てのひらのうちがわには

 

長田典子

 
 

ふと
テーブルに手をおく
あなたはかならず平面に
ゆびさきを縦にする

五歳だった
ほら、こんなふうに、
てのひらに触れた茹で卵に
ゆびを沿わせてまげた
その角度のままに

「茶色の小瓶」の八分音符は難しくて
あなたは泣きじゃくった じれったくて
いちどできたら繰り返し弾いた
八分音符と八分休符の組み合わせが
きもちよくて

ジャズ ジャズ やめられないジャズ

卵が発熱する
パソコンの
キーボードは鍵盤
ゆびは 今も
ピアノを弾いている

あの日のまま ゆびさきをたてて
叩くパソコンのキーボード
卵は熱い卵はくるしい卵はじれったい

産みたい産まれない産みたい産まれない
ジャズ ジャズ やめられないジャズ

産まれたら きっと
だきあおう
牙をむくまえの
甘噛みのように
だきあおうよ
毛が生えそろう前の獣のように

弾き語る
ジャズ ジャズ ジャズ 発熱するジャズ

十二歳
ピアノ教室はやめた
バスで街まで行ってまだ知らないソナタの楽譜を買い
調律されていない古びたピアノで夜中まで練習した
独りぼっちで卵を温め うちのめされ
あなたがピアノを弾くのをやめたのは十四歳
てのひらのうちがわで
卵を温めた そのかたちのまま

ジャズ ジャズ ジャズジャズ ジャズ


鍵盤は
パソコンのキーボード
あの日のまま ゆびさきをたてて
てのひらのうちがわには発熱する 卵

卵は孕む卵を孕む
卵は卵を産み落とす産み落とす
発熱する卵 孵化する 孵化する
バックミュージックは「茶色の小瓶」
ぽろ、ぽ ぽろ、ぽ ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽろ、ぽ、
ゆびさきは つっかえる ひきかえす はんぷくする はんぷくする
制御不能な 暴走する 沸騰する じれったい

産みたい産まれない産みたい産みたい産みたい

ジャズ ジャズ ジャズ くるおしいジャズ

キーボードはわたしはわたしのてのひらは
ゆびさきは
弾き語る
産みたい産み出したい産み出す
キョウリュウ!
しっぽが長くて 巨大な 牙をむく
凶暴な 肉食の
不用意な 制御不能な
ぽろ、ぽ ぽろ、ぽ ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽろ、ぽ ぽぽぽぽ
キョウリュウ!

産まれる産まれる産まれる産まれる

ぽろ、ぽ ぽろ、ぽ
ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、
ぽろ、ぽ、ぽぽぽぽ

キョウリュウ!
だきあおうよ
牙をむくまえの
甘噛みのあとは
ふかく ふかく
交りあおうよ
不用意に 凶暴に 制御不能に
くるおしく
食らいあおうよ

キョウリュウ!

 

 

 

レポート さとう三千魚「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」

(2019年7月26日(金)於・青山スパイラルルーム)

 

長田典子

 
 

2019年7月26日(金)、詩人の松田朋春さん主催Support Your Local Poetのイベントで、さとう三千魚さんによる「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」の講演が、19時から青山スパイラルルームで行われた。暑い夏の夜だった。
とても楽しみにしていたので開演30分前に会場に到着すると、パワーポイント用のスクリーンの前で、さとうさんはパソコンで内容のチェックをしていた。浜風文庫’s STOREのTシャツにジーンズというラフな姿だった。場所はおしゃれな青山。しかも前面の大きなガラス窓からはスタイリッシュなビルが見える部屋とあって、最近太ってパツンパツンになってしまっているにもかかわらず、一張羅のお花柄のワンピースを無理やり着込み緊張して出向いわたしだが、さとうさんのラフな格好を見て一気に緊張がほどけた。

さとうさんのそのゆったりした雰囲気とともに、優しい人柄が滲み出てくるような、わかりやすい話だったこともあり、わたしだけでなく、会場全体が始めからほっと和みながらさとうさんの話を聞くことができたと感じている。

