今宵

 

薦田愛

 
 

来よ
今宵、
来よ
という
つよい声に
うながされ
鍵をあける
出かける
ひねもす
あしおともなく
おとないつづけていた
あめは
あがって
よるのしきつめられた
灯しひとつない道の
おうとつがこころなし
ゆるんで
いる
うるむくらがりへ
あおのく
ひたいにしたたる
一滴が
まぶたへはしる
ここ、から
来よ
という
声の
在り処へ
うすく
はがした
むきたての
はるの野辺の
やまぎわ
(ささめく)
かわべり
(ゆらめく)
よるの胎のうちがわ
湿るつちのにおいに
つつまれて
ゆく

 

 

 

秩序とか混沌とか

 

薦田愛

 
 

ユウキは恐るべき
マジックテープ使いである
ズボンの裾上げは当たり前
カーテンの丈つめにきっちり測ってアイロンがけ
色合いもぴったりのそれを無駄なく貼る
手際はむろん慣れたもの
ところが
ダブルベッドのベッドヘッドの
2㎝あるかないかの厚みに
ちょこんと置かれた目覚まし時計が
いつの間にか接着されている
ましてやリモコン
柱にエアコンの
食卓の脚にテレビの
リモコンが
接着されている
マジックテープってこんなふうに使うものだったのか
「散らかるのは許さないぞ
空0世界に秩序をもたらすのだ」
いやいや世界といえばカオスでしょ
混沌こそいのちのみなもと
すなわち豊かで可能性に満ちているってこと
秩序なんて何ほどのものだっていうの
だってあなた
束縛されたくないって
何ものも自由であるべきだって
言ってたじゃない
「あるべき場所におさまらなければ
空0混沌なんて混乱なんて
空0許しがたいものなのだ」

まいったなあ
わが家にとんでもない独裁者が出現したよ

齢重ねてふりかえるに
忘れ物なくし物机まわりの物の堆積
ノートをとった授業の結論ゆくえふめい
これはどうやら昨今いわれるところのADHDというそれではないかと
思い当たったわたしは
ねえそのうち
私の背中にもマジックテープをくっつけて
柱に接着するんじゃないの
言うとややあってユウキは
「そうだね
空0それもいいかもね」
って
いやいや違うでしょ
忘れ物なくし物授業の結論ゆくえふめいの
私だけれど
どうしてこれでけっこう地図がよめる女であるので
迷子にはならないんだから
接着定位置ぎめなんて
必要ないんだからっ

にらむのをわらっている
ユウキが立っていったあとの
食卓の上に
リモコン

 

 

 

ものぐるひ(改稿)

 

薦田愛

 
 

空白空0これはこのあたりを旅する者にてさうらふ
空白空0大学にて対面授業の始まらむ前に
空白空0Go To トラベル とて
空白空0うどんのクニとや呼ばるるサヌキに
空白空0初めて足踏み入れてさうらふ
空白空0そこやかしこに
空白空0うどんの店の軒連ぬるが見ゆるによって
空白空0いざ、そろりそろりと参らう

(潮の匂ひないたす 此処は
空0あのひとに初めてあり会ひし町
空0洋裁学校のクラスメートと通ふたる
空0社交ダンスの教室に
空0筒井筒にはあらねどとて
空0率てこられたるひと
空0浅黒きひたひ きりりと眉
空0はたちなりしかみづからは あのひとはひとつ上
空0あれあれ かしこを行ける
空0あれは
空0ああ あのひとなり)

なうなう そこを行く
日に灼けたるをのこやをのこ
そなた
誰やらに似たりと思へば
いとしや 背の君にておはしまさずや
つもる話のさうらへば
まづその足を止めて給べ

空白空0これ何をいたす
空白空0ちぎれるであらうがな
空白空0袖をひく
空白空0ここなたいそう老ひたる嫗
空白空0そなたは誰
空白空0うどんの店に入るによって
空白空0その手を放してよからう

(ふりきられてみれば あさましや
空0誤ったり あのひとにてさうらはず
空0何となう似て見えし浅黒きひたひのあたり
空0あのひとは
空0をらぬ
空0をらざった
空0とうに)

あな恥づかし 人違へにてさうらふ
許して給べ
さるをのこに
面ざしのあまり似たればこそ

空白空0さまで似たるとや
空白空0こなたに縁ある誰やらに
空白空0これは一興 話を聴かずばなるまいが
空白空0この家のうどん一杯食して来やうほどに
空白空0しばしこれにて待たれたがよい

(あのひとにあらず
空0あらぬ
空0あのひとはをらず
空0いな ありき
空0ありけるぞ
空0あの日 
空0文を交はしたるが父に知れ
空0家に呼ばれたるあのひとと
空0包まず文をやり取りして三年あまり
空0二百通の半ばより少し多くしたためたるはみづから
空0東の町に移り
空0ともに暮らしてあの子がうまれ
空0然り あの子
空0ともに暮らしたるあのひとが
空0あさましや
空0疾うみまかり
空0あとはあの子とふたり)

空白空0嫗を残してくぐりたるのれんの
空白空0奥にべつの嫗がござる
空白空0翁もござるが
空白空0うどんのクニでは
空白空0嫗もうどんを打ってござる
空白空0小体な店もソーシャルディスタンスな今日った
空白空0椅子ひとつおきに「×」の紙
空白空0供されたるどんぶりには湯気まとひたる
空白空0いとど太きうどん うどん
空白空0生醤油おろし生姜きざみねぎたっぷりとかけ
空白空0ずずっとすすれどすすれず
空白空0ぐぐっとたぐり
空白空0むんぐと嚙み
空白空0なんでふコシのいと強き
空白空0おぼえず ほおと申せば
空白空0この家の嫗と目が合ふたよ
空白空0おお 嫗 をうな
空白空0いざ おもての嫗の語るを聴かむ

空白空0戸を引けばのれんの向こう
空白空0炭色の衣まとふて
空白空0ベンチにゆらりと腰かけたる
空白空0そこな嫗どの 
空白空0いざ聞かむ
空白空0われに似たりと御身の申す
空白空0誰やらの物語

さんさうらふ
誰やらにてさうらはず
背の君 わがつま あのひと
あのひとに少し似て見えしが
真向かふてみれば ほほ 
少しも似ぬおひとぢや
なう 
お気をな損ねたまひそかし 

