今井義行
睡眠導入剤を 飲んでいても
午前三時には ベッドを出る
わたしのこころはいつだって
弾んでいます 起毛の速さで
明かりは灯さないのがすきだ
手探りの感触に艶があるから
「早朝覚醒」は異状じゃない
ってことを実証していくんだ
交感神経の昂揚── それは
希望の時刻を待ち侘びる自然
健康を示唆する、と言われる
≪既定値≫ それは
此処では 「真実」 ではない
睡眠導入剤には 種が含まれている
麺麭が 発酵するような 種が──・・・・・
夜明け遥か黒光り繁茂する場
鎮まりかえった 部屋の膜間
此処では 脳髄が 転倒をする
意味なんて捻ってしまうんだ
わたしは、わたしの日常だけは、カスタマイズするんだ
それは普遍に関わっていること「人」人にはそれぞれの
呼吸の仕方 そのときの姿 輪郭が在るんだよってこと
連綿とつづく 「早朝覚醒」、それは 永遠の綿畑 ──
地平線まで輝く 常緑の低木 綿の樹々に 季節が廻り
渇いたその種から現れた無限のふわふわまるい純白の綿
綿畑は白で埋るというが脳内跨ぎで緑の綿毛の球面地帯
わたしが 蒲団に居た 短い眠りの あいだに
六畳間の畳は 常緑の綿畑の 球面宇宙に 覆われ 生育していた幸福
永遠の、綿畑 ── evergreen
わたしは 球面の感触を 頼りにして
べんじょへ行って べんは排泄せずに
とても 浅かった「早朝の夢」の 結石を捨てる
それから ──・・・・・
コンピュータを起動
闇が、ひかるひかる
コンピュータの画面
に陽射しが踊ってる
画面のひかりが 綿になって へやに 噴きこぼれる
永遠の綿畑 常緑の その空間の 彼方まで 入っていくよ ── evergreen
「言葉」を さまざまに
置いては崩し また
置いては崩し かたちを創っていくのです
永遠の綿畑 常緑の綿の 球面宇宙を 遊泳しながら 言葉を 摘むんだ
「早朝覚醒」は 言葉織る 時間なんだ
キーを叩き変換し 初めて出会う物達
その場こそ 覚醒なのだ
わたしの 今日 それは
その時間を満喫しようと
する事から異化されます
「早朝覚醒」の 温みを
朝の御飯にすることから
「いただきます」 摘んだ言葉 ひとつひとつを 溶かした バターで 味わう
≪プログラムの関連付け≫という 言葉が しばしば 画面に表示されています
無意識の関連付けが 詩に
意識化の関連付けが 詩に
対象化の距離感覚が 詩に
錆びた技術の駆逐が 詩に
そして 朝陽の 地上に 立たないと
わたしは 今日に現れない
わたしは 在っていこうとして
無心に 画面と抱き合う
書き直して、 読み直して、
ことばを 保存しては
それを繰り返して、やっと
落ち着ちいて 平和的な息をもらす
ほうら・・・・・・・・・・・・・・・・・・
衛星の高さからイメージしてみよう
わたしは居るが 居ないにひとしい
居ないにひとしいが
接近していくと わたしは居るのだ
地上には ≪ Ashes To Ashes ! ≫
なんて曲もあり人間流砂はうごめく
灰から灰 輝いている、輝いている、*一部歌詞対訳
灰から蜜 輝いている、輝いている、
あたらしい生が いつも、生きたいと願ってる
思い出されてくるのだった──・・・・
いまは 梅の枝は盛り
散歩道の 一軒の住宅の 塀に
鉢物の 白梅が飾られていた
顔を 近づけ 匂いを かいだ
わたしは
その白梅の一枝を 手折りはしなかった
けれど・・・・・・・・
網膜に それを
保存していって
瞬間保存した儘
忘れない内に書いておこうと
心から 想った
それは 春めいた 慎ましさ だったので
忘れない内に 残像の言葉
詩に 書いて おきたいと
言葉、書いて おきたいと
「し」は しあわせの「し」
「し」は しあわせの「し」
「詩」は しあわせの「し」
そんな想いがあるから 永遠の綿畑に ごろごろ転がって
パジャマが 真みどりの 毛玉だらけに なったって
再起動して、 再起動して、 再起動して、
セカイ ノ 画面からは 欧州からの 報せもおとずれる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【 2016 0110 】 英国の伝説的なシンガー
D・ボウイが 急逝したんだって、ね
米国では 必ずしも大きな成功をした訳では
ないのに 遺作は全米チャート 初登場一位
「駄目になった」と 散々に扱われてたのに
購買層 って、 げんきん だね
突然死 って、人を 神格化する
わたしは D・ボウイの未発表の音は聴きたい
死の前までに幾つものテイクがあっただろう
未発表の音は アレンジで捏ねられず
簡素な試行 或いは照笑い
或いは 苦笑いのもとに
囁きのような ナチュラルなヴォイシング
が 潜んでいることが多いんだ
商品にはなれなかったものを聴きたいのだ
ひっそり暮してるだけさ
淡々と 情熱を持続させ
「詩」を 立たせないと
わたしは日々を失うから
午前8時を 回った──
六畳間がいよいよ光っていって わたしはカーテン、窓を開けた
真冬の空は 壮大な円弧を描き 蒼の高速道路が 多層の螺旋を
