篤い人 *

 

女が
チケットを

買った

相撲を女と見ていた

台風の後で
見ていた

幕下以下の

裸の男たちが
土俵のうえで稽古をしていた

肉が肉にぶつかって
音をたてていた

土俵から叩きおとされている

裸で
擦り剥いたら

痛いだろう
鼻血を出している

裸の

幕下以下の
男たち

たまに笑ったりしている
汗を流している

裸の胸が光っている

花道を勝って帰る力士がいた

負けて
帰る

力士もいた

篤い人は
裸で

ひとり帰ってくる

 

* 工藤冬里の詩「ABOUND」からの引用

 

 

 

風が時間を洗っている *

 

ひとりの女と
犬と

暮らしている

犬の名はモコという

風が
時間を洗っている *

時間は
見えない

そこにいるのに

見えない
子どもを連れている

歩いて
きた

遠い道を歩いてきた

風が吹いている
風が時間を洗っている *

モコの金色の毛が光っている

ことばは

時間は
尾をひいて

消えた

光っている
風が吹いている

 

* 工藤冬里の詩「あらゆる希望を超えて待ち望む」からの引用

 

 

 

雀は地面に落ちる *

 

高速バスで出かけていった

金曜日
午後

由比の港を見て
車窓から駿河湾の平らに光るのを見ていた

中野のギャラリー街道の羽鳥書店で小島一郎を買った
ほしかった写真集だった

それから
高円寺のバー鳥渡でビールを飲んだ

もう一軒
行った

翌日は

また
街道で

尾仲浩二さんの写真集”Faraway Boat”を買った

雨の中
おんなが歩いていた

それかららんか社のたかはしけいすけさんに会い
“オレゴンの旅”をいただいた

これもほしかった本だ

銀座に出て曽根さんと会い
原さんの絵を見た

神田で曽根さんと日本酒を飲んだ
ラグビーで騒がしかった

馬込の曽根さんのアパートに泊まらせてもらった
部屋には版画の鉄の機械が置いてあった

翌日は日曜日だった

恵比寿の写真美術館で”Her Own Way”という展示を見た
ポーランドの女性作家たちの展示だった

アイマスクをしたおんなが「教授!教授!教授!教授!教授!」と何度も叫んでいる映像を見た

雀は地面に落ちる *
落ちるように降りる *

雀が土の上のパン屑を拾って飛び去るのを四谷三栄町の公園で見たことがある

 

* 工藤冬里の詩「愛の計量化の試み」からの引用

 

 

 

私にだけ支えがない *

 

おとといの夜に
帰ってきた

女は
シンガポールから

帰ってきた

飛行機は台風の渦の外側に沿って
飛んできたのだろう

日曜の夜
酒を飲まず

男は車で駅まで迎えにいった

土曜日と
日曜日と

ソファーでモコと横になっていた

一度だけ
水曜文庫に行って

矢川澄子を買った

美しい女だ
美しい女がいた

奇跡のようだ

どこかに美しい男もいるのだろう

美しいは
ヒトの

感情だろう
鮮やかで快く感じられ

綺麗と
場合によっては

口に
するだろう

どうなんだろうか

十年くらいは通用するだろうか
一万年くらいは通用する感情だろうか

矢川澄子は美しい

死んでいった
死んでしまった

蜂のような うなり声がする *
蜂のような うなり声がする *

それは 男のうなり声だ
グールドのようにうなっている

私にだけ支えがない *
私にだけ支えがない *

男のうなり声は宇宙を吹き過ぎる風だ
男のうなり声は宇宙の暗黒のふるえる声だ

 
 

* 工藤冬里の詩「裏返った初夏の凄惨」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 04

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている

 

もう2ヶ月が過ぎようとしている。

2ヶ月ほど前に表参道のスパイラルというところで自分の詩について話したのだった。
2時間くらい話すようにということだったのですが2時間も話すことは自分にはないなあと思えてその日まで憂鬱だったのだ。
自分の憂鬱はしょうがないけど来てくれる人まで憂鬱にしたら申し訳ないとも思ったのだ。

「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」という演題だった。

自分の詩について話すよりも自分がどのような詩に関わってきたのか、
どのような詩が素晴らしいと思って生きてきたのかを話す方が他者にはメリットがあるのではないかとも思ったのだ。

