんよりも、もっともっと昔の1,000年や10,000年、100,000年前くらい前の「先祖」、原人くらい前の言葉の「先祖」に出会うことじゃないかと思ったりすることがあります。

原人くらい前の「先祖」の言葉とはどのような言葉なのでしょうか?

今日、わたしは、朝、小川の土手を河口に向かって散歩していて菜の花が風に揺れるのを見たのです。
菜の花には朝日が斜めに射していて輝いて揺れていました。
その光景が眼に焼きついています。
眼ではなく脳に焼き付いているのでしょうか?
この眼と眼と脳を結ぶ神経と脳に焼き付いているのでしょう。

菜の花が風に揺れるのを言葉にすることはできるでしょう。
それで春が来ているというような意味のことを言うこともできるでしょう。
しかし、この眼と神経と脳に焼き付いている光景は言葉ではないのです。

その光景はこの世界そのものなのです。
わたしは、その光景に出会い、言葉を失います。
絶句します。
そして絶句の後に、言葉にならない言葉を探しています。

このわたしが感じることができる光景や、言葉にならない言葉の歓びが、
もしも、他者に届くことがあれば、それは、ありがたいことだと思うのです。

詩がなんであるのか、うまく言えません。

しかし、詩を感じることは、できるのです。
詩は、わたしたちの遠い「先祖」であり、いまを生きること、この世界そのものに出会うことの歓びであるように思います。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* ツイッター「楽しい例文」さんより引用させていただきました。

 

 

 

また旅だより 30

 

尾仲浩二

 
 

昨晩はあれこれ一段落したので、近所の若い友達を誘い久々に深酒をしてしまった。
こんな時は横になっているといつまでもすっきりしない。
外は春のような陽気なのでカミさんを誘って蕎麦屋へ。
蕎麦も美味く、幸い二日酔いではなかったようなので、そのまま散歩する。
隣町の高円寺はコロナ自粛はどこ吹く風の人出。
飲み屋も昼から賑わっていていたが、やはり今日は休肝日にした。

2021年2月13日 東京、自宅にて

 

 

 

 

新井知次さんの詩

 

長尾高弘

 
 

新井さんと知り合ったのは4年前の2016年、洲史さんに誘われてつづき詩の会に参加したときだ。洲さんとは前の年に尾内達也さんが主催された都内の朗読会で初めて会って、住所が近所だということを知ってお互いに驚いたのだった。私と洲さんが住む横浜市都筑区では毎年1月に都筑区民文化祭というものがあって、つづき詩の会は、そこに詩のパネルを出品することを主目的とする会として始まった。最初は関中子、新井知次、若林圭子、洲史の各氏と私の5人で、年に1度の活動では寂しすぎるので、2か月に1回ずつ集まって詩の話をすることになった。

例会を何度か重ねるうちに、発表者を決め、その発表者が取り上げたい詩人の作品をいくつかコピーしてきて、ほかの参加者は会に出てきて初めてそれを読み、感想を言い合うという形ができあがってきた。また、原田もも代、植木肖太郎、黒田佳子、柿田安子の各氏らが新たに参加してにぎやかになってきた(このほかにも一時参加して発表もされたが例会には定着しなかった方が何人かおられる。例会には出なくても本来の目的である1月の文化祭に出品される会員もおられる)。関さんのていねいなフォロー(たとえば、例会前にはかならず連絡を入れてくださる)はもちろんだが、しっかりとした読みを見せられる会員が多く、例会が楽しい時間になったので続いてきたように思う。新井さんはそういった会員のなかでも特に鋭い(そして厳しい)読みを示され、一目置かれる存在だった。

2018年頃からは会員が出した詩集をほかの会員にも配り、それを読んできて自分がいいと思ったものを朗読して感想を言い、それについてほかの会員が感想を返すという形が増えてきた。原田もも代『御馳走一皿』、関中子『沈水』、若林圭子『窓明かり』を取り上げ、拙著『抒情詩試論』(厳密には詩集ではないが)も取り上げていただいた。ところが、どうしたものか、新井さんの詩集は後回しになってしまった。新井さんの新作が載っている詩誌「獣」も例会のときに何冊かいただいていたが、それも取り上げ損なってしまった。2019年になって新井さんが何度か例会に出席されなくなり、体調が悪いらしいということを聞いた。2020年の都筑区民文化祭で久しぶりにお会いできたが、それがお会いした最期になってしまった。6月28日に84歳で亡くなられたということを関さんから聞いた。

遅ればせながら、つづき詩の会では、7月と9月の例会で新井さんの詩を取り上げることになった。7月は新井さんが参加していた同人誌「獣」(と言っても同人が次々に亡くなって最後は新井さんだけになっていたが)の63号から66号(これが最終号になるのだろう)までに掲載された新井さんの詩をその場で初めて読み(もらっても読んでなければ初めてになる。私は一応「予習」していったが、新井さんには本当に申し訳ないことに、生前には本腰を入れて読んでなかった)、その7月の例会で奥様から提供していただいた2007年の詩集『丸くない丸』を持ち帰って9月に気に入った詩を朗読して感想を言うことになった。9月の例会には奥様も参加して下さった。

詩集『丸くない丸』(京浜文学会出版部、2007年11月発行)は3部構成になっている。あとがきによれば、1、3部は2007年までの10年間に書かれた作品だが、「パネルルーム」と題された2部の大部分は1970年代に書かれているという。ただし、〈小説がうまくいかなかったので、えい! とばかりドラマ仕立てで書いたものなので、結果として散文詩となってしまったようです〉というあとがきの言葉は額面通りに受け取らない方がよいように思う。新井さんは東京電力で働いていたことを隠されなかったが、2部には東電での仕事と定年(本人の意思とは無関係に辞めさせられるという意味が強く感じられる「停年」という表記が使われている)に取材した作品が集められている。3部は義母の方の介護にまつわる作品、1部はその他さまざまな作品が入っている。

読みたい作品を朗読するといういつもの流れで会は始まった。私は真っ先に手を上げて詩集でもっとも長い作品を読んだ。

 

