封を切る

 
 

さとう三千魚

 

昨日
ユアンドアイだった

ユアンドアイというのは
志郎康さんが名付けた詩人の集まりだった

志郎康さんはいないから
いまは

zoomでやってます

昨日は
日曜日で


女は

エアロビに行き
それから相撲の力士の会で東京へ行った

午後から
参加者の詩をプリントした

今日は
月曜日

花粉なのか
空が霞んでいた

昼には
港の郵便局で手紙を投函した

海を見てきた

帰って
瀧口さんの論文「鈴木志郎康<プアプア詩>における詩と詩人」を読んでた

志郎康さんの言葉が引用されていた

「つまり、私の場合は、自ら言葉に封をすると同時にその封を切ってしまうように消費するのだ。この過程が私の詩作行為だと考えられないだろうか。言葉に封をするということは、言葉に一般的な意味が流入するのを止めてしまうことなのだ。」*

午後に
広瀬さんのブロック塀の写真を見てた

高円寺だった
2020年11月だから

感染が広がっていただろう
マスクをしていた

あれから
何年が過ぎたのか

今朝
秋田の詩人から

手紙が届いてた

封筒の中に手紙と
小6の娘さんが描いたカードが入っていた

クレヨンで描いたのかな
橙色の蜜柑がふたつ並んでいた

手紙の封切った
封を切ってひらいた

 
 

*瀧口遼真さんの論文「鈴木志郎康<プアプア詩>における詩と詩人」より引用しました.
https://beachwind-lib.net/?cat=73

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

鈴木志郎康
〈プアプア詩〉における詩と詩人 02

〈プアプア〉の人格化と詩形式の崩壊に伴う表象の変化
 

瀧口遼真

明治大学文学部文学科日本文学専攻

 
 

1―3 〈プアプア詩〉の作品構造と私小説性

 
1―3―1 問題意識―― 「誤解」への嫌悪感と開かれた詩

 
 第三節では、第二章以降の考察の前提として、〈プアプア詩〉の私小説性について分析する。飯島耕一や上野昂志が指摘している通り、鈴木は〈プアプア詩〉で作家自身の私性( 日常生活や欲望) を表出させることに強く執着しており、これが特異な作品構造に繋がっている。
 そもそも鈴木は〈プアプア詩〉という作品構造を確立させるにあたって、どのような問題意識を持っていたのだろうか。『罐製同棲又は陥穽への逃走』に収録されているエッセイ「極私的分析的覚え書」では、大きく二つの問題意識が示されている。一つが「誤解」への嫌悪感、もう一つが開かれた詩への志向である。
 まず、「誤解」への嫌悪感について鈴木の持論を引用したい

 
 「私は詩を書き、詩と私との間にはある距離が生じる。そしてその距離が全く無視されるか、又極めて小さなものと受けとられるのを私はひどく恐しく思う。( 略) 私はこの詩集におさめられたひとつひとつの詩がどのようにでも理解されるということを絶対に拒みたい。私は各人の孤立と生活の寸断の上に安逸をきめ込んだ態度から生れる、あの理解の恣意性を断じて許したくない。言葉が使われたということは必ずそこに何らかの現実が存在する。そして現実が常に固有なものであれば、ほしいままに言葉を理解するということは、この現実の黙殺に外ならない。」viii

