書けば、形になる。
── わたしを育ててくれた洋楽への短い考察

 

今井義行

 
 

プロローグ

詩は、それまでの、或いは現在の、作者の体験から生まれてくるものだと思うけれど、そして、それは概ね作者の読書体験であることが多いように思うけれど。わたしも或る程度は読書体験はしてきたものの、わたしは読書がどうにも苦手なので、その内容は殆ど忘れてしまった。

それでは、わたしが何から影響を受けてきたのかというと小学生から現在に至るまでの、洋楽鑑賞だと思う。ただし、わたしは洋楽鑑賞マニアではないので、有名なミュージシャンについてしか語ることはできない。それでも、「書けば、形になる。」と信じてエッセイとして、書き残しておくことにした。(登場するミュージシャンの名前は順不同。また、わたしの記憶に基づいた記述であるため、間違いがあるかもしれない。)

 

● ローリング・ストーンズについて。

言わずと知れたビートルズと並ぶイギリス出身のバンド。だけれど、ブルース・ベースの曲が、あまりにもキャッチーでないため高校生まで、その良さが殆ど分からなかった。

ところがなぜか大学生になってから、そのグニャグニャしたグルーヴに、すっかり飲み込まれてしまった。

アルバムは1960年代末からの「レット・イット・ブリード」から1976年の「女たち」までは名盤続きで、1枚に絞り込むなどできない。

ちなみに有名な「スタート・ミー・アップ」を含む1980年の「刺青の男」は、過去に録音した曲の寄せ集めであるため、かなり大味で名盤とは言えない。

ところで、ギタリストにミック・テイラーが在籍していた時代が、ローリング・ストーンズの最盛期だったことはよく言われることだ。ミック・テイラーが脱退した後、誰が後任になるかについてジェフ・ベックという噂が出た。ジェフ・ベックを見かける度に「吐きそうになる」と言っていたキース・リチャーズの発言からして、さすがにそれはないだろうと思ってはいたが、まあ無事に後任ギタリストは人柄も穏やかだと言われるロン・ウッドに収まった。ロン・ウッドならバンド内の不和も和らげられるだろうから最適だと思った。

ところでバンドの最年長のチャーリー・ワッツは常々「ローリング・ストーンズは会社のようなもの。わたしはローリング・ストーンズの社員なんだよ。」と言っていた。そのチャーリー・ワッツがミック・ジャガーを激しく殴りつけたことがあるという。ミック・ジャガーがチャーリー・ワッツに向かって「俺のドラマー。」と言ったからだ。チャーリー・ワッツはミック・ジャガーの傲慢に向かって「2度とわたしのことを、俺のドラマーなんて呼ぶな。呼んだらタダじゃおかない!」と叫んだのだ。

もう10年に1度くらいしかオリジナル・アルバムをリリースしなくなってしまったローリング・ストーンズだけれど、現在ニュー・アルバムを制作中だと聞く。ローリング・ストーンズは、どこまで転がり続けるのだろう?わたしは、ローリング・ストーンズは解散などせずに、自然消滅していくような気がしている・・・。

 

● マイケル・ジャクソンについて。



マイケル・ジャクソンは、ソロ・アーティストして、群を抜いて大成功を治めたミュージシャンであると思う。わたしは、マイケル・ジャクソンが、本当に好きである。

1970年代後半に、「オズの魔法使い」が原作で、黒人キャストだけで制作された「ウィズ」というミュージカル映画があり、音楽監督はクインシー・ジョーンズだった。主役のドロシー役は、ちょっと歳の行き過ぎたダイアナ・ロスで、そして、かかし役がその頃10代後半だったマイケル・ジャクソンだった。

映画は、ブリキマンやライオンやかかしたちが踊りながら去っていく場面で終わるのだが、マイケル・ジャクソンが演じるかかしのダンスだけが突出していて驚かされたものだ。

多くの人たちが、クインシー・ジョーンズがマイケル・ジャクソンを見出したと思っているようだが、実際はその逆で、ソロ・アーティストとして低迷していたマイケル・ジャクソンが、クインシー・ジョーンズに「僕の音楽プロデューサーになってくれないか?」と持ちかけたのが、事の始まりだ。そこには、マイケル・ジャクソンの目利きぶりが、早くも、顕著によく現れている。

その後は、誰もが知っての通り、クインシー・ジョーンズがプロデュースした「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」という大ヒット・アルバムが続くが、わたしは、そのどれもが嫌いである。殊に世界で5000万枚を売り上げ、今でも売れ続けているという「スリラー」は、とても嫌いだ。

「スリラー」が大ヒットした1984年当時は、MTVが台頭してきた時代であり、視覚的に誰もがマイケル・ジャクソンを観られるようになっていた。マイケル・ジャクソンのパフォーマンスが神がかっていた事もあるが、また黒人アーティストとして初めて白人アーティストのエドワード・ヴァン・ヘイレンやポール・マッカートニーを起用した事もあるが、とにかく歌詞が幼稚過ぎた。それが5000万枚ものセールスを挙げたというのは、子どもから高齢者までが楽しめる音造りと内容だったからではないだろうか?

わたしがマイケル・ジャクソンを本当に天才だと思ったのは、マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズの手を離れて制作した「デンジャラス」からである。このアルバムでは、もの凄くお金をかけて錚々たるサウンド・クリエイターを掻き集めて制作された作品である事は明白だったが、そして並のミュージシャンだったならば、彼らの操り人形となってしまうところだが、マイケル・ジャクソンの場合は例外的にそのような事は超越していた。このアルバムでは、錚々たるサウンド・クリエイターと天才マイケル・ジャクソンとがぶつかり合う奇跡的な作品となっていた。

そして「デンジャラス・ツアー」の出来がまた素晴らし過ぎるものだった。人類にでき得る最高のものを創出したと言える。
ところで、マイケル・ジャクソンは、見れば明白だと言うのに、何故「自分は、整形などしてはいない」と否定し続けたのだろうか?人間誰しも老化していくというのにそれに徹底的に抗ったという事なのだろうか?天才のする行為は本当に不可解という他ないが、マイケル・ジャクソンの顔が段々と崩れていくのには揶揄されても仕方のないようなところもあった。
マイケル・ジャクソンが50歳を迎えたとき、マイケル・ジャクソンはロンドンのアリーナでコンサートをすると記者会見をして、「THIS IS IT!!(やるぞ!!)」と大きな意欲を見せた。ところが、その後、マイケル・ジャクソンは急逝してしまい、ロンドンでのアリーナ・コンサートは、無くなってしまった・・・マイケル・ジャクソンのこの死には諸説あるようだけれども、わたしは「暗殺」だと思っている。マイケル・ジャクソンを生かしておいてはならないという巨大な謎の勢力が、確かに存在していたに違いないと思うのだ。


 

●クイーンについて。

クイーンは、フレディ・マーキュリーのエイズによる45歳という若き死を以って神格化されたバンドだという評価が固まっているようだが、本当にそうなのだろうか?クイーンは確かに巧いバンドなのだが、リアル・タイムで中学生の頃からクイーンのアルバムを聴き続けていた者には、どうにも違和感がある。

クイーンの人気は日本から火がついたもので、クイーンのメンバーも大の日本びいきであり、またメンバーのルックスも良かったので、とにかく女子中学生の間で爆発的にアイドルとして人気が出た。当時のアイドル・ロック・バンドを中心に発行されていたミュージック・ライフの人気ランクでは常にクイーンの各メンバーが首位を独走していたのを覚えている。それ故、男子のロック・ファンからは、クイーンを聴いている奴らは情けないという事になってしまいわたしと妹は、密かにクイーンを聴いていた・・・

クイーンのアルバムでは、あまりにも有名な「ボヘミアン・ラプソディ」を含むサード・アルバム「オペラ座の夜」が最高傑作と言われているようだが、それにはあまり異論はないのだけれど「オペラ座の夜」は多彩な種類の音楽から成り立っているためロック・アルバムとしての最高傑作を挙げるとすれば、ヒット曲「キラー・クイーン」を含む、セカンド・アルバムの「シアー・ハート・アタック」ではないかと思う。このアルバムでは、ブライアン・メイのギター、ロジャー・テイラーのドラムス、ジョン・ディーコンのベース、フレディ・マーキュリーのヴォーカル、その全てが絡み合って、見事なロック・アルバムになっていると思う。
フレディ・マーキュリーの45歳でのエイズによる早逝は、「早すぎる才能の死を悼む。」という論調、或るいは「可哀そう。」という論調も含まれていたと思うが、わたしは、前者の論調には同意するものの「可哀そう」という見方には、大変な違和感を覚えてしまう。
わたしは、フレディ・マーキュリーの人生の選択肢には、2つあったように思われる。1つ目は「ファンのためにも、ヴォーカリストとして末永く歌い続ける。」という事、もう1つは「性的嗜好として個人的な男色家としての人生を愉しみ切る。」という事。フレディ・マーキュリーは後者を選択したという事だ。セーフ・セックスなど一切心がけず、あくまでナマでの性行為に没頭し、エイズに感染したという事は、アナル・セックスを好み、精液を直腸に注ぎ込まれる事に至福の喜びを感じたという事で、そのセックスには微塵の後悔などなかっただろう。わたしは、この事についてはフレディ・マーキュリーに拍手を送りたい気もちだ。

わたしが社会人になった1986年は、アメリカからエイズが上陸した年で、「せっかくこれからセックスを愉しもうと思っていたのに、すっかり水を差されてしまった。」という落胆でいっぱいだった。この事は、つまり自分で自分の命を守ろうとする事であり、数十年経って、今やコロナ禍で世界は大騒ぎ。わたしには、表現活動を続けていきたいという願いがあるにしても、マスク着用、手指のアルコール消毒、手洗い、うがいの励行・・・というように、未だ自分の命を守るために、ちまちまと努力しているわけである。必要な事なのかもしれないが、何だか情けない人生を送ってきてしまったような気も何処かに持っているような気もする・・・