空白空白空0魚の骨

空0魚の骨が喉にひっかかっている 思いを飲み込むと
痛みがチクチクと 紫色に感電死した事故速報の男の顔
になって長い尾をひいている どうしてそういう事にな
ったのか 事故現場のポンチ絵の中で男は最早感情のな
い記号となって横たわっている だからぼくたちは誰も
悲しまない ただ読み流して 自分ではなかった幸せを
さりげなく懐にしまって 高圧電線と隣り合わせた機械
の保守に駆けずりまわっている
空0そしてまた隣の誰か 隣のとなりの誰か の事故報告
が素知らぬ顔で流れてくる
空0悲しみではない痛み 痛みではない恐れ 恐れではな
い日々が連なって 糧を得ている自分がいる

空0ブレーン・ストーミング 糧をばらまいている背広は
横文字と号令をかけるのが好きだ コップの中の嵐 で
は様にならないのか
空0「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」
空0テンション高く 安全検討会をせよと現場にラッパを
吹きならす
空0「C」はなぜ事故ったか なぜ なぜの嵐をコップに
吹き込むのだ
空0Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中
なぜ「C」が感電したか ポンチ絵を囲んでぼくたちが
重い口をひらくと ひらひら記号たちが躍り出でくる

空0錯覚 監視不良 安全区画が悪い 教育不足 体調が
悪かった という嵐 おいおい本当かよ 隠蔽している
ものはないのかよ だが記号たちに口はない 安全検討
の慣用句だけが飛び出るのをみているだけだ こんな時
労基署の立ち入りがある筈 だが調査結果は決してぼく
ら現場もんには流れてこない
空0怪我と弁当は自分持ち それしか吹かない嵐なのか
魚の骨がポンチ絵の中で泳いでいる 嵐の意見を整理
しよう これが知恵袋で アメリカはミサイルを飛ばし
た手法だというのだ 食べ飽きたメリケンから骨だけが
泳いで日本へ来たのか
空0事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽま
で繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状
に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭
をひきおこしてしまったという訳だ 人 物 設備 環
境 みんな悪かったという結果論は 集約すれば「C」
の錯覚が第一級戦犯となっていく
空0そうなのか なぜ夜間作業になってしまうのか まだ
ある A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売
の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記
号に見えてくる

空0魚の骨で解明された これでミサイルが飛び 事故が
無くなる めでたしめでたし 検討会の打ち上げは飲屋
へ直行 厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄さ
れていく
空0真実事故はこれで無くなるのか Aの側であったぼく
らが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだ
ろうか 親会社の指示書を読み上げる姿だけが見えてく

空0見上げると二重に雲が流れ 上の白い雲に肉のない魚
がくねり 下の雨雲には何やら記号らしきものが浮かん
で ぼくの頭に落ちてきそうだった

 

これは「あとがき」が言うように70年代に書かれた作品なのだろう。アメリカが〈ミサイルを飛ばした手法〉というところにベトナム戦争の影を感じる(ベトナム戦争ではミサイルにやられたのは米軍の方だったが)。

すっと読めるわけではないのは、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられているからだろう。特に目立つのは「記号」という言葉だ。最初は感電事故で死んだ作業員を〈感情のない記号〉と呼んでおり、その後この死者は実際に「C」という記号で呼ばれている。しかも、A、Bとは異なり、「C」だけが棺桶に入れられたように鉤括弧つきだ。そして〈背広〉(幹部社員)が〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉と言う。もちろん、本当に〈記号〉と言うはずはなく、ほかの言葉を使ったのだろうが、その言葉は何だったのだろうか。〈死者〉かそれとも〈死亡事故〉か。そして検討会の出席者である社員たちも、社員たちが口にした言葉もすべて〈記号〉と呼ばれている。〈記号〉は、自分を生きていないという意味での死を含めた死の象徴のようにも見える。

多義的な言葉という点では、タイトルの〈魚の骨〉もそうだ。〈魚の骨〉は、最初はのどに引っかかっている。のどに引っかかるというのは、「魚の骨」という単語を聞いたときにまず頭に思い浮かぶことだ。しかし、しばらくして次に出てきた〈魚の骨〉は〈ポンチ絵の中で泳いでいる〉。これはかなりぶっ飛んだ風景である。そもそも骨になった魚は泳がないし、それも絵の中だという。ポンチ絵というのは、明治時代の『ジャパン・パンチ』という漫画雑誌に由来する言葉で、要するに風刺漫画ということだ。ちなみに、フルーツポンチも、もとはフルーツパンチらしい。しかし、ポンチではパンチがなく、むしろ滑稽に感じてしまうのは私だけではないだろう。〈魚の骨〉は〈ブレーン・ストーミング〉と呼ばれる〈コップの中の嵐〉が吹いているそのコップのなかで泳いでいる。異様で滑稽な風景だ。そして、〈魚の骨〉とはまさに先ほど取り上げた死の象徴としての〈記号〉にほかならない。

〈事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽまで繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭をひきおこしてしまったという訳だ〉頭から小骨に行って小骨から頭に戻る過程で〈なぜ夜間作業〉か、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ〉といった問いが抜け落ちる。なぜ抜け落ちるのかと言えば、〈魚の骨〉、すなわち〈記号〉は骨だけなのに泳げてしまうからだ。

〈頭をひきおこしてしまった〉というのは「死亡事故をひきおこしてしまった」ということなのだろうが、人が死ぬことよりも死亡事故の不都合さに困っている様子が伝わってくる。だからこそ、〈「C」の錯覚が第一級戦犯〉になってしまうのだ。先ほどの〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉もそうだが、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられている一方で、ここでは普通は使わない意味のために言葉が置き換えられてもいる。このように言葉が複雑に操作されているものを小説になりそこなった散文詩と呼んでよいものだろうか。最初から詩になるしかない言葉だと言うべきではないか。