1980年代からさとう三千魚さんのご活躍は詩の雑誌を通じて存じ上げていたものの、わたしがさとうさんに初めてお会いしたのは、鈴木志郎康さん宅で行われている詩の合評会「ユアンドアイの会」のときである。今から4年ぐらい前のことなのに何だか古くからの知り合いのように感じている。さとうさんは、現在は会社を退職されて静岡にお住まいだが、その前は、平日は東京、休日は静岡で過ごされていた。当時わたしはスーツ姿のさとうさんしか見たことがなかった。日曜日の「ユアンドアイの会」には、翌日の会社勤務を控えて静岡から重いノートパソコンを持参しての参加だったからだ。ウエブサイト「浜風文庫」でもお世話になっており常にとても温かい対応をしてくださるおかげで、とかく萎縮しがちなわたしなのに、のびのびと作品に取り組むことができている。「浜風文庫」も休日以外は地道に毎日更新されている。いつもにこにこしている穏やかな印象や風貌から、さとうさんは、とても上手に社会と折り合いをつけて生きている人、誰とでもうまくやっていける人だと思っていた。
でもそれは社会人になってからの世間に向けての顔であり、本来はどうやら違っているらしいことがわかった。秋田県出身のさとうさんは、どことなく口が重い、シャイで寡黙な人というイメージもかすかに感じとってはいたのだけれど。

さとうさんは、幼児期、言葉を発するのが苦手で、常に母親の後ろに隠れているような子だったという。詩は小学生の頃から書き始め、中学生になってからは、通学していた学校で詩人の小坂太郎さんがたまたま教師をしており、小坂さんに詩を見てもらっていたという。ここで、すでにさとう三千魚さんは詩人としての芽をじわじわと伸ばしていたのだ。恵まれたスタートだったと言える。
高校時代は孤独だったという。受験のため東京に出てきたが、満員電車に圧倒され満員電車恐怖症のようになり、結局、浪人時代も朝の満員電車に乗れないために予備校には通えず桜上水のアパートの部屋に引きこもっていたのだという。当時、アパートの近くには野坂昭如さんの豪邸があった。野坂昭如さんの『さらば豪奢の時代』という本を読んださとうさんは、著者の書いていることと実際にやっていることの乖離を感じ手紙を書き送ったとのこと。さとうさんの生家が農業を営んでいたことから「実際はこんな甘いものではない」と憤りを感じたのだ。「他の著書も読むべきであったのに、若気の至りだった」とも言っていた。浪人時代のこのエピソードを聞いて、わたしはさとうさんの「詩の核」を見たような気がした。

その後、さとうさんは、小沢昭一さん率いる「芸能座」の研究生になった。演出部に所属し、演出助手をやりながら大道具や小道具もやっていた。研究生の合宿で、小沢昭一さんの前で余興をやらなけらばならなかったときに、さとうさんは西脇順三郎さんの詩「旅人かえらず」を朗読した。小沢さんは、さとうさんの詩の朗読をしっかり受け止めて聞いてくれたという。劇団にいても詩を手放さなかったさとうさん。やはり生来の詩人だと思った。

少年時代、さとうさんは雲ばかり見ていたという話は以前に聞いたことがあった。その視線は今も変わらず、日々、フェイスブックにポストされる写真からも知ることができる。

さとうさんには独特の視線や触手がある。

最新詩集『貨幣について』(2018年・書肆山田)刊行に向けて書いている段階で、考えを煮詰めていたとき、疲労とストレスがあいまって移動中の新幹線から降り熱海駅のホームで倒れてしまったときのエピソードが強く印象に残った。病院に救急搬送され病院の窓から外を見たとき「すごいものを見ちゃった」と感じたという。搬送された熱海の病院は片側が海に面した断崖絶壁の上に建っていた。さとうさんは倒れたとき血圧は上が220まで上昇していたらしい。この状況で病院の窓から絶壁を見てしまったさとうさんは、自身の状況を直感として把握し受けとめたのだろう。こういうとき、人は、人生のメタファとしてさらに言葉を続けて言いつのってしまうものだ。あるいは、わたしのように、ぼーっと生きている人間だったら「やれやれ、酷い目にあったものだ。ようやく家に帰れるわい」「今日は天気がよくて景色が良く見えるな、病院に搬送されるなんてなんてこった」、「なんだ、この病院、こんな崖っぷちに建っていたのかー」など、仕事帰りに病院に救急搬送されてしまった不幸をまずぼやきたくなるだろうし、無事であったがゆえに徒労感でいっぱいになってしまうものだ。あくまでも自分の経験と比較しての感想だけど。しかし、さとうさんは一言「すごいものを見ちゃった」と言ったのだ。わたしは、そこがすごいと感じだのだ。