 
 ここで鈴木が述べている「距離」とは、作品内の表現が作家のどのような経緯・意図によって生じたかということである。仮にその表現が内発的・感情的なものであった場合、そこには一般的な意味とは異なる、作家が独自に付与した意味が含まれることとなる。作家と作品の間にある距離感を正しく読み取ることが、すなわち正確に作品を鑑賞するということになるだろう。しかし、実際に読者が正確に作品を理解することはほとんど不可能である。読者は作者と意識を共有しているわけではないため、テクストの内容や事前知識をもとに各自で作品を解釈することとなる。その結果、作家と読者の間にはテクストの意味を巡って断絶が生じ、読者は言葉の表層的な意味のみ理解するか、もしくは各々で勝手に作家と作品との関係を想像し解釈をするしかなくなる。これこそが「各人の孤立と生活の寸断」の結果生じる「理解の恣意性」なのであり、鈴木は恣意的な理解や解釈によって作品内の私性が無視・誤解されることを極端に嫌悪している。こうした嫌悪感を払拭する手段として、まず想像されるのは、作品自体を一切他者に公開せず、作品を完全な形で理解できる人間、すなわち作者自身の中だけで消費するというものであるが、鈴木は敢えてこの方法を取らず、詩を他者に向かって開かれたものとすることに強いこだわりを示している。この「開かれた詩への志向」の根源には、彼が学生時代に詩を通して他者との関係を構築しようとしていたことが影響している。鈴木は「極私的分析的覚え書」で、学生時代に仲間や少女たちに自作の詩を見せることで、人間関係の回復を試みていたことを告白している。彼にとって詩とは私的な創作行為であり、他者に自作の詩が受け入れられることはそのまま鈴木自身も受け入れられることを意味していた。こうした考えは、大学時代に安保闘争の集団から一人脱落し「抹殺されてしまうのではないか」という恐怖感に苛まれた経験を機に一層強まっていき、自己保存的な価値体系から脱出するための開かれた詩および詩形式を鈴木は模索していくことになる。

 
 「私はここ( 引用者注:自己保存的な価値体系や自己否定的な態度) から脱却しなくてはならない。詩はその出口となり得るだろうか。私は詩作する際に、自分の個別性を言葉の中に極度につめ込む仕方を取っていたというのも、この自己保存的な欲求から出ていたものに違いない。そしてその個人的欲求の満足に終ってしまうものであれば、私のより本質的な力である表現、つまり他人との真の交流には至らないであろう。そこではその本質的な力は抑圧されて、私は不安、危惧、更にいえば恐怖をいだいて、孤立した生活を続けなくてはならないだろう。詩はその出口となり得るだろうか。」ix
 

 他人に対して開かれていながらも、読者の意味解釈によって作家の私性が損なわれることのないような詩形式が、当時の鈴木志郎康の詩作における問題意識であり、課題解決のために鈴木が考案したのが後述する〈プアプア詩〉という特異な詩形式であった。

 
1―3―2 〈プアプア詩〉の構造

 
 〈プアプア詩〉とは、作家の私性を損なわない形で他者に公開する詩である。その詩形式について、「極私的分析的覚え書」で鈴木自身が述べた方法論をもとに確認しておこう。

 
 「私の生活の形態を決定しているのは、賃金を得るために働き、この得た賃金の全部を完全に消費しているということである。しかもこの生活の中で私個人の自発性は働く方に発揮されることは殆んどなく、もっぱら消費する方に発揮される。( 略) 言葉を消費する。これは私たちの文明の大きな特徴かも知れない。といっても、事柄を単純に考えるべきではない。それは何らかの欲望をにせに満たすものではあるが、私はこの「にせの充足」をとらえて、欲望の存在を明らかにしようとする。つまり、私の場合は、自ら言葉に封をすると同時にその封を切ってしまうように消費するのだ。この過程が私の詩作行為だと考えられないだろうか。言葉に封をするということは、言葉に一般的な意味が流入するのを止めてしまうことなのだ。「私小説的プアプア」の第一行目がこれである。プアプアとはつまり、言葉の処女膜なのだ。そして、この一行から始まる一連の詩はこの処女膜を破ろうとする私の挑みかかる行為そのものといえるだろう。私は私自身の生活を形成している実体を言葉にかえて、プアプアに突きさす。その行為が次次に私に言葉を要求して、私は言葉を費して行くことになると同時に、私自身を暴き出すことにもなるのだ。」x