しかし、私がこの詩を誰にも取られないうちに自分で読みたいと思ったのは、単に言葉の詩的な扱い方の巧みさに舌をまいたからではない。〈Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中〉、〈A以外はみんな社外工〉という関係性のなかで、〈ぼく〉が〈Aの側であったぼくらが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだろうか〉と自らの立場を明示しているからだ。Aは「C」と同じ立場ではなく、「C」から見れば会社そのものである。死者を出した事故を〈コップの中の嵐〉で処理してしまう存在だ。ここで新井さんは「C」に成り代わって、あるいは天の声のような無人称的存在となって、正義の側から悪を告発するのではなく、告発されても仕方がない側の人間として、目に映ったことを包み隠さず書いている。抵抗詩、プロレタリアート詩などと呼ばれている作品には、まさに正義の側から悪を告発する形のものがたくさんあると思うが、そのような作品はとかく自分のことを棚に上げてしまいがちだ。この作品はそうではない。被害者であると同時に加害者でもある苦しさから目を逸らさずに会社とA、B、「C」の関係を誠実に描ききっている。その誠実さ(と意志の力)に心を打たれるのだ。詩に心を打たれるというのは、やはり詩から読み取れる思想に心を打たれるということなのではないだろうか。

70年代と言えば、自己否定論で知られる全共闘運動を経たばかりの時代であり、『丸くない丸』のなかにも〈パネルルームに 公安直通電話が接ながり(中略)資本はバブドワイヤーを一米ばかり嵩上げし 看板をペンキで塗りつぶし 攻撃目標がインペイされ 全共闘 デモ日程 デモルート ゲバルトゲバゲバ(中略)寡黙になったぼくらのパネルルームからアンポ条約はこれでもかと皮膚に擦過して 七0年代 電源確保の幕開き〉という印象的な詩句が連なる「幕開き」という作品がある。当時の学生が新井さんのこれらの詩を読んでいて、電力労働者に同志がいることを知っていたら、いやただ知っているだけでなく学生と労働者が連携し、そのような連携の糸が無数に張り巡らされていたら、時代は大きく変わっていたのではないだろうか、などとつい夢想してしまう。

70年代はまだ出稼ぎが行われていた時代でもあって、〈災害記録 零 のからくり 深夜作業で落下するのは下請工〉〈「あんたらは 糸を吐く直前の 蚕のような手だ」/なでまはす 異形の 東北弁の 笑い〉という詩句を含む「陰」という作品では、「魚の骨」にも書かれていた東電の現場の関係性が「東北」として可視化されていた時代のことが活写されている。今は、東北に限らず、4次、5次の下請けに雇われた全国の労働者たちが福島第一原発の現場に集まって被曝しながら事故処理をしているという違いがあるが、大筋では同じ構造がずっと前からあり、今も生き続けていることがわかる。その構造のなかで、〈おいおい本当かよ 隠蔽しているものはないのかよ〉、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記号に見えてくる〉とつぶやいている「ぼく」は、まるでF1の事故を予言していたかのように見える。その一方で、〈厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄されていく〉のは「ぼく」も同じなのだ。とても苦い詩だと思う。

2部の終わりの方には「停年の風」、「停年」といった明らかに定年後に書かれた作品が並んでいて、どちらも9月の例会で取り上げられたが、全員がひと通り作品を読んでから、また手を挙げて「停年の風」のひとつ前に面白い作品がありますと言って「廊下トンビ」という作品を読んだ。

 

空白空白廊下トンビ

肥えたトンビが
悠々と廊下を徘徊している
終業まじかの事務所
鶏たちが行儀良く首を揃えて
ペンをはしらせている

赤提灯に付き合えよ
羽根が柔らかく鶏を包むと
もう誰だって逃れられない
懐の暖かそうな鶏よ
しかし獲物はするりと逃げていく

鶏の秩序を変えようと
ハタを振った奴がいた
尻馬でトンビは強く羽ばたいたが
馬が速く走りすぎたのか
ほとんどの鶏が落馬していった
気が付くとトンビの机は窓際に移され
あろうことか馬が骨折していた
それならそれで俺はオレ 気楽に行けやと
廊下の囁きがなぜか耳にとどいて
徘徊する羽根の揺らぎに鼻唄さえもれた

 

このトンビ、最初はむかつく上司のことを書いたのかなと思った。実際、例会でも誰のことかちょっと議論になった。しかし、〈尻馬でトンビは強く羽ばたいたが〉とあるから、非組合員ではない。実際、その後ネットを見ていたらこの詩の先駆形をたまたま知ったのだが、そこには詩集で削除された〈鼻唄はだが時にエレジーとなった/かつて手取り足取り教えた鶏たちが/今はトンビの頭に座っている/全てに喉の渇く重さがずんときて/酒でも飲まなければ脱水してしまう//気楽さはしかし後戻りなんかない/ひっかけられた鶏糞を払いのけ/酒に焼けた赤い鼻のトンビが/今日も鼻唄まじり/磨きぬかれた廊下を俳桐している〉という4、5連があった(鶏がトンビの頭に座って鶏糞をひっかけるというところは惜しい感じもするが、詩集の形のようにここを省略したのはよかったように思う)。ご自身をトンビにたとえているのは間違いないと思う。例会では、奥様に「会社では言いたいことを飲み込んでおられたのですか?」と尋ねたが、組合活動では言いたいことを言われていたとのこと。愚問だったなと思った。

鶏といえば、人間に飼われ狭いところで卵を産む機械として扱われているイメージがある。一方、トンビは諺に「トンビが鷹を生む」と言われるように凡庸な存在のように扱われているが、以前ニュースになったように、急降下して人が食べているものをかっさらっていく荒々しさも持っている。何しろ鷲鷹類なのだから。そのようなトンビを自分の比喩として使うところが新井さんらしい感じがする。〈赤提灯に付き合えよ/羽が柔らかく鶏を包む〉というところが絶妙だ。

順番が逆になったが、7月の例会ではこの詩集から10年前後たった詩誌「獣」掲載の近作から、会員それぞれが読みたい作品を読んだ。私が読んだのは63号の次の作品だ。

 

