鈴木志郎康
〈プアプア詩〉における詩と詩人

〈プアプア〉の人格化と詩形式の崩壊に伴う表象の変化
 

瀧口遼真

明治大学文学部文学科日本文学専攻

 
 

序章

 
 本論文では、詩人・鈴木志郎康が一九六〇年代に手掛けた一連の詩群〈プアプア詩〉を取り扱う。

 〈プアプア詩〉は主に雑誌『凶区』に発表され、一九六七年に刊行された詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』(一九六八年にH氏賞受賞) に収録されたのをきっかけに詩壇の内外に知られるようになった。その後、一九六九年に思潮社から『鈴木志郎康詩集』が発表され、これまで詩集に未収録だった詩篇も含めて〈プアプア詩〉シリーズが初めて体系化された。

 性的な語彙の多様や、私的であることを追求した独自の詩形式から、〈プアプア詩〉はこれまでも多くの言及が為されてきた。詩の性的な表現と六〇年代の社会制度・モラルを照応させたものや、鈴木のエッセイとテクストとを比較しながら私性がどのように表出しているかを分析したものなど切り口は様々だが、それらのほとんどが〈プアプア詩〉の中の一部の代表的な詩篇のみを対象にしており、シリーズ全体を通して分析を行なった批評・研究はごくわずかである。

 そもそも、〈プアプア詩〉は全十二篇を通して詩の構造や意義が大きく変化していくシリーズである。鈴木志郎康自身も「極私的分析的覚え書」などのエッセイでこの点に言及しており、一九六五年に書かれた「私小説的プアプア」と六七年に書かれた「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」では書かれている内容や〈プアプア〉という言葉の使われ方も大きく異なっている。だが、現時点では〈プアプア詩〉をシリーズとして捉えて検証を行なった研究は確認できていない。

 本稿は〈プアプア詩〉全十二篇を連続した一つの作品群として捉え、その詩形式の変化を分析する。作中における詩や詩人の表象を一つの手掛かりとし、作風の変化とともに表象がどのように変化していくかを確認する。鈴木志郎康は〈プアプア詩〉の中で何度も詩や詩作に関する言葉や詩人を登場させており、時にそれらは鈴木自身による自己批判とも読むことができる。詩や詩人の表象を詩形式の変遷とともに分析することで、鈴木が〈プアプア詩〉や詩作全般に対してどのような問題意識を抱えていたのかを浮かび上がらせるのが目的である。

 分析の際には〈プアプア詩〉シリーズの他に、参考資料として鈴木志郎康の詩論やエッセイ、また同時代評など他作家の〈プアプア詩〉に関する著作を用いる。本文で引用する詩のテクストに関しては原則として思潮社『鈴木志郎康詩集』のものを用い、収録されていない作品に関しては発表先の雑誌や詩集に掲載されているテクストを引用するものとする

 
 

第一章:〈プアプア詩〉の私小説性

1―1 鈴木志郎康と〈プアプア詩〉について

 
 鈴木志郎康は、一九三五年に東京都の亀戸で生まれた。本名は鈴木康之。高校時代には既に詩作を始めており、早稲田大学在学中には高野民雄とともに同人誌『青鰐』を創刊している。また、この時期は六〇年安保闘争を控えた学生運動が展開されており、鈴木も一時的に参加をしたが「脱落」している。卒業後はNHKでTV映画カメラマンとして勤務する傍ら、詩誌『凶区』の同人として詩作を続けた。一九六三年に第一詩集『新生都市』で詩壇に登場、六七年に第二詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』で第十八回H氏賞を受賞し、六〇年代を代表する詩人として位置付けられた。詩作と並行して個人映画製作にも取り組み、東京造形大学や多摩美術大学で教鞭もとった。詩人としては二〇〇二年に『胡桃ポインタ』が高見順賞、二〇〇八年に『声の生地』が萩原朔太郎賞、二〇一四年に『ペチャブル詩人』が丸山豊記念現代詩賞を受賞。二〇二二年に八十七歳で死去。

 本稿で扱う〈プアプア詩〉は、彼の五十年以上に渡る創作活動の中でも、一九六五年から六七年にかけて『凶区』や『現代詩手帖』に発表されたもので、このうち九篇が詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』の第四セクションに収録された。一九六九年に思潮社から発売された『鈴木志郎康詩集』では、この九篇に加え新たに「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」が収録されている。〈プアプア詩〉の範囲に関して作者自身の言及はないものの、基本的に「プアプア詩」もしくは「プアプアもの」と総称される詩『罐製同棲又は陥穽への逃走』もしくは『鈴木志郎康詩集』に収録されているものを指す場合が多い。しかし本稿では、シリーズ全体における作風の変遷に着目する都合上、これらの詩集に収録されていない「続続私小説的プアプア」と「私小説的処女キキの新登場」の二篇も含めた計十二篇を〈プアプア詩〉として定義することとする。