ちなみに、詩集『貨幣について』の連作を執筆中、実際に千円札を燃やしてみようとしたが、燃やせなかったらしい。もちろん一万円札も。
十分に過激である。貨幣とは、かくも強靭な存在なものなのかと複雑な感慨を覚えたわたしである。

さとうさんの直感的で濁りのない視線は詩だけでなく芸術全般におよび、主催する「浜風文庫」には、詩人だけでなく画家、写真家など幅広く作品が掲載されている。この視線の行方は際立っていると感じている。

その直感的な視線と生来の寡黙さは、さとうさんの詩にもうまい具合に作用しているように思う。

さとうさんは、新日本文学の詩の講座で鈴木志郎康さんに出会い、その後の詩集出版に繋がる詩を書き始めた。さとうさんに影響を与えた詩人は鈴木志郎康さんの他に西脇順三郎さんがいた。つい最近は、谷川俊太郎さんの『はだか』を読んで衝撃を覚えたとのこと。この三人の詩人の詩、そしてご自身のデビュー詩集『サハラ、揺れる竹林』から「マイルドセブン」、『はなとゆめ』から「地上の楽園」、『貨幣について』から「19.貨幣も焦げるんだろう」を朗読した。30年以上前の初期の作品「マイルドセブン」はあまり読みたくなさそうだったが、主催者で司会の松田朋春さんにリクエストされて大いに照れながら朗読された。これを聞いた人はとても感銘を受けたようで、その後の二次会の席でも話題になった。
とても自然で胸に染み入ってくるような朗読だった。

今回、わたしは、「地上の楽園」に改めて注目したのでぜひこの場を借りて紹介したい。

 
 

地上の楽園

 

息を吐き
息を吸う

息を

吐き

息を
吸う

気づいたら
息してました

気づいたら息してました
生まれていました

わかりません

わたしわかりません
この世のルールがわかりません

モコと冬の公園を歩きました
モコの金色の毛が朝日に光りました

いまは
言えないけど
いつかきっと話そうと思いました

モコ
モコ

なにも決定されていないところから世界が始まるんだというビジョンは

いつか伝えたい
いつかキミに伝えたい

息を
吐き

息を
吸う

息を吐き
息を吸う

モコと冬の公園を歩きました
柚子入りの白いチョコレートを食べました

モコの金色の毛が光りました
モコの金色の毛が朝日に光りました

わたしはモコを見ていました

そこにありました
すでにそこにありました

 

 

先に述べた寡黙で直感的な詩人の側面がここにも表れている。
「息を吐き/息を吸う」というリフレインに始まり「気づいたら/息してました」と書くあたり。まるで世界を初めてみたかのような驚きを感じる。そう、「すごいものみちゃった」は初めて世界を見た人の根源的な発語のようなのだ。だから、日ごろ情報まみれのわたしたちは、その新鮮な発語を聞いて驚くのだ。「わたしわかりません/この世のルールがわかりません」も、なんと清冽な行だろう。「何も決定していないところから世界がはじまる」まで読んで、なるほど、とわたしたちは改めて詩人によって気づかされるのである。確かにどんな瞬間も厳密に言えば「何も決定していない」ところから始まっているのではないか。最後の「そこにありました/すでにそこにありました」は、愛犬モコの金色に光る毛の存在を通して、詩人の希求する決定された「ビジョン」をそこに発見したということだろうか。
改行や細かく分けられた連の間からも、さまざまな想いが生まれ、読者に考える空間としての猶予を与えてくれる。深い世界観を感じると同時に切迫した言葉の行から切ない感情が湧き上がってくる。もう一度読み返したいという気持ちにさせてくれる。

