ア・イ・シ・テ・イ・ル

 

 

長田典子

 

 

 

※筆者による英詩を多く引用。各行尾の( )内はその詩のタイトルであり、他の英文箇所の多くは、この詩を書くとき同時に出てきた。「テネシー・ワルツ」の歌詞から一行引用あり。

 

 

 

ニホン語を捨てよう
アメリカ語を習得するために

それはワルツ
ワルツのリズム
地下鉄構内から
テネシー・ワルツが聞こえてくる
ワン、トゥー、スリー、 ワン、トゥー、スリー、
……………、…………、…………、

分厚い文法の教科書
分厚い長文の教科書
ノート ノート ノート 電子辞書 紙の辞書
プリントアウトした大事な大事な宿題は
エッセイと 初めて英語で書いた詩
バッグはパンパンに膨らんで
持ち手が肩に食い込んでくる
急ぎ足で
Grand Central 駅に駆け込む
毎朝 無料新聞 “am”をもらう

ニホン語を捨てよう
アメリカ語を習得するために

交差点に立つ若い男子たちは美しい
背が高くて手足が長くて
肌の色はいろいろでも
産毛が朝日に輝いている
ときめくことはない
アルファベットで構成されるわたしの言葉は
ひどく いびつで
振り向く余裕すらないのだ

This afternoon, I have “Creative Writing Lesson.”
( ― 今日の午後は 「文章創作」の授業があります)
I’ll hand in my first English poem to my professor.
( ― わたしは 産まれて初めて英語で書いた詩を 先生に提出するのです)

この夏 2011年の夏
わたしは
アメリカ語で詩を書き始めた

Under the blue sky
青空の下
Like sweet desserts I desire to speak words! (McDonalds /Africa)
甘いデザートのようにわたしは言葉を欲望する!(マクドナルド/アフリカ)

ニホン語を捨てて

In McDonalds, I heard the sound like the clapped lid of gavage box
マクドナルドで わたしはごみ箱の蓋を パタン!と閉めるような音を聞いた
It was the voice of store clerks echoed in the shop
それは反響する店員の声だった
The voice vomited me, vomited me
声はわたしを吐き出した わたしを吐き出したのだった
McDonalds vomited me            (McDonalds /Africa)
マクドナルドはわたしを吐き出した     (マクドナルド/アフリカ)

ちがう
マクドナルドはわたしを産み出した
そう書くべきだった

黒く塗られた地下鉄の階段を下りていく

どっちみち世界は滅びつつあるのだから
せめて自分は滅びずに と
ニホン人としての自分を滅ぼすことにした
アメリカ語を習得するために
どっちみち世界は滅びつつあるのだから

I liked my situation which is nothing, which is no important thing. (McDonalds /Africa)
何もない 何も大切なものがないこの状況が好きだった(マクドナルド/ アフリカ)

ワルツ
テネシー・ワルツ

地下鉄のホームで
大道芸人がサックスを吹いている
切ないメロディが曲がりくねる
いい音だ

テネシー・ワルツ
親友に恋人を盗られたおはなし
むかしむかしの
おはなしのはず

学生時代の噂話
女友達といっしょに大笑いした
みせパン
見せるパンツ
その男はAさんの次にAさんの親友のBさんを誘ったのだけど
そのときのパンツの柄が同じだったんだって
緑のチェック柄だったんだって
見せパンだったんだって
若くて
愛については
まだ何も知らなかった
頃の
ニホンのおはなし

どっちみち世界は滅びつつあるのだから

くるくる回る
ワルツ
回る

落下するクンクリート塊
ひらひらはためく
スーツの上着 ネクタイ スカートの裾
これはアメリカのおはなし
Reality 事実
見ました たくさんの写真を
ワールドトレードセンターの仮設博物館で 昨日
Many people were falling down from big building
たくさんの人々が大きなビルから堕ちていく
I stared unbelievably at the view that people flew down like many supermen
わたしは信じられない気持ちでスーパーマンみたいに飛び堕ちていく人々を凝視した
(Zero Wants Infinity)
(ゼロは無限大を欲する)
知った
ニュースで
崩壊したワールドトレードセンターの鉄柱によって偶然にできた巨大十字架が
建設中の博物館に運ばれるのを
It’s called World Trade Center Cross.
( ― それは ワールドトレードセンタークロスと呼ばれています)
I decided to write about it in my next poem and went there.
( ―  わたしは 次の詩にそれを書くことを決めました そしてそこに行きました)
次の詩のために取材に行きました、と
その日のうちに先生にメールを送っておいた