 
 まず鈴木は、作者である自身の私性を消費行動の中に見出だしている。これは読書や喫茶のような商品・貨幣の消費に留まらず、詩作の際にどのような語彙を詩語とするかといった、言葉の消費も含まれるものとする。モノの消費も言葉の消費も、巨大な母数の中から選択し使用する際に個人の自発性が発揮されるからである。また鈴木は、言葉を消費すること自体が欲望の充足なのではなく、何らかの欲望を「にせに満たすもの」であるとする。つまり言葉を消費する以前に作者は何らかの事柄に欲望を抱いており、その欲望を満たすことが不可能であるために代替行為として言葉を消費するのである。鈴木の場合、その欲望は彼自身の日常生活から生じたものである。
 だが、単に言葉を詩語にして消費するのみでは、読者は作者が何の欲望の代替として詩語を用いているのか知ることができないため、両者の間で言葉の意味解釈に齟齬が生じる。そこで鈴木は、〈封を切る〉というプロセスを創作の中に組み込む。詩語の中に封じ込まれている、本来追求されるべき欲望を、彼は詩語と並列して書き記そうとする。この処理によって、読者は詩語とそこに封じられた作者の欲望や欲望の出所である日常生活も読むことが可能となるため、読者は作者と同じ方向で詩を鑑賞できるようになるのである。その過程は引用部分のように、性行為の際に男性器が処女膜を貫通して女性器に侵入する様子に喩えられている。
 この詩形式やプロセスが実際の〈プアプア詩〉でどのように具現化されているのか、第一作「私小説的プアプア」を例に考察したい。

 
 
 遂にプアプアが私の方に向って来る
 私はオーロラに包まれている
 私は純粋ももいろに射精する
 プアプアちゃん行っちゃいや、ああ私の天使
 それなのに教授は腕をひっつかんで大英博物館へ連れて行ったのだ( 註3)
 ( 略)
 註3 広島テレビ、七月三日午後八時外国製テレビ映画「泥棒貴族」より

             (「私小説的プアプア」)
 
 
 例えば、作中に「プアプアちゃん行っちゃいや、ああ私の天使」というフレーズが登場する。このフレーズ自体はひとつの詩語なのだが、直後に「それなのに教授は腕をひっつかんで大英博物館へ連れて行ったのだ」という詩句も並列して書かれている。これはアメリカ映画『泥棒貴族』のワンシーンで、エッセイ「プアプアに始まる」によれば、鈴木志郎康は一九六五年七月三日午後八時に自宅で同映画を鑑賞していたxi 。つまり鈴木はこの映画の少女が教授に連れ去られる場面を視聴した際に、自分と親しい少女が連れ去られる場面を空想した。その後詩を書く際にその空想を詩語に変えたのだが、同時に彼の空想的欲望の元となった映画のシーンを並列して記述するとともに、註釈で『泥棒貴族』を視聴したことも付記したのである。要するに鈴木は以下のようなプロセスでこの場面を書いたことになる。

①作者の鈴木志郎康自身の実体験:『泥棒貴族』を鑑賞し、欲望を抱く
②欲望を詩語に変えて「にせの充足」を達成する:「プアプアちゃん行っちゃいや―― 」
③詩語に含まれる欲望や実体験を併記する:「それなのに教授は―― 」および「註3」

 ②で言葉を消費することによって私性を発現させるとともに、③で欲望の内容とその出所①を読者に公開し、解釈のずれを埋めるのが〈プアプア詩〉の形式である。つまりこの詩形式では、言葉を消費する際と実体験を記述する際の二回に渡って私性が発揮されていることになる。鈴木はこの方法論を確立した上で「私小説的プアプア」を始めとする一連の詩群を創作していくことになるのだが、作品を追うごとに本来の形式から脱線していき、最終的には〈プアプア詩〉は崩壊を迎える。詩形式の変遷については、第三章で詳しく述べていく。

 
 