余剰時間の多くをスマホに奪われつつある今日、わたしたちがじっくり詩を味わう時間は明らかに減っている。これはわたしの個人的な思い込みだが、わたしは詩を常に傍らに置いて繰り返し楽しみたい。生活に疲弊したとき、ふいに空白の時間ができたとき、詩を繰り返し読むことで、ふっとその詩の世界に入り込み現実の自分とは違う世界や湧き上がる想いを楽しみたい。わたしにとって、詩集は書物というより大切な宝箱のような存在だ。宝箱を開けたときのような豊かできらきらする時間を、さとうさんの詩は与えてくれるような気がする。さとうさんの詩は、時間に追われる忙しい日常からふと距離を置いて読むことをお勧めしたい。

さて、この7月26日(金)は、詩人に限らず写真家や画家の方々も集まっていてさとうさんの幅広い交友関係に改めて驚いた。わたしは、詩人のイベントでこれほど幅広い分野の人々が集まっているのを初めて見た。

実は、『サハラ、揺れる竹林』が発売されてすぐに、わたしも購入した一人である。「~するの」という語尾の扱い方がとても新鮮で影響を受けた。そのさとう三千魚さんと、30年後にお会いし一緒に詩の合評をしたり、さとうさん主催のウエブサイト「浜風文庫」でお世話になっているという幸せな出会いにとても感謝している。

 

 

 

とってもよいことが起きる日

 

長田典子

 
 

つよい北風がふいて
ドアは
たすけてたすけてたすけて
と言いながら
閉まった

たすけ
てた
すけて

たすけくん
出た ドアから
すけて
とうめいにんげん
出た

ドアは閉じて開いた
はろはろはろはろはろー
と言いながら
たすけくん
ドアを
ぱたりぱたりぱたりした
音だけがした
たすけくん
だれも気がつかない

たすけくん
てけすたてけすたてけすたこらさっさ
丸テーブルの上にあったお土産のずんだもち
たべた
たすけくん
ずんだもちたべた
ずんだもちのすけになった
もちもちねばねばざらざらする
ぱたりぱたりする
つよいつよい山形だだちゃ豆の
山形ずんだもちのすけになった

つよい風がふいて
山形ずんだもちのすけさん
ドアをぱたりぱたりぱたりして
はろはろはろはろーって
ドアを開けて
てけすたてけすたこらさっさ
丸テーブルに向かって歩いていった
だだちゃ豆色の燕尾服きた紳士の
山形ずんだもちのすけさん
ふかくゆっくり椅子に座った

きょうは
なんの日?

知らない
でも
とってもよいことが起きる日さ

山形ずんだもちのすけ男爵は
てけすたてけすたこら
さっさっさ
あご髭をすぅっとなでたんだぁ

 

 

 

かーん、かーん、キラキラ

 

長田典子

 
 

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
野原に
ひざまでつもった

きぃちゃんと足跡を付けて歩きまわる
長靴で
かーん、かーん、キラキラ、
聞こえない音が
響きわたり
ふたりの声は 靴音は
雪野原に吸い込まれていく
かーん、かーん、キラキラ、

学校は休み

きぃちゃん
あなたは今
どこにいますか

いっぱいあそんだあとは
いっつもおなかがすいた
きぃちゃんの家に行くと
お父さんもお母さんもいない
いっつもいない
おそくまでいない
きぃちゃんは小さな手で塩おにぎりを握ってくれた
小学2年生のきぃちゃんの手は
まほうの手だった

おにぎりを頬ばりながら
きぃちゃんは うちあけた
おとうさんね
よく なくの
くにからの お手紙よみながら

おとなが泣くとは知らなかった
家に帰ってまっさきにおばあちゃんにおしえると
おばあちゃんは
おくにに帰りたくても帰れないんだよ
だれにも言っちゃだめだよ
ふしぎなことを言った
おまえはきぃちゃんと
なかよくしなくちゃいけないよ、って

きぃちゃんは
わたしのいちばんのおともだちで
そんけいするおねえさんだった

きぃちゃんのお母さんは
出かけるとき
リヤカーをひいて出かけた
ウチに電話がかかってくると
きぃちゃんちに走って呼びに行った
黒電話の受話器にむかって
きぃちゃんのお母さんは
聞いたことのないことばで喋っていた

