湯浴み手ぬぐい

 

薦田愛

 
 

たぷたぷりたたっぷたぷ
とそこに
湯は張られてあり
みなそこへゆきそこからかえる
まるくみちみちとしたちいさな子を抱えるわかいひととその母らしいひとや
前髪きれいなボブのひととそのままちいさくしたような切れ長の瞳の子や
杖つきながら脱衣場よこぎり椅子に腰おろすや丹念に
一枚またいちまい身につけてゆくひと人ひと
引き戸が開くたびに温気がすっと流れ込む

重ね着にも程がある
三枚四枚五枚着込んだ私はようやくすべて脱ぎきり
ぎゅぎゅうロッカーにおさめ
洗顔ジェルやシャンプー洗い髪を束ねるタオルやクリップ水入りボトルを手に
引き戸の向こうへ踏み入る
足うらが濡れる
市立薬草薬樹公園丹波の湯
漢方の生薬もろもろ栽培されてきた数百年を
観て香って歩く公園にしたアイデアってなかなかそして
温泉の代わりに薬草薬樹を活かしたお風呂を設けたという次第よきかな
移り住んで三年あまりちょくちょく来ている
朝晩冷え込む十一月下旬
使い古しの電気温水器が故障いやついに壊れてお湯が出ないわが家から
ここは
徒歩では厳しいけれどユウキの車でなら十五分あまり
ありがたや
よかったねえ駆け込みお風呂があって
「まったくなあ
 じゃあ一時間半後にね」
と手を振るユウキが早くも業者さんを探しあて
交換する機種も決まったものの実物が
年内に届いて工事ができればいいけれどと
見通しはまだ立っていない
そういえば去年の今時分だったかここの脱衣場で
市内いちばん寒い町から来たという年配のひと
お風呂が壊れて交換まで三週間かかるのだと
うーんまさに今のわが家じゃないか
あれっほんの十日前のこと高松の母の部屋を訪ねたら
蛇口からお湯が出ないのでメーカーと管理会社に連絡して急き立て
翌日には修理のひとが来て直ったのだったよ
まさかまさかわが家まで

サウナとジェット風呂、ぬるめの薬湯は当帰もしくは十種ミックス
髪を洗いタオルに包んで身体を洗ったらジェット風呂へ
ほおおおっ
息がもれるのは身体のどういう仕組みなんだろう
ゆるむというのか湯気の湿り気が隠れたスイッチを押すのか
ぼこぼこ泡に圧されて温まったら
覗いてみて小さめぬるめの薬湯へ
こちらの浴槽も窓の外は緑
当帰の湯にひとり
おばあさんとは呼びたくない短髪の
年配のひと
しずめた身体はくつろいでいる
お湯のなかだもの
ふっと目をつむっている
無粋にいうなら中肉中背の体格
皺もしみも拒まず
きっとたくさん働いて乗りきってきたひと
なのだろうな
気持ちいいお湯ですねえ
などと声かけるのもためらわれ
少し離れてじぶんの身体をしずめる
ほおおおおっ
もれる息をちいさく逃がす
目つむるひとのまとう空気を揺らしたくない
窓の外と葭簀をのせたガラス張りの天井から差し込む初冬の光が
湯気を分けて
まぶたを閉じているそのひとの
面差しと身体を明るませる
私に絵筆があるなら
湯と湯気と光につつまれたそのひとの姿を描きとめるのに
しらないそのひとの
ただそこに在るかたちの
佇まいの荘厳
と言いたくなる
絵のようです
おごそかできれい
などと声かけても
訝しいから
声をのむ

そのひとより先にあがって
薬湯のしずくを洗いながし
ビニルに包んでいた手ぬぐいでくまなく拭く
しばらく前から家でも
風呂上がりはバスタオルをやめて手ぬぐい一枚
そう
リュックの中に手ぬぐい常備三、四枚
鈴木志郎康さんの詩の手書き原稿をデザインして
さとう三千魚さんが作成なさった藍染めの手ぬぐいも
持ち歩いているのだけれど
バスタオルの代わりにするのは気恥ずかしく
色褪せかけた縞柄の一枚でぬぐう
スッとしずくも湿りも吸い取ってくれて
ありがたや
脱衣場の
次々に来るひと着て帰るひとの行き交いを縫って
ロッカーを開け
まだすぐ着て帰れない
インド綿のノースリーブワンピースをかぶり
ヘアブラシや乾いたタオルを手に洗面台へ
生乾きの髪では風邪をひく
ドライアーをつかう前に
顔をあらう
冷水で
そうだ
あの藍染めいちめんの地に
志郎康さんの文字志郎康さんの言葉が浮かぶ手ぬぐいを
おしあてる
今度こそ
あ、あぁ
やわらかい
顔いちめん
やわらかくてあたたかい
使いはじめに四度五度もみ洗い
色をおとした生地が乾いて
やわらかい、なあ、と
両の手でひろげれば

それゆけ、ポエム。  *
それゆけ、ポエム。

 
 

* 鈴木志郎康さん作品「詩」より

 

 

二〇二四年一月一日一六時一〇分頃、能登半島付近を震源とするマグニチュード七・六の大地震。続発する揺れのさなかに在る方々の安全を、切に祈りながら。
(わずか半月、家の蛇口から湯が出ず、入浴できなかった日々でさえ不自由をかこった。一月の寒空のもと、不安と緊張に晒され、倒壊現場でいのちの危険に瀕しておられる方々が、少しでも早く心身ともに安心安全な環境で過ごせますように)

 

 

 

深む日の

 

薦田愛

 
 

河はびょうぼうと草むすほとりを従えて
みるまになずむ炭いろの底ひへ横たわっている
きょう海ぎわから干魚を摘んできたひとから
淡路島のちりめんじゃこを三枡買い
日に五本の路線バスで北の町に行った
かつて宿場町だった旧街道沿いの薬局が
日替わりのカフェとして使われている
きょうはパンといちじくの日だという
去年おととし困るほど実った畑のいちじくは
ことし小さな実をつけるばかり
来る日もくる日もいくつものいちじくを剥いていたつれあいユウキの指は
ことしまだ乾いたままだ
南の町で収穫祭がはじまり
出かけてきたひとたちがこちらにも足をのばすので
しずかな町の道筋もいつになく車が多い
路線バスは五分も遅れている
北の町の日替わりカフェまで三十分ほど乗るのだが
週末で終バスがひとしお早いから
二十五分しか居られない
けれど
いい
いいのだ
花の季節でも紅葉でもない桜並木の土手や雲の影を宿した山ひだ
刈り入れを終えた田や畑をながめて揺れ
古民家がちな家並みのあいだを揺られ
だから
いい
いいのだ
小学校駐在所住民センター前とバス停を通り抜けながら
いつか遅延は取り戻され
終点ひとつ手前で降りて一分
ああ
手をふるひとふりむくひと卓にむかうひと
いい
いちじくの箱を前にかがむひと
二十五分のティータイム
ふるい瀬戸の器に切り目ほおっとかおりたつ
いちじく入りのパンはったい粉のスコーン無塩のバターふた切れの白むぐり
おおぶりのいちじくの実そして
地元の低温殺菌牛乳といちじくだけでつくられたスムージーむぐう
みっちり密でおだやかにあまく
いい
きのうきょう きゅうに
しんと涼しくなって居たたまれない身体
はだざむいきょうの喉を
つらぬくつめたさではないゆるりなだれる
いちじくの
濃き紅の皮ではなく実のうす褐色うす緑とけのこるしょくぶつ
飲みいそぐなど食べのこすなど惜しくてならないけれど
バスが
折り返して行ってしまう
きょうさいごのバスが
あと五分
スマホの時計を覗き込む私のつぶやきに
かがんでいたひと奥に居たひとまで店先に出てくれた
口ぐちに
バス止めとかなきゃと笑みながら
いえだいじょうぶもう行きます美味しかった
ことばを置きお代をおき手をふって

降りたつバス停は記念美術館前
蛇行する手前の土手を選べば家への路
河をわたり
ふたつ先の橋まであるく
びょうぼうのむこう
堤に立つ細いすがたは
おんなのひとのりんかく犬をつれて
たやすくだきあげられそうな犬が
はりさけそうに吠えている
いいきかせるおんなのひとの声がかききえる
こんにちは
はりあげるとまなざし
このこねえとみあわせて
こわいのかしら
きっとねえ
しらない
みしらないひとと
しらないまましたしくことばをかわし
おきをつけて
ありがとう
ひとり
ひとりにもどると
ひと刷毛
なずむ
そらが降りてくるから
足をはやめ
ふたつめの橋ちかくのちいさな直売所に
すべりこみ
水菜ひとたば購って
坂をたどり
ああ
家の畑のいちじくはどうだろう
畦を踏み
裂けたなすのありかをたしかめ
すすむと
おや おぐらい葉かげに赤黒く
枝の分かれめにありありと
去年おととし啄まれていたのに
きょう いえ今年
ついばまれた傷もなく
けれど熟れていると知れる
実り
きょう
北の町で飲みほしてきた混ぜもののない秋
に差し招かれ
てのひらを粘りつくミルクで汚しながら
もいで
帰る
朽ちた曼殊沙華よこざまの束を踏む
あしもと
昏れて