フレディ・マーキュリーは、ヴォーカリストとしても素晴らしかったと思うけれど、自分の人生を例え短命でもきっちり謳歌したという点で、尊敬に値すると、わたしは思うのだ。


 

● カーペンターズについて。


わたしが小学校4年生のときに、自分のお小遣いで初めて買った洋楽のレコードが、カーペンターズの「シング」だった。本当は「イエスタデイ・ワンス・モア」のシングルが欲しかったのだけれど、売り切れだった。1973年当時の日本は、空前のカーペンターズ・ブームで湧いていて、武道館での来日公演のチケットの申し込みはビートルズを超えたと大きな話題になっていた事をよく覚えている。もちろん本国アメリカでもヨーロッパ各国でもカーペンターズは大人気だった。

カーペンターズは、作曲家バート・バカラックの流れを汲むアーティストで、1969年のデビュー以来、プロデューサー兼アレンジャーの兄リチャード・カーペンターとヴォーカルの妹のカレン・カーペンターと共にハーモニーの美しいカーペンターズ・サウンドを造形していき、セカンド・アルバムに収録されていた「遥かなる影」のビルボード・チャート1位をきっかけに、アルバムのリリースを重ねていくごとにそのサウンドは洗練されていき、多忙なツアーの合間に制作されたとはとても思えないアルバム「ナウ・アンド・ゼン」でそのサウンドと人気は頂点を極めた。何よりアルト・ヴォイスが大変に魅力的で英語の教材にもなったというカレン・カーペンターのヴォーカルの魅力がカーペンターズ・サウンドの中核を成していたのは確かだが、リチャード・カーペンターのカレン・カーペンターのヴォーカリストとしての才能を活かし切るプロデューサー兼アレンジャーの仕事振りも実に的確なものだった。あまりにも有名な「イエスタデイ・ワンス・モア」が弱冠20歳のカレン・カーペンターの歌唱力で発表された事には今でも驚きを禁じを無い。

リチャード・カーペンターは常々カーペンターズ・サウンドとは「タイムリー・アンド・タイムレスにある」のだと語っていたのだが、その意味は、後にファンが知る事となった・・・
ポップ・グループが避ける事のできない人気の少しづつの凋落も、アルバム「ナウ・アンド・ゼン」の発表後、3年振りにリリースされた「ホライゾン」あたりから明確になっていった。このアルバムからは明るい曲調の「プリーズ・ミスター・ポストマン」がシングル・カットされ、見事にビルボード・チャートの1位に輝き、そのポップ・サウンドとしての出来栄えは実に素晴らしかったものの、それまでのカーペンターズの魅力が、片思いの女性の心情を切々と歌い上げる事の魅力が中核を成していたにも関わらず「プリーズ・ミスター・ポストマン」は万人狙いとも言えるファミリー・レストラン的なヒット曲として成功してしまったため、その後が続かなくなり、人気の凋落が始まってしまった。そして、若すぎるカレン・カーペンターの拒食症による1983年の32歳での若すぎる死は、カーペンターズ・サウンドの終わりを告げるには、あまりにも凄惨過ぎた。

後に日本で制作されたテレビ・ドラマ「未成年」では、カーペンターズの「青春の輝き」という曲が主題歌として用いられ、テレビ局には「カーペンターズのニュー・アルバムはいつ発売されるですか?」「カーペンターズの来日公演は、いつ行われるのですか?」という問合せが殺到して、カーペンターズのベスト・アルバムは瞬く間にオリコン・チャートを駆け上がり、200万枚もの売り上げを記録して、社会現象にまでなってしまった。アメリカのビルボード・チャートではこの曲は25位でとどまっていてヒット曲にはならなかったのだが、この曲の日本での成功により、「青春の輝き」は、日本では「イエスタデイ・ワンス・モア」を超えるものとなった。
ここに、リチャード・カーペンターが公言していた、カーペンターズ・サウンドとは「タイムリー・アンド・タイムレスにある」という言葉が証明される事となった。未だに、少なくとも日本に於いては、カーペンターズの代表曲は「青春の輝き」であるとされ、いつまでも聴き継がれている。

 

● ビー・ジーズについて。


ビー・ジーズは1970年に日本で公開され、大ヒットとなった映画「小さな恋のメロディ」で用いられた「メロディ・フェア」や「若葉のころ」によって、白人ポップ・グループとして認識されていると思うのだが、その本質は白人ソウル・グループとしての才能にあると思う。やはり「小さな恋のメロディ」で用いられた「トゥ・ラヴ・サムバディ」という曲は、元々飛行機事故で亡くなってしまったオーティス・レディングに向けて制作されたものだったと言う。
その後、人気の浮き沈みを乗り越えながら、やはり大ヒットした映画「サタディ・ナイト・フィーバー」の音楽を全面的に担当して、ファルセット・ボイスを駆使した独特のヴォーカル・スタイルで世界的にディスコ・ミュージックのブームを巻き起こす事となったわけだが、このときの音楽プロデューサーがアレサ・フランクリンの名盤「スピリット・イン・ザ・ダーク」を手掛けたアリフ・マーディンであった事は重要な事だ。

ビー・ジーズが1970後半にヒット曲を立て続けに発表した頃、そのファルセット・ヴォイスには賛否両論あったようだが、わたしはその後に登場する事となる若き日のプリンスの最初期のアルバムに見られたファルセット・ヴォイスにその影響が顕著に現れていると考えている。

また、ビー・ジーズは黒人アーティストへの楽曲提供も盛んに行なっており、ダイアナ・ロスに提供された曲も、ディオンヌ・ワーウィックに提供された曲も、軒並み大ヒットを記録していた。
わたしは、ビー・ジーズの横浜アリーナに於ける来日公演を聴きに行ったが、初期のヒット曲からディスコ・ミュージック時代までの曲が立て続けに披露され、その1連の流れが全く違和感を感じさせなかった事に、やはりビー・ジーズは、白人ソウル・グループなのだという思いを確信した事を覚えている。

その後、ディスコ・サウンド・ブームの終焉とともに、また3人のメンバーの内、2人のメンバーが亡くなってしまった事により、ビー・ジーズは自然消滅した形になっているようだが、ビー・ジーズが世に送り出した楽曲の数々は、記録として残っているばかりではなく、人々の記憶に残るものとなっているように思う。


 

●ボブ・ディランについて。

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した事は、まだ記憶に新しいところだが、ボブ・ディラン自身は受賞式には出席せず、代わりにパティ・スミスが受賞式に出席して、見事にボブ・ディランの「激しい雨が降る」を歌い上げ、人々に感銘を与えた事は記録に残る事だと思う。ボブ・ディランもパティ・スミスも、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞には、ノーベル賞の話題作りだと気づいていたと思うのだが、パティ・スミスの受賞式への出席は、ボブ・ディランへのリスペクトそのものだったと言える。その頃、当のボブ・ディランは、劣化した声で「ネバーエンディング・ツアー」なるものを続けていたようで、アメリカの何処にいるのかもわからず、連絡がつかなかったようで、老境に達しながら「何をやっているんだ。」という具合で、気まぐれというか、何処か可愛らしいというか(笑)、実にしょうもない男ではある・・・

ボブ・ディランは、フォーク・ソングの先駆け、ウディ・ガスリーの影響を受けて、プロテスト・ソング「風に吹かれて」や「時代は変わる」などを発表して、フォークソング・ファンに熱狂的に迎えられたが、その後、歌の巧いモダン・フォーク・グループ、ピーター・ポール・アンド・マリーにより、それらの曲のメロディ・ラインがとても美しい事が認知され、ヒット曲にもなった。
1960年代半ば、ボブ・ディランがアコースティック・ギターからエレキ・ギターに持ち変えて活動を始めたとき、かねてからのフォークソング・ファンからは激しい罵声を浴びる事となったのだが、そんなときにリリースされた「ライク・ア・ローリング・ストーン」という6分近い曲は、全米で広く受け止められ、ボブ・ディランにとって、初のビルボード・チャートの1位を記録する事になったのだった。

フォークソング・シンガーがアコースティック・ギターからエレキ・ギターに持ち変え、フォークソング・ファンから罵声を浴びるという現象は日本にも飛び火して、岡林信康や吉田拓郎がそのような体験をしたわけだが、吉田拓郎の「結婚しようよ」が大ヒットしてしまった事により、「ライク・ア・ローリング・ストーン」が受け容れられたように日本のフォーク・シンガーたちも一般に受け容れられる事になったのだった。

1978年にボブ・ディランが初の来日公演を行なったとき、演奏スタイルを次々に変えてしまうボブ・ディランは、派手なラスベガス・ショーのスタイルで演奏して、聴衆を戸惑わせた。そのとき聴衆の1人としてボブ・ディランの演奏に接した美空ひばりからは「岡林信康の方が遥かに良い」と言われる事ともなったのだった。その発言には、美空ひばりが岡林信康から2曲の作品を提供されていた事も関係していたといういきさつもあるのではないかとも思われる。

ボブ・ディランの活動の全盛期はビートルズをも嫉妬させたという、1960年代末のアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」から1975年のアルバム「欲望」までとされ、殊に「血の轍」は最高傑作とされているようで、わたしはその事に何の異論はないけれども、わたしにとっての愛聴盤は地味なカントリー・アルバム「ナッシュビル・スカイライン」で、1曲目のカントリー界の大御所ジョニー・キャッシュとの掛け合いによる曲も何の遜色もなく、見事なものとなっている。
デビューから現在に至るまで、ボブ・ディランのフォロワーは後を絶たないが、当のボブ・ディランは「ネバーエンディング・ツアー」で、今頃、アメリカの何処にいるのだろうか・・・?