ダム建設のために
村の家が一件、また一件と引っ越していったとき
きぃちゃんも
いつのまにか
どこかに行ってしまった
何も言わないで

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
だれもいない
雪野原
かーん、かーん、キラキラ
雪の
無音の音が響きわたり
きぃちゃんはいない
ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて

ウチもいよいよ引っすことになったころ
きぃちゃんが森戸坂の橋に立っていたよ
誰かが言っていた
朝鮮学校の制服を着ていたよ
チマ・チョゴリっていうんだよ、って

朝鮮学校の制服?
見たことがあった
八王子に買い物に行ったとき

ひざまで積もった
雪野原に穴をあけながら
きぃちゃんといっしょに歩きまわった朝
たくさんの穴をあけた
ふたりで 長靴で
たくさんの穴をあけたのに

ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて
胸のあちこちにたくさんの穴が開いたようで
ひゅうーっ、ひゅうーっ、にゅうーっ、にゅうーっ、
冷たい風が いつまでもいつまでも
吹き抜けていった
きーん、きーん、きーん、きーん、
凍えて 痛かった

きぃちゃんは
ものすごく遠いところに行ってしまった
もう にどと
会えないところに行ってしまった

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃんと
わたし
なにもちがわない
おくにが違っても
朝鮮学校の制服を着ても着ていなくても
なにもちがわない
いっしょに雪を踏んで遊んだ
いっしょに塩おにぎりを食べた

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃん、
あなたは今
どうしていますか

 

 

連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

ツリーハウス

 

長田典子

 
 

ぱく もぐ ぱく もぐ 
ぱく ぱく ぱく

あのころ
池の鯉は
白いソーメンを
上手に口に咥えて 
泳ぎ回った
水中で
ながいソーメンをなびかせて
泳ぎ回る鯉たち
鯉たちのためにと茹でられたソーメンは
粉から捏ねて作られたもの
ほら、みんなよろこんでいるよ
まいあさ
おばあちゃんはわたしの小さい手を握って言った
トマトの実が赤々とゆれ
山羊は黒曜石のような美しい玉を産み落とし続けた

ぱく もぐ むしゃ ぱく ぱく ぽっとん

近所のおにいちゃんやおねえちゃんたちが
なにを言っているのか 
さっぱり わからなかった
くちびるが縦横ななめにすばやく動くのを
ひたすら見上げていた
鯉よりも山羊よりもトマトよりも豚よりも鶏よりも
さっぱり さっぱり わからなかったんだ

このまえ
墓参の帰り
どうしても湖の縁の淵をのぞいてみたくなって
みんながいた場所を見たくなって
あの村に続いていた山道を下って行った
水辺へと続く 道なき道を

おばあちゃーん、おじいちゃーん、
おかあさぁーん、おとうさぁーん、
山羊たち、鯉たち、豚たち、鶏たち、
どこにいるの?

ぱく もぐ むしゃ ぱく ぱく ぱっくん

みんなみんな どこにいるの?
どうしてどうしてどこにもいないの?
村は食べられちゃったの?
なにに? 

ぱく もぐ むしゃ ぱく ぱく ぱっくん 

山道を下って行くと
いちばんはじめにドングリの大木を見つけた
昔のまんま 太い根で赤土を鷲掴み
まだ 生きていた!
生きていた!

ぱく もぐ むしゃ ぱく ぱく ぱっくん
いっつも追いかけていた
学校に入る前から
何を言っているのか 
さっぱり さっぱり わからなくても
近所のおにいちゃんやおねえちゃんのあとを追いかけて
走り回っていたっけ
田んぼのあぜ道 山道 野原道
川原の石ころ とんとん渡り

折れ曲がる
ヘアピンカーヴの山道
片側は剥き出しの関東ローム層の赤土が切り立っていた
その曲り角の赤土のてっぺんに
ドングリの大木が
太い根を巨人の掌のように広げ大地を鷲掴んでいた
昔のまんま
節くれた太い指の下は洞窟で
おにいちゃんたちは
木の葉や枝を集めて秘密基地を作っていたんだ