空白空白鉄の匂い

畑では食っていけなかった
日清・日露の戦勝踊りが輪になって
日いずる国の鉄の会社の産業革命
親が死んで四人の兄弟は畑を捨てた
小才のきいた長兄がまず川崎へ
金と命の鋼管会社とはよく言ったものだ
兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ
畑で鍛えた体に汗がよく似合った

昭和の戦争を乗りきって
退職金はたいて庭付きの家を手にした
親父は毎朝早く庭木と会話し
片隅の菜園に故郷を手入れして
小さな庭に朝日を迎える
そんな朝いつまでも顔をみせない親父に
部屋を覗くとベッドで息がなかった
他殺か自殺か医者から警察へ

司法解剖から帰ってきた親父の
大きく武骨な手から
鉄の匂いが立ちのぼり
ぼくの胸にしみ入った

 

学校の歴史の授業では、産業革命期の人の動きをここまでわかりやすく教えてくれなかったと思う。試しに、たまたま持っていたちょっと前の高校日本史の教科書を読んでみたが、松方デフレ財政で下層農民が小作に転落したということや繊維産業の担い手が小作農の娘たちだったということは書かれていたが、農民はあくまでも農民であるという印象を持ちそうな書きぶりであり、労働者はどこからともなく増えたような書き方だった。この詩には、〈畑では食っていけなかった〉ので労働者になった(マルクスの言う本源的蓄積)という教科書に書かれていない歴史のダイナミズムが書かれている。〈金と命の鋼管会社〉は〈金と命の〉「交換」〈会社〉でもあった。死と隣り合わせで働いていたのだ(私も学習塾で小学生にこの時期の日本の歴史を教えたことがあるが、教科書と同じような説明しかできなかったのが残念だ)。

しかし、〈親父は毎朝早く庭木と会話し/片隅の菜園に故郷を手入れして〉の2行を読むと、好きこのんで都会に出てきたわけではないことが実感として伝わってくる。それに対し、息子である〈ぼく〉は〈大きく武骨な手から/鉄の匂いが立ちのぼり/ぼくの胸にしみ入った〉と言っている。〈ぼく〉にとってお父さんは鉄の人だったのだ。〈匂い〉は「臭い」ではない。漢字ひとつで「いやなにおい」ではなく「いいにおい」という意味になる。嗅覚はもっとも身体的な感覚だとも言われる。ここに父を悼む気持ちがきれいに昇華していると思う。

と言っても、父をただ無条件に賛美しているわけではないのが新井さんらしいところで、1連の〈小才のきいた長兄〉、〈兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ〉といった詩句には、父とその兄弟たちに対する批判的な目を感じる。そのような意味で微妙な響きを感じさせるのが2連の冒頭の〈昭和の戦争を乗りきって〉という1行だ。好んで戦争したわけではないにしても、反対したわけでもない。いわば、天災のように降ってきた戦争は、避けがたい不幸であり、〈乗りき〉るしかなかったのだ。しかし、無責任に戦争を始めた人間は確かにいるのであって、戦争は人災である。戦争が人災だったことに気づかなければ、また同じように天災を装った人災に見舞われることになるだろう。〈乗りきって〉からここまで読み取るのはいささか強引かもしれないが、少なくともそういう思考を誘い出さずにはいられない詩句になっていると思う。

例会では読めなかったが、63号には次の作品もある。

 

空白空白空の箱

肥桶かついで
生の大根まる齧り
筋肉隆々の青年よ
指揮棒が天から振られた
鎮守の神が軍歌を歌い出し
一夜明ければ立派な兵士だった

満州ではジンギス汗に会えたか
沖縄では鬼畜めがけて軍刀振り上げ
母の写真がちぎれ砕けた
雲から神が落ちたので
空っぽの箱で肥桶の村へ帰還
あまりに軽い箱だったので開けると
沖縄で戦死・ご冥福を祈る
紙切れ一枚に嗚咽がひろがった
祖母が仏壇から紙包みをとりだし
「ほら兵の爪と髪の毛だよ」
箱に入れて皆で手を合わせた
鎮守の神は無言だった
こんな寂しい死者との出会いは
その後一度もない

疎開児だった僕に貼りついた映像
倅が孫と遊びにきたので
こんな事があったと
兵叔父サンの話をしだすと
やめなよと倅が眉をしかめたので
皆で回転寿司を食べにいった

 

「鉄の匂い」では〈昭和の戦争を乗りきって〉1行で済ませた〈昭和の戦争〉のことである。「鎮守の神」、つまり人々がただ豊作を祈って崇めていた村々の神社が明治の天皇制と靖国によって軍事的に再編され、兵士供給装置となり、無数の戦死者を生み出したことが見事に描かれていると思う。宗教は恐ろしい。日本軍に殺された民衆も、宗教こそ異なれ、日本軍兵士と同じような農民や労働者だったのだ。

64号の「一揆物語り」という散文詩には、次のような部分が含まれている。

 

……
空0時が流れて、僕の兄弟が正月に顔を揃えた。何かの拍子に「秩
父困民党」の話がでた。権力は弱者を切り捨てる。概ね同意の酒
杯に母の実家の話が注がれる。
「秩父は神流川を挟んだ隣村だ。日照りは同じ苦しみ。一揆に加
勢したのか」
「ところがどっこい、曾祖父たちは竹槍担いで国賊退治だった」
空0皆はがっかりして、それから大笑い。曾祖父よ許せ。
……

 

大戦中、母の実家に疎開したときに、曽祖父が冬場の炬燵話で国賊退治を自慢した場面を受けたあとの連の一部である。

「鉄の匂い」や「空の箱」に描かれた父や叔父にも同じような視線が注がれているのではないだろうか。たとえば、「鉄の匂い」には書かれていないが、日本が植民地支配していた朝鮮で行った朝鮮土地調査事業で土地を奪われた人々(捨てたわけではなく奪われたのである)も、大挙して日本にやってきて〈金と命の交換会社〉に吸い込まれていっている。その運命が日本人労働者よりもさらに過酷だったことは言うまでもない。〈戦争を乗りきっ〉た日本人労働者は彼らのことをどう見ていたのだろうか。