 

●デヴィッド・ボウイについて。

2016年に(もう、そんなに経つのか)デヴィッド・ボウイが亡くなって、レディ・ガガが先頭に立って、追悼集会を行なったり、遺作となったアルバム「ブラック・スター」がビルボード・チャートの1位になったりしたときも、わたしはデヴィッド・ボウイの長年のファンだったにも関わらず、あまり大きくは心が動かなかった。

10年ほどアルバムのリリースがなかったので、どうしたのか、と思ってはいたけれども「地球に落ちてきた男」とまで言われていたデヴィッド・ボウイでさえ、癌で69歳で亡くなってしまうのだな・・・とは漠然と思った。
リリースされたアルバムは殆ど買い揃え、デヴィッド・ボウイの生涯を辿ってきたわたしは、デヴィッド・ボウイから多くの事を学んできたように思う。
知っている人は多いと思うが、1972年に、「ジキー・スター・ダスト」というキャラクターを自らに与えてイギリスのグラム・ロックを牽引したデヴィッド・ボウイ。顔に独創的なメイクを施し、山本寛斎デザインの衣装に身を包み、そのパフォーマンスは多くのオーディエンスを虜にした。何よりもとにかく「1番初めに挑戦してみる。」というアーティストとしての姿勢に魅了された。

デヴィッド・ボウイは、そのような派手なパフォーマンスをしながらも、インタビューでは次のように答えている。「わたしは、ボブ・ディランのようなアーティストを目指している。あくまでアルバム・アーティストとして在り続けて、時々シングルのヒット曲を出すような・・・。」
実際デヴィッド・ボウイは、「アラディン・セイン」「ダイアモンドの犬」などとキャラクターを変え続けて、アルバムの名盤を本国イギリスを中心にリリースし、精力的にツアーを展開しながら、時々シングルのヒット曲を出すという姿勢を貫いた。

そんなデヴィッド・ボウイではあったが、尖鋭的なアルバムを発表したのは、アルバムの制作場所をベルリンに移したり、アメリカに移したり、また本国イギリスに移したりしながらアルバムを発表した1979年のアルバム「スケアリー・モンスターズ」までに限られている。

その後、デヴィッド・ボウイは1983年制作の大島渚が監督した映画「戦場のメリークリスマス」に出演して、坂本龍一や北野武と共演したが、坂本龍一が映画音楽作曲家としてアカデミー賞を受賞したり、北野武が芸人から映画監督にも活動の場を広げていった事を考えると、デヴィッド・ボウイの俳優としての活動は凡庸であったと言わざるを得ない。
デヴィッド・ボウイは、再び活動の拠点をアメリカに移し、ヒット・アルバムの仕事人とまで言われたナイル・ロジャースのプロデュースのもと、「レッツ・ダンス」というダンス・アルバムをリリースして、そのアルバムはアメリカを中心に大ヒットしたが、その事は、アメリカでは、ダンサブルなアルバムでしか成功しないという事を証明してしまい、その後のアルバムはその2番煎じとなっていってしまい、尖鋭的であったデヴィッド・ボウイのサウンド造りの活動は、他のアーティストのダンサブルな音造りの後追いの形となってしまい、その事はおそらくデヴィッド・ボウイの死まで続いていったと思われる。
1度手を染めてしまったもので1度成功を得てしまうと、もう後戻りはできないという事をわたしは学んだ。
だからこそ、わたしは2016年にデヴィッド・ボウイが亡くなって、レディ・ガガが先頭に立って、追悼集会を行なったり、遺作となったアルバム「ブラック・スター」がビルボード・チャートの1位になったりしたときも、わたしはデヴィッド・ボウイの長年のファンだったにも関わらず、あまり大きくは心が動かなかったのである。

 

● ビートルズについて。


20世紀に最もその名を世界中に知らしめた、偉大なるロック・バンド、ビートルズの活躍振りに、異論を唱える人はまずいないだろう。リリースされたシングルは全て大ヒット、リリースされたアルバムは全て大ヒット。解散してから50年以上も経つというのに、デジタル・リマスターされた過去のアルバムその全てが今だにビルボード・チャートの上位を占めてしまう事などに於いても、このようなバンドはビートルズをおいて他に例がない。
また、10年に満たないその活動期間に於いて、リリースされるアルバムごとに、リスナーを毎回驚かすような進化が顕著だったという事も本当に大きな要素であるだろう。

そんなビートルズではあるのだけれども、わたしは、ビートルズに対しては、好きでも嫌いでもない。名曲の数々を世に送り出したビートルズに対して、わたしがそのような感情を抱く1つの理由は、単純にそれらの曲に対してのわたしの趣味嗜好によるところが大きいと思う。

とはいえ例外的に、「イエスタデイ」「ペーパー・バック・ライター」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「レット・イット・ビー」などは、あるのだけれども・・・

名曲の数々を世に送り出したビートルズに対して、わたしが好きでも嫌いでもないという感情を抱くもう1つの理由は、ビートルズが、そのキャリアに於いて、途中でライヴ活動を辞めてしまい、スタジオ・ワークにすっかり移行していってしまったという点にある。その環境の中で数々の傑作アルバムが制作されていったという事は分かるのだが、ビートルズが何故そのような選択をしていったかの理由については、彼らのファンではないわたしには分からない。

ローリング・ストーンズの大ファンであるわたしにとって、ローリング・ストーンズを好きなその最大の理由の1つは、ローリング・ストーンズがライヴ活動を重要視して、ロックの持つ昂揚感やスリリングさを非常に体現していた事にある。その点に於いて、わたしは、ビートルズに対して、何だか物足りさを感じてしまうのだ。
ビートルズがリリースしたアルバムの中でも、20世紀ポピュラー・ミュージックの金字塔と称される「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」については、各楽曲の質の高さ、各楽曲が緻密に制作されていった事などについて、十分に理解できるのだけれども、とにかく聴いていて、閉塞感が半端でなく、何だか窒息してしまいそうな感覚に、わたしは見舞われてしまうのだ。
このアルバムに影響されて、ローリング・ストーンズが「サタニック・マジェスティーズ」というアルバムを制作して、その出来栄えはなかなか良かったにも関わらず、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の出来栄えには遠く及ばなかった事、ビーチ・ボーイズの天才ブライアン・ウィルソンがスタジオに籠もって「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のようなアルバムを制作しようとしたあまり、精神疾患に罹患してしまった事などを考えると、いかに「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というアルバムが秀でたものである事は分かるのだけれども・・・
また、ビートルズのおびただしい名曲の数々が、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの競合によって、緊張感高く制作された事も、非常にビートルズの稀な成功にとって関わっている事だろう。
ビートルズが解散してからのポール・マッカートニーとジョン・レノンのソロ活動にについても見るべきところは多くあるけれども、ビートルズ時代の稀な成功には遠く及ばない。
またビートルズ解散の理由について、オノ・ヨーコがビートルズの活動に割って入ったという事もしばしば指摘されるところだが、ビートルズのファンにとっては、オノ・ヨーコの存在は本当に邪魔で仕方なかった事も想像にかたくないのだが、わたしには、オノ・ヨーコは前衛アーティストとして見るべきところがとても多い人物だと感じられる。
いずれにしても、ビートルズが20世紀に最もその名を世界中に知らしめた、偉大なるロック・バンドである事には変わりはないと、わたしは思っている。

 

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書けば、形になる。書かなければ、思っているだけで終わってしまう。そのような気もちで、わたしは、このエッセイを書いた。

 

 

 

もうすぐ誕生日がやってくる

 

今井義行

 
 

7月の半ばになると 誕生日が おとずれて わたしは 58歳に なる

「お誕生日おめでとう」とか「どうもありがとう」なんて やり取りをするのが 
苦手なので 生年月日は 非公開にしてある

還暦までに もう1回くらい 恋愛を してみたい なんて おもっても いる

病気に なって 会社を 解雇されて

わたしは 詩人に なりたかったので

ハローワークには 行かず 何回か アルバイトをした

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

わたしは 真面目に やっている つもりだったけれど

「わざと おそくやって お金を 稼ごうと して いるんだろう」と 何度も 
言われた

(── それが どうした?)  
(── それが どうした?) 

わたしは アルコールデイケアに 通っていて

まあ いろいろと あって 3か月 デイケアに 行けなかった

デイケアは 3か月 通所が 途絶えると
退所する ルールに なっている

メンバーは 看護師に 「あの人は 急に 来なくなったけど どうしたのですか?」と 尋ねたそうだけど 守秘義務が あるので 「そういう 質問には 答えられません」と 言われて わたしは 死んだことに なっている

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

まあ いろいろと あって

ようやく わたしが たどりついたのが 「作業所」 そこには わたしが 「仕事が遅い」と 皮肉を言う人は いなかった わずかだけれど 工賃も もらえた

(おおっ たどりついちゃったよ!)

「3,215」円などの 金額が とても 大きなものに おもえてしまうのが 不思議だった

(おおっ たどりついちゃったよ!)

作業所には いろいろな メンバーが いて 月曜日には グループホームから 
きている 女の娘が いる わがままで 朝から わあわあ 騒いで 手が 
つけられないのだけれど お昼ごはんのメニューを 決めるとき メンバーが 
食べたいものを 言い合い 多数決で 決めることに なっている 

その娘は 毎回 キーマカレーが
食べたいのだけれど わたしが 知る限り キーマカレーに 決まったことは なく 
その娘は 黙って 結果を 聞いている

彼女は そこで 民主主義を 学んでいるようだ

友人は 1人で 良い

友人は 「社会は 会社より 広い」と わたしに 言った

いま 疫病が 蔓延していて 解雇される人や 閉店せざる得えない商店や 家賃を
払えなくて 行き場を 失っている人たちが 多いと 聞いている

作業所のメンバーは わたしのように 精神障害者年金や 生活保護で 生活している人が ほとんどだけれど 毎月 支給が途絶えることは なく 赤字さえ出さなければ 生活していくことに 支障はない

旅行などには 行けないけれども・・・

わたしは 大病をしても 延命治療なんて ごめんだ な

日本は 何かと 非難の対象に なっているけれども そして その気もちも わかるのだけれども・・・ まだまだ そんなに 見捨てたものでは ないんじゃ ないか?