あのひとと
暮らしたる二十二年
うれしうて たのしうて
会社勤めせはしく
家にあらぬこと多きひとなれば
さみしうはさうらへども
あの子
ひとり子の
あの子の居れば

せはしきあのひと つまの
いたって健やかなるがある折
あさましや床に伏し
さうしてやうやう共に居らるる時を得てさうらふ
うれしうて憂はしうて
二とせあまり
あのひとは ああ 
はかなうなりて若きまま
うたてやこの身にばかり
年つきの降り積みたるよ

空白空0いかなこと
空白空0背の君に先立たれてさうらふや
空白空0それはいっかな耐へがたきことならむ
空白空0きけば御子のあるとなむ
空白空0せめてものこと
空白空0さぞ頼もしう思すらむ

あの子
あの子が
さればあの子が

ひとり子 あの子は学校を終へ働き
みづからは針とミシン
衣を裁ち縫ふて
やうやう暮らせり
ある日ひとりのをのこ参りて
むすめ御をふた親にまみえさせたしと申す
否むことはりとてなく
そののち
ひとり子なればとてみづからと三たりにて暮らせども
ふいに了んぬ
ふたたび
ふたり
あの子と
うどんを食べたり素麵を食べたり
こしらふるは専らみづからにて
遅くかへりくるはあの子
むすめなれど
しごとにんげん、とや
さながら背の君の代わりと
にがわらひ

なれど
あの子が

ある日あの子の
伴ひ来たるをのこは
いたう親切にてまめまめしうもてなしたれば
ありがたしと申したよ
助かると思ふた
あの子が笑ふてをった
ともに旅をもいたせり
三たり また三たり
ともに暮らさむとて
住処もとめて西の空

なれど
あの子が

「テレビつけたるままならば彼のひと
空0いたう疲るるによって
空0み終へたまはば消さるるか
空0おのが部屋にてご覧じたまへ」

なんどと
あの子が 
あの子が

空白空0ここな嫗どの
空白空0しづまりたまへ
空白空0御身の背の君の物語をば聴かむと申したるに
空白空0あの子とや
空白空0御子のこととや
空白空0うたてやな
空白空0あさましう いとどことさめてさうらふ

あさましやな
口あらがひを責むれば
泣き泣き詫ぶる習ひのあの子が
御免ごめん許してたべと度重ぬるさまの
うるさうて かまびすしうて
おぼへず
あなかまっと聲荒らぐるほど
執念くて
かかるあの子が
詫び言せぬ
詫ぶることばをのみこむがごと
睨めつくる
おそろしや 怖やの

わずかなる荷をまとめむに
指のふるふよ
隣る部屋より寝息のきこえて
咳きあぐ
ねむらずに身仕度
ドア押しければ 嘆かしや開きたる

「さらばかたじけなうゆるしてたべ幸あれかし」

参る当て処とてなく
乗り換へのりかへ海を渡りてゐたりける
呼び鈴に現はるる弟みひらかるる眼
こはいづこなるや弟の家にや
宿りを乞ひ臥してうとうと
まぶた重うて朝

なれど

うからに説かれ
三日目
もどれば
もの申さぬあの子
カレと呼ばるるかの親切なりしをのこ在りて
おかあさんと呼ばれたり
まっしろなり
まっしろ
ドア押し開くる
また

空白空0おう おう
空白空0吠えて御座あるや
空白空0おうな 嫗どの
空白空0いたはしやな 流浪のてんまつ
空白空0袖すり合ふとはまっことこのこと
空白空0少し歩みたうなりたれば
空白空0歩みあゆみ承らうよ
空白空0潮風みなはの洗ふ城とは
空白空0あれなるや
空白空0たまもてふ 波うつ石垣
空白空0港ちかき海ぎはへと歩をすすめて参らうよ

あな、恥づかしの身の上かな
おうおう と
聲あぐるはいと易けれど
おしころし押し殺す底ひより
たぎりたちくるもののさうらひて
あの
あの子
あの子の名 を
こゑ に
こゑ に出ださず
聲 にせむ

えうえう
えおう いい いい
鳴りたる 風なりしか

伸びたるままなる九十九髪に隠るる
耳の
おうおう
えい えおう いい いい
なにかに似たれど なにやら覚束ぬものの
名のごと
したたるなりわたる
音に濡れ
びやうびやう
吹き鳴らしたるは
のどならむ こゑ ならむ
この身の
なにかににたれど なにともおぼつかぬ
聲なり
あの子
あの子の名 を

チャコと教科書型紙筆箱入れたる鞄な提げて
通ひし町なりしかど
おう おぼへぬ
いい 見も知らぬ
おお とほき遠きい町 
うう 疎うとしき
知らぬ人ばかりの町 此処にて
見知りたる
ひと
とうにおはさぬ
あのひとの血縁
ナミコさんてふ
細うて優しき
折ふしこはき
ナミコちゃん

語りかくれどひたと見上げをる
をさな
をさなごのころより存じたる
しるべなれば

空白空0なうなう嫗どの
空白空0ナミコどのとやらむ
空白空0むすめ御にてさうらふや
空白空0細うて優しうて
空白空0折ふしこはきとなむ

さにあらず
血縁なり しるべなり
をさなき折より存じをれば

されば
書き込みひとつなき
暦をぞめくりける
おお 
殆としう果つるものを
ほとほとしう果てぬにや
みづからのきざす切っ先ふるふと思へば
電話なり
あの子のカレと申すをのこよりの
電話なり
あらあ 
おぼえずはねあがる
こゑ 聲
みづからがこゑともおぼえぬ
こゑ
息災なりや相居るやあの子は息災に過ごしをるや
如何でいかでとひと息に尋ね
息災なりといらへける
息災なるやいかがせしや如何でいかでいかで

のありて
露の間
そくさいなり

あの子の こゑ 聲
あの子なりいきてをり
あたりまへ
あたりまへなれどいきてをり
いきてをると思ふたれば
かあっとあつうなりたるよ
たらちめなりみづからはみづからはあのこのたらちめなり
あの子の生まれしより長ういなあの子をはらみしより長う
いちにちたりともかくることなう長う
みづからはたらちめなりなればこそ
たれば たら ただこのたらちめは