重ねていた── あの路からは 何処へでも行けるのではないか
ヒトデのかたちをした 飛行機が 空をわたっていった
雲の海を まっすぐに 通り過ぎていった
ああ、もう一度だけ 蒼の高速道路に 乗って 湘南に還りたい
煩雑なTOKYOと 隣接していながら 海風にのんびり育てられた
わたしは。窓から 高速道路を 流している タクシーへ 合図した
≪ SYONANまで──≫
四季の折々に 固まりだった
わたしの 核家族は
神奈川県 藤沢市を基点に
しろい 細糸を伸ばす
国道路線図のように
散り散りになっていったんだ
母は藤沢市・丘陵の団地
亡父は豊島区の墓地のなか
妹は名古屋県・知多半島寄りの
自動車の 製造業圏
わたしは 江戸川区
荒川の傍 平井のアパート
みんな ばらばらに
かろうじて 細い糸で
霊的な通信を取り合っている
≪元気にしてる ? ≫
手をのばし揺らしていながら
≪家族の結び目って
それは本当に絆 ? ≫
わたしは独り者だけれど
それもまた核家族となるのか
独りの 核だから
抑えるものはなにも無い
資産を残す必要など無い
形見を残す必要など無い
墓石を残す必要など無い
家族、その子孫って なんだろう 蒼の高速道路、多層の螺旋、走って、走って・・・・・、
着いた その街は 波の寄せる 湘南、ではなかった
その街は・・・・・・ 球面宇宙に 覆われた 真鶴だった
真鶴の海のいろは 湘南の海のいろより 濃い
同じ相模湾に面していても 西ほど漁場が匂う
その街には わたしの 友人夫婦が住んでおり
彼は真鶴から東海道線で横浜銀行本店に勤務
長男23歳と長女19歳の 4人で暮らしていた
≪永井くん、急だけど 会ってみたくなった≫
何ひとつ 約束してなかったので 電話して
わたしは 彼らの自宅へ行き30年振りに会い
お茶を飲み「時間て速いな」等お喋りをした
友人夫妻は一様にわたしにこのような事を語った
「長男は細かなことを気にする子で まぁ緻密、
長女はおおらかすぎるほどの子で まぁ大胆」
わたしが「健康な子どもたちに恵まれたね」と
言うと 友人夫妻は一様に首を横に振るのだった
友人夫妻が言うには──「ほんとうは
長男の気質と長女の気質を足して2で割ったら
ちょうど良かったんじゃないかと思う」
「あるいは長男が女で長女が男に生まれて
きた方がうまく生きていかれるんじゃないか」
「そんなことはないんじゃない」とわたしは
言った たしかにわたしも長男で妹が居り
友人夫妻と同じようなことを親から何度も言われた
性格をくらべてみれば不可解という話ではないが
≪すきにヒトを造って 更に何をもとめる?≫
≪わたしからは まあまあの 人生と思える≫
と いうのが わたしの 言い分だった ──
≪その子たち は 愛の結晶、では ないの?≫
それから わたしは タクシーで バスターミナルに 向かった 蒼の高速道路、
多層の螺旋、走って、走って・・・・・、
バスターミナル のサンルーフから
あおぐと
2015の 夏のなごりの
空の
青さの
ちから
わたしは バスに乗って
降りた処は
── ここは、湘南か・・・・・?
バスターミナルの
ベンチに
数人の
少女たちが
きれいにならんですわっていた
── 人魚・・・・
── 人魚・・・・
── 人魚・・・・
蒼空と人魚たちの絵すがたが
そこには
おおきく
ひろがっていたのだった
舗道のカーヴミラーに映る
煉瓦の階段
辛子色の 落ちた葉の群れ
鳥たちの かわす
声音が成す テトラポッド
坂道をしたまで 降り行く
木綿の 衣服 の わたし
木綿・・・・ 永遠の綿畑 ── evergreen で
パチンコ店「パラッツオ」
ボード、 載せた VOLVO
わたしは 各駅停車の 小田急線に 乗りこんだ
「藤沢」までの 車窓の風景を ぼうと眺めてた
風の中 雲のような みどりの綿が 舞っていた
駅前の 南口の 周辺は
年に 一度の 市民祭り
デッキから見わたす市街
あふれかえる 市民たち
軒をつらねているテント
ステージでは
10代の女の子達のダンス
噴水の 隣りでは
路上のギターの ライヴ
信州からの出店には
冬映え、という名の林檎
地元産の お土産屋には
ふくろづめの
「しらすラスク」
がいっぱい積まれていた
ふふふふっ。 ≪ SYONANまで≫ 来てしまった
湘南 蒼浜には しぶきが 泡立っているだろう
けれど、老母居る筈の団地は 解体工事中だった
またしても一大交響詩を聴いたような思いです。
「商品にはなれなかったものを聴きたいのだ」に共感。音楽もそうですがその他の発表されなかったいわゆる習作にも心惹かれるものがありますね。
佐々木さん、コメントをどうもありがとうございます。《一大交響詩を聴いたような》・・・・・・とても嬉しい言葉です。詩が、聴こえたのなら、嬉しい限りです。
「商品にはなれなかったものを聴きたいのだ」という一行に反応して頂けたことは、大きなことです。残念なことに、いまの段階では、それらは表現者の死後、商品化され、人が群れます。