還暦までに もう1回くらい 恋愛を してみたい なんて おもって いるなんて 
書いたけれど 1生 恋愛なんて できない人も いるのかも しれないな・・・

(恋愛できないとして それが どうした?)

性器は 持っているけれども その人の それは もしかしたら 排泄器官でしかない みたいなのだ

けれど 排泄器官は 性器より 広い!

還暦までには やっぱり 恋愛してみたいな! 

最近 いい人 見つけちゃったんだけれど
35歳差じゃ 眼中に 無いだろう ね!

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

アルバイトなんてのも  やって みたいものだ!

 

 

 

改訂版・無銭飲食

 

今井義行

 
 

バスロータリーの まわりに たくさんある 唐揚げ屋さんの 或る1軒で 
わたしは 唐揚げ定食を 食べた
衣は パリッと していて 鶏肉は とても 柔らかく おいしい 唐揚げ定食だった

店を 出て しばらく 経ってから わたしは 気が ついた・・・
(あれっ?
わたしは お金を 払ったっけ?)

店員さんは 追いかけて こなかったし
わたしは きっと お金を 払ったんだろう なあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・

それなのに わたしは 駅前で タクシーを 拾って 「小松川警察署まで 
お願いします」と ドライバーに 頼んで いたのだった
駅前には 交番が あるわけだし わたしは 軽く しらばっくれて しれっとして 
いれば よかった はずなのに なぜだ・・・?

・・・・・・・・・・・・・・

タクシーに 長いあいだ 乗っては みたものの どうしたことか 
わたしは 小松川警察署の 入り口に たどりついて しまっている ようだ
それは どうして なのだろうか?

そう か・・・ わたしは 平井の 或る 唐揚げ屋さんで 「無銭飲食」を したのでは なかった だろうか・・・

お金を払った 記憶も なければ 罪の意識も まったく 無い 
けれども わたしは タクシー乗り場で ドライバーに 「小松川警察署まで 
お願いします」と 言って いた ような 気が する・・・

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

わたしは 階段を 登って 曖昧模糊とした 状態で 小松川警察署の 
インターホンを 押している

「どうされましたか・・・?」と 返事が 返ってきた

「あの・・・ わたし 無銭飲食を して しまった ようなんです・・・」

「そうなのですか? では 中の 待合室に 入ってください・・・」

わたしが 待合室で 座っていると アルコール病棟で 一緒に 入院していた 全盲の 初老の おとこが 「やっていない! やっていない!」と さわいでいるのを 見た・・・ 万引きでも したか?

彼は 生活保護を 受けながら 1人で 暮らして いたのだった・・・

こんな ところで また 出遭ってしまう ことに なるなんて なあ・・・ 
それにしても キツイことは いろいろ あるだろうになあ・・・

いや・・・ もしかしたら 彼は 案外 しあわせに 暮らして いたのでは ないか・・・? それを 阻むものが ただ いるという だけなのでは ないかな?

(ただネ それが 警察官の しごと なんだろう けど ネ・・・)

わたしが 待合室に 座って いると 1人の 警察官が 近づいてきた 
「無銭飲食を したんだってね?」「はい そうらしいんです・・・ でも 本当に 
やったか どうか わからないん です・・・」

何人かの 警察官が 近づいて きた 「それは 悪い ことでは ないのか?」
「悪い ことだと 思います でも 本当に やったのか どうか 
どうしても わからないん です・・・」
「・・・痴呆かなあ? 帰りの 交通費は 持っているのか?」「持っていません」
「それじゃあ パトカーで 送って いくしか ないじゃないか あのね 
パトカーは タクシーじゃ ないんだ よ!」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

パトカーに 乗って わたしは 窓のそとを ながめていた 
もう 日が くれかけてきている ようだ・・・

そうしたら わたしの 隣りに 座っていた わたしと同じ 
50歳台くらいの 警察官が わたしに 話しかけてきた
「わたしは ながいと 言います こういう ことって よく あるんです よ 
気落ちしないで しっかりと 暮らして いってください ね・・・」

(ああ こういう ひとも いるもの なんだなあ・・・)

翌朝 わたしが ベッドに 横たわって いると 携帯電話の 着信音が 鳴った

(・・・もしかして ながい さん?)

「こちら 小松川健康サポートセンターの
保健師の のざきと 申します いま お電話していても いいですか?」「はい」

小松川健康サポートセンターと いうのは 保健所の 出張所の ような ところだ・・・
わたしは 生活に 困窮していて そこに
何度か 訪ねて いった ような 記憶が ある・・・ けれども 
「これから 会議に はいりますから」と 言われて 
すぐに 門前払いを 食らって しまった ような 気がする・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・? 

「小松川警察署から 連絡が あって あなたが 無銭飲食を したらしい との ことでした・・・ 詳しい お話を お聴きしたいので 明日にでも ご自宅に 伺いたいと 思いますが ご在宅されて いますか・・・?」「はい・・・」

(警察署が 動くと すぐに 行政が うごく もの なんだなあ・・・)

翌朝 ドアを ノックする 音がして 開けてみると 3人の 女性が 立っていた

「昨日 お電話を 差し上げた 小松川健康サポートセンターの 
のざきと 申しあげます」
「どうぞ お上がりください・・・」

わたしたちは ちいさな テーブルを はさんで 向かいあった ようだ

「早速ですが 唐揚げ屋さんで 無銭飲食を したのか していないのか 
わからなく なったそうで・・・?」
「はい・・・ そうなんです」
「よく そういうことは あるんですか?」

「いままでは 現実と そうでない側の 区別が わりあい はっきり ついていた 
ように 思うのですが・・・ 最近になって 現実と そうでない側が ないまぜに 
なってきて わけが わからなく なって しまうような ことが 増えてきた 
ような 気がするんです・・・」

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・? 

「そうなんですね・・・ もう ご心配なさらないでください これからは わたしたちがサポートして いきますから こちらに いるのが 訪問看護ステーションの 
ほうじょうさん こちらに いるのが ヘルパーさんを 派遣する 会社の よしださんです それぞれ 週に 2回 訪問させて いただく ことに なります 
よろしいですか・・・?」
「はい・・・ ありがとうございます」
「それでは この 書類に 署名と 印鑑を お願いします」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

(これで わたしの 暮らしは すこしは らくに なって いくのかな・・・)と 
わたしは どことなく うれしく なって いるようだ・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの 
だったろうか・・・? 

わたしは ちいさな テーブルを はなれて たちあがって いた ようだ

「どうされましたか・・・?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょっと 待っていて ください」
そうして わたしは 台所に 向かった ようだ・・・

(あれ・・・ ガスコンロに 火が ついていない あれ おおきな 鍋も
置かれていない・・・ いったい どうしたこと なのだろうか・・・?)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(わたしは いま どうして ここに いて
なにを して いるのだろうか・・・・・?)

・・・わたしは じぶんの こころの なかが もう どうにも
わからなく なって きて いる ようだ・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのとき・・・ 警察署の ながいさんの 声が はっきりと 
聞こえて きた!

「だいじょうぶ だよ!」

そうか わたしは きっと しあわせに なれる 
はずだ・・・!

 

 

 

無銭飲食

 

今井義行

 
 

タクシーに 長いあいだ 乗っては みたものの どうしたことか
わたしは 小松川警察署の 入り口に たどりついて しまっている ようだ
それは どうして なのだろうか?

そう か・・・ わたしは 平井の 或る 唐揚げ屋さんで 「無銭飲食」を したのでは なかった だろうか・・・

お金を払った 記憶も なければ 罪の意識も まったく 無い
けれども わたしは タクシー乗り場で ドライバーに 「小松川警察署まで
お願いします」と 言って いた ような 気が する・・・

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

わたしは 階段を 登って 曖昧模糊とした 状態で 小松川警察署の
インターホンを 押している

「どうされましたか・・・?」と 返事が 返ってきた

「あの・・・ わたし 無銭飲食を して しまった ようなんです・・・」

「そうなのですか? では 中の 待合室に 入ってください・・・」

わたしが 待合室で 座っていると アルコール病棟で 一緒に 入院していた
全盲の 初老の おとこが 「やっていない! やっていない!」と
さわいで いるのを 見た・・・

彼は 生活保護を 受けながら 暮らして いた はずだ

こんな ところで また 出遭ってしまう ことに なるなんて なあ・・・
それにしても キツイことは いろいろ あるだろうけれど・・・ 全盲と いうのは
とっても キツイ こと だろう なあ・・・

わたしが 待合室に 座って いると 1人の 警察官が 近づいてきた
「無銭飲食を したんだってね?」「はい そうらしいんです・・・ でも 本当に
やったか どうか わからないん です・・・」

何人かの 警察官が 近づいて きた 「それは 悪い ことでは ないのか?」
「悪い ことだと 思います でも 本当に やったのか どうか
どうしても わからないん です・・・」
「・・・痴呆かなあ? 帰りの 交通費は 持っているのか?」「持っていません」
「それじゃあ パトカーで 送って いくしか ないじゃないか あのね
パトカーは タクシーじゃ ないんだ よ!」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

パトカーに 乗って わたしは 窓のそとを ながめていた
もう 日が くれかけてきている ようだ・・・

そうしたら わたしの 隣りに 座っていた わたしと同じ
50歳台くらいの 警察官が わたしに 話しかけてきた
「わたしは ながいと 言います こういう ことって よく あるんです よ
気落ちしないで しっかりと 暮らして いってください ね・・・」

(ああ こういう ひとも いるもの なんだなあ・・・)

翌朝 わたしが ベッドに 横たわって いると 携帯電話の 着信音が 鳴った

(・・・もしかして ながい さん?)