1―3―3 〈プアプア詩〉の私小説性ーープアプアを媒介とする実体験の虚構化

 
 〈プアプア詩〉を分析する前提として、その私小説性について確認をする必要があるだろう。前項で〈プアプア詩〉が作者自身の実体験を踏まえたものであることを述べた。しかし、テクストで描写される語り手の「私」および彼を取り巻く出来事は、鈴木志郎康が自身の実生活を一度破壊し再構成したものであることに留意しなければならない。〈プアプア詩〉とはノンフィクションではなく、事実を元にしたフィクション「私小説」なのである。鈴木自身、後年のエッセイで「『私小説』とは文芸評論などで使われることばで、作者の身のまわりに起ったことを素材にして書かれた小説のことをいうのである。従って、ここではそういう自分の身のまわりに起ったことを『虚構』として書くということをことわっているわけである」と解説しているxii 。
 〈プアプア詩〉で行われている現実の虚構化は、〈プアプア〉( 一部の作品では〈キキ〉も同様の役割を果たしている) という言葉を媒介として成立している。〈プアプア〉は鈴木や多くの同時代評で指摘されているように、オノマトペ的な言葉として用いられており言葉自体に意味はない。NHKのニュース取材の際に、取材先の中学校の女子生徒が歌っている際の口唇運動が着想元とされているxiii 。作中では、鈴木が実生活で抱いた性的欲望、そしてその対象者は〈プアプア〉に代替されて表出される。「プアプア」というナンセンスな音韻言語を用いることで、並べて配置される実体験や欲望に基づく描写をユーモラスで無秩序な虚構的空間に内包させようとしているのである。〈プアプア〉とは、鈴木の性的欲望や欲望の対象を詩語に変換すると同時に、鈴木の実体験を詩空間の中に内包させ虚構化させる詩的装置であると言えよう
 ここまで〈プアプア詩〉が虚構的な私小説として成立していることを説明してきたが、その中でも特に作者・鈴木志郎康との距離が近いと推測できる表現がいくつか存在している。それは、作中で語り手の「私」が詩や詩作について言及している箇所である。
 「私」は鈴木志郎康と同じく広島市に住んでいる男性として設定されている。詩作を趣味としている点でも鈴木と共通しており、彼の発言は〈プアプア詩〉の執筆・発表時期に鈴木がエッセイ等で述べている詩論と重なる部分が多い。第二章以降では、この「私」の発言に着目し、同時期の鈴木の著作と対応させながら、作者の詩に対する価値観が〈プアプア詩〉の中でどのように反映されているのかを分析する。

 
 
注釈

 v 笠原伸夫『虚構と情念:評論集』( 国文社、一九七二年九月) 、294ページ
 vi 飯島耕一『詩について』( 思潮社、一九六八年一月) 、77、78ページ
 vii 『現代詩手帖』二十二巻八号( 思潮社、一九七九年八月) 、123ページ
 viii 鈴木志郎康『罐製同棲又は陥穽への逃走』( 季節社、一九六七年三月) 、94、98ページ
 ix 同右、一一二ページ
 x 同右、一二六、一二八ページ

 
論文提出年月日:2026年1月14日

 

 

 

鈴木志郎康
〈プアプア詩〉における詩と詩人

〈プアプア〉の人格化と詩形式の崩壊に伴う表象の変化
 

瀧口遼真

明治大学文学部文学科日本文学専攻

 
 

序章

 
 本論文では、詩人・鈴木志郎康が一九六〇年代に手掛けた一連の詩群〈プアプア詩〉を取り扱う。

 〈プアプア詩〉は主に雑誌『凶区』に発表され、一九六七年に刊行された詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』(一九六八年にH氏賞受賞) に収録されたのをきっかけに詩壇の内外に知られるようになった。その後、一九六九年に思潮社から『鈴木志郎康詩集』が発表され、これまで詩集に未収録だった詩篇も含めて〈プアプア詩〉シリーズが初めて体系化された。

 性的な語彙の多様や、私的であることを追求した独自の詩形式から、〈プアプア詩〉はこれまでも多くの言及が為されてきた。詩の性的な表現と六〇年代の社会制度・モラルを照応させたものや、鈴木のエッセイとテクストとを比較しながら私性がどのように表出しているかを分析したものなど切り口は様々だが、それらのほとんどが〈プアプア詩〉の中の一部の代表的な詩篇のみを対象にしており、シリーズ全体を通して分析を行なった批評・研究はごくわずかである。

