船について *

 

さとう三千魚

 
 

雨になる朝
川沿いを河口まで歩いた

遠い国で
戦争は続いている

どんよりとした空の

下には
流浪する人たちがいる

わたしは
川沿いを歩いていった

売ってしまったけど
小舟を持っていた

小さな
エンジンを積んで

青暗い
朝の海に出ていった

凪いだ海のおもての
水面の

ゆらゆらと揺れて朝陽に輝いた

魚は
釣れなかった

釣れたこともあった

なにを釣ろうとしていたのかな
糸を垂らしていたな

午後には風がでて飛沫をあげて海は波立つだろう

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”自動描写” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

あそびましょう *

 

さとう三千魚

 
 

窓を開けて

餌を
やる

今朝も

窓を開けて
小鳥に餌をやる

西の山を見る
西の山を見ている

山桜が盛りあがって咲いている

川岸を
老人たちが歩いている

若い人が
走っている

どうなんだろう

横たわってた

道端に
そのまま

動かなかった

そこに花は咲くだろうか
そこに道はあるだろうか

あそびましょう *
あそびましょう *

子どもたちはそう言った

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”(犬のための)本当のだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

家にひとり *

 

さとう三千魚

 
 

横たわっていた

道端に

そのまま
動かなかった

ロシア兵に殺された
街の人よ

日曜の
午後

雨は降っていた

海まで走った
車ごと強い雨に打たれた

荒井くん
電話にでなかった

留守電になってた

モコは
家に

ひとり
いた

ソファーにいた
雨の音を聴いていた

そのまま
動かなかった

横たわって
難聴の耳に鍼を打ってもらった

雨の音を聴いた

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”(犬のための)本当のだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

わたし西の山を見ている

 

さとう三千魚

 
 

西の山を見ている

今朝も
見ている

窓を開けて
小鳥に餌をやった

灰色にひろがる空の下の西の山を見ている

蝉が鳴いている
耳の中で

鳴いている

耳鳴りは
治らない

東欧の戦闘をTVニュースで見ている

第一次世界大戦と
第二次世界大戦を

生きた国の人たちが戦争をしている

シリアや
イエメンや
アフガニスタンや
ミャンマーや
香港や

ウクライナで

国の命令で
人は

人を殺している
たくさんの動物たちも殺されたろう

わたし西の山を見ている

小鳥に
餌をやった

わたしモコを抱いてソファーで眠った

モコは言った
モコは眼で言った

殺さないで

あなた
殺さないで

あなた国家から逃げて
あなたたくさんの国家から逃げて

あなた逃げて

あなた逃げて
あなた生きて

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

あそぶということ

 

さとう三千魚

 
 

みなさんとあえて

よかったです

しろくませんせいとよばれて
うれしかったです


みなさんが
おやつをたべたり

あそぶのをみていて
しあわせになりました

おとなになると
みんなわすれてしまうのですが

あそぶことのなかには
とてもたいせつなことがあるとおもいます

たいせつをひとつだけみつけて
ずっとずっともちつづけることができたら

みなさんは
とても

しあわせになれるとおもいます

 

2021年3月15日に書かれた過去詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

あきれて物も言えない 31

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 

 

花粉がきた

 

朝、起きてみたら、
来ていた。

泉のように水が流れでて止まらない。

くしゃみが、
立て続けにでた。

 

この2年は、
来なかった。

コロナ禍で家の外ではマスクをしていたからなのだろう。

ティッシュを、
箱ごと抱きしめて鼻のまわりを赤くするあの日々がはじまったのか?

昼前に近所の病院に行ってみた。
受け付けは昼で終了です午後3時に来てくださいと女の事務員は言った。

それで、近くの農家の無人販売所で蜜柑とデカポンを買ってそれからホームセンターに寄り小鳥の餌の剝き実を買った。

本の部屋の窓辺に蜜柑と剥き実を置き小鳥が来るのを待った。

雀が、
来た。

つがいで来た。

いつもこのつがいが来る。

元気な方が餌を啄ばみおとなしい方がおずおずと真似る。

今度はヒヨドリのつがいが来た。
ヒヨドリは雀を追い払い餌を食べ尽くすのだ。

そんな景色を見ていると時間になっていた。

病院に向かう。
病院の受付では風邪気味なのかコロナなのか花粉なのか、問われた。

コロナの可能性がある場合は外のプレハブの診察室で診察するようだ。
花粉か風邪かコロナかわからないから来てみたのだが患者がコロナかどうか問われる。可笑しい。

熱もないし、たぶん、花粉だと思います。

受け付けの女性は安心したのか一般の診察用待合室に通してくれた。

そこには老人たちがいた。
車椅子に乗せられて俯いている老人もいる。
歳を取ると自然とみんな持病を持っているのだ。
持病を持っているから年寄りはコロナで死んで行くのだ。