ぱく もぐ むしゃ ぱくぱく ぱっくん ぼと ぼっとん

みんなの声は
坂を下った川沿いの村まで届いていきそうだった
おにいちゃんたちのくちびるは
すばやく動く
鯉よりも山羊より豚よりも鶏よりも
わからない
わからない
ぱくぱくぱくぱく ぱっくん もぐ むしゃ ぼっとん
見ているうちに急に大便をもよおした
うんこ、したい……と言うと
………、いいよ、と聞こえ
わたしは
おもむろに基地のど真ん中にやってしまった
ちょうど誰もいなくなった一瞬のできごと
そのとたん
臭いがたちこめ
秘密基地の周辺は大騒ぎになってしまったっけ
おにいちゃんたちは
ひどく怒って
ばくぶくばくぶく ぶちゃぶちゃ ばっぐん ばぐばぐ ばぁん!
怒鳴り散らしながら
どこかに走って行ってしまった

みんな どこにいるの?

ばぐぶぐばぐぶぐばぐぶぐばっぐん
ぶちゃぶちゃ どっぷん どっぷん とぷとぷとぷ

鯉よぉっ! 
山羊よぉっ! 
来いよぉ!
みんなぁっ!

とっぷんとっぷん とぷとぷとぷとぷ とっぷん

はなればなれになっちゃったね
村が湖に沈むとき
みんな みんな いなくなっちゃって

とっぷんとっぷん とぷとぷとぷとぷ とっぷん

湖の縁の淵には
わたしたちがいた村があったのに

みんなぁーっ! 
ドングリの大木はまだあったよ
まだ 生きていた
昔のまんま
巨人みたいに大きな掌を広げて
赤土を掴んで立っているよ
根っこの洞窟は
わたしたちのツリーハウスだよ!

とっぷんとっぷん とぷとぷとぷとぷ とっぷん

おばあちゃーん、
おじいちゃーん、
おとうさぁーん、
おかあさぁーん、
みちこさぁーん、
けんろくさぁーん、
おなかさぁーん、
かおるくーん、
よしこちゃーん、
おりんさぁーん、
ねぇ、みんなぁーっ!

山羊が産みだす黒曜石の丸い玉、ときどき逃げ出した豚、
たわわに実った黄色い柚子の実、真っ赤に熟したトマト、
まだ温かい生みたての卵、………、

とっぷんとっぷん とぷとぷとぷとぷ とっぷんとっぷん

鯉たちが咥えた白いソーメンが湖の底でなびくのが見えた?

村は食べられちゃったの?

なにに?

あは、
食べられてなんかいないさ
ドングリの大木みたいに
続いていくのさ

墓参の帰り
駅まで姪の車で送ってもらう

 
 

※連作「ふづくらシリーズ」より
※小島きみ子氏主催「エウメニデス」49号初出を大幅に改稿した。

 

 

 

巡礼

 

長田典子

 
 

観光バスは
ユーラシア大陸の果てまで旅を続けた

聖地ファティマ
小雨の濡れそぼるなかを
分け入っていくと
聖堂へと続く道の上を 列になって
跪きながら進んでいく巡礼のひとびとを目撃する
襤褸と化した膝あてを頼りに
祈りながら
進んでいくひとびと
太陽が狂ったように空をぐるぐる回った町で

拡声器から聞こえる罅割れた声のほうに
広場を歩いていくと
司祭が大勢のひとびとを前に説教をしていた
あれは神業だね、
舌を震わせるLの発音はどうしてもできない、
連れの男にのんびりと耳打ちをし
群衆から距離を置いて佇む
ぼんやり
音楽のように抑揚することばに耳を傾けていた

抑揚の音符は
空っぽの体内に降り注いでいった
ぼんやりと
ただ 降り注いでいった
だけだったのだが
ふいに
把握しきれない感情が湧きあがり
嗚咽してしまう
熱い涙が頬を伝わるのを抑えられなくなる
炎のように 狂おしい 涙
哀しさなのか いとおしさなのか 怒りなのか
身体の奥底から
今はもういない
たいせつなひとびとに
とつぜん
召喚された
狂おしく