きれてけり
きれてありしやきりたるものや
電話
電話の
かかりてきたるや
部屋
ひとりの
部屋
ドアを押しあけ郵便受けに降りぬれば
うつろなり
うつろなれば
うつろなるうつしみを
ひとりの小さきちひさき部屋へはこぶ
たぎりたる
つむりのひえて
うれしき切れ端握りなほし
ナミコさんにメール
携帯の小さき画面
うれしき思ひの絵文字選りては
ナミコさぁん
打つ間に
ゆくりなう
ぐうっとせきあぐるもの
如何で今何をいまさら
いかな了見にてふいに電話
くらきくろき雲
おもき
メールの文字重うこごりそめ
ナミコさぁん ナミコさぁん
あの子から電話
何ごとぞ
ナミコさぁん
ふくれあぐるもの小さき画面の文字ににじみて
ナミコさん
いかな了見にやあの子とや
カレとやらむ申せしひとも
きがしれぬきがしれぬいまごろでんわして寄越すきがしれぬ

送りたる
12さしたる
針ふるへ
糸とほさぬ時計の
針ふるへて

ナミコさんよりいらへ
おばさま考えすぎなり素直に喜びて良きことなるに
わらはぬをさなごのナミコさんのみつめをる

空白空0こ、こはいかに嫗どの
空白空0そこな畳まれたる
空白空0携帯の鳴りをるやらむ
空白空0嫗どの をうなどの

みづからを呼ばはる聲も風の間に
絶えむとばかり鄙びたる
潮鳴る道の左右しらぬ
朝しらむとも背のあとを
慕ふてければ降る日々の
先かの岸へ渡るべし
さき彼の岸へわたるべし

空白空0ここな嫗どの をうなどの
空白空0御子からならむや
空白空0鳴りやまざるは

空白空0潮風にも消ぬ携帯の着信音
空白空0ふいにたわむを
空白空0はっといたして見かへれば
空白空0炭いろの衣ふわとひるがへりて
空白空0突き出されたる枝先のごとき指より
空白空0今しなげうたれたるもののさうらひ
空白空0あと けらけら と申しける

 

 

 

ものぐるひ

 

薦田愛

 
 

空白空0これはこのあたりを旅する者にてそうろう
空白空0大学にて対面授業の始まらん前に
空白空0Go To トラベル とて
空白空0うどんのクニとや呼ばるるサヌキに
空白空0初めて足踏み入れてそうろう
空白空0そこやかしこに
空白空0うどんの店の軒連ねるが見ゆるによって
空白空0いざ、そろりそろりと参ろう

あれあれ そこを行く
日に灼けたるおのこやおのこ
そなた
誰やらに似たりと思えば
いとしや 背の君にてあるまいか
つもる話のそうらえば
まずその足を止め給えかし

潮の匂いのする ここは
あのひとに初めて会った町
洋裁学校のクラスメートと通った
社交ダンスの教室に
幼なじみなのよといって
連れてこられたひと
浅黒いひたい きりりと眉
はたちだったか私 あのひとはひとつ上

空白空0これ何をいたす
空白空0ちぎれるではないか
空白空0袖をひく
空白空0ここなたいそう老いたる媼
空白空0そなたは誰
空白空0うどんの店に入るによって
空白空0その手を放してよかろう

ふりきられてみれば いやだ
ちがった あのひとではない
少し似ていた浅黒い額のあたり
あのひとはいない
いないのだった
とうに

文を交わしているのが父に知れ
家に呼ばれたあのひとと
隠さず文をやり取りして三年あまり
二百通の半分より少し多く書いたのは私
いっしょに暮らしてあの子がうまれ
そう あの子
いっしょに暮らしたあのひとが
なんてこと
先にいき
あとはあの子とふたり

空白空0媼を残してくぐったのれんの
空白空0奥にべつの媼がござる
空白空0翁もござるが
空白空0うどんのクニでは媼も
空白空0うどんを打ってござる

あのひとと暮らして二十一年
うれしかった たのしかった
いそがしいひとだったから
さみしかったけれど
あの子がいた
いそがしかったあのひとが身体をこわし
それでいっしょにいられる時間ができた
うれしくてつらい
二年とすこし
あのひとは
いってしまって若いまま
私にばかり年月が降り積もる

そしてあの子が

あの子が学校を出てはたらき
私は針とミシンでかせぎ
なんとか暮らした
ある日あの子と男が来て
むすめさんを両親に会わせたいといった
あの子と三人暮らしたけれど
突然おわった
また
ふたり
うどんを食べたりそうめんを食べたり
作ってやるのは私で
おそく帰ってくるのはあの子
むすめだけど
あのひとの代わりみたいと
にがわらい

なのに
あの子が

ある日あの子の
連れてきた男は親切だった
ありがとうといった
助かると思った
あの子が笑っていた
いっしょに旅をした
さんにん
また三人
いっしょに暮らそうと

なのに
あの子が

テレビつけっ放しだとカレが疲れるから
みおわったら消すかじぶんの部屋でみて

なんて
あの子が 
あの子が

口ごたえを叱ったら
泣いてあやまる子だったのに
ごめんなさいとくりかえすのが
うるさくて
おもわずうるさいっとどなるほど
しつこくて
そんなあの子が
あやまらない
あやまることばをのみこむように
にらみつける
こわい

わずかな荷物をまとめる
指がふるえる
となりの部屋から寝息がきこえる
こみあげる
ねむらずに身仕度
ドアをあける
さよならありがとうごめんねしあわせに

行くところがなくて
乗り換えのりかえ海を渡っていた
泊まってうとうと
まぶた重くて朝

なのに

三日目
もどると
くちをきかないあの子
カレと呼ばれる男が来ていた
おかあさんと呼ばれた
まっしろだ
まっしろ
ドアをあける
また

空白空0媼と翁のぶっかけ大盛りを平らげてござる
空白空0いたってコシのつよいうどんにいりこの出汁
空白空0いざ次の店へとのれんを分け
空白空0表に出んとすれば
空白空0あな
空白空0店さきのベンチに
空白空0揺れてみゆるは
空白空0さいぜんの媼なるぞ
空白空0おう おう
空白空0吠えてござるではあるまいか
空白空0袖すり合うとは申し条

空白空0ソシアルディスタンスな今日った
空白空0触るるはご法度
空白空0うちすてて参らずばなるまいて

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空0(続ク)

 

 

 

はんがん

 

薦田愛

 
 

