鈴木志郎康
わたしの親友の
戸田桂太さんよ、
『東京モノクローム 戸田達雄・マヴォの頃』出版、
おめでとうです。
息子が書いた言葉で甦えった
今は亡き父親の戸田達雄さん
おめでとうです。
桂太は青年時代の父親を
若者「タツオ」と名付けて、
一冊の本に蘇らせた。
わたしはタツオと親しくなってしまったよ。
関東大震災の燃え広がる
東京の街中を、
走り抜けるタツオ。
勤め先の若い女性を
丸ノ内から向島の
彼女の家族のもとに送り届けるために、
燃え広がる
東京の街を、
走り抜けるタツオ。
膨大な震災記録を
縫い合わせて、
タツオの足跡を
蘇らせた息子の桂太。
そこから、
「東京モノクローム」は始まるんですね。
タツオは、
震災後、
勤め先の「ライオン歯磨」を辞め、
イラストを描く、若い表現者となって、
震災の惨状を体験した活力で
極貧の生活を送りながら、
村山知義の斬新なオブジェに仰天して、
前衛芸術家集団「マヴォ」参加し、
「マヴォイスト」として活躍するんですね。
わたしの好きな複雑でニヒルな詩人の
尾形亀之助たちと親交を深め、
やがて友人と
二十一歳の頃から、
ショウウインドウを飾る仕事を始めて、
広告図案社「オリオン社」をスタートさせた。
タツオは、
震災後の若い芸術家たちの中で、
生きるための道を探り歩いて行ったんですね。
息子の戸田桂太は
その青年の父親を、
見事に蘇らせた。
親友のわたしは嬉しいです。
ラン、ララン。
ところで、
わたしの親父さんは
若い頃、何してたんだろ。
聞いた話って言えば、
若い頃、下町の亀戸で
鉢植えの花を育てて、
大八車に乗せて、
東京の山の手に
売りに行って、
下りの坂道で、
車が止まらなくなってしまって、
困った困ったって、
話していましたね。
大八車に押されて、
すっ飛ぶように走ってる
若い親父さん。
いいねえ。
ラン、ララン。