診察室に呼ばれた。
男性の医師だった。
マスクを外すように言われた。
鼻の奥と喉をペンライトを点けて覗かれた。
鼻の奥の粘膜が腫れているそうだ。

花粉だろうという。
わたしも同意する。

やっと来てくれた。
コロナやデルタやオミクロンを通さないようにしてきたマスクのはずだ。
そのマスクを通して、
花粉はわたしのところにやって来てくれた。

懐かしいバッドボーイにあったように思えた。

やっと来たのか、きみは。
すこしながい2年間だったよ。

鼻水がだらだらと流れ眼玉しょぼしょぼとしてクシャミ連発のあの憂鬱な花粉がこれほどに懐かしいと感じられるのは、
コロナ様のお陰なのだ。

コロナでこの日本では416万1,730人の人が感染し2万989人の人たちが亡くなったのだ。 *
世界では4億1,550万8,449人の人たちが感染し583万8,049人もの人たちが亡くなったのだ。 *

 

自宅に帰って駐車場で空を見上げた。
西の山のこちら側に雲が盛り上がっていた。

夏の入道雲のような大きさだが雲は灰色に盛り上がり冬の雲だった。
この巨大な雲は冷たい雪の結晶で出来ているのだろう。
灰色の雲の縁から太陽の光が斜めに射して来ていた。

その光の中にわたしたちがいる。
老人たちがいる。
車椅子に乗せられて無言で俯いている者たちがいる。
雀のつがいがいる。
ヒヨドリのつがいがいる。

それはこのひろい宇宙のなかのひとつのいのちということなのだろう。
いのちのひとつひとつが個々に光を灯しているのだろう。

 

この世界には呆れてものも言えないことがあることをわたしたちは知ってる。
呆れてものも言えないですが胸のなかに沈んでいる思いもあり言わないわけにはいかないことも確かにあるのだと思えてきました。

 

作画解説 さとう三千魚

 

* 朝日新聞 2022年2月18日 一面 新型コロナ感染者数詳細 記事より引用

 

 

 

きびしいこらしめ *

 

さとう三千魚

 
 

雪が降るのだという
春は近いのか

あたたかい昼には
突発性の

難聴が
すこし

ゆるむようだ

そう
思える

今朝
サティを聴いてみた

他人の耳を持つことはできない
わたしの耳で聴いた

いま
きみを

みている

きみは恥ずかしそうに笑った

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”(犬のための)本当のだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

前提なしに

 

さとう三千魚

 
 

突発性の
難聴になった

低音部が

右耳で
聴こえない

もう
ひと月ほどになる

今朝は
総合病院の地下にあるMRIの検査を受けた

はじめ

ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
とはげしく

鳴った

それから
ガーンガーンガーンガーンガーン

と鳴った

カーンカーンカーン
とも鳴った

クワーンクワーンクワーン
とも聴こえた

20分ほどが過ぎて
トンネルを

滑って移動していた

ここのところ

bachも
cageもsatieも

聴いていない

前提なしに
全てを受け入れている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

徒党を組んで *

 

さとう三千魚

 
 

昨日
女と

港の温泉に行った
二十年

女と
暮らした

二十年が過ぎた

女と
風呂を出る時間を決めた

温泉に浸かり

露天で
浜風を嗅いだ

サウナを出て水風呂に入った

三回繰り返すと
汗は出ない

クラフトビール屋で女を待っていた

ビールは
蜜柑とメロンの香りがした

風が吹いていた
風は吹いていた

きみはそこにいた

きみは
風は

吹いていた

群れることがなかった
徒党を組むことがなかった

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life