召喚された

あれは
銀色のロザリオだった
黒く変色した桐の抽斗で眠り続けていたのは
幼い頃
生家の仏壇の横で
そっと手に取ったことがあった
もう
どこをさがしても見つからない

ユーラシア大陸の果てでは
蒸気した空気にかきまぜられて
混血する
広葉樹林のジャングル、
イスラム様式の建物、
アズレージョ、
野良犬たち、

ジャパン
河沿いの小さな村は
村ごと大移動した
ぐるぐると長い歴史を襤褸のように纏って
わたしたちは混血した
捧げた
河岸段丘の底
すり鉢状の土地を ダム湖のために
新しい歴史のために
昭和のキャピタリズムのために
跪いた
混血した

やがてそのダム湖にセシウムが容赦なく降り注ぐなんて
誰が予想しただろう

わたしたちは捧げた
跪いた
その、
キャピタリズムに

長い歴史を襤褸のように纏って
わたしたちの巡礼は
昏く
続く

深夜
ファティマから
バスを乗り継いでリスボンに到着する
雨に濡れた石畳の坂を
連れの男と並んで登って行く

 
 

※「連作・ふづくらシリーズ」より

 

 

 

黄浦江(こうほこう)

 

長田典子

 
 

ゆうるりゆったり曲がる
蛇行、
メアンダー、
いいなぁ
だこうって
いいなぁ
ねぇ、カコ、
はずんだ声で
オリエンタルパールタワーから黄浦江を見下ろす
銀行員だったカコは
パンフレットを片手に
あれが
ジンマオタワー、
ファイナンシャルタワー、と真剣に確かめている
案内のリーさんがケイタイをとり
メイファンの試験はうまくいきました、とエイ語で報告してくれた
彼女は黄浦江の対岸の大学院で難しい試験をひとつ終えたところ
だこう、ゆうるり曲がって まるまってメアンダー、
リーさんはメイファンのクラスメイト
来月からリーさんはアメリカに、メイファンはベルギーに
交換留学生で出かけてしまう
難しい試験を終えたメイファンの胸の晴れ間が
カコとわたしとリーさんを包み込む
ゆうるり まるまると
だこう、メアンダー、

きょうは
河沿いのワイタンを歩いてから
エレベーターで上昇し
ゆうるり、まるまると、螺旋階段を昇り
東方明珠電視塔、オリエンタルパールタワーの
地上351メートル
展望台にいる

ゆうべ泊まった五つ星ホテルのベッドで見た夢は
広い野球場のマウンドで
大勢の人に胴上げをされている夢だった
わぁーっ、と大きな声で寝言を言ったよ、
カコが長い髪をとかしながら教えてくれた

ああ、これが蛇行、メアンダー、と
橋の上から見下ろしたのは
ずっとずっと前 高1の夏
地理の授業で
蛇行すなわちメアンダー、と知って
部活の帰り
近くの河で写真を撮った
身体の奥深い場所で雷鳴が轟いた
旋回しながら落ちていった
ふかく ふかく
あれ以来
アラスカ、ミシシッピ、四万十、ハドソン、アマゾン、テムズ、
テレビや地図 旅先で 飛行機の窓から
蛇行する河を見かけるたびに
16歳の制服を着た少女になり 体内で遠雷が轟く
ときに写真に残した

巻き上がる
遠雷、蛇行、メアンダー
轟く
黄浦江の流れは
ゆうるりゆうるり90度に折れ曲がり
試験を終えて駆けつけた
メイファンと合流する
展望台の隅の土産物屋で翡翠を物色するわたしに
パールがいちばんいいね、とメイファンがニホン語で言う
耳には大粒のパールのピアス
きれい
東方明珠電視塔、オリエンタルパールタワー、
ニューヨーク、わたしはメイファンにニホン語を教えていた
マンハッタン、カコとは同じ語学学校だった

地上351メートルの透明ガラスの床の上
上海、
市街地の上空
カコ、
リーさん、
メイファン、
わたし、
それぞれに違う大きさ
違う靴の
片方を載せ
四葉のクローバーの形にする
写真を撮る