ハドソン川を横切って逃避する船から見た光景は
高層タワーが
空に
シュークリームのような黒煙を巻き上げながら
崩れ落ちていったという

In the darkness I was just wondering if my bag was OK because it was
暗闇の中でわたしが心配していたのは わたしのバッグが無事かどうかだけだった
A present from my husband and I noticed I had only one handle on it.
夫からのプレゼントだったから 気が付くとわたしはバッグの手提げ紐だけを握っていた
(Zero Wants Infinity)
(ゼロは無限大を欲する)

ワルツ
テネシー・ワルツ
くるくる

Madly people would want to live madly.          (Zero Wants Infinity)
激しく 人々は激しく生きることを望んだことだろう   (ゼロは無限大を欲する)

仮設博物館を出て
メモをまとめようと無意識に入ったのは
地下鉄駅入り口にあるニホン風うどん屋
無意識に
やっぱり「うどん屋」だった
「寿司弁当」も売っていた
「カリフォルニア・ロールはおすすめです」
Though I couldn’t see World Trade Center Cross……
( ― ワールドトレードセンタークロスは見られなかったけれど……)
からだのなかで
言葉が麺のように絡まって
螺旋状に巻き昇っていった

くるくる
テネシー・ワルツ
“Now I know how much I have lost.”
「今になって どれだけたくさんのものを失ったのかがわかったわ」

No, I haven’t lost anything.
( ― いいえ、わたしは何も失ってはいない)

ワルツ
くるくる

No, I haven’t lost anything.
( ― いいえ、わたしは何も失ってはいない)

アメリカ語を習得するために
アメリカ語を習得するために

「ゼロは無限大を欲する」

ワン、トゥー、スリー、
ワン、トゥー、スリー、

「ゼロは無限大を欲する」
学校に向かう地下鉄に乗りながら
“am”のヘッドニュースを読むのが習慣

City Hall 駅の階段を昇ると
青空の奥底
彼方から
ア・イ・シ・テ・イ・ル
という声が
かすかに 聞こえた
誰の声だろう
それはワルツのリズムで

ア・イ・シ・テ・イ・ル………

独立記念日が近づいている

 

 

 

 

ア・イ・シ・テ・イ・ル」への2件のフィードバック

  1. 「ニホン語を捨てて」
    「ニホン人としての自分を滅ぼす」という表現から、人間が言語を自分の根拠、拠って立つものとしていることを、改めて感じました。
    それゆえ、“英語”と“アメリカ語”の使い分けが読み解ききれないのが、もどかしかったです。三読、四読と重ねるなかで、見えてくるかもしれません。(書き言葉と話し言葉、と分けているのでもないですよね)

    「どっちみち世界は滅びつつあるのだから」
    「(ゼロは無限大を欲する)」
    「からだのなかで
    言葉が麺のように絡まって
    螺旋状に巻き昇っていった」
    など、意味もイメージも鮮やかなフレーズが多いこと、「私」の心情とつぶやく声とNYの情景とがくっきりと立ち上がってくることもあって読み応えがあり、長田さんがこれから書き継いでゆかれる作品世界の中軸を成す、代表作になるのではないかと思いました。

  2. 薦田愛様
    とても嬉しいご感想をありがとうございます。
    海外に出て、本気で外国語を勉強しようと思ったとき、体内で母国語との対立が生じました。エッセイ(論文)を書くときなど、頭で日本語で考えて英語に翻訳しようとすると、その論考事態が、思考方法の違いからアメリカ人の先生に理解されないという状況が生じました。結局、外国語を学ぶことは母国語を捨てることだと気が付きました。思考方法からして、その地の文化、生活になじんだ形でやらねばうまくいかないと思ったんです。
    アメリカ語とこだわって言っているのは、同じ英語圏でも、それぞれ英語が違いますし、特にイギリス英語とは大きく違うこと、アメリカ独自の文化を含んだ言語(特にNY文化)と強く意識して遣いました。
    英語、と書かれている箇所は、自分自身がその時点で、アメリカ語で詩を書く以前に、まず、日本語以外の英語で…という意識が出ているためで、悩んだ結果、英語、という言葉を遣ったのですが、今後、さらに推敲する時点で、とらえなおし考え直し、読者に、事情が伝わるようにしなければと思っています。
    薦田さんには、いつも大きな勇気をいただいています。
    ほんとうにありがとうございます。

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