 本稿で扱う詩篇とその初出は以下の通りである。本稿では『罐製同棲又は陥穽への逃走』に収録されなかった詩篇も研究対象としているため、基本的な順序は思潮社の『鈴木志郎康詩集』の収録順を踏襲し、ここに収録されていない他の〈プアプア詩〉の順番については個々の作品の性質を考慮して決定することとした。「続続私小説的プアプア」は題名に「続続」とあることから「続私小説的プアプア」の次である三番目に置いた。「私小説的処女キキの新登場」は、修正版の「私小説的処女キキの得意なお遊び」の前に置いた。また、「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」は、『罐製同棲又は陥穽への逃走』には収録されておらず、発表時期も「番
外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」のほうが後ではあるが、『鈴木志郎康詩集』で最終作に位置付けられていることや、作品の内容が「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」を踏まえたものであることなどから、本稿では最終作に位置付けた。

 

①「私小説的プアプア」( 『凶区』九号、一九六五年八月) 〇⚫️
②「続私小説的プアプア」( 『凶区』十号、一九六五年十月) 〇⚫️
③「続続私小説的プアプア」( 『凶区』十一号、一九六五年十二月)
④「私小説的処女キキの新登場」( 『凶区』十三号、一九六六年四月)
⑤「私小説的処女キキの得意なお遊び」( ④の加筆版。『罐製同棲又は陥穽への逃走』で初掲載) 〇⚫️
⑥「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う」( 『凶区』十四号、一九六六年八月) 〇⚫️
⑦「法外に無茶に興奮している処女プアプア」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑧「羞恥旅行で処女プアプアは凍りそして発芽する」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑨「私は悲しみに液化した処女プアプア」( 『凶区』十五号、一九六六年十月)〇⚫️
⑩「プアプアが私の三十一才の誕生日を優しく」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑪「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」( 『現代詩手帖』一九六七年二月号、一九六七年二月) 〇⚫️
⑫「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) ⚫️

 
 

1―2 先行研究・同時代評の整理

 
 〈プアプア詩〉は長大なテクストや註釈の利用、そして性的モチーフの多用などから、詩集成立以前より多くの文芸誌・詩誌で特異な作品として言及されてきた。しかし作品がどのように受容されてきたかについては、マスコミ・大衆/詩人・評論家で大きな差があった。前者では専ら作中の性的表現を「過激な表現」「ハレンチ」なものとして消費する傾向があり、三木卓は雑誌『週刊ポスト』内の解説「処女の起爆力」で「題名もユニークだが内容はそれ以上に過激で、詩壇の枠を超えて若い世代を中心にした文学・思想に関心ある人たちを直撃、注目と関心を集めた」i と述べている他、『読売年鑑昭和44年版』では「戦争を全く知らず、バターとチーズとテレビで育った世代の『ハレンチ』好み」とやや批判的な言及がされている。ii

 詩人や評論家の間でも〈プアプア詩〉への評価は毀誉褒貶相半ばといった状況だが、内容は大きく「既存の価値観に対する挑戦と見做すもの」「私的表現に関するもの」の二つに大別することが可能である。

 〈プアプア詩〉を既存の価値観に対する挑戦として分析した代表的論者が北川透である。中でも「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う」を分析した詩論「詩人の内発力について」は、〈プアプア詩〉全体に共通する性質を指摘していると言えるだろう。

 
 「ここで鈴木が破壊しているのは、家庭的な性意識であり、もはやそこでは家庭の幸福や愛への信仰は成り立ちようがない。( 略) それは、現実に鈴木がどのように家庭の幸福のなかに住んでいても、いや住んでいればこそ、そのブルジョア合法主義への否定力は暗いエロティシズムの情念の彼方からやってこざるを得ないのだ。こうした否定力と本質的なかかわりを失って、詩の自由はありえないのであって、いわばそうしたかかわりを通じて、言語の意味空間そのものの甦えりを望むことができるのではなかろうか。」ii
 