 

 

 

餉々戦記 (葉月きゅうりにまみれ 篇)

 

薦田愛

 
 

葉月はちがつ来る日も来る日ものびあがっていた雲の峰は
PM2.5をふくむ南風にくずれ
とはいえまだまだうろこ雲なぞ見あたるはずもなく
どこまでも暑い
ふれれば冷たい青物すなわち野菜をあらっては剝き刻んではさらし
しぼったり混ぜたり和えたりと
ぬれているあいだ
指は涼しくいられるのだった
それと心づかないまま
火をつかわずに済む料理がふえていたのだろうか
諸物価高騰の折というのにガス代が安い

去年おととし水はけのわるい畑にユウキが苦心
まず畝を高くし
なぜここにという溝を埋めてはまた戻し
防草シートを貼ったものの土がすこしも乾かないので外し
そして六月
男爵メークインの収穫につづいて小ぶりの玉ねぎを束ね軒端に吊るし
お次は黄色いズッキーニきゅうり大玉中玉トマトにピーマン少しなすまたきゅうり
庭のいんげんししとうにら九条ねぎ大葉は私もすこし摘み
梅雨の晴れ間にししとうさらにししとう日に十から二十とレジ袋を満たし
引き出す冷蔵庫の野菜室はぎゅう詰め
いやはやそれでも圧倒的に
きゅうりが、ね

さてそのきゅうりを十本ほど入れた袋を取り出す
ずどっ こすれるみどりの重み
ああ十日も経ってしまった
日付をメモして入れていたのだが湿って滲むし
「これじゃ開けないとわからないよ」と当のユウキが
養生テープにマジックで大書して袋の外に貼りつけた
ほほぅなるほど
日付を更新する時はテープを重ね貼りして書くわけね
ぴぃっと手で切れる養生テープも緑いろ
日の傾くころ畑に出たユウキがバケツを手に戻ってまた五本
猛々しい棍棒はかると六百グラムになんなんとしている
酢の物に冷や汁サラダに入れ叩いて豆板醤まみれ
って食べようはいろいろ
風呂上がりのユウキはとりわけ立派な一本を選んでまっぷたつ
それぞれ四つに割って大皿にのせマヨきゅうで平らげるのが好みだけれど
在庫が総計十五本いや二十本ひと雨くればまた破裂せんばかりに満ちてもがれるのだから
追いつくはずがない
去年みつけた
豚の冷しゃぶと薄切りきゅうりを梅肉とごま油とぽん酢で和えるあのレシピは
絶品にあきないけれど如何せん二本しか使わない
嬉しい悲鳴ってこういうことかな
最近ネットで見かけた「野菜の大量消費」という言葉
なんだか申し訳ない響きだけれど
うなずいてしまう
せっかく収穫したのに食べきれず傷めてしまったら
それこそ申し訳なくもったいない
朝に検索夜に検索寝落ちの際まで検索もしくはきゅうり×何かを妄想
きゅうりのスイーツって作れないかななんて
あっあったよ
五本だって
五本のきゅうりの輪切りに生姜ひとかけ分の千切りを
鷹の爪と醤油と酢と砂糖少しをあわせて沸騰させたものに浸して十分くらい煮て冷ます
それでできるんならいやいやまずは
輪切りに塩ひと振りしておいて
ぎゅうううっの目も出ぬほど水気をしぼりにしぼっておかなくては
それにしても
育ちすぎたきゅうりの中心はメロンよろしく潤んだ大きな種がぎっしりなんだな
縦割りしたそれぞれをぐぐいずずずっとスプーンで搔き出せば
あとは淡いみどりのアーチ
ぬれて涼しい指先はわずかずつ
みどりの汁を吸いあげているかもしれない
はじめはレシピにらんで
とっとっととんっと包丁つかって輪切りにしていたけれど
何度かつくるうちにスライサーでスッスススッ
調子づきすぎて指や爪を削がないようにしなきゃ、と強めに意識して手前でストップ
粗忽だから、さ 夜中にふと気づくんだ
あれっ人差し指の爪の輪郭が
へずれてるなって
おっとタイマー押し忘れてる
あと七分てことにしておこう弱火を確認
煮汁ごとさましたらタッパーに移す
前にどれどれうん酸っぱすぎない甘すぎないこれは
すっかり泥んでカーキ色だけれど正真しょうめい
みどり鮮やかな鎧を着たきゅうりくん
そうそう切り昆布を洗って水を切り鋏でぶっつぶつ
煎りごまと一緒に混ぜたらできあがりってわけ
すごいなああの棍棒サイズ筆頭に五本ぶんの山盛りスライスが
両手にちょうどのタッパーひとつに収まってしまうなんて

いきおいづいて去年新聞で知った山形の「だし」もつくっておくか
ユウキ野菜だけでは間に合わなくて
あれば直売所でミョウガにオクラ
去年は畑でとれた新生姜を使ったけれど今年はスーパーで少量パック
そもそも畑や庭できゅうりになす、大葉が揃うから
スイッチが入るんだ
種類が多いぶん使う量は少しずつだけれど
五ミリ角や粗みじんに刻むのは
フードプロセッサー使わないとやや面倒
オクラの産毛を塩でこそいだりね
大葉のいちまいいちまい破らないように洗ったりね
そんな難儀みまん粛々と指をぬらし湿らせ
これも切り昆布をざっと洗ってぷつっぷつぷつり
五ミリ角の世界に馴染ませなくちゃね
今夜もまた豚の冷しゃぶ細切りきゅうりの梅肉和えに
ふたつのタッパーからスライスしたのやら刻んだのやら小皿に盛り合わせ
ねえユウキ
身体の芯からひんやりするきゅうりのフルコースって按配だね
「やあ、美味しいよねこれ」と取り皿から梅肉和えをもりもり
続いて小皿を手にずっずずっ
日焼けに日焼けを重ねたユウキの二の腕から汗はひき
目を合わせてふたりほおっと
いきをつく

 

 

 

はなうれい

 

薦田愛

 
 

ひとり遅い朝食を終え食卓を片づけ
しゅっと一枚ひきぬくティッシュをひろげる
手提げ紙袋に縦よこ詰めた中からまずプラボトル水色の粒を十四
平袋のパッケージから黄色いカプセル七つ
茶色いガラスの小瓶から赤の白い大ボトルから白濁した琥珀色の
山吹色砂色さくら色生成りのサプリメントを並べるティッシュの四角をはみ出す
ピルケース三つに三日分三日分四日分あわせて十日分おさまるうち
二つが空になるとこの作業ほぼ週いち
気づけば十種ほども飲んでいて
それを朝ごと晩ごと飲むたびに取り出すのは難儀すぎるのだ

