喩えの話

 

萩原健次郎

 
 

 

抜けていったね、恋が。
ふたりでするものが、ふたりとも消える。
黒い穴だ。
焼けて、破れて、焦げて、透けて、
透けると、きもちいい。
何十年も、きもちいい。
人生って、恋みたい。
いつでも失恋している。
唇が空に浮かぶことだってある。
そのときは、あたりいちめんに菓子の匂いがする。
コンガが鳴る。
猿が役者の喜劇がはじまる。
おれもその劇団の役者となって
おんなじ芝居をする。
きもちわるいことと
きもちいいことの繰り返しで
空中ぶらんこみたいだなあと
たとえてくれればそれでいいのに
だあれもたとえてくれない。
だから、人生って恋みたい。
自問しているうちに、胸焼けする。
ムラサキいろの胸になる。
黄色いセキセイインコが飛んでくる。
いっしょに、籠の中の巣の中の、綿の中で
あなたが卵を産んで、あたためて
おれは、毎日巣を出て、まあまあよく働く。
とつぜん、巨大な渦潮がおれの恋を
海に戻していく。
唄っている人に退屈しては駄目だ。
芝居する猿たちを蔑んではいけない。
恋が一個の果実だとすれば
その一個の中で生きてきただけで
それは、ある季節になると
ぽとんと、落下して、
きれいに割れる。

 

 

 

口唇周辺の気息の輪郭(独吟連詩)

 

萩原健次郎

 
 

 

缶のような木のようなものから気息が漏れている

人間が叩く固いものから音が鳴りだす

つまらない煮凝りは青い魚の味噌煮だと匂いでわかる

私より敏感な猫の鼻あるいは髭に付いている汁は乾いている

生活臭という生活音は柔らかな部分もなく塊になって

四方の壁のまま調度されて迫ってきている

誰がキューブだったか毬だったか思い返してもわからない

燕は燕のままの形をして壁に衝突して垂直に墜ちる

緑の水をつくった日には入道雲が起っていた

子守唄を呑み込んだとき唄が喉に詰まった

詠嘆小僧をぐるぐる巻きにして

坂を転がすと石粒に躓いてそこにもガタガタという

硝子女

白飯に浪花節をふりかけて

犬鳴峠の上に来た

とげとげの縄を編んで紐にして首にかける

属性哺乳類鼠語随筆

ああ疲れたという語尾が焼ける

昭和だ昭和だ流行歌の裾がほつれる

不明者発見の報

さみしい語尾

私は峠の門を破って次の世間に揉まれる

登場人物が着ていた衣装はもう丸焼けで

裸だ

音羽川がまた低い地点へ流れて行く

もう爛れた

アルコール臭の腸の壁には新聞記事

冬になるとあれだけ騒いでいたカラスたちも家で寝ている

瞳は黄味

路地裏の金魚

電車よ走れ

木と縄と鼠と腸壁と烏と

硝子女と

笛吹童子

もう夕焼けの時刻には間に合わない

ドナルドダックを抱く

 

 

 

サバイブの微光に殺られる

 

萩原健次郎

 
 

 

わたしは、わたしの胃のなかにいるちいさな子と

ちろりちろりと会話をして

川沿いの道を、ひたすら登っていった。

それらは、知らぬ顔で、わたしを憎んでいた。

わたしは、脚を前へ前へ動かしていた。

歩みと言うのだろう。

朝は、毎朝のように、死にたい。

首を括って、無くなりたい。

わたしはもう、燃えている。

赤い肉は、焦げていき

胃の中の子を、道の面に投げだす。

貌を落として、わたしの貌と子が、遊んでいる。

光は、天に昇っていく。

光は、笑っている。

わたしを、笑ってはくれない。

薄く削がれた愛が、七輪の上の

金属の網であぶられている。

一抹の、生もまた、光に焼かれ笑われて

わたしの物体は、どこかから、大声で叫んでいる

さよならに、呼び返している。

わたしの身など、誰かにあげる。

微粒の生も、生きたいか。

泥水の中にいる、粒粒の遺恨も

臓の恋人も。

わたしの、微粒子。

やがて不要になる胃液。

胃の中の子。

陽は昇れ

海に沈め

ギャグを言え。

サバイブの微光に。

 

 

 

物の恋

 

萩原健次郎

 
 

 

細い川が流れている。
こころ細いと、書いて消す。

脚から溶けていくのかと、

頭の中の水は溶けない。

頭の中では、哀が、薄まって
真水になろうとしている。

小鳥は、物なのだろうか
頭も、物なのだろうか。
山や川は、

桎梏という、箱型の竹藪の脇に墓碑が並んでいて、それは
おそらく旧村民の先祖たちが眠っているのだろう。かれら
は、退屈しない。彼らは、毎日、晴れたり曇ったり、暴風
が吹いたり、豪雨が、こころ細い川を流れているのを眺め
て生きている(死んでいる)。滅び唄を聴くこともできる。
風や雨がかすかに擦れ重なり合う時に、ざざざあと、混線
した電波のような音楽を生じさせているのを、そのままに
している。

碑の上で、真紅の蜻蛉が交尾することもある。
嗚呼も、ううっもかすかに擦れ重なり合う。

頭の外ばかりが、明るいのだなあ
物ばかりが、健やかなのだなあ

交尾する、二つ(一つ)の物。

石粒を固め表面を刳りぬいた門には、「竹尾」という表札
が掲げられている。その家に嫁いで半世紀はたったある日
老婦は脳溢血で昏倒し、亡くなった。生前彼女は、竹藪に
ある竹尾家の墓に入ることを拒んでいた。