 北川は作中人物「私」と「妻」の関係から家庭的性意識の破壊を読み取ったが、嶋岡晨は詩全体の性的表現は戦後民主主義がもたらした家族制度の崩壊や性的モラルの変貌を受け、「古いしきたり」への抵抗を試みていると分析するiv 。一方笠原伸夫はこうした「破壊」「抵抗」といった評価に対し否定的で、「プアプア詩ていどの言葉の破壊作業は、テレビのマンガ映画でもみればたちどころにおめにかかれる」「どだい言葉はもはや秩序を見喪い、流竄の果てに身をかがめているだけではないのか」と批判的な見解を示しているv 。このように〈プアプア詩〉を六〇年代後半の社会状況や性を巡る議論と対比させる評論は多いが、〈プアプア詩〉に関する鈴木自身の言及を参
照する限り、彼の意識する他者は広大な「社会」に属する他者ではなく、狭隘な「読者」としての他者である。そのため〈プアプア詩〉が制度やモラルを「破壊」「否定」していると判断するのは難しい。

 〈プアプア詩〉の私的表現に言及した詩人としては飯島耕一がいる。飯島はエッセイ『詩について』で、『罐製同棲又は陥穽への逃走』の第一セクションに収録された「激しい恋愛」と〈プアプア詩〉を並べながら、詩集全体を通して、鈴木が註釈などを通して詩の中に「真の現場」を提出しようとしていることを指摘している。

 
 「「私はあくまでも自分の個有な体験に執着した」のであり、彼にとってはことばは「一般化してしまう性質」そのものだと感じられたのだ。鈴木志郎康は、このすばやく一般化する( ぼくの言い方だとインパーソナルになってしまいがちな) ことばでは現場の把握には間に合わないという気持につねに襲われている。ことばと体験=現場のあいだにあるずれが、彼の気にならないではいない。( 略) 鈴木志郎康は、「覚え書」によって、その詩の背景を縷々説明する。さらに彼は一部では知られている「プアプア物」で、詩に「註」をつけ
ている。」vi

 
 
注釈

 i 『週刊ポスト』二十四巻三十六号( 小学館、一九九二年九月) 、134ページ
 ii 読売新聞社編『読売年鑑昭和44年版別冊』( 読売新聞社、一九六八年十月) 、178ページ
 iii 北川透『情況の詩:戦後詩の転換は可能か』( 思潮社、一九六七年十月) 190ページ
 iv 嶋岡晨『詩とエロスの冒険』( 社会思想社、一九七一年十月) 、254ページ
 v 笠原伸夫『虚構と情念:評論集』( 国文社、一九七二年九月) 、294ページ
 vi 飯島耕一『詩について』( 思潮社、一九六八年一月) 、77、78ページ

 

 

 

09 Feb 2026

 
 

さとう三千魚

 

昨日
女と

早朝に投票にいった
クルマでいった

帰って
女は

自転車でエアロビに出かけていった

昼前に
自転車で駅に出て

掛川に向かった
STEVE REICHのDRUMMINGを聴きにいった

加藤訓子さんたちのDRUMMINGは
歌なのだった

歌は
ひとの

心奥の
振動の

共振だろう

ひとと
ひとと

別のひとと
別のひとと

別の音と別の音と音と音の
重なって

歌になった

今朝は黯い時刻に目覚めた
選挙結果をTVニュースで見た

それから
味噌汁を作り

野菜を刻み
サラダを山盛りに盛った

アジを焼き
納豆を捏ねまわし

食べた
昼に女はお好み焼きを作ってくれた

夕方に
小川の

傍を歩いてきた

小川には
白鷺がいた

白鷺は小鴨たちの隣りで
小魚を狙ってた

土手の斜面に夕陽を浴びて水仙の花が咲いていた

帰って
リュビモフのピアノで

シルヴェストロフのノスタルジアを聴いた

シルヴェストロフは
ウクライナの作曲家で

自身の音楽のことを「既に存在するものの残響」と呼んだという

リュビモフの顔は
死んだ義兄に似ている

義兄はいつもわたしのことをミッチくんと呼んだ

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

2月9日

 

工藤冬里

 
 

ゆうこく寒い寒い雨の中地下室まで走らなくてはならない
パレットナイフの雪山や平野のそこかしこを濁らせていたゆきぐものティンクトゥーラは鬼萩の白と似ているが、遠くだとそれよりうす青くいっそう凍てついた印象を与える
そういえば、トーマス・ベルンハルトに、「凍(いて)」という、人間というより気温が主人公の小説があった
われわれも昨日、気温が選挙より上に来た状態で地下室に走り込んだのだ

 

 

 

 

#poetry #rock musician