電車を乗り継ぎドアトゥドアで三十分足らずの会社にかよっていたころ
こむらがえりで短い眠りが破れ
寝返りもうてないことしばしばのみならず
出勤の道みち歩いているさなかにも ううっ
ふくらはぎが攣ってしまい
ぼやくと教えてくれるひとがいたマグネシウムだよにがりでもいい
足りてないのか豆腐一丁いっぺんに食べるくらいじゃ追いつかないのかな
取り寄せた液状のそれはアスリート御用達の本格もの
分不相応かもしれなかったがおかげで
足は攣らなくなったのだけれど
人生半ばをそろそろと過ぎ女性たるもの
放っておいても分泌されていたものが供給されなくなるという
蛇口をひねって止めたのではないので
わからないが
はっとする
とある朝わずかにしびれていた薬指と中指が
ぎゅっと握りしめづらく
たなごころにいんげん一本ぶんほどの隙間ができ
その屈曲も滑らかではなくって
あれっこれは私の指だろうか
もともと器用な指でもきれいなそれでもなかったけれど
しらぬまに別の何かとすり替わってしまったのではないかと
いぶかしんだのだったがどうしても自分ごとと思えず
放置
していたのだったよと思い知る
拇指いわゆる親指の腹がずきん
ほかの指もしびれ
みとめたくないけれどこれは整形外科だろうか
歩いて通えるところに見つけた先生が手の専門医だったのは偶然
メチコバールを処方されたのだったが治りきらず
左手の拇指の腹に一本ひと月かふた月して右手の拇指にも一本
ぷすり
いたぁい
太ぉいステロイド注射を
打ったのだった
いたみによわいとうったえ足踏みしていたから
いたみどめを混ぜて打ちましたよと丸顔の先生はおだやかにのたまわった
効いた
二度まで打てますそのあとは手術になりますね
ときいて
ふるえたが二本目はまだ打たずに済んでいる
涸れてしまった女性ホルモン近似といわれる大豆イソフラボンを
試してみたのもこの時
ややあって春の到来
寒さという一因が去ってしびれは軽快
通院は区切りがついたけれどそうか
しびれ軽減メチコバールはビタミンB12で代用できるななんて独り合点して
サプリ売場で探すようになり
十年来飲んでいる亜鉛にくわえ
ビタミンB群 マルチビタミン コロナからこちらビタミンE
物覚えがいちだんと悪くなったとギンコつまり銀杏葉のお茶を探すも
かつて店先に並んでいたハーブティたちがオンラインでも見あたらず
代わりにサプリの小さな粒がつるつる指先を逃れるのを摑まえつかまえ
ガラパゴス携帯からスマホへ切り替えてから眼鏡の度が進んだのを食い止めたいと
ブルーベリーそうルティンのサプリ
気分変調対策も兼ねて還元型コエンザイム
あわせて日ごと十種十五粒ほどをケースに振り分けおさめるのが
一週間に一度の日課というわけなのだ
パッケージやボトルの表示を眼鏡でみれば
むむっコーティングやら識別のためだろうか色素やら添加物やまもりの感
これは不調をなだめるつもりが別の不調の種を蒔いてやしないか
いやいやこの際大切なのは直近の調子ととのえること
そしてまあ
大病もわずらわずにいられた過ぎ越しありがたや

大病はしなかったけれど
十歳になるやならず
鼻ばかりかんでいた冴えない子ども
家じゅうどこへ動くにもボックスティッシュをかかえ
外出のポケットにもティッシュがいくつも
こすれて小鼻がいつも赤かった
片手でかむんじゃない鼻が悪くなると叱られたけれど
もう悪くなっているよと片手でかみつづけた
あきれる親に連れられ大学病院
みっしり並んでいくつあったかアレルゲンの血液検査で判明
ブタクサにハウスダスト
二年と少し暮らした大阪は豊中の借り上げ社宅
一軒家の隣が空き地で
繫茂していたのだった
ブタクサ
しらずに遊んでいたから心おきなく全身に浴びていた
光化学スモッグなども騒がれ始めた時分
そう
りっぱなアレルギー性鼻炎というわけだった
花粉症という言葉がなかったか
あっても巷に知られていなかった頃
アレルギー性鼻炎などと子どもが言っても胡乱な感じ
教室でも親類の家でもご近所でも
怪訝な顔をされていた
それと知れたのは大阪から川口へ引っ越した後のこと
川口の社宅も工場街まっただなかだったから
アレルギー性鼻炎
治すには転地療養か大学病院で週一回の注射
との宣告
どちらも難しかったし命にかかわる重病ではなかったからだろう
漢方薬「鼻療」の茶色い顆粒をふくむことになり
まだまだティッシュは手放せなかった
それから一年あるいは二年
川口から豊中へ
以前のご近所さんに会いに行くことがあって
ふっくら気のいいイケダさんは
「これめぐみちゃんに効くとおもうねん
 飲んでみいひん?」
と差し出したのだった 見なかった
あれはサプリみたいなものではなかったか
どんなとも何だとも聞かなかった
私のなかでなにかはげしくあらがい軋むもの
ごそっがさっ
棒になってぼさっとかたまり
やっと言ったのだった
「いいのこのままで
 アレルギー性鼻炎も私の一部だから」
言ってしまって
まぁというように見開かれたイケダさんの目
せめてまずひとことありがとうと
言わなくてはいけなかったろうか
かけらほども思い浮かばなかった
そのようにしか言えなかった
なんてかわいげのない子ども
だったなあ
だのにいつからだろうどうしてか
もっとずっと無防備だ
まるはだかのこころ
「いいのこのままで
 これも私の一部だから」と二本の腕でむやみにじぶんを
抱えたままでいるくらい
もう少し構えて
用心ぶかくあってもいいんじゃないか私

重ねすぎた歳月ぶんの暦を
広げたサプリの向こうへ押しやり
いきをつく
くしゃん
鼻をかむ
なおっていたはずの鼻が
ぬれている

 

 

 

朝顔だったか

 

薦田愛

 
 

台風十一号がようやく温帯低気圧に変わり
なお曇天やや残暑
女子高のクラス会還暦記念で仲秋の名月を観に
私は
北茨城は五浦の海岸に行くのだった その前に
参加しないクラスメートのひとりが去年上梓した
風変わりで壮大な本にまつわる作品展が
東京の丸善から京都丸善へ巡回して来ている最終日だから会場に寄れば
もしや三十数年ぶりに彼女に会えるかもと
兵庫の東の端・丹波からJR福知山線
阪急宝塚線を十三で乗り換え阪急京都線烏丸駅から河原町通へジグザグ
人混みを回避しつつキャリーバッグを引いて向かったものの
会場はむじん会えなくてむねん市バスで京都駅にでて新幹線で
東京に向かったのだったが

その日二〇二二年九月八日
その朝八時五分
志郎康さんが
鈴木志郎康さんが
病院で
東京の病院で
腎盂腎炎で旅立っておられた

などとはむろん
つゆほども知らず
二ヵ月ぶりの東京に到着したのは午後五時すぎ
ぼおっと重いのはマスクのかけ通しで疲れたのだろうかと
上野駅前のホテルでかたい椅子にどさり座り込んだのだったが

さかのぼること四十年あまり
つまり
一九八一年四月の西早稲田
大学本部キャンパス四号館ロビー数多あるサークルの溜まり場ソファ
文学部文芸専攻に進んだ私がひらく講義要項をのぞきこむや
「えっ鈴木志郎康じゃないか!」と声高ぶらせた色白文学青年
政経学部政治学科の宮川先輩の指の先には
「文芸演習 鈴木康之(志郎康)」とあって
「これはアイちゃんぜひとも受講しなきゃ」と言われ
アイちゃんじゃありませんよぉとぼやきながらも
そうかぜひともか詩はときどき書いていたし
受講してみようかなと軽い気持ち無知の極み
志郎康さんの志郎康さんたるプアプアも極私的もなんにもしらずに登録
軽はずみをゆるされた
なんて幸運な道すじ ええ極稚的

階段教室だったか
ぶあつい眼鏡に茫洋を絵に描いたらこんなかなと
志郎康さんは
鈴木志郎康さんは教壇で
ある日は中島みゆきをカセットデッキで
ある日は尾形亀之助のはなし
そして鮎川信夫に吉岡実に高橋睦郎
伊藤比呂美やねじめ正一の名前を知ったのもこの教室
(物知らずにも程がある学生だった!)
ある日それぞれ次回までに作品を書いてきなさいと
言われたのだった六月だったか
現代詩というものにはじめてふれた教室へ
ううむううん
うなってひねってしぼりだした言葉をならべ
次の講義の時に提出それを
翌週か翌々週かに返された
返されて音読したのだったか
原稿用紙二枚か三枚の末尾に
「いいですね。
 もっと濃密にならないか」
記されたふといペンの青い文字
ふとい指で記されたと知るのは後のこと
もっと、って
もっと濃密に、って
どうすれば
なにをどうすれば
うなってもひねってもわからない
くるしい くるおしい
それが始まり
だったのだが

いわゆるレポート提出と同じですね
文芸専攻の学生は卒論としての研究の代わりに
卒業制作として作品を創作して提出することもできるのだったが
論理的思考や探求を深めるのは不得手と自覚していたから
ほそいほそい創作の道にすがった
けれど
もっと濃密に、の先をさぐる手立てがつかめない
詩ってゲンダイシってわからない
から卒業制作は
詩ではなく小説を 時代小説の習作を提出しようとしていて
つまるところ
志郎康さんの指導は受けなかった
のだったが
詩をもって研究室に来ればいいよ
言ってくださりドアは開けられていたのになかなか
もっと濃密にの先が空っぽのまま
手ぶらの学生は

つぎの春
出版社に就職すると耳にするや
志郎康さん
ええっ? というふうな顔
「編集者をやりながら、詩が書けるかなあ?」と
いやあ先生、好きな仕事をしながら書きますよと
言いはしたものの
そうかな、詩を書くのに向かない仕事かな
言葉も辞書もえんぴつも身近な職場だよね
高校生のころから学校新聞の編集も文芸部の雑誌づくりもたっぷり経験して
原稿整理やゲラの赤入れも心得ているつもりだったから
ゲンダイシの世界に踏み入ったばかりのつもりの私には
格好の環境だとおもえたのだった
ちなみにダンジョコヨウキカイキントウホウちょっと前
四大卒女子の就職氷河期といわれた