きのう、ね
イナロク沿いだったかな *
自転車で向こうから走ってくるひとがいたんだけど
つばびろの帽子かぶってサングラスかけて
マスクしてた不織布の
おんなのひと
もうね
どんなひとか
ぜんぜん見えないの
「いやひどいよね
きもちわるくなる
マスクしてる顔ばっかりで」
ユウキの全身からうんざり感

ほんとね
電車やお店の中はともかく
人混みでもないし
この暑い昼日なか
「落語の稽古の時だってさ
きいてるひとがみんなマスクしてると
表情がわからないんだよね」
アマチュア落語の稽古場では
手元の見台にアクリル板
師匠だけはフェイスシールドだけれど
自分の番の前やあと席できく受講生はマスク必須
にじゅういくつの
くぐもった笑いがたちのぼるのだろう

ユウキは
町に人間がいないと言う
「マスクして歩いているのは
人間に見えない」と

そうだね
昔だったらコンビニに入るとき
フルヘルメットは外してくださいって
書かれてたよね
いまや
まるっきり包み込まれた顔にも出くわすし
半分見えないのはデフォルト
上半分だけの顔が行き来してる
COVID-19とよばれる
ウイルスが地球の皮膚ぜんたいを
おおいつくす
しらずにふれたひとは
かたっぱしからたおれふす
というおそれに
ふかくそめられていった
このとし(年/都市)

百均で買えていた
個包装七枚入り不織布マスクが
ある日棚から消える
ドラッグストアの列に並んでも買えない
ネットで探すと送料込み一万円にせまるセット売りばかり
ないと聞くと
なければいけないようでどきどきする
見ていたかのように
使い捨てというけれど
洗って何回かは使えますと
手押し洗いの映像
ひもに付着したウイルスが手や口にふれるとイケナイので
よぶんを持ち歩いていますと街頭でこたえるひと
なんて周到 いややおせっかいいらん

「ふつうにしっかり手洗いで十分だよ
あと、よく笑って免疫力アップ
さっ今夜は『百年目』見よう」
落語のDVD、買っておいてよかったよね

赤ちゃんは大人の表情を見て学んでいるから
マスク生活でその機会が奪われるのは深刻な問題、という記事を
Facebookで見かけてシェアする
ひとの心の動きがわからないまま
成長してしまうおそれがあると
そこへ
「目は口ほど物を言うというのは嘘でしたね」と
コメント
ああ畑井さん
ほんとにね
「マスクの下は笑顔」なんて書かれていても
きゅっと結んだ口もとだの
ふっとこぼれた溜め息だの
思わずゆがんだへの字だの
湿った布きれいちまいに覆われてわからない
しげしげ見つめてみれば
眉根が寄って尋常ならざる空気だったり
額のシワがいちだんと深かったり
最高気温三十八度に耳やまぶたが火照っていたり
するかもしれないけれど
接近遭遇が嫌われまくっているこのご時世には
不首尾に終わってしまう可能性が大

ああ
はんがん
伏し目がちな仏像の慈愛に満ちた
半眼、じゃなくて
はんがん
半分きり見えない顔を
めいめい
stay homeで運動不足ぎみな身体に乗せて
歩きまわる二〇二〇年のじんるい

ヨーセイされて自粛なんてさ
ご遠慮くださいといって遠まわしに
お断わりされているのと同じ
じぶんでえらんでしているのではなくて
ほんのりていねいなふりして
なんきん
(カギではなくパンプキンでもなく)
マスクだってさ
まもるというよりフーイン
(かぜのおとではなくて)
そう、ツバとばすなというだけではなく
おくちにチャック
みたいやわ

不織布の 布きれの
しとっと蒸れた呼気をふくんで
ゆらっゆらっと
かしぐ身体
ダレノ
ダレノカワカラナイ
ワカラナイカラダ
カラダノ
ムレ
群れ

ナツのさかり
熱中症のキケンと相談してねといって
テキギ外しましょうって広報
そそそ そやろ
もともと外ではせんかてええねん
そんなん
言われなくたってわかるはずやんか
こんなやったら
ちょっと涼しなってきたらとたんにまた
さぁさ秋冬スタイルってばかりに
すみからすみまでずずずいーっと
並ぶんやろか
半顔
はんがん
にんげん、やのうて

はがしとうて
はんがん
ならん
はんがん
はぎとりとうて
ならん
かみきれ
ぬのきれいちまい

 
 

* イナロク 国道一七六号線の俗称。

 

 

 

わが五輪

 

薦田愛

 
 

ふた月に近い雨季
ツユとよぶ
季節はやっと明けたが
少し前この年の
Olympicにちなむ祝日
だのに
とどまれ いや
家に居や なんて嫌や
Olympic yearの祝日なのに

閉じることのできない
ear
耳に逆らう
新・体育の日というらしい
その日
嫌や 家に居や
って
誰が言うてや

ひひん
ひひんと
ひひんと鳴かない
牝馬かポニー
大人用三輪自転車ポニーに乗る
練習が
雨がつづいて
ひかる坂道 路面が
乾かないので
サドルの跨る
時間がなかった

夏至の坂を越えれば夕暮れは
みるみる早まる
ポニー
大人用三輪自転車の
ペダルを踏むステップへと
進まなくてはならない

「ペダルをつけてもらってきたよ
停めたままで漕いでみようか」
とユウキ
エアロバイクだったら
よく漕いでたよ
家に置いてたこともあったからね
だから
ただ漕ぐだけなら慣れてる
ぐいぐいぐるんぐるん
ほらね
「じゃあ今度の週末に公園、行ってみようか
あそこなら足もとが土だし」
え、公園って
去年、花火をしに行ったあそこかな
うちの前を右へ右へ坂をのぼって
歩くと五分くらいの
「自転車ならあっという間だよ」
うんうん
昼間は子どもやお年寄りでいっぱいじゃないかな
いやだ、はずかしい
次の週末
行ってみると公園は
ボールを蹴る子どもが駆けまわっていて
ああ無理だね

銀輪二輪すすっと走るバランスに自信がないので三輪
でももしやの補助輪
買った
「補助輪つければとにかく乗れるから
慣れたら外せばいいんだし」
とユウキ
子どもみたいではずかしいけど
おお
三輪ポニーに補助輪足すと
ほら
なんと五輪
わが五輪
「え、自転車じゃなくて三輪に?
つけてもいいけど
曲がれないかもしれないよ」
そうかな
どうしてかな
というより
あるかな大人のにつけられる補助輪
もしやと
さがす
さがしあてて取り寄せた