 そもそも、〈プアプア詩〉は全十二篇を通して詩の構造や意義が大きく変化していくシリーズである。鈴木志郎康自身も「極私的分析的覚え書」などのエッセイでこの点に言及しており、一九六五年に書かれた「私小説的プアプア」と六七年に書かれた「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」では書かれている内容や〈プアプア〉という言葉の使われ方も大きく異なっている。だが、現時点では〈プアプア詩〉をシリーズとして捉えて検証を行なった研究は確認できていない。

 本稿は〈プアプア詩〉全十二篇を連続した一つの作品群として捉え、その詩形式の変化を分析する。作中における詩や詩人の表象を一つの手掛かりとし、作風の変化とともに表象がどのように変化していくかを確認する。鈴木志郎康は〈プアプア詩〉の中で何度も詩や詩作に関する言葉や詩人を登場させており、時にそれらは鈴木自身による自己批判とも読むことができる。詩や詩人の表象を詩形式の変遷とともに分析することで、鈴木が〈プアプア詩〉や詩作全般に対してどのような問題意識を抱えていたのかを浮かび上がらせるのが目的である。

 分析の際には〈プアプア詩〉シリーズの他に、参考資料として鈴木志郎康の詩論やエッセイ、また同時代評など他作家の〈プアプア詩〉に関する著作を用いる。本文で引用する詩のテクストに関しては原則として思潮社『鈴木志郎康詩集』のものを用い、収録されていない作品に関しては発表先の雑誌や詩集に掲載されているテクストを引用するものとする

 
 

第一章:〈プアプア詩〉の私小説性

1―1 鈴木志郎康と〈プアプア詩〉について

 
 鈴木志郎康は、一九三五年に東京都の亀戸で生まれた。本名は鈴木康之。高校時代には既に詩作を始めており、早稲田大学在学中には高野民雄とともに同人誌『青鰐』を創刊している。また、この時期は六〇年安保闘争を控えた学生運動が展開されており、鈴木も一時的に参加をしたが「脱落」している。卒業後はNHKでTV映画カメラマンとして勤務する傍ら、詩誌『凶区』の同人として詩作を続けた。一九六三年に第一詩集『新生都市』で詩壇に登場、六七年に第二詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』で第十八回H氏賞を受賞し、六〇年代を代表する詩人として位置付けられた。詩作と並行して個人映画製作にも取り組み、東京造形大学や多摩美術大学で教鞭もとった。詩人としては二〇〇二年に『胡桃ポインタ』が高見順賞、二〇〇八年に『声の生地』が萩原朔太郎賞、二〇一四年に『ペチャブル詩人』が丸山豊記念現代詩賞を受賞。二〇二二年に八十七歳で死去。

 本稿で扱う〈プアプア詩〉は、彼の五十年以上に渡る創作活動の中でも、一九六五年から六七年にかけて『凶区』や『現代詩手帖』に発表されたもので、このうち九篇が詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』の第四セクションに収録された。一九六九年に思潮社から発売された『鈴木志郎康詩集』では、この九篇に加え新たに「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」が収録されている。〈プアプア詩〉の範囲に関して作者自身の言及はないものの、基本的に「プアプア詩」もしくは「プアプアもの」と総称される詩『罐製同棲又は陥穽への逃走』もしくは『鈴木志郎康詩集』に収録されているものを指す場合が多い。しかし本稿では、シリーズ全体における作風の変遷に着目する都合上、これらの詩集に収録されていない「続続私小説的プアプア」と「私小説的処女キキの新登場」の二篇も含めた計十二篇を〈プアプア詩〉として定義することとする。

 本稿で扱う詩篇とその初出は以下の通りである。本稿では『罐製同棲又は陥穽への逃走』に収録されなかった詩篇も研究対象としているため、基本的な順序は思潮社の『鈴木志郎康詩集』の収録順を踏襲し、ここに収録されていない他の〈プアプア詩〉の順番については個々の作品の性質を考慮して決定することとした。「続続私小説的プアプア」は題名に「続続」とあることから「続私小説的プアプア」の次である三番目に置いた。「私小説的処女キキの新登場」は、修正版の「私小説的処女キキの得意なお遊び」の前に置いた。また、「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」は、『罐製同棲又は陥穽への逃走』には収録されておらず、発表時期も「番
外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」のほうが後ではあるが、『鈴木志郎康詩集』で最終作に位置付けられていることや、作品の内容が「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」を踏まえたものであることなどから、本稿では最終作に位置付けた。