実務書を主に作る出版社でマスコミなんてイメージとは程とおい
「本郷三丁目壱岐坂上潮が鳴る」と詩に書いた壱岐坂から御茶ノ水駅におりる途中のビルの一フロア
その勤め先からあるとき
入谷の朝顔市に行った
行って歩いて次の年また
行ってあるき次の年またとくりかえし
引っ越した
年に三日の朝顔市まで歩いて五分
嬉しくてマンションのベランダにひと鉢
ではおさまらず
新宿五丁目の文壇バー風花へ提げていったり
送れると知ってからは四国の親戚やら花好きの友達にと
なにしろ
梅雨のさなか七夕の頃に送った鉢が九月か十月まで咲くのだ
二か月か三か月の間に何度かは思い出してくれるかもしれない
なぁんて計算高いなあわたし

でも
志郎康さん
鈴木志郎康さんに送ろうと思いついたのは少しあと
卒業して詩を書くのならここに来るといいよと教わって
渋谷東急プラザの東急BEで開講されていた
志郎康さんのクラスに通っていたのだったが
ある年の朝顔市じぶんに志郎康さん
入院なさった
花がとてもお好きなことは聞いていたのだが
あんどん作りの鉢で蔓がぐんぐんのびる朝顔は
病室では邪魔になるかもなあと
ほんの少し迷った末に
送ったのだった
JR鶯谷駅と地下鉄入谷駅のあいだ
昭和通りの西側の歩道沿いをびっしり埋め尽くす店店店店店店店の鉢鉢鉢鉢鉢鉢鉢の中から
ひらきかけのやぴんっと咲いたのやちょっとしおれたのや
ふいりのやら産毛密生する大きな葉を繁らせたのやら
ためつすがめつしてこれかな
送ったのだったが
その鉢を志郎康さん
退院されて持ち帰って
コンクリート打ちっ放しのお宅の中庭に
置いてくださったんだな
って
さかのぼってしまった
志郎康さんのブログ曲腰徒歩新聞
一九九六年九月に記された
「朝顔の種」
いらい毎年
朝顔の花を数えていらした
白が三つ青がひとつ
蔓が伸びた久しぶりに咲いた
雨に濡れた葉の陰に隠れた小さなしぼんだ
枯れた種ができた
まるくて太い指で摑まれた
カメラのちタブレットが
かざされのぞきこまれ
ぶあついレンズ越しの眼差しの先に
いくつもいくつもいくつもの朝顔、が
ほころんでは開きしおれては枯れ
種をむすび蔓を干からびさせていったんだな
そう毎年
二〇一六年までひと鉢ずつ
というのもいつの年だったか
今年もお送りしますねと話したら志郎康さん
ふうっと笑顔になって
「ああ助かるなあ! 花の写真が秋まで撮れるんだよねえ」と
ひとつおぼえのひと鉢をそんなふうに
むろん朝顔は付けたり
詩のこと映画のこと本のこと
その日志郎康さんをよぎった諸々を記す背景の彩りのひとつ
それでも
楽しみに眺めていらしたんだな

足腰がよわられ
庭に出られないからもういいですよと
言われそれでも気になって
二〇一七年七月はじめ
朝顔市の前々日だったか
志郎康さん
部屋の中でも窓のそばに置けば咲くそうですよ朝顔
東京や横浜なら十一月くらいまで花がつくんですって
どうでしょうとお聞きすると
コモタさんそれなら小ぶりの鉢をお願いしますと
(コモダですよぉと内心つぶやきながら)
それでお宅へ提げて伺ったのだったが
ところが
その日二〇一七年七月二三日の志郎康さんのSNSによれば
朝顔の写真を撮ったあと
転んでしまってひとりで起きられなかったと
なんてこと
念押しなどして
送らなければよかったな
そうすれば志郎康さん
転んだりせずに済んだはず
SNSに朝顔の写真はそれっきり
転ばないように
しゃがまないように
撮らなくなってしまわれたのだろうか

東急BEのクラスに通いはじめて三年か四年
「ちゃんと書かなきゃダメじゃない」と
真顔で叱られた
言わんこっちゃない 編集者やりながら書けていないじゃないか
つぶやくじぶん
ええいどっこいしょ
はじめての詩集をやっとこさまとめるという時に
詩論を書きなさいと
ええっ無理です論理的思考は苦手なんですと
言ったのだったか
七転八倒して小文・苧環論を書き上げると
写真を入れなさい
おばあさんが書いた詩じゃないんだとわかるように
えっ写真ですかあるかなあ使えるの
ダメだよちゃんと撮りなさい
あわてて
舞台写真も撮っているという知り合いに頼み込み野外撮影会ところが
詩集本体には入れたくないなあと
志郎康さんが橋渡ししてくださった版元・書肆山田
そこでポストカード型の栞にいわゆる著者近影
紹介文はこれも志郎康さんが、若いひとのほうがいいときっぱり
大学のあの階段教室で出会った川口晴美さんに書いてもらった
そんなふうに遅々と
遅々とした極遅かつ極稚的教え子は志郎康さんのブログに
「詩人の○○さんが」と書かれているひとが羨ましくて
「薦田愛さんから入谷の朝顔が」
と書いておられた時に
なかなか詩が書けないから私は
詩人ではなくなってしまいましたと嘆いたのだったが
そうかあとつぶやいて次の年から
「詩人の薦田愛さんが」と書いてくださるようになったのだった

志郎康さん
郵便物がたくさん届くから
記念切手を貼ってあるものしか開封しないんだよねと
真顔で叱るせんせい、いえ、
志郎康さんがおっしゃるのだからと
旧い手持ちのや出たばかりの記念切手を選んで貼って
送っていたけれど
あれはほんとうだったのですか
メールやSNSがなかった頃の話だけれど
いまメールでもなくSNSでもなく
記念切手をたくさん貼った封書を投函すれば
お手許に届けることはできるでしょうか
それともあの
鉢植えの朝顔を日にあて
蔓を高々とのばしてやれば
くるくるきゅうくつに屈伸しながら
産毛の密生する葉やつぼみのひとつふたつもつけながら
志郎康さんの膝のあたりに
到達するのだろうか
そこは乾いた風が吹き抜ける見通しのよい広場
あるいは
ぽかぽかとねむくなる常春の庭をのぞむ窓辺
志郎康さん
まるくて太い指にふれたそれを
あっ朝顔か 朝顔だったかと
眼鏡をかけなおしながら
じっと

 

 

 

餉々戦記 (名残り走りのふた椀 篇)

 

薦田愛

 
 

うなだれたいちめんの稲穂のはなつ香りが
あっという間に一枚またいちまい刈られ
あとが
ぽっかり広い
あるいて十五分
直売所の前に土日と祝日だけ店をひろげる魚屋さんでは
薄塩の干物やちりめんじゃこをよく買う
おじさんは私の顔を見るなり
カマスが入ったよとひと言 
ああやっと二枚ください 
ホッケはありますか身が厚くて美味しかった
でしょうとおじさん
ショーケースにはあったあったよ串を打った焼き穴子
月末ちかくで家計の財布にはちょっとゆとりがあるしそれに
私の誕生日だから
いいよねたまには贅沢
なにをやり遂げたわけでもないのにご褒美だ
隙あらばじぶんを甘やかすのは大人の特権
あのぉ穴子もください
誕生日だからじぶんにご褒美
あなごね 串ぬいとく? 抜いてください
はいよと抜いて どさりポリ袋へ
気持ちだけねと百五十円おまけしてもらってありがとう
あとで保冷剤たっぷりのバッグに魚たちを入れよう

直売所のなかへ踏み込み右ひだり
夏のはじめに売り場が増設
品物の種類もだいぶ増えたし何よりコーナーが細かく分けられて見やすくなった
なかでも目が行くのは
ブルーベリーの大小パックのち黒ぶどうや白ぶどう
そして大粒の丹波栗みっしり
追いかけるように黒枝豆の枝つきの束やら さやぎっしりの袋づめがひしめく
華々しい一角だけれど
通路をはさんで反対側にぽつり
えっ あれっ
幻じゃなかった時々ならぶと直売所のひとにも聞いていた
ちいぃいさなパックに一本ずつおさまったのが三つ
まつたけ、だ 
松茸、が
居るではないか
いつもより三時間はやく来られたから出くわしたのか
今度いつまた逢えるかわからない いやいや
たった今焼き穴子を手に入れたところ そのうえ松茸だなんて
滅相もない 
でも食べてみたい だって国産それも地元産
もちろん家計じゃなくじぶんの財布でなんて言っても背伸びもいいところ
と言うよりもし買って帰ったとしてそれらしく何かこしらえられるだろうか
春先ふきのとうを買ったものの冷蔵庫でしなびさせてしまったあと
甘酢漬けにしてみようかと買った新生姜も日の目をみることがなかった
どうしよう
パックの隙間からくんくん うん香る
女子高の同級生が信州で見つけたとLINEにあげていた
つぼみの松茸数本の写真が頭をよぎる
炊き込みご飯にしたと書いていたっけ
一本では炊き込みご飯には足りそうにないな
いやそもそも買ったことがないから
高いのかお買い得なのかさっぱりわからない
ほんの少し安い一本を手に取っては戻し
高いほうを取っては笠を覗いてみて戻し
ええい飛び降りてやるこの舞台 怪我するわけじゃなし
レジにえいっと籠を置く
そう安いほうを