さあてとユウキ
つけてみようとしたら
変速ギアを外さなきゃならないから
「手に負えないや
自転車屋さんに行こう」
三輪に補助輪
わが五輪は
曲がれないかもしれない
「自転車につけたほうがいいかもしれないから
両方持っていこう」
という次第でふたり
自転車を押してユウキ
ポニーを押して私
駅前のサイクルショップへは
ブレーキの調整ペダルのつけ外しとユウキが
すでに三輪ポニーで度たびお願していて
顔なじみじゃないかな
日曜の午後の店先は
手入れ待ちの自転車でいっぱい
これもCOVID-19の影響だったりして
一時間くらいかかります
わかりましたと
図書館喫茶店スーパー経由で迎えに行く
ああついてるポニーに補助輪
わが五輪
私のポニーを支える小さな真顔がふたつ
「動くかな、乗ってみて」
よいしょっと跨ったら
そうでなくても安定の前二輪に後ろ三輪
わが五輪は
左右の安定といったらなかなかだけれど
あれれ
ペダルがちっとも踏み下ろせないや
エアロバイクとはぜんぜん違う
脚力不足かな
なにしろリアル自転車漕いだことないから
「重いのかもしれないね
曲がれるかな、やってみて」
ええっと、曲が、まがってみるね
店先の歩道
ええいっ、と左へカーブを試みようとするけれど
重くてなのか弱くてなのか
ちいっとも
「ああ、やっぱり
こっちにつけ直してもらおう
すみません」
と店のひとに向き直り
三輪ポニーから二輪につけ直してもらう
もう一度跨ってみる
軽い
かるいけれどやっぱり
ペダルを踏み下ろせない
わが五輪、は
ならず
なれど
わが四輪は
そしてポニーは
照りのこる日差しのなか
ふたり
ポニーを押す私と
補助輪つき自転車を押すユウキ
この補助輪つき自転車
経由ポニー
四輪三輪
「そうだねそうやって
ふつうの自転車にも乗れるようになるよ」
どうかな
乗れるかな
ぐんぐんペダルを踏み下ろし
ユウキの
ニンタイが尽きないうちにね

 
 

*近代オリンピック史上初めてのエンキだという。東京大会が翌年同日時へ変更された。COVID‐19と呼ばれるウイルスがはびこり被害が広がるのを阻むため、ヒトとヒトを距てよ、むやみに出歩くな、家にとどまれ、と各国で公けに叫ばれた。満員電車の通勤を避け、自転車を使うひとも増えたと言われる。そのような年であった2020年、記す。

 

 

 

ひひんと鳴かない馬を

 

薦田愛

 
 

ひひん
ひひんと
ひひんと鳴かない馬を
買った

五月

(道交法の上では
空0馬は
空0車輛と同じ扱いです)

ポニーという
ちいさな馬を飼う
いえ
ポニーという
三輪車
大人用の
前二輪の三輪車を買った

自転車のサドルに跨ったことがない
自動車はさらなり
自前の二足歩行をもっぱらとし
徒競走はビリなくせに
歩くのは
トライアスロンで鍛えている男性と同じペース
ゆえに
走るより歩くほうが速いのではと
囁かれた
歩く
歩いてゆく
それがわたくし

「引っ越したら練習しようね」
二年前の東京
ユウキの言葉に
うんとも、ううんとも
応えないまま
越してきた
ここは
造成されてすっかり住宅街になり
病院や学校の敷地のなかに
里山や竹林の名残が少しばかりという
坂だらけの町
軽自動車でさえ登りづらそうな急勾配や
ゆるゆる長い傾斜が
あっちこっち
地元の勉強会で隣りあった引っ越し組の坂本さんも
以前は電動アシスト自転車に乗っていたけど
ここに来て乗らなくなっちゃったわねえという
そうだよね
自転車向きじゃないんだ
歩くぶんには
三十分でも一時間でもへっちゃらな
わたくしであるから
最寄り駅のまわりはもちろん両隣の駅
さらにはその隣の駅までぐんぐん歩き
安い野菜やら乾物やら肉だの魚だの
急勾配も長い長い坂も
えっちらおっちら
大荷物へっちゃら
おお、とうもろこしが安い
なすも半額だ 

「いやぁ、これはさすがに重いよ、きみの細腕じゃ
一緒に出かける時でいいなら、そうして
無理しないで」
腕にくっきり赤い輪っか
エコバッグの提げ手の痕で
びっくりさせてしまった
だいじょうぶ、だいじょうぶだったら
大荷物には慣れてるから
「だいたいきみは買い物以前に荷物が多いよね。
自転車だったら時間もかからないし
荷物だってのせられる」
そうだね
そうなんだろうけど
ずうっとこんなふうにやってきたから
これが当たり前なんだよ
ああ、でももしかしたら
もしかしたらだけど
三輪車だったらいいかもしれないな
「三輪車? 
そんなの高齢者用じゃない?
どうかなぁ」
そんなことないよ
芦田みゆきさんって友達がね
墨田区から浅草の駒形まで
隅田川を渡って
三輪車で来ていたことがあったよ
乗り心地、どんなだったか
きいてみようかな

以前、三輪車を使っておられましたよね?

――前車輪ふたつのに乗ってたよ!
空白空白空そのほうが安定してるって。
空白空白空前カゴにムスコ乗せて(笑)
空白空白空歩道が狭くなければ、かなりいいです。

空白空白空自転車置き場が、ちょっと困りましたが。
前車輪ふたつタイプだったのね!
今の住まいは坂も多くて自転車向きではないけど、

将来、引っ越すことを検討中で、
自転車はムリかもしれないけど、三輪車ならどうかな
行動範囲が広がるかなって
――今は電動もあるのでは。
今から乗るの気をつけてね
ありがとう。乗るの、田舎道になるかな?
それだと駐輪スペースは心配少なそう。
――かごが大きい三輪はいいよ!

