スイッチが入った
思ったときから
安全な言葉をえんえんと
書き続けることしかできなくなった初老の詩人
学校や組織の理屈に
さからって生きるのだと
四十年以上逃げまわり続けて
ついに自分というものを持ちえなかったと気づく六十男
フリーのミュージシャンはいい
一人で、二人で、三人で
合わせるわけでもなくそれぞれの即興をぶつけながら
二度と来れない世界を目指していく
◯
となり町の
CDが世界中で細々と売れているという
Aさんにギターを習っている
あわただしすぎないペースで
好きなことを花のように育てていく
かたい弦できれいな音が出るようになるまで
カッティングの練習
最後はビートルズのコピーで声も合わせる
いま死を目の前にしている人がいても
ぼくのエクスタシーはこわれない
坂をのぼっていく
学校や組織の理屈に
さからって生きるのだと
四十年以上逃げまわり続けて
ついに自分というものを持ちえなかったと気づく六十男
今日は去年刊行された『最後の恋 まなざしとして』を読んでいたのですが、ここに残った三作はこの詩集の作品とはまるで違うような感じがしました。語り口は同じなんだけど(声が若いことを別とすれば、渡辺さんの語り口は最初期から一貫しているような気がしますが)、世界がまるで違う。過去の自分に対する痛烈な批判のようにも聞こえるこの4行がそれを象徴しているようにも感じました。後半の「あわただしすぎないペースで/好きなことを花のように育てていく」というところでは、ついに自分と向き合っている人が出てくるんですよね。
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