家に帰るとパックのふたをあけてパチリ
誕生日に出くわしてつい、と書き添えLINEでクラスのページにアップしたら
くだんの同級生がさっそくレスポンス
お見事な一本と
けれどしかし炊いたものか焼いたものか
鱧松茸ということばを思い出しはしたものの
その鱧は骨切りのものが冷凍庫にねむっているものの はて困った
二十年ほども前のこと雑誌の編集部で働いていた
雑誌ががらりリニューアルされる時で
新連載のひとつを担当することになったのだけれど
それが
食にまつわるエッセイだった
月に二度送られてくる原稿を前にわからないことが山ほど
そのたびに著者の方にたずねると
大いにあきれながら多々教えてくださった
そこで鱧松茸ということばに逢った
子どものころ大阪にいたので鱧を知っていたとはいえ
鱧松茸はわからない きけば
夏の名残りの鱧と秋の走りの松茸の取り合わせだという
エッセイでは鍋で食されていた
なんて豪勢なという以前にとうてい想像も及ばなかったけれどのちに
職場ちかくにあった店で夏の鱧ちり蕎麦につづいて
秋に鱧松茸蕎麦の文字が墨書されるのを目にして
一度か二度ふんぱつしたのだったっけ 
たしかに たしかに美味しかった
けれどなああれはたぶん外国産
それに何しろふたりでこれ一本だもの
量ってみると五十グラムもない
むろん鍋は無理 蕎麦もどうかなあ
土瓶蒸しも美味しいけれど小さな土瓶がないし
ううむううむとLINEで唸っていると
かの同級生が
鱧松茸といえばお吸い物のレシピをネットで見かけたよと
待望のアドバイス
材料があれば作ってみたいけれど揃わないし
作ったらぜひアップしてねと背中を押すことば
おおお吸い物っ!
ふだん味噌汁ばかりでお澄ましほとんど作らないけれど
たしかにこの一本お吸い物ふた椀ぶんならちょうどよさそう

ネットをさまよえばレシピがひとつふたつふむふむ
地元産すだちも買い置きがある海老も冷凍してある銀杏はなくていい
三つ葉とこの際うすくち醤油を買ってくれば
できる、はずと腕まくり
直売所で迷っている時かざすと笠のうら孔のように見えるけれど何だろう
虫食いだったら だいじょうぶかなあ
あやぶんだのだった あやぶみながら飛び降りた
検索によると無害の虫がつくことがあり
放置すると食われてしまうので早めに処理したほうがいいと

などなど調べに調べるうち誕生日の日が暮れて翌日の日暮れどき
松茸の根元の汚れは鉛筆を削るように削ぐのだと幾つかのレシピにあるので
スラッと抜き放つ白刃さながら研ぎたてではない包丁は
ぼそっ ぽそっ 
かそけき一本をもいでしまいそうなので研ぎ機をセットああ泥縄だな
ぎぎっぎぎっ
しかるのちもう一度 すすっ
ふうむこのくらいかな
おお今度はうすく削げるな
ほんのわずかなレシピの段取りをスマホの画面でふたつみっつ
行ったり来たり ああ
肩ががちがちだよ
二階から下りてきたユウキに思わず
ねえ 慣れてないこんなものを扱うのって緊張するね
「うーんそれは慣れるしかないよね」
えっ もしもし 慣れるしかって松茸だもの
この次なんていつ来るか これっきりかもしれないよ
さてさて
匂いを損ねないよう水洗いは避け汚れはかたく絞った布巾で拭くにとどめてと
どのレシピにもあるけれど
やっぱり虫が気になるので拭いて縦に八分割それらしいカタチも跡もみえないけれど念のため
うすい塩水に五分つけ
切ってそこそこ嵩がふえたので二枚はグリルで炙ってみよう
骨切り鱧をふたりで十切れぶん ボイル済みの小海老を四尾
すだちをひとつ洗って真っぷたつ
昆布をひたした水を沸かし鰹節を投入ふつふついわせて火を止め茶こしで濾して
計量済みの新規参入うすくち醤油とみりんをあわせて煮立たせ
まずは松茸つづいて鱧と小海老くるっと丸まる骨切りの白からゆわりあぶらと海老の背の朱が
きれい と見入るひまなく刻んだ三つ葉と結んだ三つ葉をうかべるや
ふうっとたち揺らめくものに鼻がぬれ
いい感じ こんなかんじかな
スプーンに半分うん味はだいじょうぶかな
そうそう焼き穴子もカットしてたれをかけホイルで包みトースターで温めたし
昨日ユウキが剝いてくれた熟成済み丹波栗の半量で栗ごはんも炊いたから
どう見てもまとまりがないけれどとにかく今夜は
ごちそうの勢ぞろい
できたよ 食べられるよとインターホン
「はあい」と下りてきてユウキは
「いいねえ美味しそうだねえ」とリビングに運んでくれる
ぐい飲みふたつと冷酒の四合瓶も
いただきますと声をあわせるいつもの夕餉だけれど
どうかな
いつもはまず味噌汁を手に取るユウキは栗ごはんから
ほくほく甘く炊けてるよね
私はやっぱりお吸い物から ああ湯気にも香りがたっぷり
鱧の身は口のなかでほろほろくずれ
松茸はきゅっと噛むと香りたつ
海老は大きいほうがよかったかなあ
穴子に箸をのばす傍らユウキのすする音
「うん美味しいね 鱧もいいね」
松茸は
「松茸はまあ美味しいけどね また食べたいというほどでもないかな」
うんうん すだちを絞るとひときわ香る松茸に鱧のほろほろが美味しい
けれどたしかにどうしてもまた食べたいというのとは
ちがうのかもしれないね
ううむ たぶん
うすい塩水に五分ひたしたためでもなく
腕が未熟だったり味のバランスがとれていないからでもなく
あまりのご馳走を味わう舌がふたりにそなわっていないわけでもなく
たぶんこれは
ふたりの夕餉をどこかはみ出すひと品なのかな
などと思いめぐらすまでもなくテーブルの上の皿はみるみる
空いてゆくわけなのだ

 

 

 

餉々戦記 (むしょうに茄子が 篇)

 

薦田愛

 
 

墨色の扇子を
ひらいてはとじ開いては閉じしているような
ものしずかなオハグロトンボに代わって
今朝
うすあおい羽根のシオカラが
目の高さをよぎる
夜中の雨がまだ乾かない
ウッドデッキの下には
ツユクサが二輪

なんだろう なんだか
つっと
むしょうに茄子が
と頭をかすめ これは
食べたい、という係り結びになるのだろうが
いやいや
そうではなかろう

意識をさぐる
茄子は茄子だけれど
むしょうに
ではなくって
むやみやたら 
めったやたらと
やみくもに
辺りだろうか

ユウキが仕事ではやく出かけて二時間
日が高い
ひとりの朝食の洗い物を済ませた手をタオルでぬぐい
冷蔵庫の最下段
野菜室をあける
今夜なににしようと
指先がおもうのだ
つくるのは夕方でも
レシピのプリントを探りだし
肉を解凍
足りないものは買いにゆく
今朝
庭先で
シオカラの青がよぎるや
どうしてか
むしょうに茄子が
いや
むやみやたら
めったやたらと
やみくもに
そう
たわわというのか
まるく張りつめたのや
「し」の字に曲がったのや
むんずと摑まれぐいぐい引き延ばされたろうやけに細いのや
向こう傷のひとつふたつ刻んだのや
おととい夕方ユウキが
たらいいっぱい
ピーマンやらキュウリやら名残のトマトやらと
盛り合わせるように畑から
その
両手にあまる色いろ色の重さのなか
ひときわ艶つるみっしりきゅるん と
茄子
やみくもに
レジ袋にふたつほど
ああ
やみくもに
なった茄子をひときわ美味しく
食べたい
茄子の速度に追いつきたい