空白空白空ゆっくりでいいと思うし。

「前二輪ね、どれどれ
というか、そもそも大人用三輪車、高いねえ! 
種類もあんまりないし。乗る人が少ないからだろうね」
そうかなあ
それでもあきらめられない
わたくし
すこぶる
あきらめがわるいんである
アレはどうかな
譲りますあげます、の
「うーん、どうかな、あるかなあ?」
画面を覗いてふたり
ああ、あることはある
中古でもけっこうするね
やっぱりシニアっぽいのが多いかな

「あのさ、ちょっと良さそうなのがあったんだ
見てみない?
三輪車っていってもあれなら
きみが乗っても可愛くていいと思うんだ」
ある晩、夕食後だったか
え、なに?
ていうか
“可愛い”って
女子高生専用の言葉だと思ってたよ

そしてそうして
前二輪の大人用三輪車
ポニー
ひひんと鳴かない
赤い
牝馬、かな?
譲ってくれるというひとの指定する倉庫街へ
ふたり
わたくし用だけれどまだ乗れないので
ユウキが試乗
「ああ、こんな感じなんだ!」
空0前輪がブレーキでグッと沈むので
段差を越える時の衝撃が小さくて済むのだという
「子どもをのせたりするのにいいように設計されてるんだね」
前二輪といっても
その幅が狭い
ふらふらしないかな、が揮発
うっすらしんぱいな横でユウキが
「赤がかわいい」
とまた言って
連れて帰った
ポニー

そしてある日
初めての練習
ええっとね、おおむかし
二輪のを押して行って重くて
ちょこっと乗ってみたけどダメで
それっきりだからね
「だいじょうぶ。こうすれば必ず乗れるようになるという
子どもに教える時用のやり方を見つけたから
最初はペダルを外して、ひたすら地面を蹴って進む
転がす感覚をおぼえて飽きるくらい慣れてからペダルを着けると
乗れるようになるまで、早いんだって」
公園でと言ってたけれど
ひとがいて、恥ずかしいな
「最初はうちの前のここ、ちょうどいいんじゃないかな」
ゆるやかにうねる細い道
車がすれ違えるかどうかくらいの
交通量は多くないけれど
ユウキが目を配って先になり後になり
地面を蹴って進む速さがもう怖い
路面のつぎはぎ凹凸が微細に伝わって
身体が浮きあがる
怖くてこわばる腕のつけ根が痛い
ああこれって
わたくしという生き物の
前脚のつけ根だな
ポニー
小さな馬にまたがる生き物の
前脚のつけ根
湿布を貼ってもらって
次の日もその次の日も
サドルに跨る
少し
少しだけスピードが上がる
かすかな傾斜を足を浮かせ後輪ブレーキをきかせて減速してみる
左右にわずかばかり傾ぎながら蛇行する
脇道からの坂を下りながらカーブをきるまで
あと少し
すれ違う
犬の散歩の女のひとと目があう
会釈して話しかけられる
犬じゃないけど
ポニー
連れて
いえ
連れられて
知らない人が
顔見知りになる
ああ、とんぼ
黒いね
オハグロトンボかな

ふるい仕事仲間のライター
中村数子さんは海峡を渡る自転車乗り
そのひとの投稿に
三輪だけれど練習し始めたんですとコメントしたら
「がんがん乗ってください
自転車は背中に翼を授けてくれます」と
いつか
そんなふうに乗れるかな
ポニー
ひひんと鳴かない馬は
翼を隠し持っているのかな

梅雨が明けようとしている
ユウキが追いかけてくる

 

 

 

ポップコーン・デイズ

 

薦田愛

 
 

ちょっと古びた打ちっ放しの外壁
ちいさな集合住宅の
ここは
リビンングダイニングの壁ひとつが
いちめん型ガラス
その向かい側がベランダに出る窓
型ガラスの
外は
こぢんまりと中庭
だから
ほのかに透けて
みどり
五月だった
はじめて
足を踏み入れ
射られた
しんと
ほの暗いなかに
明るい
みどり
みどりがさしこむ
みどりに射ぬかれ
うなずき合った
合わせた目を
真向かう
ベランダの側にうつせば

大きな樹
もしかすると
桜かなあ? 桜だったら
部屋からお花見できるね
「いいねえ、花見」
そうして決まった
こころ
心を決めた
ここに住む

仕事帰りのユウキ
そのレジ袋は何?
「ポップコーン、買ってきた」
えっ、ポップコーン?
なんで?
「だって、ポップコーンみたいじゃない?
満開の桜って。
見てると食べたくなるんだ、ポップコーン」
そうかなあ
満開の
ポップコーン
なんだか
アメリカン・テイスト
ニューヨークかどこかで桜を見ながら
ポップコーン頬張ってるひとって
いるのかな
ベランダの向こうの
〈もしかして〉が
もみじ、はだか木
〈やっぱり〉になり
寒さのゆるむ速度を追い越すように
ある日
色づくつぼみに気づくと
そこからあっという間
雨に濡れた枝からしたたる滴もあたたかいのか
見れば二輪、三輪
ほころんで
ユウキ
咲き始めたよ
「ほんとだ」
言葉少なに見やっていたのが
つい三日前だったか

アルミケースのフライパン型パッケージ
へえ、やっぱりアメリカ製なんだ
火にかけると
ぽぽっ ぽぽぽっ
ぱぱぱぱ ぱぱん ぽぽぽぽぽ
ユウキの手もと
みるみる
ミルクイエローの花はな花
リビングダイニングいっぱいコーンの匂い
「どうぞ」と澄まして注いでくれるビール
鉢に山盛りの花はな花
ポップコーンって
映画館で手探りしながら食べるだけじゃなかったんだね
塩と油にまみれた指をなめなめ
泡と花とを交互に口にする
あけはなつ窓からの風は
まだ少し冷たい
むすうの花はな花を抱えて身震いする
いっぽんの

明けの声
メジロにスズメ、ヒヨドリにアゲハ
蜜は日に日に吸われ
いっさんに散るとき
白いと見えていたものが薄あかい
吹き寄せられて
側溝に溜まる紅が朽ち
枝ひとつも忘れない入念さで若葉が覆い尽くすと
それはそのまま
蝉のねぐら

そして

ふたたびの春
ちいさな集合住宅のある町
その町のあるクニ
その、クニのある星いちめん
覆い尽くす
おそれ
はやりやまい
声をあわせ笑いあい
くみかわすことを
あきらめこらえようと
こもる人びとの窓
けれど
二輪、三輪、先を競う
花はな花は
枝枝からこぼれ
きこえない声に
揺れ
「買ってきたよ、ポップコーン」
それにビールね
この窓の内側
小さな集合住宅の
リビングダイニングをコーンの匂いに染めて
ふたり
咲ききって散り初める
いちにちを寿ごう