それで東京に向かう新幹線の中でノートパソコンに向かいレジュメを作ったのだった。
会場ではレジュメ通りに進めた。
松田朋春さんが司会をしてくれたので安心でした。

18歳の浪人だった頃に読んだ西脇順三郎の「茄子」という詩をまず朗読してみたのだ。

それから22歳の頃、東中野にある新日本文学の鈴木志郎康の詩の教室に通っていた頃に読んだ鈴木志郎康の「わたくしの幽霊」という詩集から「なつかしい人」という詩を朗読したのだ。

また、最近、発見した谷川俊太郎の「はだか」という詩集から「おばあちゃん」という詩を読んでみたのだ。

金子光晴の詩が入っていないのは片手落ちだったかもしれないが、
どの詩もわたしが書きたくても書けないような詩なのだ。

 

「茄子」

私の道は九月の正午
紫の畑につきた
人間の生涯は
茄子のふくらみに写っている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ
アポロンよ
ネムノキよ
人糞よ
われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ

 

「なつかしい人」

わたしの遺影の前には
パイプと煙草がきっと置かれるだろう
そんなふうな
気遣いをしてくれる人が
一人ぐらいはいるだろう
パイプをくわえて
薄暗い室内に座っていると
その人が急になつかしくなる
しかし、その人が誰なのかは
まだ生きている
わたしにはわからない

 

「おばあちゃん」

びっくりしたようにおおきくめをあけて
ぼくたちには
みえないものを
いっしょうけんめいみようとしている
なんだかこまっているようにもみえる
とってもあわてているようにもみえる
まえにはきがつかなかったたいせつなことに
たったいまきづいたのかもしれない
もしそうだったらみんなないたりしないで
しずかにしていればいいのに
でもてもあしもうごかせないし
くちもきけないから
どうしたらいいかだれにもわからない
おこったようにいきだけしている
じぶんでいきをしているのではなく
むりやりだれかにむねをおされているみたい
そのとききゅうにいきがとまった
びっくりしたままの かおでおばあちゃんは
しんだ

 

これらの詩をもう一度、今夜、読んでみた。

これらの詩には詩人が自身でありながら自己と他者を公平に見ることができる視線があるように思います。
自己と他者を公平に見る視線を持つということはなかなか高度な達成であると思います。

これらの詩に書かれている達成に比べたら、
わたしの生は自己に拘泥してきた生であったと思わずにはいられないです。
他人のことなど少しも考えもせずに自分のことや自分の利益だけを考えてきたのだろうと思わずにはいられないのです。

先週の金曜日には相撲の桟敷席のチケットを知人から頂いたので女と女の友人たちと蔵前の国技館に行きました。
国技館ではちゃんこを食べてから弁当を二つ食べてビールを二本を飲みました。
大好きな大栄翔が鶴竜を打ち負かして座布団がたくさん飛びました。
それから女たちと別れて浅草橋で荒井くんと飲みました。
それで荒井くんと別れて総武線と中央線に乗り、酔いつぶれて武蔵境まで乗り越して、
高円寺に戻って、広瀬さんと朝まで飲みました。
それから新宿のホテルまで戻りシャワーを浴びてすこし仮眠してから恵比寿の写真美術館で写真を見ました。
なにを見たのかよく覚えていませんが金髪の西洋の女性が土田ヒロミの写真を見てボロボロと泣いているのを見ました。
わたしは泣けませんでしたが土田ヒロミはいいなと思いました。
それから中目黒に向かい写真家のしどもとよういちさんと会い飲んだのでした。
しどもとさんは不思議で美しいひとです。
それでしどもとさんと別れて高円寺に向かいすこし飲み、新宿のホテルに帰り、風呂に入りすぐ眠った。
翌日、上原のユアンドアイの会で詩の合評をして、その後で、詩人のみなさんと飲んだのだった。
楽しかった。

よくもまあこんなに酒を飲むもんですねえ。

なぜか突然、思い出したのですが、
むかし、新潟にある坂口安吾記念館に一人で行ったことがありました。
記念館の奥の部屋に「菩薩」という大きな書が掛かっていた。へー、安吾、菩薩かあ!と驚きました。
あれは安吾の書だったのでしょうか?
その後で午後に羽越線に乗り羽後本荘に向かいました。
車窓からずっと夕方の日本海と浜辺に並ぶ漁村の景色を見ていました。

