声を聴く

 

さとう三千魚

 
 

目覚めると
モコは

わたしの顔を見てた
わたしの起きるのを

待って
いたのか

モコを
抱いて

階下に降りる
庭でオシッコをさせる

あたらしい
水をあげる

老いて弱ったモコに
白身魚のお粥作ってあげる

モコ
お粥を黙って食べる

食べて
静かになって

モコは
仏間の座布団に”し”の字になって眠った

窓の外から
虫の

リリリリ
リュリュリュリュリュ

声が
聴こえる

今年の夏は暑くて
ハグロトンボの庭に浮かぶのを見なかった

最後に
電話で話したとき

“元気じゃないですよ!”とあなたは大きな声で笑った
わたしも笑った

あなたが逝って一年になる

 

 

* 2023年8月29日 志郎康さんへ

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

声を聴く」への4件のフィードバック

  1. さとう三千魚さんの詩を読ませていただくたびに感じるのは、そこに、いつも、さとうさんの愛、あたたかさを感じます。
    音とか、リズムとかも。

  2. みやうちふみこさま

    お言葉、
    ありがとうございます!

    わたしの詩に"愛"がありますでしょうか?

    いい歳になって、
    いまだに"愛"ということがわかりません。

    わたしの愛でしょうか?
    みやうちさまの愛かもしれないですね。

    あるいは人間ではないものの、

  3. さとう三千魚様
    ここで、また、お会いできて、光栄です。
    ご自分では感じないものなのではないのでしょうか、愛って。
    体力の衰えてきたモコちゃんに、白身魚いれた、おかゆつくってあげたり、その年見なかったトンボのこと気にかけたり、みえないものにまで心をかけることができるのが愛、そんな気がいたします。鈴木志郎康さんも、見えないものとか、失われつつある自然にも心を向けていらっしゃいましたね。愛とは、見えないもの、感じるものなのかもしれません、、、。

  4. みやうちふみこさま

    おことば、ありがとうございます。
    お返事が遅くなってしまいました。

    申し訳ありません。

    "愛"は、
    見えないものかも知れません。

    見えないから、
    気づけなかったりしますね。

    もう、ずっと後になって気づいて、
    取り返しがつかない思いでいっぱいになります。

    ありがとうございます。

    三千魚

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