音楽の慰め 第5回
佐々木 眞
イタリア弦楽四重奏団のモーツァルトの「ハイドン・カルテット」を70年代の旅先で耳にしたときは、最初の一音で陶然となって、なぜだか涙が出て仕方がありませんでした。
ああ、これがモーツァルトだ。これが弦楽四重奏だ。これが弦のほんたうの響きだ。
と確信できて、それは同じ頃に聞いたクーベリックのマーラーと同様にかけがえのない音楽体験となったのでした。
その後同じ曲をいろんな機会にいろんな団体で聴いたが、みな駄目でした。
大好きな東京カルテットも駄目でした。鉄人アルバン・ベルクも、てんでお呼びでなかった。
それから幾星霜、いまではとっくの昔に解散したこの四重奏団がかつてフィリップス、デッカ、DGに入れたCD37枚の録音を順番に、それこそ粛々と聴いていくなかに、K387のその曲がありました。
「春」という副題がつけられたそのト長調4分の4拍子のその曲の、冒頭のAllegro vivace assaiを久しぶりに耳にした私でしたが、どこか違うのです。
それはまぎれもないイタリア弦楽四重奏団の演奏ではありましたが、あの日、あの時、あのホールに朗々と鳴り響いた、あの奥深い音ではなかったのです。
それから私は急いでCDを停めて、そのほかのモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトなどがぎっしり詰め込まれている黄色いボックスにそっと仕舞いこみました。
半世紀近い大昔の、あのかけがえのない音楽と懐かしい思い出が、もうそれ以上傷つけられないように。