萩原健次郎
溺れる感覚を覚えようと、寒冷の水泳をする。
そうすれば、空気も水も切れる音が聴こえてくる。
寂しいとか、哀れだとか、
水中の震える波となるだけで波動が眼を撫でる。
耳と鼻を洗う。
それでも、意識が明滅し
ているわけではなく、
こころなしに、
わたしの皮という皮の、
おもてをひらいている。
こころなさ*の演奏を
はてもなく溺れるまでに、
胸位のあたりにまで満たして
それからむしろ恐怖するのは、
往ったら還ってこられること。
くるいたいのに、
散りたいのに
咲いてしまう。
皮が裂けてしまう。
あるいは、わたしが皮を裂いてしまう。
ショパンの皮面はやわらかく
その感触は、反吐。
胸に満ちたものを地にもどしてしまう。
溺れていると、こころなしに唄っている。
ぶるぶると震えるままに
往きも還りもしない。
晴天の川面には、
ただ緑であるだけの、草花の根が
無数に流れている。
空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作のうち)
*ル・クレジオの『物質的恍惚』より豊崎光一の訳語を引用。