「こちら 小松川健康サポートセンターの
保健師の のざきと 申します いま お電話していても いいですか?」「はい」

小松川健康サポートセンターと いうのは 保健所の 出張所の ような ところだ・・・
わたしは 生活に 困窮していて そこに
何度か 訪ねて いった ような 記憶が ある・・・ けれども
「これから 会議に はいりますから」と 言われて
すぐに 門前払いを 食らって しまった ような 気がする・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・?

「小松川警察署から 連絡が あって あなたが 無銭飲食を したらしい との ことでした・・・ 詳しい お話を お聴きしたいので 明日にでも ご自宅に 伺いたいと 思いますが ご在宅されて いますか・・・?」「はい・・・」

(警察署が 動くと すぐに 行政が うごく もの なんだなあ・・・)

翌朝 ドアを ノックする 音がして 開けてみると 3人の 女性が 立っていた

「昨日 お電話を 差し上げた 小松川健康サポートセンターの
のざきと 申しあげます」
「どうぞ お上がりください・・・」

わたしたちは ちいさな テーブルを はさんで 向かいあった ようだ

「早速ですが 唐揚げ屋さんで 無銭飲食を したのか していないのか
わからなく なったそうで・・・?」
「はい・・・ そうなんです」
「よく そういうことは あるんですか?」

「いままでは 現実と そうでない側の 区別が わりあい はっきり ついていた
ように 思うのですが・・・ 最近になって 現実と そうでない側が ないまぜに
なってきて わけが わからなく なって しまうような ことが 増えてきた
ような 気がするんです・・・」

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・?

「そうなんですね・・・ もう ご心配なさらないでください これからは わたしたちがサポートして いきますから こちらに いるのが 訪問看護ステーションの
ほうじょうさん こちらに いるのが ヘルパーさんを 派遣する 会社の よしださんです それぞれ 週に 2回 訪問させて いただく ことに なります
よろしいですか・・・?」
「はい・・・ ありがとうございます」
「それでは この 書類に 署名と 印鑑を お願いします」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

(これで わたしの 暮らしは すこしは らくに なって いくのかな・・・)と
わたしは どことなく うれしく なって いるようだ・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの
だったろうか・・・?

わたしは ちいさな テーブルを はなれて たちあがって いた ようだ

「どうされましたか・・・?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょっと 待っていて ください」
そうして わたしは 台所に 向かった ようだ・・・

(あれ・・・ ガスコンロに 火が ついていない あれ おおきな 鍋も
置かれていない・・・ いったい どうしたこと なのだろうか・・・?)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(わたしは いま どうして ここに いて
なにを して いるのだろうか・・・・・?)

・・・わたしは じぶんの こころの なかが もう どうにも
わからなく なって きて いる ようだ・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

スマホ炎上・譚/
4月になれば、或る奴らは・・・ *

 

今井義行

 
 

富士通 arrows M04 は わたしの たいせつな 友だちだった・・・よ
それなのに わたしは 絨毯に おいて あった 友だちを
まちがえて ちから いっぱい 踏んで しまった・・・よ
友だちは 一瞬にして ほのおを 大きく 噴きあげて
爆発をして しまった・・・よ
友だちは こなごなに なって 散って しまった・・・よ
わたしは 濡れた タオルで どうにか ほのおを 消した けれど
SIMカードは 焼け焦げて 死にたえて しまった・・・よ
日々の なかで 新聞も TVもみない わたしは ベッドで Yahooニュースや Facebookなどの ネットを 何時間も ながめ つづけて 
いるのが 好き なんだ・・・よ
Facebookは 数多くある コミニケーションアプリの ひとつで わたしに とっては 
富士通 arrows M04と 同じくらい たいせつな 友だち なんだ・・・よ
かつて わたしが キャプションを つけて 画像を アップして いた頃 
それに 反応した 見知らぬ
誰かからも コメントを 入れて もらったり して いたんだ・・・よ 
その逆の ことも あって わたしは それを とても 愉しんで いたんだ・・・よ 
いまでは 閲覧が 主になって さまざまな 情報を 何時間も 何時間も 愉しむように なって いるんだ・・・よ 
「人びとの くらしは さまざま だなあ なんて」 おもいながら・・・
或る日 わたしは なにかが からだの なかに 在る ような 
気がして いたんだ・・・よ
わたしは その なにかが どこから きたのかなど 知りは しなかったんだ・・・よ
まったく・・・知りは しなかったんだ・・・よ
 

空0わたくしは・・・その なにか の ことを 知って おります・・・
 
 
空白空4月になれば、或る奴らは・・・
空白空まるい テーブルを かこみあって
空白空分厚い ポークソテーを おいしく 食べる ことでしょう
空白空フォークと ナイフで 切りわけた
空白空分厚い ポークソテーの いのちは 濃い脂だから
空白空奴らは くちびるの まわりに たくさんの 濃い脂を
空白空かがやかせては お互いの くちびるの まわりを 存分に
空白空ながめあう ことに なるでしょう・・・
 
 
わたしは 写真を 撮らないし 曲を ダウンロードする ことも ないから
えきまえの Y! Mobile で
もっとも スペックの ひくい あたらしい
友だちに なって くれそうな 端末を かったんだ・・・よ
そして ふるい へやに もどって わたしが
はじめに した ことは よく切れる 4枚刃の かみそりで
無精ひげを 剃る ことだった・・・よ
すると くちびる から まっかな 液が でてきて
はちみつヨーグルトが 瞬く間に あかく そまって しまった・・・よ
 
 
空白空4月になれば、或る奴らは・・・
空白空ふるくからある 下町の 銭湯へ いく ことに なる でしょう
空白空そうして 奴らは
空白空背中から 足先まで 入墨をしている ひとが
空白空ひろい ゆかに 立って いる ことに 気づく でしょう
空白空そうして 奴らは そのひとの
空白空和彫りの 美しい 華々に いくたびも さわらせて もらって
空白空はげしく 高揚をする ことでしょう
空白空やがて 奴らの ひとりは 和彫りの 華々の いとしさに みとれながら
空白空「50万円で 拳銃を 売ってください」と
空白空たのんで みる こと でしょう
空白空けれども 和彫りの 華々の 艶やかな ひとは
空白空けっして なにも 答えない でしょう
空白空( ああ 世の中で いちばん いやな ものを なくした かったのに・・・ )

                   
箱を あけて わたしが であう ことに なった 友だちは・・・
外国 うまれで その からだは とても あおくて うすい 奴だった・・・よ
たのむから・・・ もう 炎上 しないで おくれ・・・よ
携帯番号は 変わったけれど わたしには ほとんど 電話がくることが なかった な
わたしは さっそく Facebookを インストールして ひらいて みた・・・よ
・・・・・・・・・・・・・・・
わたしの 大きな 顔写真がないのが 正しいアカウントで 
大きな 顔写真があるのが どこかの 欧米人に 乗っ取られた 
アカウントだった・・・よ
・・・・・・・・・・・・・・・
画面には 顔写真がない ほうの 正しいアカウントが でた・・・よ
 
 
空白空4月になれば、或る奴らは・・・ 
空白空まだ 法制化 されていない 同性婚を していく ことに なる でしょう
空白空けれど 奴らは おんなのなかに おとこがすみつき
空白空おとこのなかに おんながすみついて いる ことを 知っているから
空白空・・・・・・・・・・・・・・・
空白空奴らは 真っ直ぐに 離婚を して しまう こと でしょう
空白空なぜならば 奴らの 醍醐味は
空白空・・・・・・・・・・・・・・・
空白空仄暗い へやで 顔も見えず 名まえも 知らない 処で
空白空特定の 相手など もとめあわずに
空白空まじわりあう ことだと 知って いるから なのです・・・
 
 
その晩から 翌朝まで わたしは つくづく スマホを いじり倒していた・・・よ
けれど わたしが あたらしい スマホの Facebookに ある
「その気持ち シェアしよう」 という スペースに 
「昨日は はちみつヨーグルトを おいしく 食べました けれど 無精ひげを 
剃った ときに くちびるを
傷つけて ヨーグルトが すこし 赤く そまって しまったんです・・・」という 
できごとを アップしたとき 見知らぬ 誰かが すぐに いいねを 
つけて くれて いた・・・よ わたしは 
そのひとの タイムラインに 跳んでみた・・・よ 
すると「今日は とっても 新鮮な さかなが とれて 早速
さばいて みたら さかなは まだ 活きていて 内臓が まだ ぴくぴく 
動いて いるんです・・・」という 動画が アップされていた・・・よ 
わたしは その動画に 「リアルな 画像ですね!」という コメントを 
入れたんだ・・・よ そのあとに 自分の アカウントに もどって 
「今日は とても 楽しい 出会いが ありました!!」と 入力したら 
その 文章が 大きな顔が ある方の 乗っ取られた アカウントに 
移動して しまって いたんだ・・・よ そのような ネット上に あげられた お互いの できごとが・・・ひとと ひととが 繋がりあえる ことが
Facebookの 魅力だった というのに・・・Facebookの 不具合で
その 愉しみが ほとんど 失われて しまったという ことは 
本当に さびしい 出来事 なんだ・・なあ・・・

