薦田 愛
一九六六年、昭和なら四十一年ごろのこと。
埼玉県川口市
つまり
キューポラの町のはずれ
ふたつの川にはさまれた工場街の一角の
三階建て集合住宅
社宅へ越してなんかげつ
推定四歳半の女児すなわち
わたくし
あおいにおいたたみのうえ
よこずわりにすわって
ほそくとがった
これは
つまようじ
とがってないほうにぎざぎざ
そこに
きゅっとするんだ
むすぶ
白いのやぴんくきいろいのも
りょうてをひろげたよりもっと
ながいほそいそれ
しつけいとっていうのよって
まま、の
てのなかにあるたば
まま
まま、に
ちょうだいといった
「まま、ちょうだい」と
ぺらっとうらっかえせば
まっしろの
ちらしっていうのを
ぬうの
ぬののかわり
ぬうのは、ね
まま、のまね
ままは、ね
ようさいし
あぶないからさわっちゃだめって
ままは
とがってほそぉいぎんいろの
はり、をいっぽん
ふえるとのはりやまからぬくと
あたまのところ
めがひとつ、じゃなくて
ちいちゃくあいた
あな
あなへとおす
いと、を
ななめにきって
くちにくわえて
しとっとさせてきゅるん
ねじってほそらせる
ほぉらほそぉくなったいとのさきが
すいっ
すいっとちいちゃな
とんねるをいま
とおってく
それは
ままのまじっく
つつっとはしるみたい
はり
まっすぐ
それにまぁるく
くれよんみたいな
ちゃこでかいたみちも
めじるしやもようのないところも
ぬののおもてうら
くぐってはおりかえし
すすんではもどり
はりのねもとにきゅきゅっとまきつけ
ふしにするんだ
かたくかたぁく
そんな
ままのまね
しつけ糸と爪楊枝と折込みチラシ
糸と針と布地の代わり
これとこれ、ともたらされたのではなく
こんなふうにと教えられたのではなく
推定四歳半の女児が
どうしてだかたどりついた
ままごと
ままごとのむこう
ままは
いたのまにみしん
ぐんぐんふみこむぺだるの
いったりきたり
みるみるおりてくるぬの? きじ? その
かたっぽうのはじがくるっ
くるるっとたたまれ
しつけいとじゃない
もっともっとずっとあっちまで
おわらないいとで
みしんのうえぎゅるんとゆれる
いとまきにまかれた
いとで
ぬっていく
ぬう
まっすぐまぁっすぐ
ままのまじっく
それは
編むよりも織るよりも
縫うことの好きな女の子
それはわたくしではなく
まますなわちわが母
一九五〇年、昭和でいえば二十五年ごろのこと。
たぶん
香川県観音寺
それとも善通寺
海にちかいちいさな町の中学生は
日曜日
お弁当を提げて先生の家へ行く
ミシンを借りに
まあたらしい生地なんかじゃない
ふるい浴衣をほどいて洗って裁ちあとをつないだ布に
折りしわ残る紙でつくった型紙をあて
ブラウスの前身頃、後ろ身頃
襟に袖
それが最初のいちまい?
ままの
ううん
かぶりをふる母
もっとまえよ
小学生の時から
ぬってた
ブラウスだけじゃなく
スカートも?
ワンピースも?
授業じゃなくてね
好きだったし得意だったから
おさいほう好きなんでしょ
よかったらいらっしゃいって
うれしかった
どきどきしながら
次の日曜日もでかけた
どうぞっていわれたろうか
たたきに靴をぬいだとき
うつむいて
ひきむすんでいた口からふうっと息がもれた
きっと
日の傾くまでいっしんにミシンをふむ
おさげの中学生
洋裁師への道はもう始まっていた
本科師範科デザイン科
三年行ったんだってね
これが出てきたのよって母は
ある日
洋裁学校の修了書を広げる
デザイン画は苦手って前に言ってたね
型紙は起こすけどやっぱり
デザインするより縫うのが好き
だから
もくもくと縫えればよかった
子どものスカートや
社宅の奥さんたちのワンピース
時どき町なかの洋裁品店だったか
工賃表を買ってたしかめてたね
スカートいくら ワンピースいくら婦人物コートいくらと
示されたリスト
それより少なくしかもらわなかった
十年二十年着ても傷まない
出来栄えもあたりまえという矜持を
そっと縫い込み
まま、ママ、
ミシンの糸って二本、針も二本なんだね
家庭科の課題はついに一度も手伝ってもらわなかったけど
それはあなたに似て器用だったからではない
それでよかった
家にミシンがあるから
ボビンの入れ方はすんなりわかったよ
でも
迷いのない速さですすむ
まま、ママの縫い方には追いつかない
洋裁師にはかなわないよ
娘は縫うことをつづけなかった
二本の糸
二本の針が行き交って縫いあげてゆく
からだをつつむもの
ものをいれるふくろ
自分のと娘のと
二着のウェディングドレスを縫った
ふくれ織の白
裾を引く長さの一着を縫いあげた四畳半で
父は細身の母をかかえて声をあげた
ぼくの花嫁さん、と(*)
針は折れ糸は尽き
父はいなくなっても
縫いつづけた母
けれど
夕方になると黒っぽいものは見えにくくてねと
わらって手を止めた
六十歳少し前のことだったか。
たぶん
そして傘寿の春
この春
浴槽の上で乾かされていた
いちまいの布
水を通した生地、スカートを縫うのだと
久しぶりに型紙を取ったときくうれしさ
洋裁師だもの
自分の身は好みのかたち好みの色好みの風合いでつつむ
まま、ママ、そうだね、そうだよ
それがわが母
おっくうでね
型紙起こすのもね
でも、起こしたんでしょと問う娘には
計り知れない何か
暮れる春
立ち上がる夏
思ったよりかたくってねという生地はまだ
母の身体をつつまないまま
*昭和三十五年の五月のある日、二月から一緒に住むようになった日吉のアパートの四畳半で、わたしは自分のウェディングドレスを縫っていました。質素なものでした。いなかでの結婚式を目前に、それが仕上がったとき、あなたは早く着せたがりました。
気取って、ミシンの椅子の上に立ったわたしに、あなたは照れもせず無邪気に歓声をあげました。
「ワァー、ぼくの花嫁さん!」
いいながら、わたしを軽々と持ちあげて椅子からおろしました。*
空空空空空空空0*薦田英子『いのち ひたむきに』(一九八五年刊)終章「此岸より」
一読して、暖かいものがこみ上げきました。
志郎康さん、ありがとうございます。
ささやかな体験、記憶、思いをかたちにするのに、何ヵ月もかかってしまいました。
そんな作品が、志郎康さんのお気持ちをふぅっと揺らすものになっていたなら、とても嬉しいです。