蜻蛉は、産卵するのだろう。
草茎をめぐり生き、さまよって恋をして。

墓碑は、七基ある。そこをハミングしながら通りすぎる人
もいれば、ふと拝みそうになって立ち止まる人もいる。川
は、下流に向かって、真水になろうとしてひたすら流れ下
りていく。

最初に枯れていく虫は
誰よりも、よく鳴いた
一個だった。

 

 

 

片肺の里水を吸う

 

萩原健次郎

 
 


 

片肺の     空がカラ
急勾配の
修行僧の     色の渦
延着の   沈んだ
素足の      味噌
粗暴の        眉間を切る
藍の  鹿肉
空白空白空白空白空白空白空白空白羽根に舐められる

耐える
絶える       修験
堪える

悶える
白む        石仏
消尽する
去る            後髪
棲む
濁る
空白空白空白空白空白空白空白空白泣き止まない

遊星
六芒
荒神
空白空白空白空白空白空白空白空白発火した池

私に、宣告された
猫の燃える、煙。
川面に、貌を落とす。





空白空白空白空白空白空白空白空白全焼

私が、昭和を一息に飲み干して、それを
尿と糞に溶かして、器に打ち捨てることは
泣く女と無関係で
宗教なんぞは、想念の便なのだ。
風景に、討死する人を見よ。
ちり紙交換の車を運転する人を見よ。

紙は、神で。

魔、多、羅、ららっ
斑に生きる、二足の虫。

混ざり
後退り
看取り

天に往ったり、戻ってきたり。

 

 

 

不明

 

萩原健次郎

 
 

 

いつからいなくなったのだろうか
千年前
泥沼に脚まで埋まって
池の貌に浮かばれない

わたしは、あなたを知らない
はじめから不明
かなしんでいる所作は、知っている
千年前
獣とあそんでいた
はしゃいでいた
老人であるのに、無邪気に獣とじゃれていた

わたしが、眼病みだから不明なのではない
わたしが、摩耗しているから不明なのではない

この絵に生きていない、首と脳と心臓と
水に浮かぶ、わたしの魂胆が不明なのだ

ほそい石橋は、二百年前に架けられたのか
わたしは、時折は、恋しくおもう
不明に、情を飲み干すから
平穏な水が、怒ってふるえていたりする

わたしは、わたしの平らを
水に流して、生きてきたふりをしている

歌を捨てにきた人が、群れている

 

 

連作「不明の里」のつづき

 

 

 

ひとばな

 

萩原健次郎

 
 

 

私が 逸した
私の 逸した
私を 逸した

人がたの 生存の おと きこえたら
まっくらの 洞から声はって
返事 ください

逆さまの えだはの 蔭で
泣き通して 水 涸れました

ごめんなさいという たま じんこん

私が 逸した

野に放つ 川に流す ちいさなむくろ かざってね

紅花 ひろってこ
黄花 あげよかねえ

はやくはやく ほろんでくださいね
みんな死ね って言うやろ
生きてやる ってかえしてね

死んでも 死なないで
ほろんでね
綺麗でね。

あなたはあなたひとりの
綺麗な
人花

 

 

 

それなのに

 

萩原健次郎

 
 

 

すいへい たいらかな
みずいろの したから
噴き上がってくるもの
うつっているのは 皮
濃い なにか かたち
のない身からぬかれる
非時という 鐘がなる
毛のものが まじわる
はるならば 咽喉から
はなは、さくところを
えらばず かれるのも
しらず いちめんの野
しかれた微温がやまず
ずっととおくからみず
からだの芯に きよく
窒息しながら はいる
ほろんだ ひとたちは
ほろんだときにすんで
しろい絹 じゅんすい
雑音となって鳴り去り
激痛もおんがくとなり
それが せかいだよと
わらいながら 笛ふく
やまびとが みずひと
真似をしながら消える
あたたかなみずをのむ
詐欺の世のきよい虫々
みずのたいらかな走り
燃やしたいとつぶやく
ほろんだひとが見える
それなのに ずっと
蒲団のなかに 生きていた

 

 

連作 「不明の里」のつづき

 

 

 

梅世

 

萩原健次郎

 
 

 

眼に
芯があり
芯を
電子的に
焼く
焼いて見ることを
恢復する
あらためさせられる
苦悩など
水底ふかく
捨てているから
もう平らかな
私性に
溺れることもない
わたしの
遭難趣味は
きれいなあと
景色の奴隷になってもなあ
改宗したり
水に眼浮く
顆粒
玉の尖
虫はしらないうちに
這い
墜落する
算術の
生と滅と
アセテートの朝
軸は
身体の管を
通過して
無類の
丼(陶製)の
表面を歩いていた
影殴りの
光抱きの
埋め

 

 

連作「不明の里」つづき

 

 

 

恋沼

 

萩原健次郎

 
 

 

地に沁む
はじめ項垂れる
詫びる
詫び通す
嗚呼と応える
世はないと思えば
鳥は鳴き
朝日は射てくる
内臓が透ける
臓腑がいちどからまって
無痛の味わいがすぎてゆけば
梢へ投げる
消えたとき
嗚呼
あなたの涎を舐める
地に垂れた清水を
掬う
あなたに臓腑がないことの
どれほどの安堵
あなたに悩みがないことの
救い
草と空と
生血の獄が
混ざる
しあわせよ
嗚呼
水の放浪者として
池に投げ捨てよ
やさしく
首をしめて
水底へ

 
 

連作 「不明の里」より