空白空4月になれば、或る奴らは・・・
空白空早朝に ひびくはずの めざましどけいを セットする こと でしょう
空白空けれど 早朝に なって いくら まっても その とけいが ひびかないので
空白空奴らは その とけいが とけいの すがたをした なんらかの
空白空機械で ある ことに 気づく こと でしょう
空白空いきどおった 奴らは 絨毯の うえで その なんらかの 機械を
空白空あちらこちらから つよい ちからで 踏みつぶす ことに なる でしょう
空白空機械は 一瞬にして 大きく ほのおを 噴きあげる ことに なるでしょう
空白空しかし 奴らは 噴きあがる ほのおを 鎮める ことなど 決して する 
空白空ことは ないでしょう 
空白空奴らの だれもが その機械を 卑下して いるからです
 
 
或る日のこと・・・訪問看護師さんが 訪ねてきてくれた・・・よ
鹿児島出身の りすのような 顔をした
若くて 可愛い おんなの娘 だった・・・よ
彼女とは すこしずつ 親しみが うまれあって いるような 気が して いたよ・・・
わたしと 彼女は しばらく
向かいあって いたのだ けれど
そのあと わたしは どうにも ならない
気もちに なって しまって 彼女を 抱きよせて しまった・・・よ
「あなたは わたしに 娘が いたならば その 娘よりも 
もっと 若い ひとだ・・・よ」
「はい わかって います・・・」
その できごとは あたたかい 体温に ふれつづけている・・・
ネットに あげられた 現実を はるかに 越えている・・・ 
「現実」だったんだ・・・よ 
それから 10分ほど そのままで いて 
わたしは 玄関で 彼女に 「お気をつけて」と 言ったんだ・・・よ

やがて わたしは ひとつの 気もちに たどりついたんだ・・・よ

「そうだよ な・・・たかが Facebookでは ないか・・・?」

「こんな ことで 死んで しまう わけでは あるまいし・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしは ネットなどに ふりまわされないで これから くらしていく
ことに すっかり 決めたんだ・・・よ 

しばらく してから
わたしは もの静かな 雨の ふっている 外へと 出かけて いったんだ・・・よ
 
 
空白空4月になれば、或る奴らは・・・
空白空えきまえの らあめん屋に いく ことに なるでしょう
空白空その らあめん屋には ばつぐんの
空白空挽き肉の らあめんが あって
空白空おおむねの ひとは その 挽き肉の らあめんを たのむのです
空白空奴らは カウンターに すわって
空白空その うまいという 平うち麵を たのむ ことに なるでしょう
空白空やがて 奴らは なにも いわずに 湯気のたつ
空白空いずれ はこばれて くるだろう 挽き肉の らあめんを 
空白空いかにも たのしそうに 待つ ことに なるでしょう・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その ことは とても 素晴らしい できごとに なる こと でしょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

空0わたくしは・・・ その後の 奴ら の ゆくえの ことは 知って おりません・・・
 

・・・・・・・・・・・・・・・

 
空0わたくしは・・・ その後の 奴ら の ゆくえの ことは 知って いないのです・・・
 
 

 

* 詩のタイトルの1部は「ポール・サイモン・ソングブック」を、参考にしました。

 

 

 

好きだなあ! 苦手だなあ!

 

今井義行

 
 

詩人 を さ・・・
プロと シロウトに わけて
考える ヒトって いる じゃん・・・
わたしは そういう ヒトって 苦手だなあ・・・!

わたしの ベッドには 中華系の 25台の
安い スマホが 埃をかぶって 並んでいる

そんな おかねが あるのなら
たくさんの おとこのコや おんなのコ
買うことが できたの に・・・

わたしは 15歳って 苦手 じゃないなあ・・・!

「おじさん 1・5(苺)で どう?」なんて
ふっかけられたら わたしは 苦手 じゃないなあ・・・ !
苺狩りって おいしいし 練乳があれば なお いい・・・

おもう ぶんには じゆう でしょ?

ところで ね 先日 Facebookに こんなこと 書いたんだ

『現代詩を書く詩人たち』

「現代詩人の多くは、初めは、書きたいことがあって、詩を書き始めたのでしょうけれど、それが、書いている内に、一定の技術を身に着けていき、作者の望む水準に達してしまった時、それ以降、そのことを守ろうとして、頑なな姿へと安住していくように、私には感じられます。

空0もっと言えば、そのことにすら、気づいていないような詩人が殆どのようにさえ、私には感じられるのです・・・

空0当たり前のことですが、現代詩は「個」の「表現」ですから、ありえないですよね。
空0作者は、日々生きているわけですから、現代詩が「進化」していくこと、「個」が、新たな詩を「表現」していくことは、現代詩 (表現) の必須のことがらだと、私は考えます。「進化しない」など、ありえないと思います。」・・・

こんなこと ワクワクして 書いちゃう わたしは わたしが ちょっと 好きだなあ!
だけど 現代詩の商業誌には 書くことは ないよなあ・・・

だから SNSって なかなか 好きだなあ!
自由に書けるから ひろくて 好きだなあ!
現代詩の 同人誌など もう 苦手だなあ!
ペーパーレス化していくのは 好きだなあ!

わたしは ね わたしの 土日休みが 好きだなあ!
1日1回 かぎりの ごはんは 朝だけ・・・
ヘルパーさんが 作ってくれた卵焼き 豆乳のヨーグルト クルミの食パン 塩バター味のパン 抹茶のデニッシュ 抹茶のシュークリーム チョコレートでコーティングされたバニラアイスクリーム 野菜ジュース

わたしは 偏食 なんだ けれど・・・
締めに ノンアルコールビールを1缶飲んで
そのあとに はやばやと 睡眠薬を飲んで 早朝から 翌朝まで 眠ってばかりいるのが 好きだなあ!

わたしが 1日に することは もう それで 終わり・・・

休日には 1日中 なーんにも しないのが わたしは 好きだなあ!

今日の わたしの 詩には わたしが いっぱい 現れてきて 頭をもたげてきてしまうのは なんだか 好きだなあ・・・!

東北地方の 詩人には 申しわけないけど・・・わたしは ちょっぴり 苦手だなあ・・・

この前ちょっと 彼の書いたものを 読んでみたけど・・・
被災地へ向けた 鎮魂歌ばかりで・・・申しわけないけど 苦手だったなあ!
自分のこと なーんにも 書いて なさそうで 苦手 だったんだなあ・・・!

彼の仕事は 誰にでも できることではないから 称賛に値することだと
おもっているけど やっぱり ちょっぴり 苦手だったんだなあ・・・!

「詩を書くことをどうおもっていますか」と 1度 たずねて みたい な・・・
権威を 愛してそうな ほほえみは 苦手だなあ・・・ ごめんね・・・

写真が載って インタビューに 答えようと
海外で 朗読をしようと それはそれで いいんじゃ ないのかな 好きだの苦手だの
言ってないで 案外 園児みたいに お砂場で 遊んじゃうかも しれないね え・・・
ビューン とかって ふたりで どこかへ
突きぬけちゃったり しちゃう かもね え!

わたしは 有名な 詩人ではないので 偉くなることなんて ないし 歩いていて 誰かに 見られることも ないから そのことは 好きだなあ! わたしは 死ぬまで 無名で 自由な 詩人で 在りたいと 願って いるから・・・

おもう ぶんには じゆう でしょ?

スマホで ネットを 眺めているのは 好きだなあ! Facebookや Yahooニュースに ズラリと 並んだ コメント欄を 隅々まで 読んだりするのは 好きだなあ! けれども 最近 飽きてきてきちゃったんだなあ たとえば 「蓮舫さん」の 記事などが 載ると 批判の コメントが 並ぶこと 並ぶこと!

あんまり 並んでいるので 最近は 嫌になってきちゃって 今は もう 苦手だなあ! 世の中には ひとこと 言ってやりたい ヒトたちが おおぜい 居るんだなあ そういうのって 苦手だなあ! ベッドで 寝返り打ちながら・・・ ヒマな ヒトって 多いんだな・・・って おもって

じつは 「蓮舫」さんって・・・ わたしも ちょっと 苦手なのね うるせえし・・・

近頃 下半身が 壊れてきて しまってるのは 苦手だなあ! 脳内の司令が 下半身まで 届いて ないのかしら? 50歳台なのに ペニスは 勃たなくなって 久しいし ビンボーですから ED治療薬など 買えませんし 尿が 出るまでに 20分くらい かかりますしね 失禁しないだけ いいかもしれないなあ・・・ 強い 下剤を使っているのに 便が 出るまでに 5日間くらい かかっちゃって そういうのって 便が硬くって 血が でちゃう それは 苦手だなあ!

わたしは わたしが 住んでいる 江戸川区って なんとなく 苦手 なの ね・・・!
( 江戸川区に お住まいの 方々 ごめんね )

江戸川区を訪れて 川幅が 広くて 川の流れや 河川敷が きれいな 荒川を眺めてくれる たいていの 人たちは ずいぶん 褒めて・・・くれるんだ けども ね・・・
何年か前の 明け方に 入水したくなって わたしが 何回も 荒川へ 行ったことが 思い出されるので とっても 苦手だなあ! 結局 怖れをなして アパートに 戻ってきて しまったんだ けども ね・・・

困った コトに なっちゃった のよ・・・NPO法人の 所長が 自分で「セクハラ厳禁」って ポスター貼ったり したのに アフリカのドラム 打ち鳴らしながら 自分のペニスを 見せびらかして しまって はしゃいで 女性も 男性も 皆んな凍りついてしまったけど それは 所長の 好き勝手だけど 所長のペニスって 歳とってるから にお
うの よ・・・

しゃぶるのは ぜったい 苦手だなあ・・・!