ただいまの総菜の在庫
ゆうべつくった黒酢酢豚の残りはユウキが弁当箱に詰めてあらかたなくなり
カレー粉で仕上げたきんぴらが小鉢にすこし
そうだな茄子のメニューといえば
くったり煮て生姜のすりおろし入れるのやら
輪切りもしくはタテ割りにして焼き味噌田楽やら
三センチ角に切って椎茸と鶏むね肉と炒めるのもよく登場するけれど
今夜はメインに使わない
メインはホッケか鯵の干物を焼くことにして
茄子は味噌汁に入れよう
そう
あの味噌汁つくるんだ

ユウキとふたり大阪に移った翌年だったか
地元で人気の日本料理の店でどうしても
ランチを食べてたくて
電話した
ハローワークの帰り道
最後の一席にすべりこめた
最寄駅から徒歩十五分とあったろうか
アーケードの商店街をぬけ国道を渡り高校のフェンスの横を
ずんずん歩いてお腹の隙間がひろがった
窓の大きな打ちっ放しの壁がすっきりした小体な構え
カウンターで供された
お造りも炊き合わせもうっとりする味わいと眺めで
さいごの小さな最中も美味しかったけれど
何より
あのひと椀
焼き茄子の味噌汁
香ばしくてやわらかい
鼻腔の右奥をふるわせたのだったか
どうしてもユウキに食べてほしくて
家でつくってみたのだったが
茄子をどんなふうに焼いたのか思い出せない
三口ガスコンロだったから
フライパンで素焼きにもしたのだったか
トースターで炙ってみたかもしれない
あの
鼻腔の奥がふるえた匂いに届かない
あの
ぎゅっと濃いい味わいに届かない
その年の誕生日だったか
ユウキと店に出かけたけれど
季節が違って味噌椀は茄子ではなかった

あの味噌汁を

午後五時半
野菜室のレジ袋その一をあける
ぎゅうっと引き延ばされたように細長いのと
はじけそうに丸いのを洗う
二口コンロの下グリルの網に並べる
まずは十分くらい焼いてみよう
火力は勝手に調整されるようだから最小でスタート
その間に軒先から取り入れてもらった玉葱を四分割
ざっくざっく大まかに刻んで平底鍋に
血圧数値高めのユウキも気にせず食べられるように
出汁の素から無添加出汁パックに切り替えて一年
濃い目にとって冷蔵してあるのを注ぐ
しめじ半パックをほぐして浄水をまわしかけた時
ブッと低く音がした 
あ コンロの中のほう
もしやとグリルをあけたら あっ
うす黄緑の こ れは
バクハツ事件です
茄子の
――というのは
今日の今日のことではなく
このあいだ二度目に焼いた時のこと
今日は包丁で皮に何本かスリットを入れたから
だいじょうぶ だいじょうぶ
グリルのタイマーを最長の十五分に設定
皮が焦げるまで入念に ね 実がくたっとろっとなるまでね
鍋にしめじと水を加えて蓋を少しずらし火にかける
しまった せっかくなら茄子は
味噌汁のぶんだけじゃなく
ぽん酢と生姜でもりもり食べるぶんも一緒にぎっしり並べて
焼くんだったよ
ピピッ ピピッ
グリルが知らせてくる残り三十秒
ボウルとトングをスタンバイ
グッ ジャラッと引き出すと
網の上に艶消しの焦げ色トングでつかむ
ふにゃっ ぐにゃ 
ボウルで受けて浄水つつっ
ふふ いい匂い
焦げたお尻がわから するっ あつっ
おわっとあふれる湯気が指紋をとかすっ あつっ
ぽろっ崩れる焦げの薄いいちまいのなかに浅みどりの
くたっと汗ばむ実があらわれ
キッチン鋏でヘタを落とし
ぶつっとふたつ 長いほうは三つに分け
まだあつっ 指で裂いては鍋へ すとっ
ぐらっぐら 出汁のなか玉葱は透けて
うん ちょうどいいな 火を止め
冷蔵庫から麦味噌を出した
ああいい塩梅に階段を下りる足おと
ユウキ また焼き茄子の味噌汁しちゃったよ
「いいじゃない 時期なんだから
農家だったら当たり前のことだよ」
そうかな もっといろいろ食べ方があるのに
「美味しければ何でもいいんだよ
食べよう」
出汁の味わいに慣れたユウキは
よその味噌汁の味が濃すぎると言う
「うちの味噌汁の味がいい」と
グリルで十五分
すっかり焦げてくったりした茄子はもちろん
皮ごと輪切りで入れるよりふわっと美味しい
けれど
まだあのランチの味噌汁の香りに
届かない
もっと
もっと長く焼いて焼き目をつければいいのか
何か掛け算する工夫があるのか
そもそも茄子や味噌の出来栄えが違うのか
私のなかの食いしん坊が
むしょうに悔しがって
地団駄を踏んでいる

 

 

 

餉々戦記 (微塵無尽にもどき 篇)

 

薦田愛

 
 

月改まって葉月はちがつ
屋外での活動はなるべく控えてください夜間も積極的に冷房を
という夏のさなかだのに
いささかもおとろえる気配のないわが家の
いえ私の食欲
夏やせ知らず
かえりみるに
いつの夏もそうだった
近ごろ外食は少なくなったが会社勤めの頃は
なんでももりもり食すもののとりわけ
穴子の天ぷらあじフライ蛸の唐揚げ鯖の竜田揚げ薩摩揚げ串揚げ
フリット諸々もメニューにあれば注文せずにはいられなかったほどに食いしん坊で
むろん厚揚げだの練り物のごぼう巻だのあぶって生姜醤油というのも目がない
けれど
うちご飯の朝餉夕餉に
そうだ作ってみようとスイッチが入らないのは
油が撥ねてアツッとなるにちがいないことや
使ったら漉してストックしたり固めて廃棄したりの始末を横着がる
不心得者だから
とはいえ
食べたい思いが募りにつのり
面倒くささを凌駕しそうな日があり
さらにごくごく稀だが
ついに凌駕する日もある
暑気より疲労より食欲がいやまさる恐ろしい夕べ
この場合けっして
つれあいユウキの底なし型食欲が招く事態ではない
だから
今夜はあれを作る

ネットでしばしば目にする
――と感じるのは恐らくアルゴリズムのなせる業だが
揚げないなにがしだの、何なにの揚げ焼きだのという文言
その
とても無理と彼方へ押しやるあきらめの呪縛をゆるませる言葉が
そよいで
フライパンをひたひた満たすから
つい、ね
つい
これならできるんじゃないかと
勘違いしてしまう
だってほら フライパンって
つまるところフライ用のパンではないか
炒めるのと揚げるのとの境界はどのあたり
目玉焼きはフライドエッグなのだもの

はじめは揚げない南蛮漬けだった
三枚におろされたあじやいわしのパックひとつ分
削ぎ切りにして塩こしょうに薄力粉
焼くより幾分多めのオリーブオイルでジュッジジッ
裏返してジュジュッ 蓋してそろそろいいかな皿にとり
にんじんの千切り玉ねぎスライスしめじも炒めてしんなりしたらドッドサッドサ
ああ多すぎたなと毎回 そこへぽん酢をたっぷり
って
食べていたのだったけれど
いま思えばどこかあの
豆腐ステーキの魚版って趣き

けれどある日
真夏ではなかったその日
いや いいや 
やっぱりね
欲望にはとことん正直になりたい
揚げない南蛮漬けも美味しいけれど 
本当のところ
がんもどき食べたい
あじフライより天ぷらより
がんもどき食べたい
飛竜頭というのだ関西では
豆腐生地に野菜やらひじきやら時に銀杏やらきれいにちりばめられて
じゅじゅうっと滴るほど煮汁をふくめるあの
やわらかさ
でも、ねえ
おでん種にするには他にも揃えるのがちょっと骨だし
何より
まぁるく揚げるには油をたっぷり張らなくては
でも食べたい がんもどき食べたい
あるかなあ揚げないがんもどき
揚げ焼きでできるかなあ
キーワードふたつかみっつでさがす
――あっ あるよ
揚げ焼き版がんもどき
おお 揚げないからがんもどきじゃなくて
がんもどきもどき、だってさ
同じくらいに油の始末が億劫なひとや
同じくらいに食いしん坊の始末屋のひとかな
同じくらいにヘルシー志向なのは確かだな
すごいすごいや
薄くまとめて作るレシピが次つぎ