ウィチャットで送り合おうね
まるまると まあるく
蛇行した河から上昇する気流はやがて竜になる
空を旋回する
ゆうるり まあるく まるまると
カコ、
リーさん、
メイファン、
わたし、

 

※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

水のひと

 

長田典子

 
 

ひとびとが並んで登って行く
坂道
いまにも雨が降り出しそうな
暗い 霞んだ
崖の淵を
かみだれ ひらひら かぜに舞い
水色の装束のひとびと
そろそろ 進む
靄に浮かぶ四角い木の箱
ぐらぐらゆれて
そらに向かう船のよう
あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆら灯し

けんろくさんだ
ひいじいさんだよ
おむかえがきたんだよ

船は靄のなかをそろそろ進み
進み
いまごろ
とがり山の8合目
夜中に目が覚め
ふとんの中で
思いだす
けんろくじいさんは四角い船で
おそらにおでかけ
あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆら灯し

かみだれ ひらひら かぜに舞う
なんにちなんねんいくせいそう
めぐりめぐりて

あかい火 あおい火 きいろい火
ゆらゆらゆれて
ひとり ふたり さんにん と
ひとびとは 崖を上に上に登って行った
それぞれの火を残したままに
ばらばらに
おむかえもなく 船もなく
そらではなく
電気の町へ

村は水底(みなぞこ)にしずみました

かみだれ ひらひら
なんにちなんねんいくせいそう
めぐりめぐりて

あかい火 あおい火 きいろい火
靄でかすんだ水底で
灯っている
水中火(すいちゅうか)
泳いでいる

けんろくじいさんは
水底にもどっているそうです

電気の町で
溺れたひともいるそうです

 

※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

お祭り

 

長田典子

 
 

ててんつく ててんつく どんどんどん

わっしょい わっしょい
いつもいっしょの男の子たちが
遠くで神輿をかつぐ
わっしょい わっしょい
まるく発光する庭に反射する
みしらぬ人の
わっしょい わっしょい

とつぜん知った
せかいのそとがわ
薄暗い座敷で
わんわん泣いて じだんだふんだ
さけびながら じだんだふんだ
あたしもお神輿かつぎたかった
泣きながら でんぐりがえり
でんぐりがえり

ててんつく ててんつく どんどんどん

猫がねずみを咥えて
庭に座る
まるいライトのまんなかに
まだ震えてるねずみを置いたから
ひきだしの箱にしまったよ

ててんつく ててんつく どんどん
ぴーひゃらひゃら
どん

裸電球 麦わらの匂い
秋祭りの夜
はちまんさまのお座敷は
うすぼんやりの幻燈だ
男衆の和太鼓どんどこどんどこ
お稲荷さん食べて おだんご食べて
あたしはでんぐりがえる でんぐりがえる
月はぴかぴか光っていたよ
ススキは穂を銀色にゆらしたよ

わっしょい わっしょい
でんぐりがえる

そらいちめんの星きらきらきらら
山羊が草の葉裏に赤い実みつけて口に入れる
朝になったら
あたしはひろうよ ひみつの黒曜石

ててんつく ててんつく
どん どん どん
わっしょい わっしょい
でんぐりがえる

お祭りだ
猫もねずみも山羊もでんぐりがえれ
スポットライトのまんなかで
お稲荷さん食べて おだんご食べて
月も星もススキもでんぐりがえれ
お祭りだ
黒曜石のお祭りだ

わっしょい わっしょい
どん どん どん

 

※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

冬の水位 祈りとしての

 

長田典子

 
 

あなたたちの涙は
とつぜん
冬の水位として移動する
続く血脈をたどり
伝えよ、と
頭蓋に滴るので
悲しみが込みあげてしまうのだ
寒いでしょう…冷たいでしょう…
結露する窓枠
見る見えない津久井の山々
青く霞む稜線が
疾うに失われた地名へとみちびく
津久井町中野 字不津倉(あざふづくら)
湖底の墓地に今もまだ横たわる
置き去りにされなければならなかった
あなたたちのことを
伝えよ、と
冬の水位
滴るので
窓は ここで
永遠に結露する

 
 

※初出神奈川新聞の原稿を改稿
 
※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より