「現代詩が「進化」していくこと、「個」が、新たな詩を「表現」していくことは、現代詩 (表現) の必須のことがらだと、私は考えます。「進化しない」など、ありえないと思います。」

だとか 書いたりして しまったりするのって なんだか しつこいけど 好きなんだ なあ・・・

わたしが スヤスヤ 寝てたら さ・・・
15歳の 苺たちが・・・ベッドサイドで
ワーワー 踊りまくって る じゃないの!
「買ってよ」なんて ねだって ね・・・
「買ってやろう!」って 目をこすったら
みーんな 何処かへ 逃げちゃったよ・・・部屋は からっぽ・・・まさに からっぽなのよ 「わたしは 詩人」とか 言っても 反応 なし!! ぜーんぜん なし・・・!!

まさに わたしの 部屋って からっぽ!!
からっぽ だった のよ!!

 

 

 

「レインボーハウス」 此処にあり。

 

今井義行

 
 

此処は ね 作業所の 「レインボーハウス」だ

此処って ね 雨上がりでも ないのに わたしを ふくむ さまざまな病気の 「精神疾患者」虹たちが この世で 社会訓練をしていく 場所なんだよ

鬱病や 躁病 双極性障害 統合失調症・・・ 等などの 「精神疾患者」虹たちが 此処で 1日を 過ごすの さ・・・

此処に 通所してくる 人たちは 10人くらいの スタッフと ともに やわらかな 時間を 過ごすの さ・・・

・・・・・・・・・・・・・

(今 この世は コロナの時代に なったんだ ね)

わたしたちは 例にもれずに コロナ対策をしているよ マスクの着用や 薬用石鹸での 手洗いや 手の指のアルコール消毒 等など

(なんだか コロナの響きって あたらしい 時代の 「お菓子」みたいな 感じが しない か?)

山本さんという ベテランの男性スタッフが わたしに その日の 作業内容を 説明してくれた

宅配寿司2人前 割り箸を2本 醤油の小袋を2個 プラスチックの小皿2枚を 次々に ビニール袋に 封入していくという作業だ 1時間で 60セット

ビニール袋に セットしていくという作業は はじめは もたつくけれど 作業をしていくうちに だんだん 慣れてくる

しばらく経って 山本さんが わたしの作業の見回りにやってきた 「そうそう バッチリじゃない」 山本さんからの オーケー出しのあと ふと わたしの親指を見た 山本さんが おおきな声で言った

「あれれっ いったい どうしたの? その 右と左の 親指の爪の 凸凹は?」 山本さんに とても 驚かれて わたしは となりの カンファレンスルームに 呼ばれることになった

作業場所から 続いている カンファレンスルームで アクリルの 透明な パーティションをはさんで わたしと山本さんは 向かいあって すわった

「あらためて尋ねるけれど その 親指の爪の 凸凹は なんで そうなったの?」

「この 右と左の 親指の爪の ことですか?」

わたしが 右と左の 親指の爪を まじまじと 自分で 見つめてみると それらは 海水に 浸食されて 凸凹に 入り組んだ リアス式海岸の ようだった・・・

「じつは わたしは 20年以上前 鬱病に なってから 毎日 親指の爪を 齧って 食べることが 楽しみに なって しまったんです」

わたしは 右と左の 親指の爪が だいすきなのだった・・・

それは 前歯で ガリガリ 齧って 食べて いるとき 口の中に 甘い味が 広がって くるからだ 齧りすぎて 血が 出ることも あるけれど・・・

山本さんが わたしに このような 指摘を した
「作業中にも マスクを外して 親指の爪を 齧って 食べたりしているの?」「はい 時々・・・」

「爪は コロナウィルスの 温床だから 食べ物の宅配寿司のセット組みの作業には 向いてないよなあ ボールペンの セット組みの作業に 切り変えてみようか?」

(山本さん わたしが 自分の 右と左の 親指の爪を 齧って 食べる ことは わたしには おいしい 「お菓子」を 楽しむ ことなんです よね)

カンファレンスルームから続く ひろい 作業場所では たくさんの 「精神疾患者」虹たちが さまざまな 作業に 黙々と 取り組んでいた

電動アシスト自転車の金具をつくる作業や 布類を断裁していく作業や PCの操作をする作業や 編みぐるみをつくる作業 等など

それらは どこかで 誰かが 利用するものに なっていくの だった・・・

わたしは ボールペンの セット組みをする作業を することになった それらは さまざまな 企業が配布する ノベルティグッズだった 1本 1本の ボールペンを 左がわに クリップが 向くように セット組みしていく 作業だった

此処は 雨上がりでも ないのに わたしを ふくむ さまざまな病気の 「精神疾患者」虹たちが この世で 社会訓練を していく 場所なの さ・・・

わたしたちは 生きていくのが 少し 困難なだけで けっして 狂ってなんて いないのさ・・・!

(わたしは 山本さんに 見つからないように 注意しながら こっそりと マスクを外して 右と左の 親指の爪を ガリガリ ガリガリ 噛ってしまうん だよなあ・・・)

(ああ 爪って なんて おいしいんだろう!)

(わたしの 右と左の 親指の爪の 表面って リアス式海岸みたいに 凸凹して いるけれど・・・)

(コロナってさ この世に あたらしく あらわれた まがまがしい 病気なんだけど・・・)

(なんだか コロナって やっぱり あたらしい 時代の 「お菓子」みたいな 感じが しない か?)

しばらく経ってから 山本さんが わたしの作業の 見回りにやってきた 「そうそう バッチリ じゃないか」

(山本さん 爪って なんで こんなに おいしいん でしょう か・・・?)

(ああ こんなにも おいしい 凸凹の 「お菓子」って この世に あるだろう か・・・?)

(ああ いつか・・・ コロナは わたしにも 振りかかって くるのだろう なあ・・・)

「レインボーハウス」の虹たちが 黙々と 作業している場所で わたしの 親指の爪は わたしだけの おいしい「お菓子」・・・ リアス式海岸じゃなくって 『コロナ式海岸』に 変わっていた よ

わたしたちは 生きていくのが すこし 困難なだけで けっして 狂ってなんて いないのさ・・・!

わたしたち 「精神疾患者」虹たちは 結構 たのしい 毎日を 過ごしているの さ・・・

そう 「レインボーハウス」 此処にあり。
そう 「レインボーハウス」 此処にあり。

調理師免許をもっている スタッフが 「レインボーハウス」の 「精神疾患者」虹たちを 呼びにきたよ 「お待たせしました 今日のメニューは みんなの だいすきな 豚とキムチの 丼だよ!」

(わたしも 豚とキムチの 丼は だいすき だけれど・・・ 本当は 自分の 親指の爪を いつまでも 齧って 食べて いたいんだよなあ・・・!!)

わたしの 親指の爪は わたしだけの おいしい「お菓子」・・・ リアス式海岸じゃなくって  『コロナ式海岸』に 変わっていたの さ・・・ !!

 

 

 

訪問看護師さんの 木暮さん(自由よ!)

 

今井義行

 
 

クリスマスの夜 午後10時
訪問看護師さんの 木暮さんが やってきた

──おゝ いらっしゃい!!

20代半ば位 髪をゴムで束ねて ひっつめ髪で 化粧っ気は無し
黒いズボンの 出で立ちで 何て言うか 女性性を脇に置いているようすだ(ゴメン!)

──おゝ 待ってましたッ!!

「こんばんは お加減は いかがですか?」
「向精神薬のパキシルを 3ヶ月間服用してきて ようやく 状態が安定してきました」

あゝ 木暮さん もっと女性性を楽しんでもいいんじゃないかなあ なんて余計なおせっかいか
パキシルは 切れ味鋭い薬品で 効果絶大な薬品なのだけど 副作用には 性機能を失わせる という事がある

わたしも 例に漏れず すっかり性欲を失って 男性性の外に出て
初めは 結構 虚しかったけれど
それにも だんだん慣れていって 今度は
どんどん ラクに なっていったのだった

57歳の今 あっと言う間に 迎えるだろう
還暦が 案外 愉しみにも なっていったのだ

──性欲が無いって 良いじゃない!!

──どうせなら 髭も 生えてこなければ 良いのに ね・・・

「最近は どのようにして 過ごされていますか?」
「この部屋は 日当りが悪くて とても寒いので 在宅している時は ほとんど ベッドの中にいて 過ごしています」
「昼間も 眠っているのですか? 昼夜逆転は 良くないですよ」
「眠ってはいません ぼんやりしていたり くだらない事を あれこれ考えていたり 昨日は 多目的トイレで わいせつ行為をした 芸人さんの事を 考えていました」
「・・・わたし あの芸人さん すっかり バッシングされて ちょっと 可哀そうだななんて 思ったりも してるんですよ」
「・・・どうしてですか?」
「だって 多目的なんですから 何したって 良いじゃないですか?」

「そういう もの ですかね」

「わたし ああいう シチュエーションじゃないと 燃え上がれない人たちって おおぜい いると思うんですよ
日本中にも 世界中にも──」

窓の外には しろい外灯が チラチラしている あゝ 今日は クリスマスの 夜なんだ

「芸人さんで たまたま バレちゃったから ああいう騒動に なったんでしょうけど クリスマスの夜の 今この時にも 似たような事は 行われていると思いますよ」

(あゝ そういう 考え方も あるかなあ)

──性欲が無いって 良い事じゃない
なんだか ややこしくなくて 良いもんだ

「人間だもの※ って事だと思います!」

「でも アレを イチローさんが やってしまったら もう 干されるどころの 話じゃないですね・・・?」

「国民栄誉賞を 何度も辞退して プロ野球の監督になる事も 眼中になくって 高校球児たちに 一生懸命 指導している レジェンド中の レジェンド・・・ そのイチローさんが そんな事したら もう 国外に 亡命するしか ないかもしれません ねえ」
「イチローだったら 亡命生活へっちゃら だと思いますよ 世界のイチローですからね
アフリカの子供たちに 野球教えてるかもしれませんよ」

「あはは・・・!!」
「あはは・・・!!」

「それはそうと これから 血圧を 測定しなければなりません」

訪問看護師の 木暮さんが わたしの すぐ傍らにきて わたしの腕に 血圧測定器を 巻き付けていく

わたしの目の前に 木暮さんの 乳房が
迫ってくる が それは 木暮さんの「乳房」という「もの」が 迫ってくる というだけで 衝動的に 抱き寄せよう などという 気持ちには まったく ならない

小暮さんの「乳房」は いいなあ
女性性から 自由になって
「もの」になって
気楽にぶらっと揺れている
わたしの「ペニス」も
男性性から自由になってから 気楽だもんなあ

「上が 132 下が 84 問題ありません ね」
「あゝ 安心しました」

「それでは わたし そろそろ 失礼しますね 訪問看護時間は 30分きっかりと 決まっていますので」

小暮さんが 血圧測定器を かばんにしまった
小暮さんが 立ち上がって 玄関に向かった
小暮さんが ブーツを履いて わたしに言った

「それでは また 来週
あっ そうそう 挨拶を 忘れていました
メリークリスマス!!」

「はい 小暮さん メリークリスマス!!
また 来週 よろしくお願いします!!」

・・・・・・・・・

わたしには この世で 最も愛している人が
2人 います。けれど、ずっと プラトニックのままで、良いと 思っています。
人間だもの
人間だもの

 
 

※相田みつを氏の詩句より

 

 

 

空(ソラ)と ミルフィーユカツ

 

今井義行

 
 

ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
いい気分だったのに

ん?