 

①「私小説的プアプア」( 『凶区』九号、一九六五年八月) 〇⚫️
②「続私小説的プアプア」( 『凶区』十号、一九六五年十月) 〇⚫️
③「続続私小説的プアプア」( 『凶区』十一号、一九六五年十二月)
④「私小説的処女キキの新登場」( 『凶区』十三号、一九六六年四月)
⑤「私小説的処女キキの得意なお遊び」( ④の加筆版。『罐製同棲又は陥穽への逃走』で初掲載) 〇⚫️
⑥「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う」( 『凶区』十四号、一九六六年八月) 〇⚫️
⑦「法外に無茶に興奮している処女プアプア」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑧「羞恥旅行で処女プアプアは凍りそして発芽する」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑨「私は悲しみに液化した処女プアプア」( 『凶区』十五号、一九六六年十月)〇⚫️
⑩「プアプアが私の三十一才の誕生日を優しく」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) 〇⚫️
⑪「番外私小説的プキアプキア家庭的大惨事」( 『現代詩手帖』一九六七年二月号、一九六七年二月) 〇⚫️
⑫「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」( 『凶区』十五号、一九六六年十月) ⚫️

 
 

1―2 先行研究・同時代評の整理

 
 〈プアプア詩〉は長大なテクストや註釈の利用、そして性的モチーフの多用などから、詩集成立以前より多くの文芸誌・詩誌で特異な作品として言及されてきた。しかし作品がどのように受容されてきたかについては、マスコミ・大衆/詩人・評論家で大きな差があった。前者では専ら作中の性的表現を「過激な表現」「ハレンチ」なものとして消費する傾向があり、三木卓は雑誌『週刊ポスト』内の解説「処女の起爆力」で「題名もユニークだが内容はそれ以上に過激で、詩壇の枠を超えて若い世代を中心にした文学・思想に関心ある人たちを直撃、注目と関心を集めた」i と述べている他、『読売年鑑昭和44年版』では「戦争を全く知らず、バターとチーズとテレビで育った世代の『ハレンチ』好み」とやや批判的な言及がされている。ii

 詩人や評論家の間でも〈プアプア詩〉への評価は毀誉褒貶相半ばといった状況だが、内容は大きく「既存の価値観に対する挑戦と見做すもの」「私的表現に関するもの」の二つに大別することが可能である。

 〈プアプア詩〉を既存の価値観に対する挑戦として分析した代表的論者が北川透である。中でも「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う」を分析した詩論「詩人の内発力について」は、〈プアプア詩〉全体に共通する性質を指摘していると言えるだろう。

 
 「ここで鈴木が破壊しているのは、家庭的な性意識であり、もはやそこでは家庭の幸福や愛への信仰は成り立ちようがない。( 略) それは、現実に鈴木がどのように家庭の幸福のなかに住んでいても、いや住んでいればこそ、そのブルジョア合法主義への否定力は暗いエロティシズムの情念の彼方からやってこざるを得ないのだ。こうした否定力と本質的なかかわりを失って、詩の自由はありえないのであって、いわばそうしたかかわりを通じて、言語の意味空間そのものの甦えりを望むことができるのではなかろうか。」ii
 

 北川は作中人物「私」と「妻」の関係から家庭的性意識の破壊を読み取ったが、嶋岡晨は詩全体の性的表現は戦後民主主義がもたらした家族制度の崩壊や性的モラルの変貌を受け、「古いしきたり」への抵抗を試みていると分析するiv 。一方笠原伸夫はこうした「破壊」「抵抗」といった評価に対し否定的で、「プアプア詩ていどの言葉の破壊作業は、テレビのマンガ映画でもみればたちどころにおめにかかれる」「どだい言葉はもはや秩序を見喪い、流竄の果てに身をかがめているだけではないのか」と批判的な見解を示しているv 。このように〈プアプア詩〉を六〇年代後半の社会状況や性を巡る議論と対比させる評論は多いが、〈プアプア詩〉に関する鈴木自身の言及を参
照する限り、彼の意識する他者は広大な「社会」に属する他者ではなく、狭隘な「読者」としての他者である。そのため〈プアプア詩〉が制度やモラルを「破壊」「否定」していると判断するのは難しい。