詩誌「獣」には新井さんのエッセイも載っていて、そのときどきの関心事が書かれているが、それらのエッセイと同じ号の詩が見事につながっていて、つづき詩の会の例会が終わったあとの酒席で新井さんが控えめに話されたことにもつながっている。たとえば、66号には宗左近の縄文のことが書かれているが、新井さんが「長尾さん、宗左近についてはどう思ってますか。縄文のこと書いてますよね」と話しかけてこられたことを覚えている。本当のことではあるが「いやあ、あまり読んでなくて」とそっけなく答えてしまったが、66号の「宗左近の史的感性」という文章には、次のような印象的な言葉が書かれている。

 

空0ところで、古代史家の多くは渡来人が縄文人を滅ぼし
たのだ、とは決して言わない。混血などにより現在へと続
く日本人のルーツになったと論証する。しかし、この歴史
観からは宗左近の文学は成立しない。殺して滅ぼしたので
ある。それが、詩人の史的感性なのであると考える。

 

最近は、まるで日本の歴史を2600年ちょっとまで引き伸ばすためであるかのように、右から縄文を褒めそやす論調が目立っているが、それとはまったく反対のことが書かれている。そもそも、古事記/日本書紀のアマテラスの宮殿では、田んぼを耕し、機織りをしていたのだ。どこから見ても弥生以降の文化である。古事記/日本書紀は征服者の神話だと受け取るのが自然だろう。

新井さんに話しかけられたとき、記紀が弥生以降の文化だということにはちょっと触れた記憶があるが、新井さんがこのような見方から宗左近を話題にされていたことにはまったく思いが寄らなかった。ちょっと飛躍しすぎだと言われてしまうかもしれないが、渡来人(弥生人)が縄文人を殺したという見方は、近代日本が朝鮮半島から中国、東南アジアに侵略していって、現地の人々を人として扱わず、こき使ったり、犯したり、殺したりしたことを直視する見方に通じていくと思う。それに対し、弥生人の神話を崇めながら、縄文人は自分たちの祖先だなどと言うことは、日本国と日本人が犯してきた犯罪をなかったことにして、侵略を正当化してしまう見方に通じている。混血は間違いなく起きているだろうが、だからといって殺戮の歴史は消えない。先ほど触れた見たくないものを直視するという新井さんらしさがここにも現れていると思う。

自分の怠惰のために新井さんとそういう話をすることができなかったこと、そして新井さんの詩にしっかりと向き合ってここに書いたような感想を伝えられなかったことを後悔している。

 

 

 

夢素描 10

 

西島一洋

 

欲望と願望とカタルシス

 
 

だろうなあと思う。

夢というのは、自己浄化作用があって、懺悔すらも吸収してくれる。
だから、夢は薬みたいなものかなあ。
というより、精神のというか、心のリハビリみたいなものだ。

だから、いくらでも夢を見て良いし、いくらでもその夢を忘れても良い。

感動して書きとめてたくなる夢もあるが、それはそれで良いと思う。その夢には、自浄作用があるに違いないので、繰り返し思い出しても良と思う。

見たくない夢もある。
それも、思い出しても良い。
思い出したくなければ封印しても良い。

ただ、夢の記憶というのは無くならない。
これは、経験上断定できる。
詳しくは、前に書いた。

もうそろそろ寝よう。
というか、寝なければならぬ。
明日のというか、明日もというか、肉体労働。
その前に風呂に入ろう。

そして、何日かが過ぎた。

何日過ぎたのだろう。数日とも言えるし、十数日とも言える。
ただ、一ヶ月は経っていない。
とにかく、何日かが過ぎた。

このところ、よく眠れる。
このところとは数日かな、いや、十数日かな。
ただ、一ヶ月前より、もうちょっと近い頃からだ。

トラックの仕事をしている。
ドライバーというと聞こえは良いが、
実労は人夫である。
重い荷物を押したり引っ張ったり、荷役とも言う。
六十二か六十三歳の頃から、十年間の予定で始めた。
「絵幻想解体作業/行為∞思考/原記憶交感儀/労働について」だ。
長ったらしいタイトルだがしょうがない。
まあ肉体労働である。
仕事そのものより、体の痛みとの闘いである。

で、六年間ほどは、朝三時から午後三時だった。
仕事をしている時に日の出がある。
そうして、昼過ぎには帰って来て夕刻五時か六時頃には寝る。

ところが、突然、コロナ禍で会社の仕事が減り、やむなく夜の仕事になった。突然の十二時間逆転である。
昨年の十一月より、そのようになった。

午後三時から午前三時。
センターに向かう時、太陽を背にしている。
そして、夕刻になり…。
太陽とは縁遠くなってしまった。
ただ、月はよく見る。

このところ、よく眠れる。
昼夜逆転し、しばらく、三ヶ月くらいかな、眠れない日が続いた。
太陽がのぼって明るいときに寝なければならない。
これが辛い。

このところ、よく眠れる。
十二時間熟睡する時もある。
おおよそ、寝れば起きるまで。
つまり、途中で起きて何度も寝るということが無くなった。
これが続くと良いなあと思うが、
今これを書いていて、夜明けになってしまった。
どころか、もう午前九時だ。
やばい。

今頃はぐっすり眠っている時間帯なのだ。
こんな時間まで起きているのは異常な事なのだ。
女房はさっき、というか、一時間前に仕事に出かけた。

もうそろそろ寝ないと。
でも今日は休み。
といっても、と言いながら、少し横になった。

再び筆を取る。

その少しの間に、たくさんの夢を見たなあ。
でも、起きると同時に全部忘れてしまった。
いや、正確にいうと、忘れてはいない。
日常言語に置き換えられないパルスとしてどこかに存在している。これは間違いないというより、まさしくであって、そうして、かろうじて、精神の安寧を維持している。

雉鳩が鳴いている。
庭木で。

もう寝よう。
今日は良い天気で明るい。
雨戸を閉めるか。

 

 

 

経験を抽象化した仮想のネットワーク
今井義行「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」を読んで

 

辻 和人

 
 

2020年12月10日に「浜風文庫」で公開された今井義行の「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」は、読み物として心を動かされると同時に、飛び抜けて斬新で明確なコンセプトを備えており、文学の教材としても使える詩のように感じたのだった。
おいしい「ミルフィーユカツ」を食べた話者が、店を出た後なぜか爽快な気分にならず、空が濁って見えてしまう。その理由を探るという詩。全行を引用しよう。

 

空0空(ソラ)と ミルフィーユカツ

空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!! 
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0いい気分だったのに

空0ん?