 

 

 

むらさき落ツル

 

薦田 愛

 
 

「その、ジカビダキ、だっけ?」
――えっ?
「きみが言ってた、なんだっけ? 鳥の」
ああ
ジョウビタキっていうの。
オレンジ色の身体に黒い頭
スズメより少し大きいっていうんだけど
わたしが見たのはほっそりしてて
大きさもスズメと同じくらい
網戸に止まったり手すりにも
小首かしげて可愛いんだ
写真撮りそこねたけど
近づいてもすぐに逃げないよ
「ジョウ、ジョウビ、タキ?」
そう、ジョウビタキね
その子がどうも、ガラス窓に激突してるみたい
ゴツッ ゴトッ
ゴンッ コトッ

内側からユウキが貼ってくれた
紫外線防止フィルムのミラー効果で
じぶんの姿がうつったんだよ
ナワバリ意識のつよい鳥で
異性にまで攻撃しかけたりするんだってよ
「へええ、それはすごいね!」
だからじぶんの姿が映っているとも知らずに
ガラスに激突ってこと、よくあるみたい
そのストレスでフンを落としていくんだって
フン害報告はネットにたくさん
車のミラーやフロントガラスも危ないみたい
「ああっ」
まさか
「それだったのかあ! 汚れてた、紫の」
むらさき、の?
「だぁーっと流れてた、誰のしわざかと思ったら」
ああ、それ
ジョウビタキだ
でも、渡り鳥だから
十一月から三月くらいまでだって
春になるとどこか
たぶん北のほうへ飛んでゆく
「でも汚されるのはたまらないから
ミラー、たたんでおくわ」
そうだね、それがいい
それにしても
紫のおとしもののもとは
なんだろう
やっぱり紫なのだろうか
だとしたら
上の階のベランダには葡萄の棚らしいものが見えているけれど
グリーンぽいから違うなたぶん
そういえば
赤い鳥は赤い実を
白い鳥は白い実を
なんて唄もある
それなら
ジョウビタキはオレンジ色の実を
食べるんじゃないか
オレンジ色の鳥はオレンジ色の実を
いやいやカラスだって
ビワの実がなるとあんなに興奮する
食い散らかしがそこらじゅう
だから
紫色の実を食べたとしても
紫色の鳥にはならない
待てよ
赤い鳥は
赤いおとしものをするのだろうか
白い鳥は白いおとしものを

ある日地元の高校で
里山を歩くワークショップ
そして干し柿作り
坂の多い住宅街のひとすみ
こちらからも向こうからも
造成されて
ここだけ残ったのですよと
生物エコ部の松本先生
十年がかりの調査をまとめた里山マップによれば
アカマツクロマツモウソウチク
カワラナデシコアキノキリンソウ
茸だけでも百三十種
市内でここにしかない草木百般
案内される校内の
「裏山」と呼ばれる細長い里山エリアやハーブ園
立ち止まっては説明してくださるなかに
小暗い茂みのようないっぽんの木かたそうな葉
「これがシャシャンボです。
紫の実がなる。
和製ブルーベリーですね。
鳥が食べにくる」
むらさきの
ブルーベリー
これだったろうか
ジョウビタキの
むらさきの餌
おとしもののもと
小高い高校からヒトの足で五分のわが家へは
小柄なジョウビタキの翼でもひとっ飛び
きっと
冷たい外気のなか
干したバスタオルのまんまんなかを
深く染めた
むらさき、の
むらさき落ツル
あれはこの
シャシャンボの実
ついばまれた和製ブルーベリーのなれのはて
シャシャンボの――
メモする私は列から遅れ
湿りを帯びて傾く土の道の先
高枝伐りばさみを
ヤマガキの梢にさしのべる先生を囲んで
ワークショップは続いている

ヒヒ ピイヒ
ゴツ
ピピ ピイ ヒィ
ゴツッ
朝と言わず午後と言わず
来る日も来る日も
激突
「外側に貼ろうかな、クッション材」
結露対策に使った余りが少しある、とユウキ
いいかもしれないね
ぶつかって死んでしまうこともあるっていうから
映らなくなればもう
おとしものだって

けれどふいに
訪れは絶え
ベランダの
コンクリートに残るむらさきを
こそぎながら
耳をたてる
声をさがす
渡りの季節にはまだ早い
「別の餌を見つけたかな」
そうなのかな
べつの枝
べつの里山へ移っていったのだろうか
白く冷たいバスタオルは
よごれずに
かたく乾いた夜風をふくんでいる

 

 

 

どど どぉん どど どどっ

 

薦田 愛

 
 

ぴぃぴぃぴぃー
リビングの窓いっぱい
葉を繁らせる桜の樹のどこかだろうか
ひときわ高く鳴く
声の主が知りたくて
歴二ヵ月のスマホで調べる
便利だなスマホ
日本野鳥の会鳴き声ノートなんてあるんだな
午前十時すぎ朝食の洗い物を済ませ
ソファでひと息ついたところへ
どど どぉん どど
どどっ
何だろう
どこか近所で太鼓の練習でも始めたんだろうか
ハナミズキやツツジのある中庭を囲む
小さなこの集合住宅はいつも静かだから
最近越してきた向かいの棟の人かななんて
いけないなあ根拠のない濡れぎぬは
うちだってまだ一年そこそこ
歩いても歩いても
このあたりのことはどれほども知らない
東京入谷の住まいはまわりに
お寺も神社もたくさんあったから
祭のころになると週末ごとに笛や太鼓
お囃子が近づいてくるのだった
ひよひぃ ぴぴぃ
とことん どこど
とことことこ どどどどどん

あれまたかすかに
どど どぉん どど
どどっ
まさか
まさかね
気づかなかったんだ

二日くらいあとだったか
メイクをしようと脱衣所のドアを開けたら
押し寄せてきた
おと
どど どぉん どど
どどっ
えっ
太鼓の練習?
違うのだった太鼓じゃなかった
よそじゃなかったうちだった
洗濯機が鳴っていたのだった
どど どぉん どど どどっ
これはいわゆる異音ってやつだろうか
グレイでクールな洗濯機の上蓋前面にある
一時停止ボタンを押し
リビングに戻ってトリセツを開く
音の種類さまざまについての解説に
どど どぉん どど どどっ
は含まれておらず
異音のある場合は使用を続けると危険な場合があるとの記載
とはいえ洗いかけのものを放置もできないので
つむれない耳をつむらないまま
洗濯を再開
ふむふむ
ずうっと鳴ってるわけでもないんだな
洗うものの重さを量っている時、空回りしているような何かひきずるような
し し きゅ きゅる しし し し きゅる
洗っている時の音がいちばん大きいな
どど どぉん どど どどっ