いまはいない義兄が羽後本荘駅で待っていてくれました。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

撓垂れた *

 

姫林檎の

植木鉢が
玄関にある

胡蝶蘭と
紫蘭の鉢も

置いてある

胡蝶蘭は
義母の

葬式に兄と姉が送ってくれた

ひとつでは

仏壇が寂しいから
もひとつ

女が買った

もう
白い花は落ちて

緑の厚い葉が光っている

紫蘭は
義母が育てていた

姫林檎はいつだったか
義母の誕生日に

玄関に飾った

春には

白い花が咲き
夏には

小さな実をつける

玄関のポストの下にはアロエが生い茂っている
盛り上がってトゲトゲの緑の葉をひろげている

義母のアロエだった

毎朝
水をやる

姫林檎にも
胡蝶蘭にも
紫蘭にも

新聞を取りに出た時には水をやる

それでも
夏の午後には撓垂れていた

撓垂れるの”撓”は”しほる”とも読むようだ

しほる
しほる


目覚めてしほる

朝早く目覚めてしほる

新聞を
取りに出る

花に水をやる
植木鉢の土の窪みに水は溜まる

 
 

* 工藤冬里の詩「holy sunameri moters」からの引用

 

 

 

分離 *

 

絵を見た

絵を見て
帰ってきた

高速バスで帰った
由比の港の横を通ってきた

絵には
灰色の顔の男がいて **

スープをのんでた
ちいさな子どもの手をひいていた

子どもは
いつか灰色の男になる

男は
いまも

浮かんでいる
ポッカリと浮かんでいる

夏風邪をひいている

ポッカリと白い雲が浮かんでいる
ちいさな子どもの手をひいている

 

* 工藤冬里の詩「アルシーヴ」からの引用

**一条美由紀さんの個展で見た灰色の顔の男

 

 

 

愛とはなにか *

 

断崖の病院の窓から

平らな海を
見たことがある

海辺では
カモメたちが

空中に浮かんで停止しているのを
見たことがある

西の山の上に
雲がポカンと浮かぶのを

見たことがある

ちいさな黄色の花が風に揺れるのを見たことがある

しゃがんでオシッコしたモコが
ふりかえるのを

仏壇の前で
女が泣くのを

見たことがある

女が泣くのを見たことがある
女が泣き叫ぶのを見たことがある
女がふっと微笑むのを見たことがある
女が黙って見つめるのを見つめ返したことがある

義母の心臓が止まり
眼を見開くのを見たことがある

死んだ母の小さな体を抱きしめる姉を見たことがある
死んだ義兄が焼かれて太く白い骨になるのを見たことがある

見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない
見たことがない

TVニュースでは香港の若者たちが警官に警棒で何度も殴られるのを見た

見たことがない
カタチのある愛を見たことがない

 

* 工藤冬里の詩「愛とはなにか」からの引用

 

 

 

それらのことがあるなかで *

 

おととい
かな

夕方
モコと散歩してるとき

荒井くんに電話した
荒井くんは

いま
香港

といった
これからデモを見に行く

といった

このまえまで
タイにいて

いま香港なのか

昨日は
今井さんから

“ヴァギナのかたち”という詩が届いた

そこには性愛のことが書かれていて
だいじょうぶかなと

思った

なにがだいじょうぶかな
なのか

人の尊厳とか
人権とか

だいじょうぶかな


思った

香港には
だいじょうぶじゃない人たちがいる

中国にも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

チベットにも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

モンゴルや
ロシアや
シリアや

他の国々にも
だいじょうぶじゃない人たちがいる

だいじょうぶじゃない人たちは
口をつぐんだり

亡命して生き延びたりしている

亡命できずに
死んだ人たちもいる

たくさんいる

本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される
本国に引き渡されたら投獄され殺される

それらのことがあるなかで *

荒井くんは
香港にいる

姉からは
暑中見舞が届いた

三年ぶりに
西馬音内の盆踊りで踊ったと書かれていた

義兄の供養に
踊ったのだろう

はじめて一人暮らしは悲しいと感じました
では酷暑に負けずにご自愛ください

そう
書かれていた

 

* 工藤冬里の詩「in all these things」からの引用