木綿豆腐はキッチンペーパーきっちり巻いて重石の平皿乗っけて水切り
ゆでてざるにあげるやり方はその後に知った
探し続けてプリントしたレシピ三つを並べてふむふむ豆腐一丁分で片栗粉は
だいたい大さじ三杯なんだな
塩や砂糖は入れたり入れなかったり
超時短派レシピだと干し椎茸をそのまますりおろして投入するとか
別のレシピは豆腐の水分でもどるからひじきもそのまま使うとか
山芋入れるのもあるなあ
(これが本式なのだとわかったのはずっとあと)
すごいなあ考えた人たち
ありがたや
いいとこ取りとしっくりするやり方を手探り
もどした干し椎茸は細切りのち微塵切り芽ひじきも右に同じ
直売所でみつけた無農薬にんじんもカタカタ刻み
畑でとれた黒枝豆を昨日ゆがいた残りもひとにぎり大まかに刻み入れ
賞味期限きれて久しいけどアミを半袋
生姜も入れようおろさなくても粉末のがあったっけ
微塵無尽オレンジに緑こげ茶に黒
ぐぐぐっちゃり崩してゆく豆腐の生成りに色をこぼせば
ステンレスボウルの冷たい肌はすっと曇って隠れ
しとっと重くなる
片栗粉を大さじ三杯振り入れ使い捨てビニル手袋の手で混ぜる
にちゃっぬちゃっ
フライパンに大さじ三、四杯目分量のオリーブオイル
カレースプーンで掬ってずとっとおとし
隣にまた
ずずっとおとし
平たく平たぁく あっ
こんなだった
昔いただいたことのある豆腐屋さんの
木の葉に似たかたちの平たいがんもどき
木の葉がんもって呼ばせていただいたのだった
比べればこれはずっと小さいけれど
アツッ 少なめの油だってやっぱり撥ねる
水切りしたって豆腐だもの
あらら
あとから間におとしたのがくっついちゃった
フライ返しと菜箸でくくっと隙間をあけ
うらがえっあっ
ふちから落っこっあっ
だ だいじょうぶ
最初に焼いた側はつるっつる
こんがりには届かないもっと焼こう
「おお、何作ってるの なんだろう」
やぁ待っててねもうしばらく
お楽しみにと言って大丈夫かどうか
うらがえして皿に取ると油はすっかりなくなったので注ぎ足し
一丁の木綿豆腐から平べったい小さなそれが
フライパンで二回分つごう十四枚ほど
大皿に重ねてスマホで二カット
ぽん酢とおろし生姜を添えて食卓へはこぶ
箸をのばすユウキの口もとが気になる
いや
最初の思惑からすればね
食べて私が美味しければいいのだけれど
小さめの平たいそれを取り皿に二枚
ぽん酢をたらし口から迎えにゆく香ばしい大豆がふっとにおう
んん
美味しい
みるとユウキも頬張って一枚食べ終わったところ
「あのさ 
ふつうのがんもどきって僕はとくに好きじゃないんだけど
これは美味しいよ こんなふうに食べるのは好きだな
ふつうのよりこっちのほうがいいな」
ほんとに? もどきもどきなのに?
うれしいな たしかに美味しいよね
「きっと柚子胡椒があうと思うんだ」
持ってくるよ。こないだ買った柚子山椒もね
柚子胡椒はもちろん柚子山椒も後押ししてくれて
平べったく小さなそれは何枚も残らなかった

がんもどきもどき
なんて言うけれど
雁の肉とがんもどきの距離より
油少なめまんまるく揚げていないこのもどきもどきまでの距離は
思っていたよりずっと小さかったよ
もちろん本式もどきの
煮汁たっぷりふくむことのできるふっくら加減には
及びもつかない
けれど
とりどり混ぜ込む微塵無尽にいささか手間がかかる
けれど
暑さ寒さに負けないわが(家の)食欲みたすレパートリーのかなり上位にこの夜加わった
もどきもどきのための木綿豆腐をいま
冷蔵庫から出すところ

 

 

 

餉々戦記 (なにを措いても冷や汁篇)

 

薦田愛

 
 

四方に山なみ丹波の田は日に日に稲の緑がせりあがり
風も水面をわたって届く のだったが
なんてこと
夏越の輪もくぐらぬうち
あっさり梅雨が明け 
おおおおひさま元気だ 
いちめんのひなた午前十時のおもてにでるや
みるみる頬が焦げる
町なかならばね
軒先づたいに日陰を選んでビルからビル時どき地下街なぁんて
買い物のしようもあるけれど
大通りをはさんで田畑時どき店舗の田園地帯のここには
軒先もアーケードも見当たらない
大通り沿いの時どき店舗も
ひろびろ敷地の奥に鎮座
道路がわは恐ろしくひろいパーキング
お買い物いくら以上二時間無料なんて文字
見当たらない
そのひろびろを突っ切り
歩いてあるいて店に入る
運転免許ももたない大人用三輪車もましてや自転車も乗らない
徒歩の私は
晴雨兼用傘たたんで
体温チェックカメラに睨まれる
引っかかりませんように
惜しみなく降りふる暑熱に満身射られ
融解まぎわ

眩しかったから
あの日も
畑に出たユウキが昼どきに戻ってくるのを
待ちながら
日に三度いただく味噌汁をつくろうと
鍋を出して手が止まり
そうだあれ どうかな
京橋のオフィスから銀座の南端へと出かけていた
ランチに行列のできる敷居の低い和食の店
づけのまぐろ重に穴子天 豚汁しらす重
いわし天の定食も美味しかった
なかに夏場の
冷や汁
とびきり
できるかな あれ
ユウキの血圧対策で
塩分の多い出汁の素をやめ
無添加パックで出汁をとるようになって
タッパーに入れたのが冷蔵庫にある
きゅうりは畑でとれた巨大なのが玄関わきに四、五本
大葉はちいさな庭の隅や砂利のあいだで繁茂
サンダル履きで大きめのを
そうだな三枚くらいかなと摘んで
たしか豆腐も入るはずだけれど
薄揚げならあるからお湯かけて油抜き
炙って刻んで入れよう
もの忘れ茗荷もカナメな感じだけど
ないなりにつくろう さてどんなだか
いつもの味噌汁は鍋に八分目でふたりの二回分
これは一回分を大きめの椀で出してみようかな
お試しだからね
椀で出汁の量を計ってステンレスのボウルに張り
麦味噌は大さじ一杯くらいかな
おたまのなかで入念に あっ
きゅうりを入れるんだから気持ち濃いめでもいいかな
って
きゅうり二分の一本ぶん大急ぎでスライサーにかけ塩もみ
ややあって絞って投入ゆらあっ
緑のひらひら麦味噌色の半透明を
ゆらゆらあっ
洗って鋏で細く切った大葉もはらり
ゆらあっ
あっ なんとなくだけど
すりごま振ってみよう
ひとさじ掬って うん 
こんな感じかな
蓋して冷蔵庫へ
がらっ 引き戸が軋んでユウキ
お帰んなさい 食べられるよ
「やあ汗びっしょりだわ シャワー浴びる」
おひさま惜しみないからね
ずっくり濡れた作業着脱いでユウキがシャワーをつかう間に
ゆうべのおかずの残りとご飯をならべ
冷やしたそれを
大ぶりの椀に満たす
着替えて「いただきまぁす」
まず椀を手にとる
どうかな ああ どんなかな
ずずっ ごくっ 
「あ、これ、いけるね! さっぱりして」
いいよね よかった 冷や汁っていうんだよ
本当はお豆腐入れるんだけど 茗荷もね
「じゃあまたつくって 豆腐と茗荷入れて」
つくるよ
木綿豆腐と茗荷も入れてね

レトルトをくれたひとがいた 
冷や汁の
宮崎のソウルフードなのよと
言っていたのではなかったか
たぶん四半世紀も前
食べたのだろうか 食べたんだろう
おもいだせないのだ なんてこと
受け皿ができていなかった もったいない
四半世紀前の私にくちびるを嚙む
四方に山の丹波でひと巡り
日脚がぐぐんとのびて折り返し
日ごとぐんぐん昼間が短くなっているのに
しろくまぶしく惜しげないおひさまに焦げ
熔けおちる私の一片一片を
歩くひとのない道沿いひろいあつめ 
木綿豆腐と茗荷と大葉と一緒に提げて帰る
庭の大葉はまだ小さい
きょうユウキは仕事からまだ帰らない
ねえユウキ 私たち
昼も夜も
身の内をしたたり落ちる一杯の冷や汁をよすがに
いちにち一夜をどうにか涼しく
越えてゆこうよ

 

 

 

餉々戦記(めくるめく剝くたけのこ 篇)

 

薦田愛

 
 

かはたれ
彼は 誰 と 問ふ
朝ぼらけ
あしもとへとベッドをすべり出で
かけぶとんを私にかけ直し
くちづけをのこして
ゆく
つれあいユウキは
作業服すがた
半睡のまぶたにふれるその生地
するん ひやっ
身体を動かすうち暑くなって
腕まくり どころか
脱いでしまうこともあるという暑がりの
そのくせ古民家の夕餉どき
「さむいんじゃない つめたいんだ」と
膝上さする
ユウキ
そのまとうもの片端から剝がしてゆけば
あらわになるのか
ひととなりっていうのかな
かはたれ
皮は誰
皮はどれ どこまで
身は誰
身はどれ どこから か
春 はるの
ころも次つぎぬがせて
はる 剝ぐ
はる 
たけのこ
むっく 剝く 
はる めく めくる
べりり