空0ふと 見上げた空が 濁って見えてしまった
空0夕べ 飯島耕一さんの詩 「他人の空」を
空0久しぶりに 読み返した そのせい なのかなあ───

空0「他人の空」
空0鳥たちが帰って来た。
空0地の黒い割れ目をついばんだ。
空0見慣れない屋根の上を
空0上ったり下ったりした。
空0それは途方に暮れているように見えた。
空0空は石を食ったように頭をかかえている。
空0物思いにふけっている。
空0もう流れ出すこともなかったので、
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。

空0戦後 シュールの 1篇の詩
空0鳥たちは 還ってきた 兵士たちの ことだろう
空0途方に暮れている 彼らを受け止めて
空0空は 悩ましかったのかも しれない けれど──

空0そう 書かれても
空0わたしは 素敵なランチタイムの 後で
空0もっと さっぱりとした 青空を 見上げたかったよ
空0暗喩に されたりすると
空0地球の空が いじり 倒されてしまう 気がしてしまってね

空0わたしが 食事に行ったのは 豚カツチェーン店の 「松のや」

空0食券を買って 食べるお店は
空0味気ないと 思って いたけれど
空0味が良ければ 良いのだと 考えが変わった

空0そうして今 わたしを 魅了して やまないのは
空0「ミルフィーユカツ定食 580円・税込」
空0豚バラ肉の スライスを 何層にも 重ねて
空0柔らかく 揚げた とっても ジューシーで
空0アートのような メニューなんだ

空0食券を 買い求めた わたしの 指先は
空0とっても 高揚して ダンス、ダンス、ダンス!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツの 断面図
空0安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも
空0重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツを 一口 噛ると
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!

空0そうそう
空0豚カツ屋さんには 必ず カツカレーが あるけれど
空0あれには 手を染めては いけないよ
空0カツカレーは 豚カツではなく カレーです

空0カレーの 強い風味が
空0豚カツの衣の 塩味を 殺してしまう
空01種の 「テロ」 だからです

空0ただでさえ 今 街は コロナ禍  なんだから

空0空を見上げながら 入店した わたし

空0ソラ、1種の 「テロ」は 即刻 メニューから
空0ソラ、駆逐すべき ものでしょう──

空0わたしが ミルフィーユカツを パクパク してる時
空0ある ミュージシャンが クスリで パク られた
空0という  ニュースを 知った
空0この世では 美味なものを パクパク するのは
空0ソラ、当然の こと でしょう──

空0鬼の首 捕ったような 態度の 警察は どうかしてる

空0トランスできる ものを パクパク するのは
空0ソラ、ニンゲンの しぜんな しんじつ
空0ソラ、攻める ような ことでは ないでしょう!?

空0わたしは ミルフィーユカツで トランスしたし、
空0ミュージシャンは クスリで トランスしたし、
空0飯島耕一さんの 時代には 暗喩で トランス 
空0できたんでしょう──

空0だから 「他人の空」も ソラ、輝けたのでしょう

空0鳥たちが帰って来た
空0──おお そうだ あいつらが帰ってきたんだ
空0空は石を食ったように頭をかかえている
空0──おお そうだ みんな頭かかえてた
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。
空0──おお そうだ 他人みたいな感触だったよ

空0わたしは 詩を書いている けれど
空0もう  滅多に 暗喩は  使わない

空0詩は 言葉の アートだけれど
空0今は いろいろな トランス・アイテムが あるから
空0敢えて 言葉で 迷路を造る
空0必要は そんなに 無いんじゃない かな

空0わたしは そう 思うんだ けれど──

空0平井商店街を歩いて しばらくすると
空0濁っていた空が 再び輝き出した

空0飯島さんにとってソラは暗喩
空0ミュージシャンにとってソラはクスリ

空0しかし、

空0カツカレーを駆逐して  ミルフィーユカツを パクパク した わたしにとって

空0ソラは、ソラで 問題 無いんじゃないかな!?
空0(引用終わり)

 

話者は前の日に飯島耕一の有名な詩「他人の空」を読んでいた。敗戦後の社会の気分を暗喩で表現した詩である。「空」は現実の空ではなく、当時の民衆の沈んだ気持ちを暗示している。「他人の空」は全行引用され、この詩に組み込まれる。一方、話者は食事中、ネットのニュースか何かで、あるミュージシャンがドラッグ所持の疑いで逮捕されたことを知る。

ここから話者は独自の考えを巡らす。飯島耕一は当時の民衆の漠然とした不安を掬い上げるために暗喩を使った詩を書いた。当時の読者は漠とした感情が喩によって的確に可視化されたことに驚き、その魅力に夢中になったことだろう。敗戦は当時の人々にとって共通の関心事だったろうから。「血は空に/他人のようにめぐっている」は、敗戦、そして帰還兵を巡る当時の人々の名づけようのない気持ちを見事に表現している。的確な比喩を発見した詩人の興奮、そしてそれを受け止める当時の人々の興奮を、話者は想像する。

一方、ミュージシャンの方はドラッグの摂取によって昂揚した気分になり、非現実的な世界で遊ぶことに夢中になった。違法ではあるが、彼が名づけようのない幸せな興奮を味わったことは間違いない。話者はそのこと自体は良かったこととし、むしろ逮捕した警察の方を咎めている。

話者自身と言えば、ミルフィーユカツに「アート」を見出すほど夢中になった。カツの風味を殺す「カツカレー」を退け、ひたすらそのおいしさを味わう。「安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも/重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!」とくれば、読者も松のやのミルフィーユカツ定食を味わいたくなってくるに違いない。