仕事帰りのユウキに話すと
「何年使ってるの」
そうだね
東日本大震災よりあとに買ったよ
五年か六年くらいかな
「洗濯機なんて、そうそう壊れるものじゃないよ
もっとも、きみのうちはお母さんもきみもすごい量の洗濯をしていたみたいだから
ふつうの家の頻度に比べたら、だいぶ消耗してるのかもしれないね」
あのころ
女所帯の長らくの習慣で
ベランダに出る窓にも鍵を
上下合わせて三つつけていた
つまり籠城の覚悟
ゆえにずうっと外干しはせず
浴室乾燥と洗濯機の乾燥機能をフル利用していた
(なんて反エコだったんだ!)
東日本大震災のあとは放射線量が気になって
洗濯物の量も頻度もいっそう増えた
ことに雨のあとはコートもスカートも鞄のカバーも
脱いだ端から外した端から
洗濯機の中
身につけるものを選ぶ基準は何より洗えること
いや洗えない表示のものでも洗ってたっけ

東京をはなれて
今の住まいには浴室乾燥機能もないけれど
外干しをためらう理由もなくなった
奥行きのないベランダの物干し竿に隙間なく並べては
容赦ない西日に射られながらすばやく取り込む

し しし きゅきゅる しし し
どど どぉん どど
どどっ
だましだまし使っていても
音はやまない
洗い終えたものをすっかり出すと
なにやら違和感
あれっ ねじが浮いてる?
これってつまりねじがゆるんだせいで異音が出てたってことかな
いのる思いでしめ直しても
次に使うとまたゆるんでいる
かぞえきれないくらい回って
かぞえきれない靴下だのタオルだの
すりへった洗濯機の年月をおもってみる

「そうか仕方ないね」
早じまいで帰宅したユウキの車でいちばん近い量販店コジマへ直行
冷えすぎた平日夜のフロアはほぼ独占状態
ドラム式の威風堂々をスルーし
整列する各社新製品を通り越し
そうそう
七キロ洗える全自動式洗濯機でいいんだよ
梅雨どきには外干し時間が限られちゃうから
乾燥機能はいちおう欲しいよね
異音の主となった今のも乾燥機能があって
いざって時にはけっこうありがたい
でも六キロで、ちょっときゅうくつ
七キロはほしいね
言い合いながら仔細に覗き込むところへ
洗濯機をお探しですかと若手男性店員N氏
ちょっと目元が北村一輝似の濃い目くんは
ひやりとしたフロアの空気を切るように私たちの前から隣のブロックへ
「ああ、大型じゃなくていいので。七キロ洗えて乾燥機能ついてれば」
ならばと戻った列の二台を、こちらは節電、こちらは節水、とてきぱき解説
デザインお値段もにらんで節水タイプのを選択
今日選んで明日配達、というわけにはいかないけれど
太鼓の練習とさよならできるよかった

それが火曜の夜六月の日没は遅い
暮れきらないうちに買い終えて帰った
のだったが

どど どぉん どど どどっ
廃棄確定の全自動洗濯乾燥機でお茶を濁しながら
まもなく到来する新しい洗濯機の機能を確認する
使い心地のクチコミも今更ながら気になる
節水をうたっているけど洗いあがりがイマイチというのは気になるな
すすぎの回数を増やしたら結局たくさん水を使ってしまうし
そのぶん時間もかかるってこと
ふと見ると、縦型全自動洗濯機と銘打ってはいるけれど
乾燥の文字が入っていない
ってことは
乾かせないの?

配達の時間帯を知らせる電話を受けて
メモを取るのもうわの空
洗えるけど乾かせないのでは、梅雨をのりきれないのじゃないか
慣れないLINEで仕事中のユウキにメッセージ
配達時間がわかったよ
ただ、洗濯機に乾燥機能がついてないみたい
どうしようキャンセルできるかな
「え、なんで?」
だから、そういう機能のを選んじゃったみたい
まず配達をキャンセルできるかどうか聞いてみるね
「わかった」
乾燥機能のない洗濯機を積んだトラックがわが家に近づく
いやいやまだだいじょうぶきっとだいじょうぶ
コジマへ電話するも北村一輝似のN氏は不在
代わりのK氏にこうこうこういうわけでと
キャンセルを申し出る
配達とご購入のキャンセルはお受けできますが
改めてご購入の場合は金額が変わりますのでご承知ください
もちろんです勝手を申して申し訳ないですと陳謝
汗を拭きふき受話器を戻す

それでも洗濯機は要るのだった
予算内におさまるかどうかわからないけど
間際でキャンセルした手前
早めに行かなくちゃ

改めて選びに行った
コジマへ
二日後だったか
その日北村一輝似のN氏はいた
キャンセルの一件を詫びつつ話した
乾燥機能つきのものを改めて選びたいと
するとN氏
濃い眉の下の濃い目をくっきりとあげて
乾燥機能はついていますというのである
ただし乾燥といっても温風のそれではない
風乾燥だという
「ああそれなら十分だ。やっぱりこのままでいい」
とユウキ
温風ではないのはやや心もとないのだったけれど
湿気が籠りがちな脱衣所のつくりを思うと
そうだねそれでいいね
ではとN氏は改めて配送の手配
キャンセルのキャンセルという次第で
もとの値段のまま

よかったこれでやっと
どど どぉん どど どどっ と
さよならだ
籠城の女所帯のぬれた靴下やコートのにおい
うっくつのしみたグレイの
すり減ったおおきな矩形ははこびだされ
し し きゅきゅる し しし と
うめくものはもういない
ここには

届けられ開梱され納まってみれば何ごともなかったような
顔でそこにいるのが大型家電というもの
白にピンクの配色はいささかこそばゆく
風乾燥はまことに心もとないけれど
回転する音は静かなのだった
うん うん ぐぐー すすっ すすー
上蓋に化粧ポーチを置いてもすべらない
梅雨が明け
みみ みぃん みみ みんみん みぃん
いちめんの蝉しぐれ
洗濯終了のベルさえ
聞こえない