ここは丹波 四方に山のある町
直売所で ああっ
ある日ふいにはじまっていた
たけのこ祭り
うわぁ 息をのみ
堂々太長くてゆるく彎曲したのやら
掻き取られた根元の白うっとりするのやら
わぁ食べたい さわりたい なんてじゅうじつ
ごわっ 剛毛ふもとに赤いぼっつぼつ
錆びた鋲がならぶみたい
みっちりぶあつく鎧った 
きみ
春、の
うっとりほころぶ山はだ突きやぶり
ぐうっ ぐっぐぐうっ
あらわれ出でたる浅緑の小さな槍もつ
ずどっ ちいさな重量級の
きみ、は
ぐぐうんぐっぐぐぅんっと
しなるあの
たけ、の
こどもだというのだね
むかしむかしの湯屋にゆくニホンジンさながら
ベージュの粉入り小袋ともない
後や先
連れられてゆくんだね
きみ

そう
関西に来て初めての春
スーパーでまず目にしたきみたちは熊本産
てのひらになんとか乗るくらいの寸法からもちょっと立派なのまで
うーんちょっと手が出ないなあ
眺めてばかりいたのだった
けれど ね
その日てくてく二十五分 石橋の商店街
ちいさなビルの奥に陣取る八百屋さんに
あっ あったあったぁっ やっぱり熊本産
いっぽんいっぽん めで なめ
選び取ってみると
三十センチあるかなし
ずしっ
ほんのすこし湿った重み
三月なかば
確定申告をなんとか終えて
ほっとしたのと少しの還付金の額に
ちいさな財布の紐もゆるんだのだったか
今日こそはと持ち直したものの
あれ小袋が
糠がない
レジのひとに聞いてもわからない
米屋さんを探してわけてもらおうにも
その米屋さんなるものが見当たらない
あれっ税務署のある池田駅のそばにあるよ
ガラパゴス携帯で発見
たけのこ双六
申告済ませた町までひと駅あと戻り
たどり着いた高架下 
えり抜きのお米を扱う米屋さんらしかったけれど
その日はお米を提げて帰るゆとりがなく
ぬかだけ分けてくださいと言うと
このくらいでいいかなと袋に入れてくれて代金は受け取ってもらえず
ありがとうございますすみません助かりますとくりかえし繰り返し
お礼を言って押しいただいて帰った
さあて
尖端を斜めに削ぎ
皮の上から縦に切り目を入れた
いちばん深い鍋に水を張りえり抜きのお米の糠を入れ
そこへ沈めて沈まないので落としぶたして着火
ややあって沸騰したら火を弱める、のがまにあわず
ぁあああっ
駆け寄るまえに泡あわが鍋のふちを越え
うわあっ
指は火を止め鍋の耳をつかんで隣の五徳へ移し
けれどあつくて鍋の汚れをすこし拭いただけでまた小さく点火
タイマーあと五十三分くらいかなこういう時
システムキッチンと向かい合わせのリビングは好都合
はぁっとソファに腰から落ちながらも
目は離さないように
竹串がないので細身のフォークを
皮越しぐううっ突き刺あっしてみるうっ すぅっとって 
これくらいでいいのかな
一時間茹でたら放置五時間ゴールは遠ぉおい
双六 いっそく跳びってわけにはいかないな
出かけて戻ると
五徳のうえ冷めた鍋にたぷっ
しらっとしてゆるんだ皮ごとボウルに引きあげ
鍋を傾けたら
シンクいっぱい白茶けた汁があふれた
ボウルからずるっ
摑みあげ剝がし
穂先とまんなかのヨの字はできるだけうすく
かたい根元はえいっざくっと
切りさいなんで
かつお出汁をとり筍ごはんと若竹煮
「おっ いいね」って 風呂あがりのユウキ
いやいや湯気じゃ味までわからないでしょ

祭りまつり
直売所に並ぶいくつもいくつものコンテナがきみたちでいっぱい
ご近所さんが小声で予告してくださった季節が来たんだ
どうぞ掘ってねと呼んでくださるのを
ああ待ちきれない だって
いちめんのたけのこ いちめんのたけのこ いちめんのたけのこ
だもの
コンテナの前を通りすぎては戻りまた通りすぎ
また戻って中くらいのきみを籠に

次の日
ちょっと細身のきみは下三分の一で切って二枚剝き
先端を落として縦に浅く切りめを入れ鍋に沈めた
丹波では糠に不自由しない
ボックスのコイン精米機でもらえる
たっぷり入れて着火タイマー四十五分
夜のメニューを紙束ファイルとネットから探り出す
後ろに押しやっていたたけのこメニューの出番
木の芽和えもステーキもまだつくったことがない
型ガラスの外まぶしい うとっうとっ
ひとのこえがして呼び鈴
あっご近所さん お誘いだ
ガスの火とタイマー止めて
つば広の帽子と軍手でスニーカー
ありがとうございます、とあとを歩き
これを使ってねとクワだろうか受け取り
日当たりのいい土のそこここの盛り上がりを
ほらここにもある
四十五度におろすといいのよと示され
よいしょっと腕ばかりで振り下ろすのを
じょうず上手と励まされ
土からのぞく白のかたくてやわらかいきみを
小ぶりだけれど五本もいただき
また採ってねと笑顔を向けられた
ずしっ あったかい

祭りまつり たけのこ祭り
あく抜きってなんだか
米の糠を剝ぎおとすのに似てる
剝ぎ落としたものを使って抜くんだな
と こころづくところまでゆかずに
糠と唐辛子をそろえて煮立たせていたけれど
採りたてなら糠も唐辛子もいらないというひともいて
おおなんてシンプル
かと思えば
皮を剥いて切ったのを大根おろしに小一時間
浸すだけでいいというひとも わあ
どの道すじを選べばいいのか
まよいまよい
けれど今年も
今度はユウキが三本掘らせていただいたあとまた
三本届けてくださり
なんて豊作
茹でると浸すのと両方
やってみればいい
いく度でも
朝採れどころか掘りたてだなんて
産直の極みなりなぁんて
ありがたや
洗った焦げ茶のぶ厚い外皮に包丁を
縦に入れ ぐぐっとひく
びりりっ ぐいいっ
引き剝がし引きめくり
先っぽの小槍を
めりっ ぐいっ 斜めにおとす
のぞく断面のまんなかにあわく黄色く
そう鳥の子いろ
あっ 切りすぎたかな
いく度切ってもどっきり
いやまだまだこう見えて硬ぁい
うすくざらっとほらぜんぜんだ
皮はたれ
皮はどこまで
まことに
かたさからやわらかさへの階調は皮ひとえ
茹でずに大根おろしに浸すとひときわ見きわめにくい
焦げ茶から紫へうすむらさきへ鳥の子色へと
彩りの階調も皮ひとえ
姫皮っていわれるうすぅい美味しいところは
どのあたりからかな
指の先少ぅしでもこすれる引っかかりがあればまだ皮
美味しいところはもう一枚内っかわに違いないと
めくるやつっつるっ あっ
ちぎれちゃったよこれが姫皮ってことかな
味噌汁に入れるか穂先のスライスと一緒に炊き込みご飯
お椀の内がわぴとっと貼りつくんだ
煮るなと焼くなとっていっても結局
「焼くのがいいな」とユウキ
ホイルに包んでグリルしたのを切ったり丸かじり
「たけのこの味が楽しめるから何もかけなくていいよ」と
醤油いってきも滴らせずに
さあ
お節で活躍した大き目タッパー並べ
カットした端から詰める
ひたひた水を張りぴったりふた
冷蔵庫におさめ
剝がしぬがせたなんぼんぶんものごわっごわから薄手の皮の山を
重ねかさねてぎゅぎゅっぎゅぎゅっ
新聞紙にくるむ

あっ
あのいろ
たけのこども きみの薄手の皮
あれは
ぶつけた皮膚の下 内出血のいろだ
剝がして剝ききれないユウキの
うちがわは知れないけれど
ぶつけた私の膝に宿るうすむらさきの
正体は知れている
ソコツモノの証しは
淡く肌のいろを黄ばませすみれいろに染める
あのいろののこる皮は剝く
剝けばいい
縦にびっしり走る千筋万筋が消え
するん ひやっ 光を宿す
鳥の子いろのつやがみえたら
きっと さ
それが裸身
たけのこ きみの