ここで「ソラ」という概念が重要な役割を果たす。「ソラ」はもちろん頭の上に広がっている現実の空から抽出されたものだが、現実の空から離れて独り歩きする。人が夢中になる程大事なもの、快く興奮させてくれるもの、そうした意味合いが込められているが、それだけではない。濁りがない、ということが重要な要素となるのだ。それは、おいしいものを食べて、晴れ晴れした空の下を歩くはずが、なぜか濁った空の下を歩く羽目に陥ってしまったという、名づけようのない話者の身体感覚から出てきたものだ。つまり「ソラ」は、名づけようのないものであると同時に、話者の身体感覚に即した明確極まりない概念であるのだ。

この仮想の概念「ソラ」が、この詩に登場する者たちを結びつける。飯島耕一にとって社会全体の空気を象徴的に表現する暗喩が「ソラ」であり、ミュージシャンにとっては現実から逃避させてくれるクスリが「ソラ」である。そして話者は、ミルフィーユカツに代表される、自分を取り巻く日常を「パクパク」味わい尽くすことそのものが、自分にとっての「ソラ」なのだと宣言する。話者はいい気分になって、輝きを取り戻した現実の空の下を颯爽と歩き出す。何とも見事な展開。

作者が作り上げた「空」ならぬ仮想の「ソラ」は、本来無関係だったものたちを緊密に関係させ、話者の経験を抽象化した不思議なネットワークを、言葉の空間の中に明確に浮かび上がらせる。「固有」というものの複雑さを取りこぼさずに「公共化」する比喩。今井義行の、話者を巡る「固有の状況」から比喩を抽出するやり方は、「全体の状況」からざっくり比喩を作った飯島耕一の時代からの比喩の進化を、鮮やかに示しているのである。

 

 

 

あきれて物も言えない 20

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう

 

以前、わたしは、トランプ大統領のことを「金髪の花札男」として詩に書いたことがありました。
現役の大統領が、”自身のために” SNSを使って様々な批判やデマや嘘を発信し分断を利用して熱狂的な支持者を増やし、遂には議会を襲撃させるまでなりました。

大統領選に勝利したバイデン氏は1月20日の就任式で正式にアメリカの新大統領となります。
就任式が行われるワシントンの議事堂前の広場や周辺は有刺鉄線やコンクリートブロックなどで塞がれて立ち入りが制限され、2万5000人もの州兵が動員されているのだそうです。
アメリカにはコロナとともに分断が渦巻いています。

就任式の2日後、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効されます。

「核兵器禁止条約」は、
「あらゆる核兵器の開発、実験、生産、保有、使用を許さず、核で威嚇することも禁じた初めての国際条約。国連加盟国の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。批准が50カ国・地域に達したため、1月22日に法的な効力を発する。核軍縮の交渉義務を課す代わりに米ロ英仏中の5カ国だけに核保有を認めている核不拡散条約(NPT)とは発想が異なり、核兵器そのものを非人道的で不法と見なす。」 *

いままではトランプ大統領が核のボタンを押す(核兵器を使った攻撃命令を出す)権限を持っていました。
バイデン新大統領に代わったとしても、また別の大統領に代わったとしても、
「不安定な大統領」が核兵器を使った攻撃命令を出すことを防ぐための体制を整えるべきなのだと思います。

バイデン新大統はオバマ政権が掲げた「核兵器なき世界」の理念を継承し「核兵器のない世界に近づくよう取り組む」と言明しているということです。

広島と長崎に原子爆弾を落とされた唯一の被爆国であるにも関わらず、
日本政府は日本がアメリカの「核の傘」の中にあることを理由に「核兵器禁止条約」を批准しないという。
広島と長崎の被爆者の方たちの長く厳しい被曝後遺症による苦しみの生と死を受け止めて、
日本政府は「核兵器禁止条約」を批准し、核保有国に対して核兵器廃絶を強く要求するべき立場にあるのだと思います。

日本政府が「核兵器禁止条約」を批准できないことは、被爆者の方たちに対して恥ずべきことだと思います。

 
 

かつて、
長崎の坂の多い街を歩いたことがありました。

長崎の坂の上では舟越保武の26聖人の像を見ました。
空に浮かぶように聖人たちが並んでいたました。
聖人たちのいる公園には野良猫たちもたくさんいました。

原爆資料館では原爆で吹き飛んだ石の天使の首を見ました。
原子爆弾ファットマンの丸みのある模型も見ました。
船の汽笛も聴きました。
教会の鐘の鳴るのを聴きました。

長崎では一瞬にして7万4千人が亡くなったそうです。
たくさんの被爆者たちが原爆後遺症に苦しみ亡くなっていったでしょう。

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。
日本にも、世界にも、たくさんの見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 朝日新聞 2021年1月17日朝刊の記事より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

また旅だより 29

 

尾仲浩二

 
 

フランスのビジュアル雑誌から作品掲載の依頼がきた。
どうしてこんなものを面白がるのかと作った本人が言うのもおかしなセレクトで
ならばこんなのはどうかと送ったら、Great!と帰ってきた。
今年もなんとか楽しくやれそうだ。

2021年1月15日 東京、自宅の暗室にて

 

 

 

 

夢素描 09

 

西島一洋

 

記憶喪失

 
 

夢ではない。が、前回幻覚と幻聴について書いたので、ついでと言っては何だが、記憶喪失について書いてみよう。

僕は、十六歳の時、一週間の記憶を喪失したことがある。

高校の柔道部の練習で投げられて、後頭部より畳に落ちた。そこまでの記憶は、はっきりとある。どうやって家に帰ったかも記憶に無い。それからまるっと一週間分の記憶を失った。

この喪失感というのは、文字にすることはとても難しい。喪失しているのは間違いないのだが、感覚的な喪失感というのが全く無いのだ。つまり、分かりにくいかもしれないが、喪失しているのに、喪失していないということだ。