ふと 見上げた空が 濁って見えてしまった
夕べ 飯島耕一さんの詩 「他人の空」を
久しぶりに 読み返した そのせい なのかなあ───
 

「他人の空」
鳥たちが帰って来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上ったり下ったりした。
それは途方に暮れているように見えた。
空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐっている。
 

戦後 シュールの 1篇の詩
鳥たちは 還ってきた 兵士たちの ことだろう
途方に暮れている 彼らを受け止めて
空は 悩ましかったのかも しれない けれど──

そう 書かれても
わたしは 素敵なランチタイムの 後で
もっと さっぱりとした 青空を 見上げたかったよ
暗喩に されたりすると
地球の空が いじり 倒されてしまう 気がしてしまってね

わたしが 食事に行ったのは 豚カツチェーン店の 「松のや」

食券を買って 食べるお店は
味気ないと 思って いたけれど
味が良ければ 良いのだと 考えが変わった

そうして今 わたしを 魅了して やまないのは
「ミルフィーユカツ定食 580円・税込」
豚バラ肉の スライスを 何層にも 重ねて
柔らかく 揚げた とっても ジューシーで
アートのような メニューなんだ

食券を 買い求めた わたしの 指先は
とっても 高揚して ダンス、ダンス、ダンス!!

運ばれてきた ミルフィーユカツの 断面図
安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも
重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!

運ばれてきた ミルフィーユカツを 一口 噛ると
ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!

そうそう
豚カツ屋さんには 必ず カツカレーが あるけれど
あれには 手を染めては いけないよ
カツカレーは 豚カツではなく カレーです

カレーの 強い風味が
豚カツの衣の 塩味を 殺してしまう
1種の 「テロ」 だからです

ただでさえ 今 街は コロナ禍  なんだから

空を見上げながら 入店した わたし

ソラ、1種の 「テロ」は 即刻 メニューから
ソラ、駆逐すべき ものでしょう──

わたしが ミルフィーユカツを パクパク してる時
ある ミュージシャンが クスリで パク られた
という  ニュースを 知った
この世では 美味なものを パクパク するのは
ソラ、当然の こと でしょう──

鬼の首 捕ったような 態度の 警察は どうかしてる

トランスできる ものを パクパク するのは
ソラ、ニンゲンの しぜんな しんじつ
ソラ、攻める ような ことでは ないでしょう!?

わたしは ミルフィーユカツで トランスしたし、
ミュージシャンは クスリで トランスしたし、
飯島耕一さんの 時代には 暗喩で トランス 
できたんでしょう──

だから 「他人の空」も ソラ、輝けたのでしょう

鳥たちが帰って来た
──おお そうだ あいつらが帰ってきたんだ
空は石を食ったように頭をかかえている
──おお そうだ みんな頭かかえてた
血は空に
他人のようにめぐっている。
──おお そうだ 他人みたいな感触だったよ

わたしは 詩を書いている けれど
もう  滅多に 暗喩は  使わない

詩は 言葉の アートだけれど
今は いろいろな トランス・アイテムが あるから
敢えて 言葉で 迷路を造る
必要は そんなに 無いんじゃない かな

わたしは そう 思うんだ けれど──

平井商店街を歩いて しばらくすると
濁っていた空が 再び輝き出した

飯島さんにとってソラは暗喩
ミュージシャンにとってソラはクスリ

しかし、

カツカレーを駆逐して  ミルフィーユカツを パクパク した わたしにとって
 

ソラは、ソラで 問題 無いんじゃないかな!?

 
 

※ この詩は、2019年に発表したものを、改訂した詩です。

 

 

 

あいについて

 

今井義行

 
 

フィリピンでかんがえていた あいについて ────
さらりとした 夏の気候の アルジェリーの家で
日本では そろそろ 春が 近い
けれど わたしの こころは 春から とおい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それは どちらからともなく
あいが とおざかって いこうと していた からだ
日々に 薄らいで いくものは
どうする ことも できない

42日間の 滞在期間のなかで
私たちは しばしば 手をつないで ショッピングモールに出かけた
「Do you love me ?」
大通りで 乗り合いジープを 待ちながら
あなたは しばしば 私に 問いかけてきた

けれども あなたの 手からは
伝わって くるものが なかった
いや 私の手が
何も 伝えて いなかったのか

「Yes, of course」と 私は 言ったのだが ───

愛って、なんだ ────・・・・・・・・・?

ある日の ショッピングモールの ホーム用品売り場で
アルジェリーは 電球を 1個買った
フィリピンでは
電球のことを 「 Akari 」と いうのだった

「 Akari 」私は その言葉に 惹かれた
なにか とても あたたかい言葉

家に戻って 電球を 新しいものに 取り替えた
煌々とひかる Akariに 私は見入って
なにか 健康的な象徴を 見つけたような気がした

夜には 私たちは
ふたり ならんで ねた ────
きまって アルジェリーは 先に 寝息をたてた

ときに 明け方に
アルジェリーは 私のからだに しがみついてきた
黒い髪が 私の口に 入ってきた

「Do you love me ?」
あなたは 私に 問いかけてきた
「Yes, of course」と 私は 言ったのだが ───

私たちは 服を 脱がなかった

それから・・・・・・・・・・
「トイレに行ってくる」と 言って
あなたは しばらく 戻ってこなかった

やがて 部屋に 陽がさしてきて
戻ってきた あなたは
私の首に 腕を巻きつけて

「Good morning, Yuki!」と 明るく笑った
私も
「Good morning!」と 明るく笑った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は「Do you love me ?」と 言わなかった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アルジェリーのアイディアて
私たちは フィリピンから 少し 足をのばして
ブルネイ王国に
旅をする ことになった

ブルネイ王国には アルジェリーの
クラスメイトの ネリヤがいるのだ

空港では ネリヤと彼女の夫のジェームスが
にこやかに歓待してくれた
ネリヤは晩い第1子を身籠っていて
そのすがたを ジェームスが傍らで 見守っていた

ネリヤとジェームスは
5日間かけて 車で
ブルネイ王国を 案内してくれるという

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何といっても美しかったのは
3日目の 早朝の青いビーチだ

私たちは はだしになって 寄せる波と戯れた
アルジェリーは 両手に
一生懸命 貝殻を 集めていた

私たちは ネリヤとジェームスが 用意してくれた
朝食を 木の椅子に 座って 一緒に食べた
そこで 記念撮影をしあおう ということになった

私は 寄り添い合って 微笑んでいる
ネリヤとジェームスを 撮影した
「今度は 私が 撮るわよ」と ネリヤが言った

私とアルジェリーは 並んで砂浜に立った
「手でも つないだらどうだい?」と ジェームスが言った

私は しずかに アルジェリーの肩に手を回した
ネリヤが「そうそう いい感じ」と言った

私たちが撮ってもらったその1枚 ────それが
私たちにとって 一緒に写っている 1枚の写真になった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブルネイのホテルでは
私たちは 交互に シャワーを浴びたり
共同のキッチンで
コーヒーを 飲んだりして過ごした

私は ぼんやり 考えていた

日本では そろそろ 春が 近い
けれど わたしの こころは 春から とおい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それは どちらからともなく
あいが とおざかって いこうと していた からだ
日々に 薄らいで いくものは
どうする ことも できない

愛って、なんだ ────・・・・・・・・・?

部屋の中で 持ち物の整理を していた時のこと
アルジェリーが 咄嗟に
私のパスポートを掴んで においを嗅いだ

「Bad smell!!(悪臭ッ)」
それが あなたの 私への印象だったのか

私は 黙っていた

ダブルベッドで 私たちは
ふたり ならんで ねた ────
それから アルジェリーと私は 抱きあった

抱きあいおわって
ぼんやりとした 空間が 私たちに残った

しばらくして
私は アルジェリーに 囁いた

「Let us break our engagement and become just friends.
I think it is good. (私たちは 婚約を解消して 普通の お友達になりましょう
それが良いと 私は思います)」

アルジェリーは うなずいた
そして
あなたは ゆっくりと こう語ったのだ

「My love for you is gone… I dont have love for you anymore Yuki…
before when we met in the first time, I love you … but now no more…
(私のあなたへのあいはきえてしまった・・・もうあいがないのですユキ
私たちがはじめてあったとき私はあなたをあいしていた・・・でもいまはもう
I tried to love you again but I cant!! Friend」
私はもういちどあなたをあいそうとしたの でもできない ともだち)