 〈プアプア詩〉の私的表現に言及した詩人としては飯島耕一がいる。飯島はエッセイ『詩について』で、『罐製同棲又は陥穽への逃走』の第一セクションに収録された「激しい恋愛」と〈プアプア詩〉を並べながら、詩集全体を通して、鈴木が註釈などを通して詩の中に「真の現場」を提出しようとしていることを指摘している。

 
 「「私はあくまでも自分の個有な体験に執着した」のであり、彼にとってはことばは「一般化してしまう性質」そのものだと感じられたのだ。鈴木志郎康は、このすばやく一般化する( ぼくの言い方だとインパーソナルになってしまいがちな) ことばでは現場の把握には間に合わないという気持につねに襲われている。ことばと体験=現場のあいだにあるずれが、彼の気にならないではいない。( 略) 鈴木志郎康は、「覚え書」によって、その詩の背景を縷々説明する。さらに彼は一部では知られている「プアプア物」で、詩に「註」をつけ
ている。」vi

 飯島の他に、上野昂志も評論「『日常』を降りる」の中で〈プアプア詩〉における私性の表出を指摘しており、
鈴木は実体験や日常をそのまま詩の中に提出しているのではなく、「プアプア」という無意味な言葉と関係させる
ことで、日常的な意味の文脈を変換していると述べているvii 。

 
 
注釈

 i 『週刊ポスト』二十四巻三十六号( 小学館、一九九二年九月) 、134ページ
 ii 読売新聞社編『読売年鑑昭和44年版別冊』( 読売新聞社、一九六八年十月) 、178ページ
 iii 北川透『情況の詩:戦後詩の転換は可能か』( 思潮社、一九六七年十月) 190ページ
 iv 嶋岡晨『詩とエロスの冒険』( 社会思想社、一九七一年十月) 、254ページ
 v 笠原伸夫『虚構と情念:評論集』( 国文社、一九七二年九月) 、294ページ
 vi 飯島耕一『詩について』( 思潮社、一九六八年一月) 、77、78ページ
 vii『現代詩手帖』二十二巻八号( 思潮社、一九七九年八月) 、123ページ

 
論文提出年月日:2026年1月14日

 

 

 

09 Feb 2026

 
 

さとう三千魚

 

昨日
女と

早朝に投票にいった
クルマでいった

帰って
女は

自転車でエアロビに出かけていった

昼前に
自転車で駅に出て

掛川に向かった
STEVE REICHのDRUMMINGを聴きにいった

加藤訓子さんたちのDRUMMINGは
歌なのだった

歌は
ひとの

心奥の
振動の

共振だろう

ひとと
ひとと

別のひとと
別のひとと

別の音と別の音と音と音の
重なって

歌になった

今朝は黯い時刻に目覚めた
選挙結果をTVニュースで見た

それから
味噌汁を作り

野菜を刻み
サラダを山盛りに盛った

アジを焼き
納豆を捏ねまわし

食べた
昼に女はお好み焼きを作ってくれた

夕方に
小川の

傍を歩いてきた

小川には
白鷺がいた

白鷺は小鴨たちの隣りで
小魚を狙ってた

土手の斜面に夕陽を浴びて水仙の花が咲いていた

帰って
リュビモフのピアノで

シルヴェストロフのノスタルジアを聴いた

シルヴェストロフは
ウクライナの作曲家で

自身の音楽のことを「既に存在するものの残響」と呼んだという

リュビモフの顔は
死んだ義兄に似ている

義兄はいつもわたしのことをミッチくんと呼んだ

 

 

 

#poetry #no poetry,no life