でもこれはとても恐ろしい。

自分の知らないところで、ある時間、もう一人の自分が生きている。僕の場合は一週間だ。

もう一人の自分というのが生きていた痕跡がある。

痕跡は色々あったんだろうが、その当時の記憶として鮮明なのは、柔道の段取りの昇段試合の記録である。記録といっても小さな折りたたみ式のペラペラな紙のカードだ。

今は知らないが、柔道というとみんな講道館、あの嘉納治五郎創設のやつだ。家元制度といえば言えなくはないが、昇段試合にかかる費用はわずかだったと思う。「つきなみ」といっていたから、月一回だったのだろう。名古屋ではスポーツ会館でやっていたと思う。昇段試合といっても、負けても引き分けでも良いのだ。ポイント制で、負ければさすがに0点だが、引き分けでも僕の記憶では、0.5点、もちろん勝てば1点。何度でも昇段試合が出来るのだ。つまり、ポイントを積み重ねていけば、昇段できるという仕組みだ。

茶帯から黒帯になるのも、ちょろっとずつポイントを積み重ねていけば、そのうちなれるという、今から考えると、ゆるいシステムだった。そのおかげで、一応僕も黒帯にはなった。

その「つきなみ」のカードには対戦成績が記録してあった。

しかし、一週間前の「つきなみ」の記憶が無い。くどいようだが、明らかなる自分の行為の記録の痕跡。このもどかしさは、もどかしくもないのだ。

わかりにくいかな。自らの経験の痕跡として肯定はするが、つまり、きっとそうなんだろうとは思うが、自分の中では全く身に覚えがない。

以前の夢素描で、夢の記憶について書いたので、詳しくは書かないが、記憶というのは、極めて抽象的なもので、パルスというか、一生の経験の仔細まで、1秒にも満たないプシュッというか、ピュッというか、ツツツというか、それに完璧に集約されている。よく死ぬ前に、一生分の記憶が蘇るというが、僕は間違いなく本当だと思う。

ただ、いまだもって、あの一週間は喪失したままだ。

喪失は言葉にはできない。

 

 

 

あきれて物も言えない 19

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている

 

菅義偉(すがよしひで)総理大臣は16日、内閣発足から3カ月となることを受け、首相官邸で報道陣の取材に応じた。 *

Go Toトラベルを年末年始に全国一斉での停止を発表した14日夜に、自民党の二階俊博幹事長らと5人以上で会食をしていたことについて、「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と話した。 *

ということです。

何も、
わたしたちは誤解できないです。

新型コロナウイルスの感染対策として政府が5人以上の会食や忘年会の自粛を求めている中で、菅さんが政府の要請に反して、7人と会食した、という事実を、わたしは、誤解できないです。

 

菅義偉総理大臣は、
わたしの田舎、秋田県の英雄です。

菅さんが総理大臣になってから思い出したのですが、
菅義偉さんは秋田県県南の秋ノ宮温泉郷の出身で湯沢高校の卒業生であります。

秋には見渡すかぎり黄金色の稲穂が田んぼにひろがる横手盆地、
その南の端っこの山と山に囲まれた秋ノ宮温泉郷が菅義偉さんの故郷です。

わたしの母が通っていた温泉で菅義偉さんのお母さんと知り合いになり親しくしていただいたと死んだ母から聞いたことがありました。

今年10月の終わりに葬儀で田舎に帰ったのですが、秋の宮の辺りでは菅新総理をお祝いするのぼり旗が立っていました。
また、秋田湯沢駅にはお祝いの横断幕が掛けられていました。
近所の道の駅では菅総理饅頭が売られていて、
県外産の祝菅総理土産用お菓子も売られていました。

菅さんは湯沢高校を卒業して「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京し、
板橋のダンボール工場で働き、2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学法学部政治学科に入学する。 **

在学中には実家から仕送りも受けつつ、警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。 **

1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。 **

とウィキペディアには書かれています。

自分の若い体験と重なるところもあり、若かった菅さんの姿が見えるように思えます。
若い菅さんは秋田や東京の現実を見て、この世界を変えるのは「政治」しかないと思ったのだと思います。

わたしも秋田の田舎から出てきて、
満員電車やアルバイトや会社を体験して、貧富の差や、この世界の矛盾や嘘、を感じた者の一人でした。

菅さんは、政治家を志して国会議員の秘書になり、人脈の海の中を泳いで、泳いで、総理大臣まで登りつめたのだと思います。
大変なことだったと思います。秋田県の英雄だと思います。
どれほどの苦い苦い水を飲んだことでしょう。
その苦さが菅さんの表情に現れていると思います。

「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と、
菅さんは記者会見で語ったのだそうです。

わたし、誤解はしませんでした。
ただその言葉の「真摯」や「反省」は真実なのか、どうか、と思いました。

 
 

わたしには、今年、10月に亡くなった山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんの顔が、思い浮かびました。
鬼海弘雄さんは菅さんと同じ法政大学の哲学科を出て写真家になり、コロナ禍の今年、2020年10月19日に亡くなりました。
嘘のない素晴らしい人だったと思っています。
トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などの仕事をしながら浅草の人々の大切な写真を撮り残していってくれました。

鬼海弘雄さんの写真にはわたしたちの希望のひかりがあると思います。

12月15日の新聞の夕刊一面には「食も住まいも「明日どうなる・・・」」という見出しが立っています。 ***
東京池袋の路上生活者を支援するNPOの炊き出しの列に若者たちも多く並んでいるということです。

今、コロナ禍のなかで、弱い人たちに支援の手が届いていないのではないでしょうか?
「Go To トラベル」の予算は1兆1,248億円だそうです。
経営が厳しくなる中小の企業ではこれからリストラが進むのではないでしょうか?
そこでは弱者が真っ先に切られていくでしょう。

受け皿が必要なのです。
今のこの世界には弱者を受ける皿が必要なのです。
1兆1,248億円の予算があったら弱者たちを受ける皿を作り、その皿を運動体として活性化させる政策が必要なのです。
下からの運動体を作る政策が必要になっているのです。

まるで政治家のように語ってしまいました。
嘘を言うつもりはありません。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 東京新聞WEB版 2020年12月16日の記事より引用させていただきました。
** ウィキペディア(Wikipedia)より引用させていただきました。
*** 朝日新聞 12月15日夕刊一面より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